チキン南蛮弁当とコイン
「あれっ!?」
コンビニエンスストアのレジの前で財布を開いて、大地は驚いた。
小銭入れの中に、見たこともない金貨のようなものが入っていた。
「あ、すみません」
後ろに並んでいるお客さんがいたので、とりあえず支払いを済ませる。
購入したチキン南蛮弁当が電子レンジの中でゆっくりと回っている間、大地はもう一度小銭入れを眺める。
――なんだ? これ? なんで入ってるんだ? しかも三枚もある!
大地は動揺しながら記憶をたどる。しかしどうして入っているのか、それらがいったいなんなのかまったくわからない。
「お待たせしました。ありがとうございました」
店員の一言で大地は我に返る。おいしそうな湯気に包まれた弁当を受け取り、とりあえず外に出ることにした。
十二月の夜にしてはあたたかい空気。天気予報では夕方から雨ということだった。今のところ降ってはいないが、厚い雲がさえぎって月も星もまったく見えない。コンビニエンスストアの明るい光の前で、大地は再び小銭入れを開いてよく確認してみる。
その金貨のようなものは三枚とも大きさも厚さもちょうど五百円玉くらい、色あせていて、かなり古いもののようだった。金貨の片面は山と草原と川の風景が描かれ、その周りを植物の実や花や葉の装飾模様が縁どっている。そして裏面は翼の生えた獣のような不思議な動物の絵がデザインされていた。なぜか裏も表も数字も文字も刻まれていない。外国の金貨でもないようだった。
――メダル? でもなんで俺の財布にメダルが?
そのとき突然、大地の目の前に幻が現れた。
抜けるような青空、青い山々、草いきれ、鳥たちの美しいさえずり、川のせせらぎ――大地は金貨に描かれた風景と同じ大自然の中にいた。
――えっ!?
大地は思わず目をこすった。目の前にはコンビニエンスストアに並んで駐車している数台の車。冷たく湿った夜気に、かすかな排気ガスの匂い。
――なんだ!? 幻覚? 俺、相当疲れてんのか!?
もちろん、そんな体験は初めてだった。一瞬だったが、実際にその風景の中に佇んでいたようだった。幻覚、と思ったが、あたたかい日差しも全身に感じたし、自然の心安らぐ音も広がる豊かな香りも確かに感じていた。
もう一度、改めて辺りを見回す。駐車場には黒の軽自動車、大型トラック、白のワゴン車などが行儀よく並んでいる。そして店内には買い物をする人とレジを打つ店員、立ち読みをする人、弁当を選んでいる人――普段通り、なんの変哲もないごくありふれた日常の光景。
――そうだよな。なにも変化は起きていない。やはり俺だけが感じた幻か……。
財布の中に目を落とすと、謎の金貨のようなものは変わらず静かに小銭入れの中に収まっていた。幻覚などではない。念のため、財布の札入れやカード類も確認する。どこも異常はなく、変わったところはなかった。
誰かがイタズラで入れておいたのだろうか。でもいつの間に、そしてなんのために――大地は一人首をかしげる。
――もしかして、なにかの拍子に自分で間違って財布に入れてしまったのだろうか……。もしそうだとしたら早く持ち主に返さなくては……。でも、一体どこに返せばいいんだろう?
高価な品には見えないけれど、自分の物ではない得体のしれない物が手元にあるというのはどうにも落ち着かなかった。
――昨日までは確実になかった……はず――
昨日買い物をしたときにはまったく気付かなかった。小銭入れの中であきらかに異質な色、存在感、財布を開けて気付かないわけがない。
昨日は、会社帰りに中古の本やCDなどを売っているリサイクルショップで変わった本を見つけて購入しただけだった。
――『フィッシュアンドチップスアンドチップスアンドフィッシュ』――その本は、奇妙なタイトルが箔押しで記されていた。
――なんだ? この変な本。
なぜか本棚で、その一冊だけがスポットライトを浴びたように浮かび上がって見えた。思わず足が止まり、釘づけになった。
大地は、本を読む習慣があるほうではなかったが、自然と手にとっていた。本の心地よい重さがしっくりと手になじむ。
その本は、何十年も前に出版されたイギリスの小説の翻訳本らしかった。ふざけたようなタイトルのわりに、妙に凝った装丁の美しい本だった。
わけのわからない本だなと思いながら、なぜか強烈に惹きつけられていた。価格も安い。この本は今日自分が買わなければ――不思議なことにそんな思いが湧きあがって、気がつけばレジの前までまっすぐ足が進んでいた。
――あ。今日の昼に財布を開けた時もなかったな。
午前中、会社の皆と一緒にいつもの弁当屋さんの日替わり弁当を注文した。その際小銭入れから五百円玉を取り出していたが、小銭入れの中はいたって普通だった。
財布はずっとかばんの中、会社のロッカーは鍵がかかるし、かばんを出しっぱなしにしておいたこともない、誰かがイタズラできるような暇もなかったはず、まあそもそも会社にそんな意味不明なことをするヤツもいない、もし悪ふざけで俺にイタズラするんだったらもっとストレートに笑えることをやるはずだ――大地には、心当たりがまったくなかった。
「まあいいか」
試しに一人呟いてみるも到底納得できなかった。
「考えても仕方ない。わからないものはわからない!」
本当は気になって仕方なかったけれど、とりあえず自分に無理やり言い聞かせた。今はわからなくても、きっといつかは判明するだろう、そう考えることにした。
「あ。雨」
天気予報、当たったな、やっぱり傘を持ってくるべきだった、と大地は少し後悔した。レンジであたためてもらったばかりの夕飯のチキン南蛮弁当が濡れないよう気にしながら、走って家に帰った。