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潜水館の殺人  作者: 菱川あいず
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17/18

トリック

 潜水館は,正次郎が,遺産を相続する子どもを決めるために作った館である。


 そのために,正次郎は,この館に,子ども達のサバイバル能力を試すための「危険な仕掛け」を設置した。この仕掛けは,子ども達が判断を誤れば,子ども達を死に陥らせるものである。



 もっとも,それはナイフによって子ども達を殺傷する仕掛けではなかった。



 正次郎が仕掛けた「危険な仕掛け」とは,判断を誤った子ども達を溺死させてしまう仕掛けだったのである。




 正次郎の思惑に従えば,潜水館に集められた子ども達はこのような目に遭うはずであった。


 まず,広間が水で満たされる。

 このとき,広間の水位は客室のドアよりも10センチ程度高いところで自動的に止まることになっており,ドアに付いた窓から,水面が確認できる状態となる。

 

 このことによって,客室のドアは水圧で開けられないことになる。子ども達は客室に閉じ込められるのである。

 


 その後,子ども達のいる客室が水で満たされる。

 

 客室には,それぞれ,広間と同様に水が出たり入ったりするための穴が足元の壁にある。四郎を除く兄弟姉妹はみなこの穴は水捌け専用の穴であると考えていた。すなわち,ドアを開けた際に広間から入ってくる水を吸い込むためだけの穴だと。

 しかし,実際にはこの穴は,広間にある穴同様に,水を吸い込むだけでなく,水を流し込むこともできる穴だったのである。



 正次郎の思惑によれば,水圧によって客室に閉じ込められた子ども達は,足元から流れ込んでくる水を見て慌てふためく。このままだと水責めにされ,溺死してしまうと。


 客室にはドア以外の出入り口はなく,かつ,ドアは広間からの水圧で開かない状態であるから,子ども達はしばらくはどうすることもできない。客室が水で満たされていくのを待つしかない。

 そして,客室に水が溜まってくると,子ども達の足は床につかなくなり,水位の上昇とともに子ども達は天井に向けてどんどん追い詰められていく。こちらは広間と違い,水位の上昇が自動的に止まることはない。このまま放置しておけば,文字通り部屋が水で満杯になり,子ども達は溺死する。



 しかし,正しい知識を使って,冷静な判断をすれば,子ども達は助かることができる。



 その方法とは,客室の水位が広間の水位を超えたところで,素潜りをし,客室のドアを開けることである。



 今まで広間のドアが開かなかったのは,客室と広間との圧力の差があまりに大きいからである。広間に水があり,客室に水がない状態では,広間の方から押す力(水圧)に比べて客室の方から押す力(空気圧)があまりに小さいため,ドアを開けることができなかったのである。


 しかし,客室の方にも水が入っていき,客室の水圧が今の水圧を逆転すれば,ドアノブを捻ることによってドアを開けることができる。広間の水位はドアから10センチほどの高さで止まっているから,客室の水位が上がり,広間の水位を逆転すれば,密室が密室で無くなるのである。


 自分のいる部屋に突然水が侵入して来て,天井にまで追い詰められつつあるときに,水位の上昇を待ち,素潜りをし,ドアを開けることができるのか。


 これは口で言うほど簡単なことではないと思う。間違いなくパニック状態に陥っているだろうから,冷静な判断などできない。あまりの恐怖心から水位が十分に上がりきる前からもがいてしまい,体力を失い,溺死してしまうかもしれない。果たして,一度「開かない」と判断しているドアが開くようになる,ということを緊急事態下において把握できるだろうか。

 正次郎が仕掛けた命を賭けた「リアル脱出ゲーム」は難易度が高いものである。

 


 以前,正次郎は,アマゾン川で車ごと浸水した経験がある。

 

 そのとき,アマゾン川の水圧によって,車のドアが開かず,脱出ができないことに気付いた正次郎は,冷静かつ迅速な判断によって,車の荷台に積んでいたアイスピッグを使って窓ガラスを割り,あえて車内に水を侵入させ,川と車内の水位を近付けることによって,ドアを開けるようにし,脱出したのである。仮にこの判断が少しでも遅れていれば,車ごと川に流され,死んでしまうところだった,と正次郎は幾度となく語っていた。


 正次郎は,このときのアマゾン川での自らの経験から,潜水館の仕組みを思いつき,子ども達に緊急時に冷静かつ迅速な判断ができるかどうか試したかったのである。


 この試練を乗り越えた子どもは,正次郎にも負けないサバイバル能力を持つことが実証されるから,正次郎の遺産を相続させる価値がある。

 そうでなく緊急事態に対応できずに命を落とすような子どもは,正次郎の子どもとしては認めず,死んで仕舞えばいい。

 実に正次郎らしいイカれた発想である。




 そして,この「リアル脱出ゲーム」を実現するために,正次郎は,協力者を要した。

 というのも,広間の水の出入り及び客室の水の出入りはコントロールパネルによって管理されており,そのコントロールパネルを操作する者が館の中に必要だったからである。

 

 正次郎は,協力者に四郎を選んだ。その経緯は二郎には分からない。何らかの事情で,正次郎が,四郎だけは無条件に生かし,無条件に遺産を相続させて構わないと考えていたのだろう。



 とにかく,四郎だけは潜水館を訪れる以前から館の仕組みを熟知し,かつ,水の出入りを自由にコントロールする権利を保持していた。さらに,出来レースによって,四郎が相続人となることは最初から保証されていたのである。



 

 正次郎の死後,正次郎の遺言に従い,兄弟姉妹全員が潜水館に集められた。ここで兄弟姉妹は,正次郎の考案した命がけの「リアル脱出ゲーム」を試されることになるはずだった。


 しかし,四郎は,正次郎の意志通りにそれを実施しなかった。


 おそらくは,正次郎の考案した「リアル脱出ゲーム」では,複数名の生存者が出てしまう可能性があり,自己がもらえる遺産の額が減ってしまうと考えたからであろう。


 そのために,四郎は,より確実に自分以外の兄弟姉妹を殺害し,相続人の座から蹴落とす方法を考案した。


 それが今回の「潜水館の殺人」なのである。




 潜水館に到着した初日,四郎は,午後9時ちょうどを狙って,パネルを操作し,広間の放水を開始した。このとき,四郎は自分の客室にいたため,パネルを操作している様子は誰にも見られることがなかった。


 午後9時ちょうどを狙ったのは,水の出入りが人為的な操作ではなく,機械によって自動的に行われていると兄弟姉妹に思い込ませるためである。


 広間の水位は,客室のドアから10センチほど上の位置で自動的に止まった。広間の水位についてはそこが機械によって予め定められた上限だったのである。



 ここまではおおよそ正次郎の指示通りである。問題はここから先である。

 

 四郎は,正次郎から,広間の水位が最大に到達した以降に,5人の客室すべてで一斉に放水を開始するように命じられていたはずである。

 

 それによって生死を賭けた遺産争いレースが始まるはずであった。



 

 しかし,四郎はそうせずに,パネルを操作し,まず,自分の客室のみで放水を開始した。


 これは自分の客室を水で満たすことによって,自分の部屋のドアを開け閉め自由にするためである。


 そして,自分の客室の水がある程度上がり始め,広間の水位を少し超えたところで放水を止めると,五郎の部屋のみ放水を開始した。


 五郎の部屋の水位がそろそろ広間の水位を超えるであろうという頃合いで,四郎は,ナイフを持った状態で下着姿で広間に出る。


 そして,五郎のドアが開くようになったタイミングで,ドアを開けて五郎の部屋に侵入し,ナイフで五郎の頚動脈を切ったのである。

 五郎の部屋の水が血で赤く染まる。

 

 五郎は兄弟姉妹でもっとも賢いため,正次郎が予定していた「リアル脱出ゲーム」については無事クリアできた可能性があるかもしれない。しかし,四郎は,五郎に考える隙を与えなかった。

 五郎の部屋が密室でなくなってすぐのタイミングを狙って,五郎の部屋に侵入し,有無を言わせずに殺害したのである。さすがの五郎も想定外の事態で対応できなかったことだろう。

 


 五郎が絶命したのち,四郎は,五郎の部屋のドアを閉めた上で,自分の部屋に戻り,パネル操作によって,自分の部屋と五郎の部屋の吸水を開始した。こうすることにより,自分の部屋と五郎の部屋はまた密室に戻る。



 そして,このパネル操作は,当然にある結果をもたらす。


 それは,五郎の部屋を満たす,血によって染まった水を穴から吸い込み,五郎の血の跡を部屋から消し去るというものである。

 

 第2の謎である消えた血痕は,意図的ではなく,当然の帰結としてもたらされたものだったのである。掃除をしたか死体を運んだかの二択で言えば,前者に近いのかもしれないが。

 

 血は水で相当に薄められていたし,客室の部屋は黒灰色なので、水が捌けた後に壁の色に目で見て取れる変化はなかった。客室に血の匂いは残っていたのかもしれないが、それは死体が発している死臭に紛れてしまう程度であった。


 客室には広間同様に強力な換気扇が付いているから,客室が水で満たされていたことの証拠は容易に消すことができる。

 

 二郎が五郎の死体を発見した時点では,床や壁は完全に乾いていたのである。

 


 これが「潜水館の殺人」のトリックである。



 四郎が最初のターゲットとして五郎を選んだのは,五郎がもっとも手強いと考えたからであろうことは想像に難くない。五郎を生かしておけば,殺人のトリックについて見破られてしまう可能性があったからだ。

 

 四郎の思惑通り,残された兄弟姉妹は四郎殺害のトリックに気付くことなく,また夜を迎えてしまった。



 四郎は,五郎を殺した方法と全く同じ方法によって一郎を殺害することに成功した。




 そして,四郎は,翌日,全く同じ方法によって,二郎をも殺害するつもりだった。



 しかし,二郎は,ギリギリで殺人のトリックと犯人が四郎であることを見破ることができた。



 殺人のトリックについては,正次郎のアマゾン川の生還劇を思い返し,この館の真の目的に気が付けたことにより,閃くことができた。


 ドアを開ける方法としては,最初は正次郎同様,ドアに付いた窓を割ることによって広間と客室の水圧を近付けることを思いついた二郎だったが,窓は固く,割ることはできないものだった。

 そこで別の方法で水を入れる方法がないかと考えたところ,「水捌け専用」と考えていた穴が目に留まり,もしかするとこの穴は水を抜くだけでなく出すこともできるのではないかと発想したのである。

 



 3日目の夜,突然,壁の穴から放水が始まったことから,二郎は自分の推理が正しかったことを確信した。


 二郎は服を脱いで下着姿になると,水位が上がるのを待った。


 そして,客室の水位が広間の水位を超える少し前で,素潜りをし,ドアノブを捻り,バタ足をし,推進力でドアを押した。

 客室の水位が広間の水位を超えるまではドアは簡単に開かないが,その手前であっても,水圧の差がそれほどない状態にまでなれば,力さえあればドアは開くのである。


 そのようにして,二郎は犯人が来る前に客室から脱出することに成功したのである。

 


 次に二郎がしなければならないことは,犯人と入れ違いに犯人の部屋に侵入することだった。そうすれば,犯人の部屋にあるであろうコントロールパネルを利用できるからである。水位の操作が自動ではなくパネルによって行われていることは,二郎は,3日目の浸水が午後9時から2分遅れてことから確信していた。おそらく犯人が時間通りに作動させることを忘れてしまっていたのであろう。


 犯人の部屋にスムーズに行くために,二郎には犯人が誰であるかを知っておく必要があったが,2つの根拠から,犯人は四郎であると推理していた。


 一つは,1日目2日目3日目ともに広間での放水が始まったときに客室にいたのは四郎だったということである。3日目の放水が2分遅れたことから,放水のタイミングは誰かが人為的に操作しているに違いなかった。3日間全てで誰の目にも触れず放水のための操作をできたのは四郎しかいなかった。


 もう一つは,殺された人間と部屋の位置との関係である。1日目に殺された五郎は,四郎の右隣の部屋であり,2日目に殺された一郎は,四郎の正面の部屋であった。そのため,四郎は,どの客室のドアの窓からも目撃されることなく,2人の客室に泳いでいき,2人を殺害することができたのである。

 他方で,三枝が犯人であると仮定した場合には,そう上手くいかない。1日目の五郎の殺害は問題ない。しかし,2日目の一郎を殺害するためには,二郎の部屋の前か四郎の部屋の前を横切って泳ぐ必要があった。窓から泳いでいる姿を見られてしまえば,殺人のトリックを見破られてしまう。そのため,仮に三枝が犯人だった場合には殺す順番を変えるはずである。一郎を殺害する前に二郎か四郎を殺害したはずだ。そうすれば,生きている者の部屋の前を通らずに泳ぐことができる。




 広間に脱出した二郎は,館の出入り口のある廊下の方に向かった。

 四郎の部屋の位置からここは完全な死角である。


 二郎は廊下で待機し,四郎が出てくるのを待った。


 四郎が広間の水面から顔を出したところを目撃した二郎は,四郎に見つからないように,水中を静かに泳ぎ,四郎の部屋の方へと向かった。

 その間,四郎は一郎の部屋の方へと泳いで行った。

 四郎の背後をかすめるようにして,四郎の部屋に向かった二郎は,ドアを開け,部屋に侵入した。




 予想したとおり,四郎の部屋の壁にはコントロールパネルが付いていた。


 思い返してみると,客室の割り当てを決める際,ナンバープレートの数字どおりに兄弟姉妹を配置すべきと意見をしたのは四郎だった。

 四郎は事前に潜水館を訪れ、コントロールパネルが存在している部屋が「4」の数字になるようにプレートを貼ったのだろう。


 二郎は,ドアを閉めると,コントロールパネルを操作し,四郎の部屋の水位を下げた。


 もしも四郎が,二郎の思惑にすぐに気付き,すぐに自室に戻っていたとすれば,水位を下げるのは間に合わなかったかもしれない。


 しかし,四郎は,いるはずの部屋に二郎がいなかったことに相当困惑し,二郎の部屋中を,そして広間中を探し回っていたようであり,なかなか自室まで戻ってこなかった。まさに緊急時の対応をミスしたのである。


 その間,排水は進み,四郎の部屋の水位はドアのてっぺんよりもかなり下にまで下がった。そのため,戻ってきた四郎は自室のドアを開けられなかったのである。


 二郎の作戦は成功した。四郎は客室に戻ることができず,広間の水が捌けるまで,下着姿のまま,広間で浮いているしかなかったのである。


 その間,二郎は,四郎の客室の水を完全に抜き,肌寒さから四郎の着ていた服を着て,四郎の石のベッドで休息を取っていた。

 勝者ゆえにできる余裕の振る舞いである。

 

 

 これもある程度予想していたことだが,四郎は,二郎がパネル操作によって広間の水位を下げると,この館から逃走した。

 殺人犯であることを二郎に見破られてしまったからである。


 相続人を殺した相続人は相続から排除されるという法律により,四郎は相続人の地位を失ってしまったため,館にいても意味がないと感じたからだろう。

 



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