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1-8

 5月6日。私は浩樹の車で国道6号線を走っていた。国道沿いの浅草の街はいつものように賑わっている。連休明けだというのにここの混み合いは変わらないようだ。隅田川の向こうにスカイツリーが見える。

「水貴は怒ってたよね?」

 浩樹は少し申し訳なさそうに私に尋ねた。

「まー……。ね。でも仕方ないよ。あの人いつもああだからさ。ちょっと妬いてるのもあるんだとは思うけど……」

「ハハハ、妬くねぇ……。いつまで経っても新婚気分で羨ましいよ」

 浩樹は冷やかすような口ぶりで言うと、小さくため息を吐いた。

「昔からだからね……。ほら、一緒に部活やってるときもよくあったじゃん?」

「たしかに! あいつ言い出すときかないとこあるからなー。可愛い奴だよ。本当に」

 他愛のない話だ。昔から何も変わらない。浩樹は昔からよく水貴のことをからかっていた。そのたび水貴はムキになっていたと思う。最終的には浩樹が水貴に謝って終わっていたような気がするけれど。

 法務関係の仕事を始めてから、浩樹はずっと忙しなく働いている。余程、実入りが良いのか、彼はいつも高級な服を着ていた。普段着にカルバンクラインのジャケットを着て、冬場には必ずバーバリーのコートを羽織っていた。私の旦那と比べれば高給取りなので当然だとは思うけれど、あまりにも身綺麗過ぎると思う。

 でも浩樹は車や家には無頓着だった。今乗っている車だって国産の中古車だし、住んでいる家だってかなりの安普請らしい。水貴の話では浩樹の家は雨漏りしていとか……。

 車は隅田川を渡り、千住新橋へと差し掛かる。ここまで来れば目的地は目の前だ。

「鴨川さん……。今日は落ち着いてると良いなぁ」

「そうだね……。私も5年ぶりぐらいに会うからちょっと心配」

 車は小菅をゆっくりと走って行った。そして目的の建物の内部に入る。

「拘置所は何年か前に来たよね?」

「うん。もうだいぶ前だけどね……。ほら、一家毒殺事件のときだよ」

「ああ、あれも酷い事件だった……。最終的に極刑になったけど、居たたまれなかったよ」

 彼は駐車するとサイドレバーを引いた。私たちが2人でここを訪れるのは実に15年ぶりだ。あのときは容疑者への取材目的だったけれど……。

 それから私たちは拘置所内で受付を済ませ、面会の手続きをした。建物内は年期が入っていて、ここの歴史を感じる。

「まぁ……。大丈夫だとは思うけど、何かあっても気にしない方がいいよ? 傷害事件の被告ってけっこうアレだからさ」

「うん。大丈夫……。覚悟はしてきたからさ」

 覚悟はした。でも予期せぬ何かはあるかもしれない。そう考えると足が竦んだ。

 15分ほど待つと女性の刑務官が私たちを迎えに来た。

「じゃあ行こうか」

 浩樹は立ち上がると私の手を優しく引いてくれた。

 面会室へ向かう廊下に靴音だけが響く。カツンカツンという音は不吉で、あまり心地良い音ではなかった。肌で感じる温度はこれ以上ないくらい適温で、温かくも寒くもない。

 刑務官が面会室のドアを開くとそこにはガラス板で仕切られた小さな部屋があった。ガラス板の真ん中には声を伝えるためだけに開けられた蜂の巣状の穴が無数にある。

「お待ちください」

 刑務官は事務的という言葉を体現するような言い方で私たちに座るように促した。面会室は最高に空気が重く、私はその空間に押しつぶされそうになった。

「大丈夫だよ……。誰も取って食ったりしないから」

 浩樹は微笑んで私を励ましてくれた。

「うん……」

 私が返事すると同時ぐらいに向こう側の扉が開いた。カチャっという開く音は私の心臓を一瞬停止させる。

 ドアから現れた女性が一瞬誰なのか分からなかった。茶色でボサボサの長い髪はなんとかポニーテールにして体裁を保っているように見える。身体は細く、今にも折れてしまいそうだ。

「あ、あの……」

 私が口を開こうとすると硝子越しの彼女が顔を上げた。彼女の口元は醜く歪み、笑っているのか、だらしなく空いているのか判別がつかない。

「おいでやす」

 彼女の言葉だけが狭い部屋に木霊した――。


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