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例のワイドショーは連日、鴨川月子について報道していた。彼らはあることないことを面白おかしく話している。その様子が嫌な反面、仕方ないと私は思っていた。彼らだって仕事なのだ。他人を貶めて、お金を貰う仕事なんて私は御免だけれど。
私はテレビを消すとプレス機で紅茶を煎れた。大好きな紅茶。私の創作のお供。
紅茶の香りが心地いい。私の好きなダージリンの香りだ。茶葉から広がる褐色が夕焼けのようで美しかった。この色と同じ夕焼けを私はよく知っている。私が高校時代に過ごした二子玉川の夕焼けではない。京都で見た夕焼けと同じ色。
この色を見るたび、私は月子のことを思い出す。彼女と過ごし、彼女と一緒に帰ったあの道を。
私は小学5年生のときに父の仕事の都合で京都に引っ越した。引っ越し先はとてもいい場所だったけれど、そこにいる人たちはあまり私を歓迎してはいないようだった。当時の私は引っ込み思案で、周りに合わせるのが苦手だったので、これは彼らだけの問題ではないと思う。しかし、私はその環境がとても嫌いだった。
私は幼かったのだ。幼すぎて、今思えば我が儘だったのだと思う。転校先のクラスメイトたちの京都弁が酷く耳障りにさえ感じた。親切そうに話しながら、実際は押さえつけようとする彼らがたまらなく嫌だった。
だからなのだろう。私が彼らから嫌がらせを受けるまでそこまで時間を要さなかった。上履きを隠されるとか教科書に落書きされるなんて日常茶飯事だったし、陰口だって私の目の前でいつも言われた。
1人でいるのは苦ではなかったけれど、集中的に嫌がらせされるのはさすがに堪えた。本当に嫌で嫌で仕方なかったのだ。
そんなときだ。クラスの中でも異彩を放つ女の子から声を掛けられた。
鴨川月子。その当時、私は彼女と全く接点がなかった。彼女はクラス内でも人気者で、男子生徒からもモテていた。綺麗な顔立ちをした少女で、ショートヘアーをいつも可愛らしいヘアピンで留めていた。私は地味でお世辞にも可愛いとは言いがたい子供だったので普通に考えれば接点などないはずだ。
しかし。彼女は私に優しく話しかけてくれた。そう……。あれはある放課後の出来事。
私は教室に残って時間を潰していた。他の女子生徒たちと同じ時間に帰りたくなかったし、彼らと一緒に下校すれば、嫌がらせされるかもしれない。そんな風に思っていた。
当時の私は学校の図書室から借りてきた本を読むのが日課だった。特に海外文学が好きで、ヘッセやサリンジャーの本はよく読んでいた。サリンジャーの和訳本は特にお気に入りで、その独特の言い回しに私はすっかりハマっていた。”ライ麦畑で捕まえて”と”テディ”は何回も繰り返し読んだ。月子に初めて話しかけられたのはそんなときだ。
「あれ? 栞ちゃんひとり?」
私が本に集中していると後ろから彼女に声を掛けられた。私は「そうだよー」とだけ軽く返事をする。月子は私の手に持っている本に興味を持ったのかさらに続けた。
「そぉかぁ、栞ちゃん本好きなん?」
「え! う……。うん」
私は適当に返事をした。
「ええね! 好きな物に熱中できるんはええことやで! ウチも女同士で仲良しごっこするより好きなことやってる方がええもん!」
月子はまるで私を擁護するような言い方をした。今思えば擁護というよりも彼女は自分の価値観に正直なだけだったのだと思う。私は「そ……。だね」と返す。会話になっているかは疑問だけれど。
「せやで! ウチはな! 女がたむろして誰かの悪口言うのがほんまに大嫌いなんや! 何が楽しいのか理解できへんてマジ!」
月子は強い口調で言うと、穏やかな表情で「せやろ?」と私に笑いかけた。
「月子ちゃんは強いよね……。私はダメなんだよ。身体は弱いし、あんまり明るくもないし」
「栞ちゃんはダメやあらへんて! 好きな物に打ち込めるんは才能やで! 本が好きで本を読むのが得意やったらそれは立派な才能やとウチは思う!」
そう話す月子の言葉に嘘はないと思えた。世間体だとか、保身だとかそんな打算ではなく、まっすぐな気持ちだと思えた。私は素直に彼女の言葉が嬉しかった。今までこんなに嬉しい言葉を掛けてもらったことなんかない。気が付くと私は「ありがとう……」と呟いていた。それは心からの感謝だったと思う。
その日から私と月子はよく話をする友達になった。他のクラスメイトも月子には文句が言えないらしく、自然と私への陰口も減っていった。もっとも、月子がいないところでは言われていたのかもしれないけれど。
月子は私の拙い話を面白そうに聞いてくれた。彼女の自身の夢や家族の話をよく話してくれた。
だから私にとって彼女は最初の親友なのだ。最初にして最大の……。
紅茶をすすりながら昔のことを思い出す。月子のこと……。京都のこと……。
最後に月子に会ったのはもう5年ぐらい前だと思う。最後に会った彼女は少しだけ疲れた顔をしていた。
月子のことを考えながら飲む紅茶は苦く感じた。その苦さは私にある決心をさせることになる。