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人はそれを悪魔の所業と言った。

 マリー・エンバンスはそこに座っていた。ようやく見つけた少女は、本当に天使と見紛うほどの美しさがあった。



「君を探していた。マリー・エンバンス。そうだね?」



 マリーはまっすぐ前を見つめたまま、微動だにしない。まばたきすらしないその瞳から、渇きを防ぐ為に自然と涙がこぼれた。



「君は何故歴史の中で何度も登場するんだ。君は何者だ。世界でも極僅かの人間しか君を認識していない。いや違う、君を認識すると全てが消えるんだ。だから誰も君を追う事ができないんだ。君は誰だ?」



 マリーはまっすぐ壁を見つめている。



「……昔、1人の新聞記者が君を追いかけた。彼は君の存在を認識すると全てが消える事を悟り、自らを死んだ事にした。しかし再び君を追う者が現れ、彼はその存在を消された。そればかりか、君が最初に現れた地さえ消えた」



 男の話は耳に届いていないのか、マリーはまっすぐ前を見つめている。



「彼は……オルガン氏は何故生き延びられた? 何故彼だけ生かした? それは君の存在は、全く歴史から抹消されるわけにはいかないからだ。君は大々的に誰もが知る存在を良しとしないが、誰もが知らない存在であるのも良しとしないからだ。必ず世界の誰か1人でも君を認識する必要があった。君が存在する為に」



 マリーの周囲が歪んでいく。病室の白亜の壁が、景色と重なり始める。



「だから記事という媒体を選んだ。知る人ぞ知る存在になるには、地方紙のほんの一角は絶好の『巣』だ」



 歪む景色が攪拌される。



「オルガンを生かしたのは、自分の媒体を維持する為。彼はあたかも君が世に()()ように記事を造り上げた。しかしやがてオルガンはそれを拒否し、自らを死んだ事にした。だがそれではレールから抜け出す事はできなかった。結局オルガンは命を失った。用済みとなった彼と、彼もろとも町を消したのは、新たな媒体の守護者を見いだしたから。それがクローズ氏だ」



 マリーが初めて動いた。人形のようにゆっくりとした動作で首を男に回した。マリーの瞳が男を捉えるが、男はそれに視線を合わせなかった。



「先日亡くなったのはクローズ氏だろう。彼も長年君を追いかけていた。もしかしたら後継者が君を追いかけるように仕向けたのも、君が存在する理由か」



 マリーの瞳が男を映す。男の首が自然とマリーへ回されていく。男の額が汗でまみれる。



「しかしクローズ氏は君の媒体維持の後継者にならなかった。何故ならクローズ氏はもう記者ではなかったからだ。記者でないなら君の媒体は書けない。君はクローズ氏を抹殺した」



 視線を合わせろと促されるこの自動作用に、男は吐き気を堪えながら抗う。だが首はギリギリと自由を奪う。男の言葉は速くなる。



「誰かが受け継がなければならない。マリー・エンバンスとは、この世界のことわりだからだ。我々人類が受け継いでいくとが。それが君なんだ、マリー・エンバンス。まだ全ての謎は分からない。だけど1つだけ分かる事、それは君がこの世界で不必要要素であり、不確定性の強い軸を担う元素という事。この世界では君は排除の対象でありながら、なくてはならないものとなっている。何らかの()()()を発現させた者だけに降りかかる、咎の理。マリー・エンバンス、人はそれを悪魔と表現する」



 男は汗にまみれた手で拳銃を取り出した。その銃口を少女に向ける。少女は男の方を向いて目を開いていた。吸い込まれそうな眼球が、ガラスのきらめきを想像させた。

 男は引き金を震える指で引いた。赤い閃光が視界を火花で覆った。



 少女の眉間には、地球の裏側まで続いていそうな空洞が開いた。その穴からは硝煙が揺らいでいた。













「……これが、その、マリー・エンバンス、ですか」

「そう、マリー・エンバンスだ。次の宿り木はあなたの病院だ。丁重に頼みます」

「な、何故……」

「何でしょう?」

「何故、この少女を病院で保護しなければならないのですか? 私は、その………」

「引き取りたくない、と。ですが、彼女を引き取るのは使命とお考え下さればいい。誰も抗えない、人間の使命と考える事が第一です。そしてこの子を生き長らえさせるには、病院が最適かと。近い内に守護者も訪れましょう。それまでの辛抱です」

「は、はぁ……」



 禿げ上がった頭を何度もタオルで拭き、汗を吸ったそれをソファに投げ捨てた。

 医院長は白衣の襟を整えると、少女を促す老人に視線を送った。老人からは有無を言わさぬ意思が散っている。医院長は再び手で汗を拭った。



「3千万ドルが報酬です。無償ではありません。では、よろしいですね?」

「ま、待って下さい! こんな事をいつまで続ければ───」

「ご安心を。守護者が訪れれば、あなたの記憶も抹消される。マリーと会った事など忘れるでしょう。それまでの辛抱ですよ。そうして皆、歴史を紡いできたのですから」



 老人はハンチングを浮かせて挨拶すると、小切手をテーブルに置いて部屋から出て行った。


 老人が出て行った扉から、若い医師が入ってくる。



「医院長、何のお話だったのでしょうか?」



 若い医師はソファに力なく座った医院長の頭頂部を見ながら言った。頭皮に汗が滲んでいる。率直に嫌悪感をいだいた。



「マリー・エンバンスが()()

「マリー・エンバンス? どなたです? それは」

「目の前にいるだろう。悪いが病室を1つ空けてほしい」

「病室を?」



 若い医師は医院長室を見渡すが、そこには自分とぐったりした医院長しかいない。



「あの、お言葉ですが医院長。どなたの事を───」

「マリーの病室を空けろと言っているのだ!」



 明らかな異質の様に、若い医師は眉をひそめる。壁に視線を移すと、傷だらけで汚らしい絵画がかけられていた。目の前まで行くと、下には『少女の杞憂』と題されていた。

 絵画は古めかしく、継ぎ接ぎや深い傷が表面を走り、更には銃痕であろうか、空けられた穴も点在していた。お世辞にも状態も価値も酷いものだった。しかしその透き通る瞳は魂を震わせる何かを感じる。若い医師は眉間を摘まんで首を振ると、深いため息をつく医院長に向き直った。



「最上階の部屋が空いておりますが。そこで構いませんか?」

「君に任せる。丁重に頼むよ」

「分かりました。では早速手配を。彼女には看護士を付けます」

「うむ。それから花を手配してくれ」



 若い医師は強くまばたきを何度かして、部屋を立ち去った。医院長は腰を上げ、少女のに語りかける。



「今しばらく待っていてくれ。すぐに部屋を用意する。ここは医療設備も整った病院だ。ゆっくり、養生すればいい」



 少女の画はただまっすぐに、前を見つめたままでいた。







 完











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