その姿、
「それで、ハシバ看護士長はどちらに?」
まだ幼さが若干残る声に、若い女性看護士は首を振った。美少年、とまではいかなくても、その整った顔立ちに少しばかり見とれていた看護士は、彼の問いにハッと心を取り戻し、知らないと告げた。
「……医院長に面会は可能ですか?」
「いえ、それは……アポイントメントを取っていただかないと……」
「それではこれがアポイントメントです。医院長におつなぎ下さい」
看護士が困りながらも内線で連絡をしている最中、若い記者は鼻歌交じりにカウンターに肘をつきながら、院内をぐるりと見渡した。
何の不思議も持ち合わせない、どこにでもあるこの病院に、目当ての少女がいる。そこまでは突き止めた。体の内側から好奇心の震えが浮かび上がるが、口角が上がるのだけは抑えた。
看護士は2枚の名刺を何度も指でなぞりながら、電話の先の話し声に頷いて受話器を置いた。
「あの、クローズ、さん?」
「はいクローズです。クローズ・バイアントです。して、どうでした?」
おもちゃを目の前にした少年のような笑みに、看護士は頬を赤らめて答えた。
「医院長はやはりお忙しくて……しばらくは誰のアポイントメントもお受けにならないそうです」
「しばらくというのは?」
「え?」
「しばらくというのは、どの程度のしばらくなのでしょう? 3日後なのか1週間なのか、それとも1年先なのか」
「あの、それは分かりかねます」
「そうですか……」
クローズと名乗った若い記者は、顎に手を当てて考える素振りをした。つるりときめ細かい肌は、彼の若さを象徴する。髭が生えないのか綺麗に剃り上げているのか、その顎には青い点は見られなかった。
「それではこうしましょう。今からお会いしに行きます」
「え? あの、クローズさん?」
「医院長は上ですかね」
クローズは手を伸ばす看護士をかわし、エレベーターへと進む。一間置いて、慌てた看護士がカウンターから出てきた。人とぶつかりそうになって、頭を下げながらクローズへと走る。
「こ、困ります。医院長はお会いにならないと───」
「大丈夫。ご迷惑はおかけしません。ご心配なく」
笑顔でそう言うと、クローズはエレベーターに乗り込んだ。扉を閉める瞬間、被っていたハンチングを取って頭を下げた。
慌てた看護士は、すぐさま医院長室へと電話をかけた。2枚の名刺を何度も裏返して確認する。
「お断りしたはずですが」
「ええ、伺っています。ですが待ちきれない性分でして。すみませんね」
全く悪びれていないこの青年に、医院長は禿げ上がった頭を撫でた。だから最近の若者は頭にくる。常識が通用しない。バカばかりだ。
目の前の若い記者を名乗るコイツも例外ではない。づけづけと入り込み、人の都合もお構いなしだ。バカばっかりだ。
「いかがしました? メモを取っても?」
「まだ取材を受けるとは言っていない。帰ってくれないか?」
「2、3分で済みますから」
「帰ってくれ!」
医院長が声を荒げても、クローズはくたびれたバッグからメモ用紙とペンを取り出し、取材の用意をしている。全く、バカはこれだから。
「それでは……まず、ハシバ看護士長の話ですが───」
「聞こえなかったのか! 帰れと言ったんだ私は!」
声を荒げて立ち上がった医院長を、不思議そうに見上げるクローズ。医院長は額に汗し、クローズを睨んで見下ろした。
「少女などいない!」
「何故少女だと?」
「貴様のような記者が前にも来たからな! 帰れ!」
「まるでここにいるよとご自分で仰っているようですね」
「いないと言っているだろう!」
クローズは汗だくの医院長を上目遣いで見つめ、小首を傾げて口角を上げた。その感情が隠っていない笑みに、医院長は鳥肌を腕に生やした。
「僕は少女など一言も言っていません。何を焦っておられる? 僕が何を目的として現れたのか、医院長、あなたはもうすでにご存知のようだ。ひた隠しにするのは構いません。ですが隠せば隠すほど、あなたの傍に彼女がいるという証拠になる」
医院長の額から汗が垂れ、毛足の長いカーペットに落ちた。その雫は球体となって、カーペットの逆立つ毛の上でキュロキュロと遊ぶ。
「前にも来たという記者とは、誰です?」
医院長は一人掛けソファに身を沈めると、深く深くため息をついて顔を覆った。
「頼む……帰ってくれ」
「医院長、もしかして、もうここにはいないのですか?」
「帰ってくれ」
「ここには僕とあなたしかいない。誰にも話すつもりもありません。秘密は秘密として成立し───」
「そういう問題ではない」
顔を晒した目が、クローズに刺さる。喉ではなく腹の先から地響きのように奏でられたその声は、顔を覆って汗を垂らす人物とは別人の声だった。クローズは目を細める。
「と、言いますと?」
「貴様は知らないんだ。知らない事は知らないで人生を全うするのが賢い選択だ。いや、それが最善だ。貴様はまだ若いのだろう」
「探求心は人間の常ですよ」
「黙れ! 警備員!」
扉を開け放ち、警備員が数名雪崩れ込む。赤い顔で怒りをぶつける医院長は、クローズへと睨みを効かせた。
「二度と来るな。二度とな」
警備員に荒々しく連れ出され、クローズは病院から叩き出された。