第四話 六花と蒼空
雌猫の縄張りはあまり広くは無く、六花の縄張りもまた、
お家から半径50メートルくらいのエリアだ。
蒼空のお家は六花のお家からだと直線距離で75メートルくらい離れており、
六花がそこまで行くのはちょっとしたお出かけ気分だ。
「もうこの辺りまで来ると、嗅いだことのない匂いばかりね」
六花は鈴を軽快に凜々と鳴らしながら通りを行く。
蒼空のお家は最近出来たばかりのアパートで、
蒼空は遠くの海が見える街から引っ越してきた猫なのだ。
六花は彼から海の話や、美味しいお魚の話を聴くのが大好き。
途中幼稚園の近くを通ると、
「あ、猫ちゃんだ!!」
と園児の女の子に見つかってしまったが、
六花は女の子なら痛い意地悪はされないと知っているから、
立ち止まって女の子の方にちょっと近づいてから丁寧に、
「こんにちは」
とご挨拶した。
すると女の子の手を引いていたお母さんが眼を丸くして。
「あら、本当にニュースの通りなのね! ほら、比奈子ご挨拶して!」
と女の子に促し、
「猫ちゃんこんにちは!」
と女の子も元気に挨拶を返した。続けてお母さんも、
「猫さんこんにちは。わざわざ挨拶してくれてありがとう」
どうしようかなと思ったけどちょっと寄り道していくことにして、
女の子の足元まで鈴を鳴らしながら近づいていき、
「元気な挨拶ありがとう」
と言いながらころころと喉を鳴らして、足元にすりすりしてあげる。
「わ! 猫ちゃんありがとう!」
「あら、素敵な猫ちゃんねぇ、それに声はずいぶんひなちゃんよりも、
お姉ちゃんみたいよー」とお母さん。
「ふふ、そんなことありませんよ、ひなこちゃん、良かったら撫でてみて?」
と六花が言うと、女の子は大喜びで六花の背中を撫でてくれた。
気持ち良い。
「ありがとう」
「ありがとう、猫ちゃん! ねぇママ! 猫ちゃんとお話しできるってすごいね!」
「そうねぇ、良かったわね、ひなちゃん、いい猫ちゃんで。
ほんとにありがとうございます」
ぺこぺこと女の子の母親は頭を下げていたが、
いつも通りだったらたぶんそこまではされてないだろうから、
なんだかむず痒い気分を六花は味わった。でも悪い気はしないかな。
「またね、ひなこちゃん!」と言って、その場を辞す時も女の子は喜んでいた。
六花の足取りは軽く、あっという間に遠いはずの蒼空のお家に着いていた。
どうやって会いに行こうかな。と考えていると、蒼空がちょうどお家から出てきて、
六花に気が付いたようだ。
「あ、り、六花さん! おはようございます!」
ととと、と10メートルくらい離れていた距離を走ってきて白猫の蒼空が挨拶した。
「蒼空さん、おはようございます。今日の集まり、来なかったから。
今朝のことがあったでしょう? それで、お家で何かあったのかなって、
私ちょっと心配で様子を見に来てみて……」
六花はちょっとだけ男の子に会いに来るのが恥ずかしかった。
「そ、そうですか。わざわざ遠いところありがとうございます。
今朝の。ああ、僕たちの話を人間が解るようになったっていう。
ウチは大丈夫でしたよ。ちょっと相談があったので、
飼い主さんに、縁さんに聴いて貰ってたんで、
それで集会には行けなかったんですけどね」
猫同士の挨拶で、お鼻をすり寄せ合ってお互いにちょっと身体の匂いを確認する。
彼からは遠く海の匂いと、飼い主の下条縁さんのかな。
すこし甘い女性の匂いがした。
彼の飼い主は、確か正治さんよりは年下だけど、
川西さんよりは歳上の女性で、そう言えば美人だったような――。
と考えていたところ蒼空のお家の玄関が開いて、
ちょうど飼い主さんがゴミ袋を持って出てきた。
「あれ? 蒼空、お友達? あ、こんにちは、よねまず」
長い髪をシュシュでまとめて、ピンクのガーリーなワンピース。
お出かけにそのまま行くんだろう小さい素敵な鞄。
スタイルも良いし、顔が小さくて赤い口紅が綺麗。
あー、この人も絶対正治さんのタイプだわー。
「こんにちは、私、六花っていいます。
蒼空さんといつも仲良くさせていただいてます」
六花が一歩彼女に近寄ってご挨拶した。
すると、なるほどという女性らしい微笑みを浮かべて、
「あー、あなたが六花さん! そっかぁ。蒼空をよろしくお願いしますね」
早くも噂されていた様子だ。
「わ、わ、ゆかりさん! なに言ってるの!」
「あ、ごめーん、蒼空、私もう出掛けなくっちゃいけないから。
お庭側の窓すこーし開いてるからそこから入ってね、仲良くするのよ!
じゃ、いってきまーす」
バチッと蒼空さんにウィンクを飛ばしてから、ルンルンと去って行ってしまった。
性格も軽快そうでいかにも猫好き女子ね~。
すこしさばさばタイプなのかな。
「さて蒼空さん、どんな噂話してたのかしら?」
と六花。
「い、いやその、その……今気になってる子が居てそれでその相談をっていう感じ」
!!
いきなりそこまで白状しなくても良いのに。
「え! 蒼空さん?」
「あ、その、気になってる子ってもちろん六花さんです」
申し訳なさそうに耳を垂らしながら蒼空は言うけど、告白は告白だ。
六花はドキドキしてしまう。今は発情期ではないけど。
「ありがとう、蒼空さん。私もね、ちょっと蒼空さんのこと気になってたから、
その、嬉しいかな……」
互いの頬をちょっとこすり合う。
「ごめんなさい、六花さん、もうちょっと雰囲気のある告白の仕方もあるかなぁと、
思ってたんですけど」
相変わらず耳がたれていてて困ってるみたいだけど、
六花は嬉しい気持ちの方が先に来てて、
「あら、私は嬉しいわ。これからもっと仲良くなっていきましょうね」
というと、やっと蒼空も耳を立てて、六花の頬にすり寄ってくれた。
「ありがとう! これからよろしくね」
蒼空の声にも嬉しさが滲んでいた。