表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの世の行きの電車  作者: 林 秀明
18/18

あの世へいけたら

「……お客様、お客様」


自分の事を呼ばれているとは分からなかった。おぼろげな頭の中で誰かが話している。それだけは分かった。


「終着駅ですよ。このままだと風邪をひくんで、さぁどうぞ」


半寝の状態で駅員は強引に咲の体を起こした。その勢いでカバンの中に入っていた携帯が地面に落ち、音で頭が起き始めた。


「だ、大丈夫です。一人で起きます」


駅員の手を離し、咲はよろよろしながら立った。首に巻いていたマフラーが異様に熱くなっているのがわかった。マフラーを外し、携帯と一緒にカバンの奥へ押し込み、ふらつく体を吊り革を伝って車外へと出た。



「なんだったんだろう?」


駅の改札口を出て、夜空を見上げた時、咲はようやく現実味を感じた。今まで夢を見ていたのか、もしくは異世界へと放り投げだされ、無事帰ってきたのか分からない。だが遠くの夜空にキラキラと光る星とお月さんが見えた時は、やっぱり帰って来たんだなと実感する事が出来た。巾着袋はもうなくなっていた。

踏み切りを渡り、大きな公園の横を抜け、咲は自宅へと戻った。時刻は午前一時十五分。


「あっ!お風呂!!」


そう言えばお風呂を沸かしていた事に気付き、カバンをベッドに投げつけ、咲はお風呂に入る事にした。脱衣所で服を脱ぎ、シャワーで一度体を洗い流し、咲は湯船へと浸かった。お湯が足のつま先から腰、胸、肩へと冷え切った体を温かくし、咲の心も温かくした。


「人生ってやっぱりこれだな」


水面から顔を出す腕を撫でながら、咲は呟いた。人生生きようと強く思ったことはないけれど、日々何気なく過ぎ去っていく日常がいかに大切かを感じた。自分にとっては不思議な体験というよりも旅だったかもしれない。湯船に浸かってしばらくの間、ある変化に気付いた。時折湯気に混じってラベンダーの香りが風呂場に漂う。それは濃く広くではなく、点々としてゆっくりと滞在するかのように舞っている。


「この感じ……『よみせ』の中で」


苦しくも懐かしい感じが咲の頭に蘇った。香りが漂う度に翔太の笑顔が頭の中に映し出される。


「……ありがとう」


何故だか分からないがそう言いたかった。別に連れて行って欲しい、行きたいと思ったことはないのに。でも行って良かったという思いだけは心にあった。



寝室へ戻り、部屋の真ん中に捨ててあった服を片付けようとした。私はこの服であの世界へ行った、行ったのだ。再度翔太の笑顔を思い返しながらスボンを片付けようとしたら、後ろポケットに何か堅いものが入っているのを感じた。手で奥の方を探り出してみると、中からクマのキーホルダーが出てきた。


「これテレビでやっていた子の……、もしかしてあの世で会った翔ちゃんが電車で轢かれちゃった子なんじゃ……」


クマのキーホルダーには小さいプラスチックのプレートが付いており、そこには「早く彼氏を作れよ」と書かれている。


「うっさい」


作れの漢字が間違っているのを感じながら、咲は呟いた。やっぱりあの体験は本当だったんだという実感が込み上げてくる。生きる事に必死だった自分を振り返り、生きる事に誇りをもって、人生を過ごそうと決意をした。煩悩を洗うことが出来た。そういった意味では本当は幸運かもしれない。ふと時計を見ると夜中の二時十分だった。


翔太が空から見守っていると思うと、なんだか寝るのも惜しくなった。


彼はラベンダーの香りとクマのキーホルダー、そして私に生きる大切さを教えてくれたのだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ