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黄昏Delight  作者: 野兎症候群
9/9

終話 ターキッシュデライト

 今、僕は旅の終点近くにいる。いや、或いは終点の先に行ってしまっていて明確な終わりを定義できないまま惰性の時間を過ごしているだけなのかもしれない。とにかく僕は目的を失ってしまった。

 色々なことがあった。その情報の処理をできないまま僕は助手席でぼんやりと夕焼け空を見上げている。右手はターキッシュデライトの左手と繋がっている。仄かな体温が僕をここに繋ぎとめてくれているように思えた。

 ターキッシュデライトは無言で前を見つめている。モノクルは再び夕陽を反射して彼女の表情を隠した。

 ターキッシュデライトはどう思っているんだろう? 最初に約束した地点にはもう着いてしまった。もう彼女が僕と居る理由も無くなってしまった。これまで通り一人で旅をするのだろうか? それとも僕を連れてまた別の旅に導いてくれるのだろうか? 

 落ち着かない気持ちになる。

「ねえ、ロクム……いいえ、未夢の方がいいかしら」ふいに呼びかけられてターキッシュデライトの顔を見る。

「ロクムで良いよ。ターキッシュデライトがつけてくれた名前だから」

「そう……。それで、あれでよかったの?」照れたような声。

「…………分からないよ」掠れるような声で僕は答えた。

 先ほどの情景を思い出す。

 振り下ろしたステッキの先、マンションの床に斜めに開いた一メートルほどの大きな穴はいくつかの部屋を貫いて外にまで貫通したみたいで、穴の先に黄昏色が見えていた。急激な気圧差によって焦げたカーテンが舞って、ターキッシュデライトの髪が揺れた。

 穴の隣でお母さんは相変わらず外を茫然と眺めていた。

 僕は結局、お母さんをその場に残してマンションを去ることにした。それが僕の決断だった。ステッキをターキッシュデライトに返しても彼女は何も言わなかった。

「あれで、……いや良かったんだと思う」問を口に出そうとして僕は言い直す。自分で決めたことの良し悪しを他人に決めてもらう必要はない。

「そう」

 横目で見る曖昧な相槌を打ったターキッシュデライトの唇は曖昧な笑みを浮かべている。彼女はどう思っているのだろう?

 僕はその真を確かめるために彼女の手を強く握って真剣な目で彼女の笑みの裏を探り見ようとする。しかしそれは叶わず、視線は彼女の首筋に固定されてしまった。

 気が付くと僕はターキッシュデライトに抱きしめられていたのだ。顔はターキッシュデライトの細い肩の上で身動きできず、高まる自分の鼓動がうるさい。彼女に聴こえはしないだろうかと少し不安になるが微動だにしない彼女の首筋からはなにも分からなかった。

 緩やかな減速の加速度。赤いオープンカーのエンジン音が聞こえなくなった。

 耳元でターキッシュデライトの声が囁く。

「君は選べる。目覚めることもできるし、ここで生きることも出来る」

「どういうこと?」

「君はここから出るための無実という事実を見つけたのよ。夕焼けの世界の檻から抜け出すためのカギを見つけたの」

「そうなんだ……。でも、どうやって?」

「特別なことはなにもないわ。ただ君が念じれば、全てが……覚める。夢が覚めるように、ね」

 首筋を通じてターキッシュデライトの体温を感じる。決定的な決断を迫られている。しかし、僕は悩まない。その段階はお母さんに別れを告げたときにもう終わっていた。

「僕は、ここにいるよ、ターキッシュデライト」

「どうして? 夢から覚めたらきちんとした人間が居る世界に戻れるのよ?」

 ターキッシュデライトが驚いたような声を上げて顔を離そうとするが、僕は彼女を抱きしめて離さなかった。彼女の耳の横で言葉を紡ぐ。

「たぶんさ、今現実で目が覚めたとしてもベッドの上の僕は今の僕じゃないよ。ターキッシュデライトと旅をした僕じゃない。また別の誰かだ。……この世界にいる僕は現実のことをうっすらと知っているだけで、それは僕の体験した記憶とは程遠い。もし現実で目が覚めたとして、現実の体験の記憶とこの世界の旅の記憶が混じったら、それはきっと僕とは違う人間になる。目覚めたら、僕は居なくなるんだ。童話みたいに目が覚めたらすべてが上手くいくわけじゃない」

「……」

「それに、きっと現実はつらいよ。マンションにあった車椅子はきっと僕のためのものだから、目覚めれば僕はたぶん歩くことさえできない。それに現実に帰ったらターキッシュデライトと一緒にどこかに旅をすることもできなくなる。ままならないんだ、僕の現実は。目覚めて元に戻ることが幸せなわけじゃない……だから、僕はロクムとしてターキッシュデライトと旅をしたいんだ」

「……そう。それがあなたの答えなのね」

 僕はターキッシュデライトを抱きしめている腕に力を籠める。

 僕の結論はきっとおかしい。これまで読んできたどんな物語にもこんな結末はなかった。でもいいんだ、と僕は思う。他人の常識によって作られる柵は僕の中にはまだない。それはたぶん、僕がまだキチンとした大人になり切れていないからだ。でもそのおかげで母親を忘れることも、できる。現実を捨てることも、まだできる。


* * * * *


「そういえば、ターキッシュデライト。僕の探し物は終わったけど、ターキッシュデライトはこれからどうするの?」

「私? 私は……今のままだよ。ずっとね」

「ふうん、……まあそれも良いかもしれないけど……。あっ、そうだ! ねえ、次はターキッシュデライトの探し物をしようよ」

「探し物? 私に探し物なんて、たぶんないわよ?」

「じゃあ探し物を探しに行けばいいよ。ターキッシュデライト」

「まるでなぞかけみたいなことを言うわね。……当てもないのに見つかるかしら?」

「僕らの旅だってそうだったじゃないか? 終わりなんてどこにでもあるし、旅はそれをたまたま見つけるためのものだったんだと思うよ。こんな広大な世界で何か大切なものを見つけるなんて、奇跡のような偶然以外にはあり得ないと思う。だから、ターキッシュデライトの探し物もきっと偶然でそのうちに見つかるんじゃないかな。当てなんかなくても、さ」

「ロクムが生まれる何年も前から旅をしていても見つからないのに、ロクムが生きている間に見つかるかしらね?」

「さあ? でも今度は二人だから案外簡単に見つかるかもしれないよ? 別に心配してもしなくても偶然は何の前触れもなく突然やってくるものだし、とりあえずはまた旅を続けてみればいいんじゃないかな。何も考えずに、歌でも歌いながらさ」

「ふふう、……それもそうね」

 ターキッシュデライトは目を細めて笑った。いつもの曖昧な笑みじゃなくて、これまで見たことのない明朗(デライト)な笑みで。


~黄昏Delight Fin~


あとがき

 この度は「黄昏Delight」を読んでいただきありがとうございました。


 本作は他の投稿作品と違って物語としての要素を強く意識して書いた初めての作品なので少し思い入れがあります。これを書き上げてしまうことは少し寂しい気持ちもありますが、夕焼けの世界と同じで終わりのない物語もありません。何時までも続くように見えても、物語は完結してこそ物語なのです。


 ここで物語のテーマについて少しだけ書きたいと思います。第四話で話に出ましたがこの夕焼けの物語のテーマは「しがらみ」になります。辞書で調べると意味は以下のようになります。


しがらみ【柵】

①水流をせき止めるために、川の中にくいを打ち並べて、それに木の枝や竹などを横に結びつけたもの。

②引き留め、まとわりつくもの。じゃまをするもの。「世間の―」


 私たちは色々なしがらみの中を生きています。人間として生きた年月が経つほどに、人とかかわるほどに、人間を取り巻く柵は増えていきます。

 物語に登場する【夢羊】たちはそんな柵に囚われて、永遠の世界で彷徨っています。彼らは自分の力で柵を乗り越えていくことが出来ないのです。

 ロクムは子供でした。それも記憶を失って柵をほとんど持たないまま夕焼けの世界に来た子供でした。純粋な彼には柵がなく、それがゆえに選べる未来がある。それがこの物語の結末になったというわけです。


 さて、長くなりましたがターキッシュデライトとロクムの物語もここでひとまずの終わりとなります。夕焼けの世界はこれからもずっと続いていきますが、それでもひとまず。この先は、筆者が語るべきではなく、読者の皆様の頭の中で余韻と共に想像を膨らませて楽しんでいただけたら幸いです。


2016年8月28日 野兎症候群  都内某所珈琲店にて


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