うちに天使が来たようです
その日はいつも通りの一日で終わる筈だった。
朝起きて、学校に行って、帰宅。
ここまでは何の変哲もなかったのだ。
だが時計の針が19時を指そうかという頃、一本の電話により平穏は崩壊を始めることとなった。
着信音がなっている携帯電話の画面には長期出張中の『母』の文字。
基本的に忙しい人なので、平日のこんな時間にかかってくるのは珍しい。
「もしもし」
『おー、深雪。元気にしてたか?』
私の名前を呼んだ母の声からは、どことなく焦りが感じられた。
「どうかしたの?」
『今すぐアンタに伝えなきゃいけない…があってね。ホン…もっと早く言わなきゃ…なかったんだ…色々あっ…っかり忘れててな』
電波が悪いのか、所々音声が途切れて聞き取りにくい。
画面を確認すると、こちらはアンテナが三本しっかり立っているので、問題は向こうにあるようだ。
現状ではなんとか意味が理解できているものの、これ以上悪化すると推測すら危うくなるかもしれない。
母は急いでいるようだが、まずは状況の改善を優先するべきだろう。
「かあさん、電波状況確認して」
『ん?ありゃ、一本し…立っ…いな。そーいや、この辺り…波悪いんだ…か』
「電波いいとこに移動できる?」
『可能だ…30分以上か…るな。残…がらそんなは時間…ない…でとりあえず要点だ…える』
「わかった」
『今…19…頃、うちに訪問者が…。彼女…日から深雪と同居…とにな…らよ…』
ブツッ、ツーツーツー……
そこで電話が切れた。
何度かかけ直してみるものの、一向に繋がる気配がないので、諦めて電話の内容について考える。
途切れ途切れの文章だったが、聞き取れた範囲から推測すると、誰か女の人が19時頃にうちに来るらしい。
問題は『深雪と同居』という単語。
文字通りの意味なら、私は今日から見知らぬ誰かと一緒に暮らさなきゃいけない、ということになる。
そのことを考えると、比喩表現でなく本当に頭痛がしてきた。
気を取り直して時計を見てみると時刻は19時2分、それはまもなく来客が来ることを意味していた。
どうしよう、全く心の準備ができていない。
変な人だったらどうしよう?
怖い人だったらどうしよう?
マイナスの考えが頭の中をぐるぐる回っていると、
ピンポーン
ついにその時が訪れた。
深呼吸して心を落ち着かせながら玄関へと向かう。
ドアノブに手をかけ、鍵を外し、意を決して扉を開く!
するとそこには……
「こ、こんばんわ」
美しい天使が佇んでいたのだった。
「……これが私と玲菜の出会い」
「ふーん」
携帯をイジりながら興味無さそうな反応をする友人。
人が真面目に話をしているというのに無礼な態度である。
「ちょっと、聞いてるの?」
「聞く必要ないでしょ?その話するの、いったい何回目だと思ってるのよ」
「覚えてないけど、5回目くらい?」
「ハズレ、余裕で二桁いってる」
思っていた以上に話を聞かせていたようだ。
「最近は口を開けば玲菜は~、玲菜が~。流石に耳タコよ」
心底うっとおしそうである。
「仕方ないじゃない、だって……」
そう、仕方ないのだ。
彼女と出会った日、再度母に連絡をとって、玲菜を預かることになった顛末を聞いた。
なんでも、仕事の都合で海外に移住した両親に玲菜もついていったのだが、向こうの生活に合わず引きこもりのようになってしまったらしい。それで両親は玲菜を日本に帰らせた方がいいと決断し、知り合いである母にこちらでの面倒を見てくれるように頼んだとのことだ。
彼女はまだ10才、両親と離れるのは辛かっただろう。
せめて私が日本で生活する上での支えになりたい、最初はそう思う程度だった。
だが、共に生活を送るうちにそんな考えはどこかへ行ってしまった。
もちろん、彼女の力になりたいという思いがなくなったわけではない。
ただ、より強い感情がそれを塗りつぶしたのだ。
それは単純な、故に強大な感情。
「だって、可愛くて可愛くて堪らないんだー!!」
立ち上がり、拳を握りしめ、あらんかぎりの力をこめて腹の底から絞り出した声で高らかに宣言する。
玲菜は可愛い、異論は認めない。
「ちょっ、落ち着いて。めちゃくちゃ悪目立ちしてるって」
「話、真面目に聞く気になった?」
「なった、なったから」
「そう」
友人に促されて再び座る。
「で、今日も玲菜ちゃんが如何に可愛いかについて聞けばいいの?」
「それも捨て難いけど、今日は相談にのって欲しいことがあって」
実はここ数日、頭を悩ませていることがある。
そのことが気になって夜も眠れず、うっすらとだが隈ができてしまったことで玲菜に心配をかけてしまった。
自分が辛いだけならともかく、玲菜に悲しそうな顔をさせることは許容できない。
一刻も早い解決を、となると一人で悩むより誰かの知恵を借りたほうが得策である。
問題は誰に頼むかだが、最も信頼できる親友の彼女に助けを求めるのが最善だという結論に達した。
「はぁ、なんか嫌な予感がするけど言ってみて」
「あのね……」
ゴクリ、と友人が唾を飲む音がひびいた。
「どうやら私は玲菜に欲情しているらしい」
「……」
私の言葉を聞くと、友人は小さく溜め息を吐き、無言で携帯電話を取り出した。
着信の音もバイブも聞こえなかったと思うが、急にどうしたのだろうか?
「誰かからメール?」
「ううん、電話をかけようと思って」
「どこに?」
「警察」
「ちょ、ちょっと!!」
会話しながら本当にかけようとしている友人の手から携帯を取り上げる。
「返して。友人が道を誤る前に正さないと」
あの眼はマジな時の眼だ。
彼女はやると言ったらやる。
犯罪者にされる前に急いで弁解しなければならない。
「と、とりあえず話を聞いて」
「……わかった。まずは、なぜ欲情してると思ったのか聞かせて」
「うん。あれは三日前のこと……」
その日、飲み物を取りにリビングに行くと玲菜が勉強していた。
集中しているのだろう、私が部屋に入って来たことに気づいていない。
邪魔にならないように用事だけ済ませて静かに去ろうかとも思ったが、なんとなく気になって近づいてみた。
机の上に広げられていたのは算数の教科書及び問題集。
理系教科が苦手な私にとって、小学生時代一番苦しめられた教科だった。
玲菜の様子を見てみると、特に苦もなく問題を解いているようである。
成績のことを聞いたことはないが、この様子から見ると優秀そうだ。
勉強の労をねぎらう為、自分用のコーヒーと合わせて玲菜の好きなオレンジジュースを用意した。
その後、椅子に座って彼女を見ていたのだが、真面目に勉強している姿にはいつもの無垢な可愛さとは違った凛々しい魅了に溢れていて、思わず惹き付けられる。
麗しい姿をいつまでも見ていたかったが、一段落ついたようなので声をかけることにした。
「玲菜、お疲れ様」
「お、お姉さん!いつからそこに?」
驚いてる姿も可愛い。
「10分くらい前かな」
「声かけてくれればよかったのに」
すねて頬をふくらませている、可愛い。
「勉強の邪魔したくなくてね。はい、オレンジジュース」
「丁度喉が乾いてたんです。ありがとう、お姉さん!」
満面の笑顔、超可愛い。
「どういたしまして」
玲菜の向かいに座って、自分のコーヒーに口をつける。
インスタントだが、ちょうどいい苦味がたまらない。
ささやかな幸せを噛み締めていると、玲菜がこちらを見ていることに気付いた。
「どうかした?」
「お姉さん、いつもコーヒー飲んでますよね」
「うん、好きだから」
まあ、玲菜への愛情とは比ぶべくもないが。
「あの、お姉さん」
「うん?」
「よかったら一口飲ませてもらってもいいですか?」
「構わないよ、はい」
「では、いただきます」
コップに口をつける玲菜。
その瞬間、私はあることに気付いた。
たまたま玲菜が口をつけたところが、さっき私が口をつけたところと同じだったのだ。
つまり、これは間接キス!!
うわぁ、そっかー、ふへぇ~
やばい、意識したらドキドキしてきた。
たかだか間接キスで動揺とか小学生か、私は。
「んー、苦くて飲みにくいです。お姉さん?」
「な、何かな?」
「顔が赤くなってますけど、どうかしまし……ッッッ!」
私の顔とコップを交互に見て顔を赤くする玲菜。
どうやら彼女も間接キスになってしまったことに気付いたらしい。
「あの、ごめんなさい。私、全然気にしてなくて」
あたふたしている姿、可愛い。
「あー、その不慮の事故ってことでお互い気にしないでおこう」
「は、はい」
コップを返して貰い、慎重に玲菜が口をつけていない場所を選んで口をつける。
玲菜は玲菜で自分のオレンジジュースを飲んでいて、しばし無言の時が流れた。
なんというか、気まずい。
食事の時など、一緒に居ても話をしない時などいくらでもあるが、こんなに居心地悪く感じたのは初めてだ。
このまま微妙な雰囲気なのはいたたまれないので、当たり障りのない話題を振って状況の改善を試み。
「さっきやってたのは宿題?」
「はい、提出は来週ですけどやれる時にやっておこうと思って」
「いい心がけだね、えらいえらい」
可愛い上に、真面目でもあるようだ。
本当に非の打ち所がないなあ。
「ただ、どうしても一つわからない問題があって。その、迷惑じゃなければ教えてもらってもいいですか?」
「もちろん」
苦手教科とはいえ流石に小学生の問題なら大丈夫な筈。
だが万が一解らなかったら、姉としての面目丸つぶれということになりかねない。
もし、そんなことになって、
『お姉さんは高校生なのに小学生の算数の問題も解けないんですか?全くどうしようもないクズですね』
なんて冷ややかな目で見下されながら罵倒されたら、興ふ…うちひしがれて立ち直れないかもしれない。
まあ、天使なので笑って許してくれるとは思うが。
「この問題なんですけど」
どれどれ……よし、これならわかる。
「まずはこの数字を……」
玲奈が正面から読めるように問題集の向きを変えると、当然ながら私にとっては逆向きになり、見にくくなる。
うーむ、向かい合ってると不便だな。
「玲菜、隣に移ってもいいかな?」
「はい」
了承を得たところで、椅子を持って玲奈の隣に場所を移した。
うむ、これならやりやすい。
「で、さっきいった通りこの数字をね…」
私が指した所を見ようと、玲菜が体んこちらに寄せる。
その瞬間、微かに何かの香りが私の嗅覚を刺激した。
これは、玲菜の髪の匂いだろうか?
シャンプーもリンスも同じものを使っているのだ、自分のものと大差ない筈である。
なのに、何故だろう?
その匂いは私の心を揺さぶり、刺激し、昂らせた。
「お姉さん?」
そんな私の様子に違和感を感じたのだろう、不思議そうにこちらを覗きこんでいた。
先程の余韻か彼女の顔は若干の熱を帯び、その頬にはほんのり朱がさしている。
加えて身長差的に自然と上目遣いになっており、ただでさえ抗い難い魅力が乗算的に増していて、もう手がつけられない。
そんな彼女の姿が私に抱かせたのは、いつもと異なる感情。
色っぽい。
年相応の可愛さではなく、成熟した女性が醸し出すような色気。
齡二桁になったばかりの少女から感じる筈の無いものである。
だが実際に私の心拍数は跳ね上がり、自分でもわかるくらいに顔は熱く、今にも自我が保てなくなっている。
「お姉さん、どうかしました?」
再度問いかけてくる玲菜の声。
常と変わらぬ天使の声ですら淫靡に感じるほど、私は彼女の魅力に引き込まれていた。
無意識のうちに彼女の顎に手が伸び、軽く上を向かせる。
そして艶のある唇へと引き寄せられていき……
「!!ごめん、トイレ」
すんでのところで思いとどまり、急いで席を立つ。
トイレに入ると鍵を閉め、床に座り込んだ。
今、私は何をしようとしていた?
年端のいかない少女に対して強引にキスをしようとしたのか?
我に帰って先程の状況を鑑みると、一気に血の気が引いていくのを感じた。
私はなんていうことをしようとしたのだ。
一時の情欲で、これまで積み重ねてきた信頼を一気に失うところだった。
正直、未遂で済んだからよかったというものではないが、玲菜のきょとんとした表情から、こちらの意図に気付かれていなそうなのは幸いである。
今回は破滅を免れたがこんな幸運が二度続く保証はない、これからは気を引き締めていかなければ。
立ち上がると二、三回頬を叩いて気合いをいれ、勉強の続きをするためにリビングへ戻ったのだった。
「これが事の顛末。あれからというもの、玲菜を見るたびにあの時の気持ちを思い出してしまって気が気じゃないんだ」
「うん、わかった。それじゃ、携帯返してくれる?」
友人は満面の笑みで、いや眼だけ笑ってないな、携帯電話の返却を求めてきた。
「一応聞くけど、返したらどうするつもり?」
「聞くまでもないでしょ?通報するに決まってるじゃない」
やっぱりそうか。
「落ち着いて。私は玲菜に何もしてないんだよ?」
「『まだ』してないだけでしょ?玲菜ちゃんの貞操を守るためにもあんたを野放しにはできない」
「手は出さないよ、絶対」
「どうしてそう言い切れる?」
「玲奈のこと、何よりも大事に思ってるから」
おそらく一度抱いてしまったこのどす黒い感情が私の中から消えることはないだろう。
それでも大丈夫と自信を持って言えるのは、ひとえに彼女に対する愛情故のこと。
彼女を不幸にするような、そんなことを絶対にしてたまるものか。
その気持ちを込めてまっすぐに友人の眼を見た。
私の思いが伝わったのか、
「信用していいのね?」
友人の態度は軟化していた。
「うん」
問いに対して短く、しかしハッキリとそう答えた。
「わかった。あなたを信じるわ」
「ありがとう」
「しかし、話を聞いたはいいけどアドバイスしようがないわね」
困ったようにポリポリと頭を掻く友人。
話を聞いてもらっただけでもだいぶ楽になったので、それだけでも礼を言わなくてはいけないのだが、アドバイスできないという言葉に頷くことはできなかった。
「そんな難しく考えなくていいんだよ」
「というと?」
「あなたがどうやって妹に対する性欲を我慢してるのか、それを教えてくれればいいだけだから」
「は、はあ!?何言ってんのよアンタ」
「何故驚いているのか理解しかねる」
ここ最近、私が玲菜の話ばっかりして友人をうんざりさせていたことを否定する気はない。
だがそれ以前、私がどれだけ彼女の妹LOVE話に付き合ったことか。
ぶっちゃけると、今回の私の話なんかよりよっぽど危険なエピソードをいくつも聞かされているのだ。
「妹さんも確か玲菜と同い年だったよね?状況も似てるし、とても参考になると思う」
「うう……」
その後、恥ずかしがりながらも色々と聞かせてくれた友人に多謝。
その日の帰り道、友人と歩いていると向かいから玲菜が歩いてくるのが見えた。
どうやら誰かと一緒のようだが、どこかで見たことあるような気がする。
「あれ、うちの妹だ。隣に居るのって」
「玲菜だね」
友人の妹さんだったか、どうりで見覚えがあるわけだ。
二人もこちらに気付いたようで、小走りに近づいてきた。
そして、
「おっねえちゃーん!!」
妹さんが友人へと飛び付いた。
「危ないからやめなさいっていってるでしょ」
「ごめんなさーい」
友人の胸に顔を埋めている妹さんからは見えていないだろうが、そんな弛みきった表情で言っても全く説得力がないぞ。
「偶然ですね、お姉さん」
「そうだね」
家に着く前に玲菜と会えるなんて今日はついている。
サンキュー、ゴッド。
「妹さんと友達なんだ。驚いたよ」
玲菜によると、彼女は今の学校に編入して最初にできた、一番の友人とのこと。
一番の友人か、私たちと同じだ。
姉(義)妹そろって親友とは珍しいこともあったものだ。
その後、いちゃついている二人と別れて家へと向かう。
「あの二人、いつもあんなに仲がいいんですか?」
「まあ、そうだね」
むしろ、彼女たちの家だともっとすごいというか、ひどいというか。
勝手な予測だが、恐らく二人きりの時はもっとすごいのだろう。
「羨ましいな」
とても小さな声であったが、玲菜が寂しそうにそう言ったのが聞こえた。
「玲菜」
「はい?」
「手、繋ごっか」
「え、ええ!?」
彼女の寂しさを紛らわしたいと思ったら、考えるより先に口が動いていた。
急な提案に戸惑っているようだが、嫌がっている感じは無かったので、優しく彼女の手をとる。
「……お姉さんの手、暖かいです」
ぎゅっと握り返してくる小さな手。
喜んでくれているようで何よりだ。
「お姉さん」
「うん?」
「大好きです」
その言葉と笑顔があれば何もいらない、心の底からそう思ったのだった。
久々の作品で前にも増して拙い文章になってしまったかも知れませんが、読んで頂いてありがとうございました。




