そしてはじめての
ステージに上がると、そこから見える空間は、普段とはさほど変わらないものであるように思われた。いつもとは少し違う場所に自分が立っているというだけで、あと空気がちょっと熱いかなと感じたくらいで。集まっているみんなの顔には見覚えがあり、努めて冷静でいようと自分で自分に言いきかせる。なんだ、十分緊張してるじゃないか。そう自覚して、ちょっと可笑しく感じる。緊張は取れないが。
アンプのセッティングを確認して他のメンバーを観る。軽く太鼓を鳴らし、シンバルの位置を確認する笹熊。早々にセッティングの確認を済ませ、バッチコーイな状態の木山。そしてマイクスタンドを調整している持田。
軽くマイクのチェックをした後、僕らを一瞥し、客席に向かって持田は言った。
「僚友祭へようこそ。メインステージ一番手の軽音代表、”ガットフック・スキナー”です」
笹熊のフォーカウントを合図に、全員で”ゴッ!”と鈍器をぶつけるような音を出す。直後、木山が短く静かなメロディを奏でた後、全員でブラストビートを叩き出す。客席からは「おおっ!」と声が上がり、この時点で練習成果に手応えと自信が強く湧き上がる。リズムはスラッシュビートに切り替わる。木山、持田、そして僕がガリガリとリフを刻み、曲に合わせてジャンプする。
持田のヴォーカルが入る。よく伸びる声で逃亡する異能力者の苦悩が歌い上げられる。今演奏している曲は、もちろん持田のオリジナルである。奴の好むライトノベルやアニメから持ってきたであろう詞の内容は置いておくとして、夏の間中練習していた曲である。間違えるわけがない。確かに夏休み前の演奏はひどかった。それでもリーダー持田のビジョンとモチベーションは折れることを知らず、それについてきた僕達も格段に演奏力は上がっている。こまめにエフェクターのペダルを踏みながらベースを振り回し、暴れる。視界の隅では同じように暴れている木山の姿が見えた。
間髪入れず二曲目に入る。同じく持田の作でハイテンポな楽曲である。人狼戦士が抱えた運命への怒りを歌う詞についてはやはり置いておく。煽るような曲調と、短期間でコレだけ腕を上げたと傍目にもわかる笹熊のハイハットワーク、ペダルワークが客席を惹きつける。
曲の最後での長く尾を引く持田の絶叫を受け、重く揺れるリズムの三曲目に入る。曲のテンポは落ちるものの、重く引きずるような演奏で、依然、全力で暴れている状態だ。
ちなみにこの間、一切客席を見ていない。というより、見るだけの余裕がない。だから、僕らのバンド”ガットフック・スキナー”を見下していた奴らが、どんな顔をして観ていたかは知らない。
約二十分、計六曲の演奏を終え、ステージを終える。
舞台下手で迎えてくれた人たちのうち、「良かったよー」とは舞台監督の二年の先輩、「凄い!」とは同じく実行委員の二年の先輩。「どうも」と御礼を言いながらもハアハアと息を切らせているのは、それだけ暴れていたという事だ。そしてその時になってはじめて「チューニング大丈夫だったかな」と思い至る。
同じく汗を拭きながら笹熊が降りてくる。「疲れた」と一言。それでも口調は興奮気味だ。同じように、持田、木山の順で降りてくる。
「どうでした?」
そう聞く持田にはあちこちから賞賛の声が上がる。「ありがとうございます」とは言いながら、「で、リズムとかおかしくありませんでした?」と、そっち方も確認する辺り、こいつの中身はペースを崩さない。
夏休みの間中、僕達は練習に明け暮れていた。休み前、練習スタジオを毎日借りるのは不可能であることから学校の部室の使用許可を出したのだが、当然受け入れられなかった。それでもと何度か申請を出し、顧問と部長にも呼ばれ、認可が降りたのは四十日中二十日。「半分かよ」とは木山の感想だが、なら、それ以外の練習できそうな場所を探そうという事にして、市の施設をあたってみたり、どうしてもダメな場合は持田の家に集まって、楽器なしのリズムトレーニングなどを行うなど、とにかく練習の機会を少しでも多く持とうと努力していた。
何で僕達がここまで取り憑かれた練習するのかというと、そういうギアが入ってしまったからだと説明できる。そして、そのギアを入れたのは、このメンバーでのライブでの事だった。
例のサウンドバトルの後、このメンバーでのライブをしようという事になった。そのころまでにはレパートリーも増え、そこそこ演奏時間は稼げる状態であった。話を進めたがる質というか、こういうことにはどんどん突っ込んで行きたがる木山は喜んでいたが、僕や笹熊はちょっと不安であった。なにより、そこそこ練習しててもまだ下手だという自覚があったのだ。でも、持田が言うには「じゃあ、上手くなるまで待つわけ? 何時上手くなるの?」とのことで、確かにそうだと思うけど、それにしても早くないかという気もあった。それでも部の定例ライブにさっさと登録し、出演を決めてしまったからにはやらざるを得ず、悩みながらも連日ベースを練習することとなった。
持田バンドの定例ライブ出演は、ちょっとした話題を呼んだ。何せ、リーダーはサウンドバトルで圧勝し、アキラ先輩とのユニットも好評で、アコースティックの企画ライブも成功させた才能の持ち主である。その男が自分のバンドを率いて人前に出るというと、これは注目を集めないはずがない。そして、その反面、演奏能力に疑問どころか不信感しか無い自分のようなメンバーは、ひたすら居心地の悪さと、高めに誤解されている能力について、苦しむこととなった。
そんなある日、となりの席の女子が声をかけてきた。
「ライブやるんだって?」
こいつは持田の幼なじみの片倉という女子で、いつもはサブカルとか好きそうな連中と行動している。おおらかそうな表情を見せてはいるが、どことなく抜け目がない印象も受ける。
「まあ、初心者で下手なんだけどね」
そう返すと片倉は、ふうん、など声を出し、他のメンバーである木山や笹熊、そして持田の姿を目で追った。
「みんなそうなの?」
「いや持田は色々出来て上手いけど、木山は去年ギター始めたばかりだし、僕と笹熊は初心者だよ。ってか、持田って昔から音楽やってたんじゃないの?」
「全然。でもおじさまが、あ、持田君のお父さんがもの凄くロックとか好きで、いっぱいCDとか持ってるのはあるけど、それ聴いて育ってたくらいじゃないかな」
「いいよね、そういう環境に恵まれてるのって」
幼なじみ的にはどうなのだろうか。結構体験を共有しているような印象があるのだけど。ふとそんなことが頭をよぎり、訊いてみた。
「片倉は持田の家でそういう音楽とか聴いてたんじゃないの?」
僕がそう聞くと、片倉は少し自分を押し殺すような不自然な反応を見せた気がした。
「ううん、全然」
そういいながらさっきとは違う余裕を感じさせる。どういう反応だったのだろうか。片倉が続ける。
「どっちかというと私がピアノやってたのを、持田君がうらやましがってた。ピアノやりたかったらしいね、彼」
片倉はそれだけいうと他のやつに呼ばれて席を立つ。
そういえばそんなことも言ってたなと、メンバーで押しかけた持田の家を思い出してみる。
持田の家はちょっとした一戸建て住宅。その二階の一室が持田の部屋になっており、結構良い暮らししてるじゃないかと、木山や笹熊と話したものだった。六畳くらいの部屋には大量の本やCD、DVDが散乱しており、それらと場所を奪い合うように数々の楽器が立ち並んでいた。机の上にはパソコンがあるが、見たことのない周辺機器からはごちゃごちゃとケーブルが這い出し、かろうじて判るキーボード(鍵盤楽器の方)とエフェクターらしき物に繋がっているのが見える。物作ってるヤツの部屋だなと思いながら見回してると、
「あ、これ持ってるんだ。借してもらおうかな」
と、笹熊の声が聞こえた。
適当に場所を空けて、床に木山が腰を下ろす。
「どこに何があるか、判るのかな」
「じゃないかな。この部屋の住人だもの」
僕がそう返すと、木山は傍らの本とCDの山をわさわさと触りだす。僕も覗き見たところ、知らないアーティストのCDと脱ぎ捨てた靴下が目についた。
「散らかってて申し訳ない」
そう言いながら四人分のお茶を運んできた持田は、それを適当に床の上に置き、自分は机の前の椅子、おそらくいつもの定位置に腰を下ろした。そして自然な流れで傍らのスタンドに立てかけてあるギターを手に取る。
「すごい量のCDだな」
そう木山が話すと、
「これコンプしてるんだ。さすがチェックしてるねー。で、短篇集の方は買った? 最後の話が神がかっててさ」
と、笹熊が違う次元の話を振る。そして持田もそっちに食いつく。
何しに来たんだっけ? と、僕と木山が顔を見合わせる。バンドの話とかしに押しかけたはずがアニメ、ラノベ談義になってしまっている。まあ、持田の家だからいいんだけど。
ひと通り話が終わった所で話しかける。
「で、今後の話するんだよね?」
ああ、そうそう、と部屋の主役が持ち直すのを見て、忘れていたのかと突っ込みを入れたくなる。
先日のスタジオの練習後、僕らはさらなる飛躍を目論んで、その後も毎日軽音の部室で練習を続けていた。ちなみにスタジオと違い、部室での練習はドラムのセットは使えず、ギターやベースのアンプにもボリュームの制限があった。それでも集まって音が出せるのは重要なことで、僕らは昼休みの短い時間と放課後には必ず集まり、練習に力を入れた。ちなみに、ギター、ベースのアンプは部の備品を使い、ボリュームは規則で決められている5まで。「フルの10で鳴らさないと、明らかに音が違うのに」とは持田の弁だが、ここでは無難に練習場所を確保する方法を取った。笹熊は本物のドラムが叩けない分、練習用のパッドを叩く。ただし、本物のドラムでやるような8ビートではなく、右左右左のひとつ打ちを曲に合わせて行うというもので、本物でなくともリズムを共有するという目的と、同時に基本の手のバランスを培ってしまえというのが発案者であるリーダー持田の持論であった。ちなみにその後、部で練習台を買ってもらうまでは、そのスタイルでの練習は続いた。
その頃のレパートリーはこの前のスタジオでやったバウハウスだけでなく、モーターヘッド「エース・オブ・スペイズ」、スコーピオンズ「キャント・ゲット・イナフ」、ヴェノム「ブラックメタル」、ヤードバーズ「ストロール・オン」、ファストウェイ「オール・ファイアード・アップ」、ロード・オブ・ザ・ニューチャーチ「リトル・ボーイズ・プレイ・ウィズ・ドールズ」、セックス・ピストルズ「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」、スターリン「下水道のペテン師」、ダムド「ニュー・ローズ」などにも上り、自分も段々ベース弾きとしての幅が広がってきたかという気分を味わうのに十分ではあった。
また練習中、持田は手加減せずに大声を張り上げて歌う。「ヴォーカル担当だから当然」とは本人の弁だが、それが当たり前になってくるとこっちも気合の入り方が違ってくるものだった。つくづくバンドって体育会系だなと思ってみたりもした。
その日、持田の家に呼ばれたのは練習の反省会と今後の活動について話をしようとの事だった。まず、練習は全員が基礎が足りないと自覚し、今後も真面目にやろうということで簡単に終了。そして今後の活動については少し話を引きづる形となった。
自分はこのバンドのために曲作っていきたいけどどうか、とのことで、傍らのパソコンを起動させ、自作の曲を聴かせてくれた。早速木山が自分のギターを取り出し、それにあわせてみる。僕も自分のベースを出してあわせてみる。
日頃、学校などで耳にする先輩とのユニットの曲とは違い、こっちはいつも演奏しているような、直線的な印象の曲で、はっきりと僕らの演奏レベルに合わせてくれているのがわかる。助かるけど。
「詞なんだけど、俺が書いて良い?」
何を今更的なことを持田が言い出す。当然、誰も反対することもなく、曲作りは持田に一任されることとなった。そのため、詞があんな感じでも、だれも文句は言わない。いや、他に書く者もいないので、文句の言いようもない。
そして慌ただしい、サウンドバトルを過ぎ、ある意味ターニングポイントとなった部の定例ライブの話が来た。ちなみに持田個人はアキラ先輩とのユニットですでに出ている。また、幽霊部員なのか部室で見たことのない先輩バンドの演奏にも触れ、意外にバンド人口が多いことも自覚してみた。
そんな中、「そろそろ参加しない?」との声と共に、持田がライブの申し込み用紙を持ってきた。
リーダーの意見にはそのまま従うとして、過去の定例ライブで見た先輩バンドの演奏を思い出す。中には無茶苦茶上手いベースの先輩もいたりで、正直、同じ場所に立ちたくはない。でも、それは無意味なわがままだと自覚している。それ以前に初ライブということが、何故か無性に嬉しく感じてられたりもした。たった二ヶ月のベース歴であっても。
みんなで申し込み用紙にメンバー構成、ジャンルなどいくつかの項目を記入し、ふと手が止まる。バンド名のについてだ。
「どうしようか」
持田の問いかけに、早速木山がアイデアを出す。
「”持田恭介と愉快な仲間たち”でいいんじゃない」
ベタな名前だなあ、と笑いが起きる。
「それ、バンドやる人の八割が一度は考える名前らしいよ」と笹熊。どういう情報かは知らないが、考えやすい名前ではある。他のバンドやユニットはどうやってつけているのだろうか。その辺、色んな所に首突っ込んでいる持田に聴いてみた。
身近な例として、アキラ先輩と吉良先輩が一時期ユニットを組んでいたことがあるらしい。その時の名前は”アキラキラ”だったそうだ。さらにそこに現部長の秋山先輩(担当楽器はベース)が加わり、”アキアキラキラ”になったとか。その上、荒木先輩なるドラマーが加わって”アキアキラキラアラキ”となった所で「キラキラうるさい」との判断から”キラーズ”に改名し、ユニットは解散したとか。笑い話に見えるが、こういう事って多いのかも知れない。
真面目に考えるとして他に何かないかと話を振られ、自分では内心、映画のタイトルを引用できないかと思っていた。「ブリキの太鼓」「ウィークエンド」「デリカテッセン」などなど、雰囲気があっていいなどと思っていたのだ。余談だが、持田によると、北欧のバンドで”Tin Drum”というバンドがいるらしい。確かに「ブリキの太鼓」である。また、同じような意向を木山に話ししたこともあるが、「じゃあ”戦艦ポチョムキン”で」と簡単に言われたこともある。それ、嫌だ。しかしながら現実のミーティングの場で自分から言い出すのもちょっと恥ずかしかったりして、空気を読みながら適当に話を合わせることに終始する。そして、そんなことしている内に結局、持田の発案で”ガットフック・スキナー”に決まった。意味は狩猟用のナイフだそうで、ハンティングで取った獲物をバラすときに使えるもの。それこそ皮剥から解体までひと通りのことがこなせるそうで、ツールとしての機能美や優秀さがバンドのイメージにつながるんだろうか。いや、そこまで行ってないし。名前負けしそうかというと、そうかも知れないが、現物を知らないのでなんとも言えない。だがそれ以前に、何より初めてのバンドの名前である。そのことにちょっと変わった感慨を得たりもした。
初ライブ当日、会場となっている部屋には結構な人数がいた。視聴覚室を借り、隣の部屋をチューニングルームとして待機する。今日までやってきたことをそのまま出せばいいんだと言われても、緊張は止められない。それに先ほどのリハーサルのときに、周囲からはどう見えるかをよく知ってしまっていた。
「笹熊。足から」
ステージを仕切る役の部長から声をかけられ、笹熊がバスドラを鳴らす。部屋にズンズンと音が響き、ステージ脇に設置された調整卓を触る部長は軽く首をひねる。
「もうちょっと強く踏めない?」
「すみません」
そう言って、更に強めに鳴らす。その光景を眺め、持田が少し眉をひそめる。何か言うのかとも思ったが、そのまま無言のままだった。
「じゃ、スネア」
同じように笹熊がにスネアを鳴らす。部長は調整卓に顔を埋めたままだ。
同様にして一人一人の出音を確認して、「なにかやってみて」と声をかけられる。僕ら四人は顔を見合わせて、「じゃ、”サードアンクル”でいいか」と言う持田の声に従い、曲をはじめる。
ステージ前には他の出演バンドの先輩方、部の仲間、野次馬などで結構人が集まる。持田のバンドという事で注目を集めている証拠だった。
例によって僕からベースを鳴らす。それに導かれ全員で音を出す。客席はというと、特にコレと言った反応はなく、静かに見ていてくれていると言った雰囲気だった。
そしてそこそこの所で演奏を終わらす。そこで客席からこんな声が聞こえた。
「こんなもんなの?」
期待はずれという事か。
一応ひと通りのチェックを終え、チューニングルームに戻る。ベースを抱えたままなのはなんとなくプロになったような気分で、妙な緊張感を感じる。が、さっきの声が頭から離れない。
「さっきの声、気にしないでいいからな」
空気を察したように持田がそう言う。
「気にしてどうにかなるなら、してもいい?」
そう木山が返して笑いとなる。木山のこういうところ、自分は好きだ。
笹熊がスティックを動かし手首の動きを確認する。ライブ前の緊張感に押しつぶされそうな感じだ。
時間になり、スタッフ役の一年生が「はじめます。持田、よろしく」と呼びに来る。そのスタッフに導かれるように移動し、ステージに登ると、さっきまでまばらだった客席は人で埋まっていた。その中には見知った顔があり、特別な場所に立っているのだという実感が湧く。同意じに自分が緊張していることを自覚し、更に頭に血が登るような感覚を受ける。
「定例ライブへようこそ。初参加の一年生バンドの”ガットフック・スキナー”です」
持田の自己紹介を受け、僕からベースを鳴らす。いつもの「サードアンクル」だ。
客性の後ろの方から馬鹿笑いの声が聞こえる。荒部たちだとすぐに分かる。気持ちが乱され、思わず曲を見失いそうになる。顔をどこに向けていいか分からじ、視線が定まらない。思わず他のメンバーを目で追ってしまうが、やはりみんなどこか自信なさ気だ。ただ一人、持田を除いて。
曲を重ねるごとにさらに色々と見失うのが分かる。ペース、音量、音を間違えた時にはそのことが頭から離れず、どうしても引きずってしまう。どのタイミングでエフェクターを踏んだものか、知ってるはずなのに迷う。一応頑張って演ったが、笑われるような内容だったのかと気になる。
最後の曲を演奏する際、客席から「お疲れー」の声が飛んだ。そして、それが笑いを引き起こす。その後の演奏中はほとんど覚えていない。
ステージを終えた後、すぐに帰りたくなった。一応、その後の先輩バンドの演奏も見ようと言っていたが、正直居づらい。
それでも楽器を片付けて会場に戻ると、わざわざ馬鹿にしに来る一団がいた。荒部とその取り巻きである。
「弾けねえのかよ」「ヘタなんてもんじゃねえ」
そう吐き捨てるように言われ、明らかに嘲られる。腹の底が熱くなり、全身がこわばる。こういう時、何か言い返しそうな木山も黙ったままだった。
「そうだけど、何か?」
そこで言い返したのは持田。
「家で打ち込みでもしてろよ。それしかできないんだろ?」
「それが分かるのはこのあとだろ。まさか、ここで成長が止まるとか思ってるわけ?」
相変わらずの飄々とした調子だが、相手側はかなり調子に乗っている。周りで同じように笑っているヤツもみんな荒部側の人間に見えた。
終了後、いつものバーガー屋にいた。楽器を抱え、いかにもバンドでございという風体なのが自分でも嫌に思えてくる。
「取り敢えずおつかれ。みんな」
そんなふうにいつもと変わらない持田だが、僕らメンバーは少々気が重く、気分も沈んでいる。しかしながらその反面、人前でライブなんてやったんだなという妙な達成感もあり、正直、自分がどんな気持ちなのか自分で分からなくなってもいた。他のみんなはどうなのだろうかと様子を伺う。木山、笹熊とも口は重いが、表情は少し晴れ気味な気もした。さっきの持田の話ではないが、あのまま演奏力が自然に上がれば、こんな微妙な空気も思い出して笑えるようになるのかも知れない。
「じゃあ、次のライブだけど、単独で来週やろう」
唐突な持田のその声に僕ら三人が驚く。いきなり何を言い出すのかと、ちょっとついていけない。みんな思い思いの反応をする。というか、出る。
「いや、もう無理」「それはちょっと」「悪いけど、俺らバンド向きじゃないみたい」
「じゃあなに向き?」
そう軽く返しながら、フライドチキンをかじる持田。こいつは本気らしい。
「下手なのは最初の内だけだろ? 荒部じゃないけど、一生成長しないつもり? 何より、ここから進化して上手くなるって”勝ちパターン”じゃん。そのためにはもっとやらないと」
その後もその場で話は続いたが、正直自分たちでもどうしていいのか分からない状態であった。そんなこともあってか、持田の主張はそのまま通り、次週のライブが決まった。とはいえ、その場でだが。
翌日、部室の申請に行った所、部長の秋山先輩、顧問の先生ともに面食らっていた。当然だ。こういうことする奴はあまりいないに違いない。何考えてるのかと秋山先輩の声だが、「場数を踏みたいんです」という持田の声は説得力があったのか、そのまま認可となった。付き合わされるこっちは大変だが。いや、付き合わされているんだろうか。昨日のライブの結果に満足行かないで、引っかかっているのをどうにかしたいと思っているのは事実だった。
更にその2度目のライブについて、持田から宣言があった。当日のライブで絶叫を入れるというのだ。
「曲に叫べそうなところあるでしょ。そこで」
もはや好きにして欲しいが、同時にもっと笑われるのではないかという嫌な予想もあった。
翌日、早速告知の張り紙をする。それに驚いたヤツから直接声がかかってみる。
「来週またライブやるって本気?」
まあ、リーダーの意向でと伝えるが、そのリーダーのところにもいろんなところからの声が聞こえていたらしい。
ライブに向けて練習も続ける。前回の反省点で”平常心を無くしやすい件”、”音のバランスが今ひとつ悪い件”などが上げられ、演奏中もその辺忘れないようにどう対策しようかなど、ミーティングテーマも出る。
「一番格好悪いのはリズムが狂うことと音圧がなくなることだよ」
持田の指摘を頭に入れつつ、自分なりの解決方法を模索する時間も増えた。ネットの書き込みなんかを参考にしながら、木山、笹熊と話をする時間も増えた気がする。
練習を覗きに来る奴もいた。同じクラスの中込。そして同じ軽音の一年生部員の瀧本。こんな風に確実になんかやることで、周りに人が集まり始めてる感覚はあった。同時に恥ずかしさも感じてはいたが。日々、以前と同じペースではあるが、ライブに向けての練習は続いた。
二度目のライブ、初ライブと同じ選曲でのリターンマッチ。やり直しライブなどと言われ、ついでに嘲笑いにだけ来ている奴もいる。それでもそこそこ観に来てくれる人がいいるのはありがたいことだった。
「今日は落ち着いて、でも出すところは吐き出しまくろう」
持田のそういう声にどう反応したらいいか分からず、「おう」くらいしか答えが出ない。
そしてステージに上がり、というか、演奏スペースに入り、前回と同じ「サードアンクル」から演奏開始。なにかやる度にオーバーにゲラゲラう奴がいる。思わず頭に血が登る。再び。そしてそれが元で一瞬曲を忘れる。その上、お構いなしに演奏中、持田のスクリームが入る。笑うやつはもう最高に楽しんでしまっている。正直、ここにいて恥ずかしい。前回と同じ曲数で、それでも演奏内容は少しはまともになったんじゃないだろうかと思った。が、同時に客席からの笑い声も以前より増している。
「おまえらいいよ。武道館でも満員になるんじゃね」
終演後、ワザワザそう言いに来る奴にひたすら怒りを感じても、時になにか言い返せることもなかった。
「ありがとう。次も観に来てくれ」
唯一、持田が言う。気持ちのこもっていない声で。
いい加減。持田も僕らに愛想が尽きているんじゃないだろうか。そんなことが気になってもいた。
もしそうだとしても、どうすることも出来ない。やはりバンドとか向いてなかったのかと思っても見た。
最悪の状況から中々脱することができないライブ。その帰りのバーガー屋で、我らがリーダーはまたとんでもないことを言い出した。
次はさらに翌週、スリーデイズでやろうというのだ。
無理。みんな無言で笑う。でも話は決まる。もうどうして良いのやらといった雰囲気ではあるが、持田の雰囲気は変わらない。僕らに愛想を尽かしている様子も、何か自棄になっている様子もない。笑いながら思わず、木山、笹熊と微妙なアイコンタクトを取ってしまう。それでも、我関せずといった表情で、持田はチキンをかじっている。
「お前、フライドチキン好きなんだな」
僕が思わず、そんな間抜けなことを口にしてしまう。それを聞いたみんなが吹き出す。言った自分も妙に可笑しくて、つい笑ってしまう。あまりのことに、みんなどうかしているかの様な空気を感じた。
今後どうなるか、もはや神のみぞ知るというようなものなんだろうか。いや、神と持田になるんだろうか。
持田、笹熊と別れた帰り道、木山と話す。このままやってていいのかな、と。
「分からない。でも、じゃあ辞めたいんだ?」
木山にそう訊かれ、答えに困る。自分でもどうしていいかわからないのだ。ただ、このまま持田の意見で続いてどうなるのかとわからない部分があった。そりゃ、頑張れば腕は上がるだろうけど、そこまでしてやりたいかという気持ちもあったのだ。
「俺はやりたいかな。どうだろ」
木山も言葉を濁す。僕らは微妙に言葉数を少なくしたまま、家路についた。
「まだやるのかよ」とは、客席のお笑い担当の声だった。
「そうだよ」と、持田。
笑うの通り越して呆れているのが分かる。その話を脇で聞いていた他のやつも驚きの表情を隠せない、というか隠していない。ちなみに先輩には「懲りないなあ」と笑われたとか。持田の事だから「懲りるって何をですか?」くらい言い返したかも知れない。今回の申し込みは持田が一人で行ったのだ。
平日の軽音部室で、休日の練習スタジオで、出来る限りのことを続けた。やることは判っていて、それが上手く行かなくて、それでも練習では必要なレベルはクリアできていそうで、その結果がわかるのは今ではない。なんとももどかしいながらも、どんな目処をつけていいのか判らない、手探りの練習は続いた。
まだ見に来るのはいる。ありがたいのと一緒に申し訳ない気もする。
ライブの運営は完全に僕らに任された。勝手にしてくれということだった。そして会場を整え、楽器の移動などしていると、見に来たヤツから声がかかるのは嬉しいやら申し訳ないやらで、複雑な気分ではあった。ほとんどは同じクラスのヤツとか、知っているやつばかりで、一体みんなどういうつもりで見に来てくれているんだろうと、不思議にも感じていた。もっともライブやるのは自分たちなんだけど。
そんな初日、相変わらずの演奏を笑いに来るのがいて、それまでと大体同じような感じとなる。が、もう慣れた。はっきりとそう思えるだけ手応えじみた感触があった。同じ事を繰り返すだけのステージを思い出しながら、少しは以前から変わってきているような気がした。
二日目、初日の反省と、その前の失敗を思い出し、ちょっと冷静になっている自分に気づく。忘れ易いところは足元にカンペ張っておけばいいと、ようやく気づく。人前だとまともな判断力も働きづらいということだろうか。さらに、練習スタジオで練習する際には鏡に向かったほうが色々と気づきやすいんじゃないだろうかと思い至る。人に自分がどう見えているかを、気にしている自分がいることに気付いたのだ。ややこしいけど。どう見られているか気にするのは当然。
ちなみに、他のみんなはどうかというと、少なくとも初ライブの時のような盛り上がりというか期待感はない。持田の指示で人前での演奏をこなしているだけだ。でも、確実に何かが変わりつつあるのは判った。
持田は絶叫のバリエーションを増やしているらしく、あれからも事あるごとに歌の合間に叫び声を入れている。そしてそれが確実に幅を広げているのは感じていた。
三日目の朝、教室で隣の席の片倉に言われる。
「昨日も観に行ったけど、なんかだ上手くなるもんだね」
意外な言葉に、「そう?」と聞き返してしまう。
「慣れてきたじゃない」
お世辞でも何でもない言葉なのは分かる。
「そうなのかな。あまり自覚はないけど」
「そうだよ。前はキョロキョロしてた感じがあったけど、昨日は落ち着いてて、しっかりして見えたよ」
意外なことを言われ、少し嬉しくなる。それはいいことなのか。少なくとも演奏能力が上がったような自覚はない。そこで落ち着いてもどれだけメリットがあるのか。
同時に三日目、本番前に笹熊から声がかかり、ちょっと意識合わせしないかという話があった。ライブ前のことだった。今までは個人で頑張って、自分のノルマを達成しようみたいな空気があったけど、バンドが体育会系であるならチームプレイを重視しないかというのだ。同じ事をみんな考えていたらしく、木山と持田から賛同の声が上がる。もちろん僕も。
持田の主張するリズムの乱れと音圧の注意。これについては演奏しながら相互に目を光らせようという話。笹熊がドラムでオカズを叩く度に少しリズムが狂いやすい件については木山と僕で注意する。音で引っ張ってリズムをしっかりと立たせる。木山がリードを弾くときに音が薄くなりそうな点については、今度は僕と笹熊と持田が意識して音量を上げるようにする。それなら最初から音量最大でやったらどうかという声も出たが、それではメリハリがなくなるのではということで却下となる。考えてみればこういう小さなことを一つ一つ積み上げるのは初めてのことであった。
その風景を見ていたのはアキラ先輩と吉良先輩の”アキラキラ”コンビであった。「いい感じになってきたじゃん」「バンドになってきたよね」の声をいただく。先輩方に褒められたからか、妙な自信がわく。みんな同じようなことを考えているのか、見回すと同じように表情から自信が伺えた。
ライブ本番は不思議な余裕が湧く。相変わらず下手なのは自分たちで判ってるけど。だが、その日はちょっと違う手応えもあった。何より、いつもの通り僕のベースから始まる瞬間、積極的にみんなが音を鳴らし、以前とは違う空気を出そうとしていたのだ。
演奏中、それまでなかった余裕を何度も感じた。みんなと自然とアイコンタクトが取れ、前なら確実に引きずってたであろう失敗も、あまり気にせずにやり過ごせた。
本当はこんなライブがしたかったんじゃないだろうか。
計七曲、二十分ほどのライブを終えるころには、いつもなら距離を感じていた客席(とはいえ、すぐ目の前だが)が、何だか近くに感じられた。初めてのライブから二週間、ようやく本来やりたかったことが出来た気がした。
終演後、片付けをしていた僕らを、相変わらず笑いに来るのがいた。が、今回は余裕を持ってそいつに一言返した。とはいえ、持田が、だけど。
「観に来てくれてありがとね。おかげでライブ経験は五回にもなったし、自分たちのペース掴んだわ。で、お前は何か出来るのか?」
絶句してるそいつを置いて、早くマックに行こうと声をかける。楽器を背負い、僕らのバンドは終演後の反省会兼食事会へと向かった。