ことのなりゆきは
思いつきで垂れ流す生活のコマ
「力がほしかったんだよ」
ファストフード店の紙コップを弄びながら持田恭介は言った。ガサガサと氷の音が聞こえ、僕ら三人は口を閉ざしたままだ。「で、音楽だったんだ。幸い俺、曲作れるしさ」
「まあ、持田が曲作れるのは知ってたけど、何で俺らだったわけ?」
同じく紙コップを手に木山眞一郎がそう話す。
「おまえ、メタリカ好きって言ってたから。それで」
「それだけ?」
木山は少々拍子抜けした声を出し、ストローに口をつける。ズルズルとドリンクの音がする。
「それだけだよ。他に何がいるの?」
「バンドやるならそれなりの腕とか必要なんじゃないの? 俺、あのときでまだギター歴一年だったんだぞ」
「関係ないよ。上手くやっていけるかどうか、それしか考えてなかった」
「で、僕もそうなの?」
そう声をかけたのはドラムの笹熊伸明。一緒に自分もうなずいてみる。念のため、自分の担当はベースだ。
「そうだよ。笹熊も唐沢も楽器なんかやったことないって言ってたけど、一年経たずにこうやってライブとかやってるじゃない」
「死ぬほど努力したけどね」と僕が口を挟む。
まあ、いいじゃんと軽く返事して持田がポテトをほおばる。「正直、ここまで来れるとは思わなかったけどね」
僕たちは四人でバンドをやっている。高校に入学したての教室で出会い、持田に言われるがままに軽音楽部に引きずり込まれ、何が何だか判らないまま楽器持って色々覚えてここに至る。そして、来週の九月末には学園祭のステージが待っている。コレまでの学内での演奏では失笑を買うこと多数、馬鹿にされること多数。それでも持田の「だから何?」とでも言いたげなクールさと、「次までにはコレをやろう」という小さな目標の積み重ねでここまでやってこれた感がある。というか、それ以外に続いてきた理由が見あたらない。でも持田は言う。
「無駄に持ち上げるわけでもご機嫌取るわけでもなく、みんなだからやってこれたんだよ」
持田の真顔に僕たちは鼻白む。でも、こいつはまじめだ。
「持田、おまえさ、おまえの曲が先輩達にも評価されてるのはわかるよ。俺が聴いても良い曲だって思うし。でも、俺ら誘ってこんな事すること無かったんじゃないの? 俺ら、初心者のへたくそだぞ?」
「あるよ」と持田が即答する。「俺も歌とかまともにやったこと無いから」
ちなみに持田のパートはヴォーカルとギター。バンドの演奏の芯、背骨、核の部分を担っている。「自分の作る曲と自分の能力が釣り合ってないって思ってた」
さらに、持田がこのバンドの外で書いてる曲は僕らのバンドのものとは違い、メロディがきれいで、和声が凝っていて、曲の展開も遙かにドラマチックだ。でも、俺らのバンドはもっとストレートで勢い重視的なものだ。
「最初は歌うとか考えてなかったし。でも、人に聴かすってこと考えて自分は何やろうって考えたらやっぱ歌しかないなって思って」
「で、俺らがお供なわけだ」
「お供じゃないよ。メンバーだよ」
木山の声にやんわりとい訂正を入れる持田。「みんなと一緒じゃなければ出来なかったんだよ」
「わかんないな」と木山。自分も同意だ。持田ならひとりで楽々とクリアしそうな印象がある。
「僕に至ってはパシリだったわけだし。あ、助けてもらって感謝はしてるよ?」
笹熊がそう言う。「本当に助かったけど」
「俺、ああいうの嫌いなんだよね。それに一緒にバンドやりたいって思ったのはこっちなんだから、そういうこと言われると自分も困る」
再び紙コップを持つ。ザラザラ。
「ドラムには興味あったけど、練習とかわからなかったし」
「でも笹熊はもの凄く腕上がったよな」
木山がそういいながら笹熊のポテトをつまむ。へへへと笑いながらポテトを差し出す笹熊。
「僕もそう思うね」と口を挟んでみる。
「みんながんばったからじゃん」
「でも持田に練習方法聞かなかったら何やって良かったか判らなかったよ」
そのとき、僕らの座っているボックスに近づいてくる影があった。同じくクラスの荒部だ。
「おお、バンド屋。何喋ってるの?」
ヘラヘラ笑いながら話しかけてくるこいつは、笹熊に絡んでいたところを持田に駆逐されて以来、しつこく僕らにちょっかいを出してくる邪魔者だ。
「おまえには関係ないよ」
木山がそういって追い払おうとするが、なめた口調で絡んでくるのは辞めない。
「なあ、おまえらまたヴォアアアアアってのやんの? アレ」
「うるさいな。消えろよクズ」
「なあ、今やってよ、アレ。ヴォアアアアって。グエオオアアアアってさ」
下卑た笑いとともにしつこく絡み続ける邪魔者を尻目に「行こうか」と、持田。僕ら四人はさっさとトレーを持ち、席を立つ。
「なあ、アレ、グアアアアアアア」
しつこくそう続ける荒部に携帯を向ける持田。一瞬はっとした表情を浮かべ、荒部が「何撮ってんだよ」とつかみかかって来ようとする。
「奇声を発する変質者の動画」
持田がひとことそう告げると、それを合図に僕ら四人は一斉にその場を離れる。後に残った荒部がどんな風だったか判らない。でも、いつもこんな感じであしらうしかないんだから、あいつももう少し考えればいいのに。
「やることやってれば、ビビる事なんてないよ」
持田は言う。こいつのこういう自信を裏付ける物は、やはり曲作り、音作りの才能だろうか。
初めて練習スタジオという場所に行ったときのことを思い出す。
木山も笹熊も、そしてもちろん自分もそんなところに行くのは初めて。それぞれギターやベースのソフトケースを背負い、バッグの中には買ったばかりのエフェクターやシールド。正直、使い方もよくわからない。唯一やってきたことは、持田にもらったMDの曲を必死に覚えていったことくらい。しかも、それも正しいかよくわからないレベルで。
みんな緊張していたと思う。持田以外は、だけど。
とある雑居ビルの前、音楽スタジオの看板の回りにはビラや広告が色々と貼られ、未知の領域としての練習スタジオの敷居を、さらに高く見せていてくれた。が、我らが持田はそんなことは気にもせず、ひょいひょいと入り口の階段を下り、重い鉄の扉を開けて中に入っていく。後について入った木山、僕、笹熊が入り口付近で固まってる間、持田はカウンターのところで店員さん(緑色の長髪!)相手に色々と手続きをしていた。
そして、我らがリーダー持田がマイクやら何かの用紙やら持って戻ってくると、さっそく言わなくても良いことが口をついて出てくる。
「僕、こういうとこ初めてなんだよ」
「俺も俺も」木山も同意してくれるが、
「そう? じゃあ、あちこち見学してみる?」と軽く冗談っぽく言いながら、持田がさっさとBと書かれた扉に手を掛ける。これから使うスタジオだ。
持田と木山の後に続き、スタジオに入る。
ひんやりした空気と、少し暗く感じる照明に今まで感じたことのない緊張を覚える。
笹熊がドラムセットの前で固まってる。
「どうした?」と、持田が声を掛ける。
「初めてなんだけど。大丈夫かな」と、気弱な声を出す笹熊。
「大丈夫って、何が」笑いながらそう返す持田。
そのとき、ガーッという音が響き、一瞬びびる。
「うぁー、俺初めてだ。これ」
いつの間にセッティングしたのか大きなギターアンプにあれこれとつないで、ギターをぶら下げた木山がうれしそうに言う。木山はその感じが早速気に入ったようで、その後もジャギジャギと色々音を出し続けている。でも、言っては悪いがへたくそだ。
そして僕も自分のベースをアンプにつなぐ。と、アンプにはつなぎ口が複数あり、どこにつないだら良いか判らない。練習用の小さいアンプはつなぐところが一つだけだったのに。「とりあえず、音が出ればいいかな」と考え、適当につないでボリュームを上げる。ボオオオオと、音が鳴り、初めての感触にちょっと感動する。
そのとき、「パンっ」と、スネアドラムの音がした。反射的にドラムセットの方を見ると、笹熊が軽く固まっていた。
「気にすんなって」
持田の声に笑いが起こる。「スタジオの空気なんて、すぐに慣れるって」
慣れないのはスタジオの空気だけじゃないんだけどな。
持田が手慣れた調子でギターを準備し、「あああああああああー」と声を上げる。ちょっとびっくりしたが、発声練習だ。そして、しばらくの後、マイクに向かって持田がいう。「じゃあ、そろそろいい?」
いいよ、と返事が返り、宿題になってた曲を合わせる。バウハウス「サードアンクル」だ。
この曲はスタジオでの練習をする際に持田が提案してきた曲の一つ。コード二つで弾ける簡単な曲の割に、スピード感があって結構格好いい。ベース担当の自分にしてみても弾く音は二つか三つくらいと、まさに初心者にはうってつけの曲だ。
「じゃ、唐沢」
持田に言われて自分から曲を弾き出す。ベースから始まる曲なのだ。タイミングを読んでドラム、ギターが飛び込んでくるとき、早速演奏は破綻した。まともにリズムが取れてるのは持田のギターだけ。あとは音に何の統一感もないノイズの固まり。思わず笹熊が叩く手を止める。
「ほらそこ、止めない!」
持田の声にあわてて叩き始める笹熊。木山もギターを構える位置が気になるのか、なかなかしっかりした音が出ない。
持田のヴォーカルが入る。日頃聞いたこと無い声で、次々と言葉が繰り出される。結構、格好いい気がする。
自分もペースを乱さないように音を出す。本当に単純な音選びの曲で助かった気がする。でもこの曲、あまりに音の動きが少ない。本当にコレで良いのだろうかと迷いながら弾く。でも持田に変化はない。
ジャキジャキしたギターノイズ、必死に繰り出されるリズム。途中で何やってるか判らなくなりながらも、リーダー持田を中心に二時間近くセッションは続いた。
終了後、練習スタジオを出て、待合室でお茶をのむ。みんな力が抜け、開放的な気分を味わっていた。スポーツか何かで身体を動かしたときとは明らかに違う開放感、充実感で。
「どうだった?」
持田が聞く。答えなくてもみんなの感想はわかっていた。それは全員、顔を見れば判ることだった。
そうして僕らのバンドはスタートした。リーダーは持田。活動方針なども決めるのは持田。でも全く問題はない。超のつく初心者である自分たちに適切なアドバイスをくれ、自分たちにあった曲を選んで教えてくれるのは持田しかいなかったからだ。
そしてその持田はすでに軽音の中では別の形で認めらた存在だった。
持田に誘われて軽音に入部したある日、持田が三年の先輩と話ししてるのを見かけた。それだけならよくある部室の光景だけど、違っていたのは先輩が興奮気味だったこと。
「キミすごいね。絶対やろうよコレ」
三年の女子の先輩はピアノ弾き語りが得意で、新人歓迎ライブでも歌ってた人だ。よく通る綺麗な声で、「プロみたいだな」と思ったことを覚えている。で、その先輩がなんで持田と? などと脇から覗いてみると、先輩の手には持田から渡されたらしいCD−Rがあった。
「何やってるの?」
そう首を突っ込むと上機嫌な持田が言う。
「唐沢も参加しない?」
「何に?」
「アキラ先輩とユニットやるんだ」
アキラ先輩とは、この三年の先輩の呼び名である。
特に返事をするでもなく、先輩から手渡されたCDを部室のコンポで再生してみる。
中身は持田の自作曲だった。ピアノのイントロにストリングスが絡み、心地良く組み上げられた音空間にボーカロイドの声が浮かび上がる。綺麗なメロディとコテコテながらわかりやすいラブソングの歌詞に引き込まれる。途中のギターソロは持田本人によるものだろう。指慣らしがてらよく弾いてるフレーズだった。ドラマチックな展開と心地良い音作りに、今さらながら持田のあふれる才能を感じる。ついでに、内容はともかくとして詞まで書くんだよなこいつは、などと思ってみる。
「他にもあるんだよ」
そう言いながら才人は嬉しそうにバッグから何枚かCDを出す。それらも再生してみると、やはり持田自作のラブソングの数々が。どれも良くできており、そのまま携帯で持ち歩いて聴いてもいいくらいだ。
「で、ベース弾けってか?」
「どうかな」
「ごめん。まだ初心者で下手なんで」
うーん、としばらく唸り、持田は諦めてくれた。さすがに時期尚早すぎると思ったのだろう。当然な事である。まだベース初めてひと月も経っていない。
「でもなんでこういうラブソングを?」
疑問を普通にぶつけてみる。持田は僕や木山と音楽の話をするときにはクラシックなロックやアニソン、ゲーム音楽などに集中する。でもこれら自作曲は女子が聴くようなコテコテのラブソングだ。詞に関して言えば、普通の十五歳の男が書くようなものでは無いと思う。
「世間に通用するものなら何でもやってみたいんだよ」
はっきりとそう言い切る。その頃にはこいつの才能は嫌というほどわかっているので、驚くようなことでもなかったが、それでもその自信と前向きなビジョンには”持ってるヤツ”特有の眩しさが伺える。
先輩とのユニットは”手乗りタイガース”と名乗り、放送部の担当する昼の放送で流れるも、さっそく反響を呼んだ。一部ではCDがほしいとの声もあったようで、ちゃんとしたレコーディングをどうしようかとうれしそうに悩む才人の姿を覚えている。
そしてこの件で持田に話しかけてきたのが笹熊だ。
「”手乗りタイガース”って、アレでしょ?」
そういう話から盛り上がる姿を脇で見ていて、元ネタはライトノベルだったのかと思い至る。詞の内容も然り。そういうところから題材取ってたのかと、わかる奴にはわかるもんなんだなと思ってみた。ついでに二人の会話から、こいつらがかなりライトノベルやアニメのファンであることも判った。なるほどなと思いつつ、木山と話を傍聴し、何かおすすめの本があったら教えて欲しいと話すと、持田、笹熊のコンビから物凄い数のタイトルが挙げられ、二人のマニアックな面を認識することとなった。
同じクラスから目立つ活動をする奴が出てきたという事で、話題はそっちに集中しがちだった。そしてそれを面白く思わない奴が出てくるのも、自然な流れなのかも知れない。持田のユニットの曲がかかる度に「臭え!」「なんだこの曲、だせえ!」などと騒ぐ奴も出てくる。持田はそれ以前にこのクラスで幼馴染と再開するなんていう、コテコテな事件も起こしてはいるが、そっちに触れないのは音楽の件がそうとう気に触ったのだろう。荒部という厄介者なのだが、自称アーティストなのかやたら突っかかってくる様になる。でも、持田の曲作りの能力は当てつけたくらいではどうなるもんでもないということに、こいつは気づかないんだろうか。まあ、そうだからこうしてられるんだろうとも思えるけど。
話はさらに遡る。
ある日、別の三年の先輩が軽音の部室で僕らの顔を見るなり言った。正確には持田の姿を見るなりだけど。
「お前、見たぞ。凄いじゃん! ユアビデオで一万アクセスなんて!」
どういう事? と持田の方を見る。ちょっと困ったような笑顔で「まぐれッスよ」などと言ってるが、すぐに先日話してくれたことと理解した。
持田はバンドをやってないときは一人で宅録などをしていたらしい。そして、その曲をネットの動画サイトにアップし始めたというのだ。僕や木山がバンドに誘われたとき、ちょっと言ってたのは覚えてるが、どのくらいのクオリティで、どのくらいの物なのかは正直知らなかった。ある日、木山の家に遊びに行った際、木山のPCで「そういえばどんな曲やってるんだろう」と見てみたことがある。で、ぶっ飛んだ。複雑かつドラマチック。緻密に組み上げられた音の壁の上に、耳に残る優しくも憂いのあるメロディ。これはどこの国のプログレバンドだ? と、呆けたことを考えてもみたりもした。
投稿者のプロフィールを見てみると”二十五歳、自営業”とあった。これ、逆に鯖読んでる? しかも十歳も。
そんなわけで早速翌日、その隠れた大器を捕まえて感想を言うとともに話を聞いてみようとした。その時点で今まで聴いてなかったことはバレてしまったが。そして、なんでこんな事、歳を逆にごまかすのかと聴いたときの回答も面白かった。
「年齢低いと無駄に騒がれると思って。それだけの曲作ってると思うし」
これは自信や自惚れではなく、客観的に判断した結果だと言うこともわかる。要するに僕らは、なにか大きな事をしかねない才能の持ち主と手を組んでしまったと言うことだ。
「で、クラスのヤツとかには内緒な」
そういってたが、もう遅い。前に自分で話してたことが一人歩きを始め、クラスのあちこちで囁かれる状態になっていたのだ。
持田って凄いじゃん。そんな言葉がそこここで静かに飛び交う。そうなると一緒に活動している自分らにも注目は集まり、さらには持田と幼なじみのクラスメートにも「あいつって昔からそうなの?」と話が行ってみたりもした。もっとも幼馴染の女子によると、知っているのは五歳の頃までだからということで、どんなふうに音楽を始めたかなどは全く知らなかったようだが。
クラスにラッパーがいる。ヒップホップがどうの文化がどうのと、ちょっとうるさいんだけど、何かにつけて不良を気取るので結構迷惑がられている。でも本人とその取り巻きにその自覚はない。自分たちのようなおとなしいバンドマン(予備軍)は普通に暮らしてるんだけなんだけど、そこに乱入してこられ、「自分たちはマイノリティだ」「真の反抗心がどうの」とやられることが多いと、さすがに退く。
そのラッパーである荒部は休み時間になるとなぜかクラスの後方に陣取り、同じクラスメイトを顎で使う。曰く、コーラ買ってこい、デニッシュ買ってこいなどなど。要はクラスメイトをパシリに使う。被害にあっていたのは主に笹熊。後に自分たちとバンドをやる、ラノベファンでドラマーの男である。別に、笹熊がイジメられっ子だったと言うことではない。笹熊は人見知りせず、素直に色んな奴に話しかけるというオープンなヤツである。その多趣味さと話題の多さ、人間的な柔軟さには自分も木山も好感を抱いていたりしていた。だが、こういう奴を相手に勘違いをする連中なんかがいたりするのだ。別にそいつを尊敬しているから話しかけるわけではない。同じクラスメイトだからフラットに付きあおうとした段階で話しかけるのだが、そこで立場が上か下かを要求する困ったちゃんがいる。そして、これが荒部にあたる。
ある日の昼、木山の机の辺りで持田と僕と三人でメシなど食いつつ、音楽の話をしていたところである。教室の後ろからいつもの通りの声が聞こえた。
「てめ、買ってくんの遅いんだよ」「おつりどうした」「デニッシュってこれじゃねーよ、馬鹿」「紅茶冷めてるじゃんよー!」「早くしろよ」「俺やっぱホッドッグがいいや」「シカトすんなよ」「てめ、ナメてんだろ」
色んなことを一度に言われて困る笹熊。自分でも酷いと思うけど、どうすることもできず、つい顔を背けてしまうところだった。
「そういえば、笹熊って音楽に興味あるんだよな」
不意に持田がそう言った。前に話した時に結構マニアックな音楽が好きとかで、話が合ったらしい。自分の時には同じようにマニアックなヨーロッパの映画(主に東欧)で話が合っただけに、笹熊の趣味の広さに改めて驚く。ライトノベルやアニメだけじゃないのだ。
「あいつも誘わない?」
いいかも、と、その声に自分と木山も賛同する。パシリでイジメられていることに対して、それを見過ごす罪悪感が自分にあったのかはわからない。それでも一緒にやれるだろうという直感はあった。
「じゃあ」
持田はそう一言いうと、食べ終えたおにぎりの包み紙を丸めてコンビニ袋にまとめ、それをゴミ箱に放り込みながら荒部とその取り巻きに近づく。そして、まだ連中にとっつかまり、いろいろいじられてボロボロなっている笹熊に話しかける。
「笹熊、ちょっといい? 用事があるんだけど」
「なんだよ、こっちが先だよ」
そう言うのは荒部の取り巻きその一の、なんとかいうヤツ。
「そっちの先の用事って?」
「こいつ、まだパン買ってきてないんだよ」
「あるじゃん。いっぱい」
「これじゃねえからまた買いに行かせるんだよ」
「返品ってきくの?」
「知らねえよ」
そこにきて、今までもこうやって圧力がかかってたんだなと、少し離れた机の自分と木山も納得する。同時にその間、黙ってた笹熊の強さにも驚く。
「もったいないから、食べればいいのに」
持田がそう言うと荒部とその取り巻きが色めき立つ。
「何だ? 文句あるのか」
「いや、もったいないし、自分で買いに行けばいいのにって。そう思わないんだ?」
「何調子こいてんだ?」
「”調子”は”乗る”っていうんだよ」
「ああ?」
「で、自分で買いに行けばいいのに」
「何調子こいてんだ?」
「”調子”は”乗る”っていうんだよ」
「ああ?」
会話がループしたところでクラスから失笑が漏れる。
「誰だよ! 今笑ったのは」
「あ、自分っス、自分」
明らかに違う内容を軽く返す持田に、さらに相手がいきり立つ。思わず僕と木山も腰を上げる。
「おい持田」
そこで声を出したのは荒部。
「お前、どういうことだよ?」
「笹熊に用事があって」
「なんだよ、ここで言えよ」
「えー、言いにくいんだけどなあ」
そう言いながら持田は笹熊を観る。笹熊は「こっちは大丈夫だから」などと言ってるが、そんな笹熊にニヤリと笑顔を投げかけ、持田が続ける。
「言ったらお前ら怒ると思うし」
「怒らねえよ」
「ホント?」
「ああ、怒らねえよ」
「じゃあ、笹熊さ、馬鹿みたいなパシリなんか放っておいて、一緒に軽音入らない? 昼休みも部室で練習できるしさ。ドラムやんない?」
その場の空気が凍りついたのは言うまでもない。
取り巻きの何人かは臨戦態勢に入ったのか、持田を取り囲むようにして、立つ。僕と木山も急いで立ち上がり、そのそばに近づく。場をとりなそうと何人かのクラスメイトが声をかけようとするが、中央の持田は雰囲気を変えず、飄々とつづける。
「時間は有効に使おうよ。時間ってさ、蓄積されるんだよ? 何もしてない奴は何もしていない時間だけがアホみたいに積み上がって歳食って何も使えない馬鹿にしかなれないけど、楽器の練習するとか絵を描くとか本を読み込むとか、そういったことしたほうが圧倒的にいいと思うんだ。笹熊は趣味広いし色んなこと知ってるし器用なのに勿体ないよ、こういう馬鹿なことに付き合わされてるの」
その場の空気が更に張り詰めるのを感じる。
荒部が口を開く。
「持田、なにいい気になってるんだか知らないが、お前音楽やってるんだってな」
「どしたの? 急に」
「勝負しろよ」
「いや、意味わかんないけど。いいけど、どんな文脈?」
「今週、俺ライブやるんだ。観に来いよ」
なんでも、荒部の所属するヒップホップ研究会だかの部室にて、定期ライブがあるとのことで、新人ながら出させてもらうとか。そんなわけで当日、持田を先頭に木山と僕、そしてドラム叩きに加わった笹熊と四人で眺めに行ってみた。そういえば、バンドの練習以外で四人で行動するのはそのときが初めてだったかも知れない。
で、ライブ本番。自分たちの慣れている楽器の鳴る音ではなく、スピーカーから音が出るのをバックにラップを披露する出演者達。コレはコレで楽しいんだろうし、踊ってる人も多い。でも、自分らにはちょっと違う気がしていた。
荒部は二番手で登場。何か芸名を名乗ってたが、それは忘れた。
ラップの内容は感謝とかラブ&ピースとか。とくに後者は結構気に入っているらしく、何度も出てきたのが印象的であった。ラブ&ピースでクラスメイトをパシリに。ちょっと可笑しかった。
「こういう世界もあるんだね」
そんなことを木山と話すが、持田の評価はシビアだった。
「低音垂れ流しでメリハリが無い。音圧くらいあればいいのに、それもない。歌詞しか聞かせていないし、その前に十分な声が出てない。少なくとも自分の知ってる音楽じゃない。音さえ出てれば音楽なら、まあ、音楽だと思う。俺、普通に聴ける方の音楽が好きなんだよな」
自分の出番を終えたばかりの荒部が取り巻きとともに近づいて来る。そして、持田にひとこと。
「お前の曲聞かせろよ」
持田は手近な紙に、ネットにアップした楽曲のURLを書いて渡す。
「すでに10曲ほどアップしてるから」と、ひとこと付け足して。
翌日、荒部は教室で持田を見るなり、忌々しげに顔を歪めた。ああ、あれ聴いたんだな、とすぐに合点がいった。ついでに、件のサイトには楽曲への高い評価も数々書き込まれており、荒部の鼻がどんな具合にへし折られたのかは想像に難くなかった。
笹熊への無茶な要求もその頃にはなくなり、僕らは四人で本格的に活動していくこととなっていた。
面白くないらしい荒部からサウンドバトルの申し入れがあったのはその頃だ。
放送部が昼休みに行っている放送に自作の曲を出す人が何人かいる。その時間を利用して参加者の曲を流し、校内でどれだけの支持を集められるか勝負だというのだ。
「そんな暇なこと、一人でやってればいいじゃん」
持田はそう切り捨てた。だが荒部はしつこくつきまとい、何かと嫌がらせを仕掛けてくる。
「馬鹿の相手なんかしてられないよ」
そう言ってはいたが、「本物の馬鹿は”反省”を知らない分、しつこくて手に負えないんだよ」と僕が助言すると、「うっ」と詰まっていたのも印象的であった。
笹熊の参加、昼休みの練習を続け、バンドは形らしくなってきた。
でも、初心者が何とか頑張っているレベルだ。内容のひどさは想像にお任せする。
バンドの練習は毎日昼休み、そして放課後に部室に集まって行っている。一日たりとも休まないというのが自分たちのルールである。サッカー部や野球部は、あんなに毎日頑張っているからと言うのがリーダー持田の持論だ。バンドって体育会系だったとは、そのときまで知らなかった。
それでも何とか曲や音作りも解りだし、来週あたりに初めてとなる音楽スタジオに行ってみようなどとなったころ、再び厄介ごとが持ち上がってきた。
荒部とその一味がちょっかい出しに来るのだ。
部室の外から演奏内容を茶化したり、持田の歌まねをしたり。そんな嫌がらせを延々続ける内に、いい加減、持田も切れた。
「なんで静かにバンドやらせてくれないわけ?」
持田が荒部に直接そう聞く。
「別に? 俺達何もしてねえし」
そう言いながらニヤニヤ笑う荒部とその取り巻き。「バカは放っておけよ」と木山も声をかけるが、うるさく感じているのは自分も一緒だ。おそらく笹熊も。
さて、そこに来て前述のサウンドバトルである。いつごろ、どんな流れでそんな風習ができたのかは知らないが、そういったイベントとして放送部のプログラムに組み込まれているのは驚きだった。きっと昔にもそんな事してた人がいたんだろうか。戦争は無くならないとは誰の言葉かは忘れたが、同じようなチンケな争いは人が生きている以上無くならないものなんだろう。ラブ&ピースの代表格であるジョンよ、あの世で泣いてますね。「戦争は終わる。君が望むなら」で。「望むなら」、ポイントですね。
そんなわけで五月連休明けのとある日、お昼の放送に持田と荒部が出た。新たなサウンドバトルの開催であると、放送部のアナウンサー、パーソナリティの先輩ははっきりとそう言った。
ちなみに、その期間中バンドの練習は休みかというとそんなことはなく、持田は部室から放送室にダッシュし、話した後は部室へと戻ってくる。マジメなのか何なのかよくわからないが、本気で取り組む持田らしい部分だとも思う。
話を戻す。その昼の放送での発表の席で持田はこう言い放った。
「結果が出ても、それが尊重されることなんてあるんですか?」
いきなりルールについての否定的な意見に、放送室の空気が重くなる様が伺えた。さらに続ける。
「いや、こっちは当てつけとか猿みたいな挑発行為を辞めてくれって言ってるんですけど、”べつにー”とかでとぼけるんですよ、こいつら。猿みたいに言葉が通じ無くって。そのくらい問題点が認められないんだか理解できないんだか、そんなヤツがどれだけ建前述べたって意味ないんじゃないかって」
マイク越しでも無言の荒部の怒りが伝わってくる気がした。教室どころか校内の空気が硬くなるのがわかる。
「結果が出ても難癖つけてきたり、猿みたいな当てつけを延々続けんじゃないですか? 正直、まったく信用もクソも何もしてないんですけど」
パーソナリティの先輩がその場をとりなしてなんとか収まったものの、心象は思い切り悪くなった。さらに、持田は問題発言が多いとのことで、昼の放送は出入り禁止になってしまった。こうなると調子に乗るのは荒部の方だ。昼の放送に出続け、「ネットで一万アクセスだか知らないが生意気だ」という意味の発言を繰り返し、校内の意見をどんどん自分の方に引き寄せている印象があった。どうするんだろうか、と持田の方を見ると我関せずといった風で、相変わらずギターの運指など練習している。これは勝負あったのではないかと、さすがのそばにいる人間としても思った。
「いや、持田はやるでしょ」
笹熊がそう言う。いや、今回ばかりはキツイだろと自分が返すが、その自分が間違っていることを、思い切り自覚することになる。
ちなみに、サウンドバトルの作品提出の締め切りは、お題が出た一週間後。当事者以外の参加も自由。が、持田が早速これに異を唱える。参加に付いてではなく、締め切りについてだ。
「作品の提出は翌日でいいじゃないですか」
その場が動揺したのは言うまでもない。
「じゃあ、自分は翌日に出しますから」
どういうつもりかと色んな憶測も呼んだが、実際にお題が発表されると翌日、本当に持田の楽曲が放送され、学校中が驚きに包まれた。ちなみにお題は荒部たちのグループお得意のラップ。持田はサンプリングしたブレイクビーツに乗せて「曲作りでバトルなんてくだらない。そんなもので勝ってどうするんだ。ってか、勝つって何?」という意味のラップを披露。サビで繰り返されるフレーズが耳から離れない。そして一週間後。応募総数は四件。荒部たちのグループも含まれたが、結果は圧倒的に持田の勝ち。また、このときの応募作品の中に軽音の先輩の作品もあった。三年生の吉良先輩という、色々と実験的な作品を発表しているギター弾きの先輩である。この先輩は「ラップならいいんでしょ?」という解釈の上で、アコースティックギターのアルペジオに乗せて、七十年代フォークの名曲をラップにて披露、シンプルながら味わいのあるトラックが好評を呼んだ。そして、コレを聴いて悔しがったのは持田である。「この手があったか!」と初めて見る落ちつきを無くした姿に、僕らが驚くこととなった。持田をこんな風に動揺させるとは、世界って広いもんだな、高校の中だけどと思ってもみた。
さて、この結果について「実は事前に聞いてたんじゃないのか」との意見が出る。発言主は荒部。そんな訳で第二弾が行われ、今度は楽器の弾き語りというお題であったが、サンプリングや打ち込みしかできないものについてはそれでもよしとなる。個人的には、お題として成り立ってるのか疑問に感じる。で、持田はギターの弾き語りで「ほら見ろ、結果を受け入れられない奴がいる」という内容の曲を発表。またも翌日に。そして一週間後の結果も同じ様に圧勝。
収まりがつかなくなったのか、フリーで勝負するべきだとの声が荒部から上がり、第三弾が始まる。やはり翌日に持田が「予想通りで笑える流れだ」という内容の曲をギターの弾き語りとラップを組み合わせて、更には打ち込みとサンプリングによるオーケストレーション、締めには校歌の一部も入れた楽曲を発表。同じような結果になる。
荒部はよほど面白くないらしく、教室でのあてつけもひどくなり、周囲からも敬遠されるようになる。でも、まだつづく。
笑える曲でという荒部の提案によるコンテストも持田が圧勝。その後も、「ホラーっぽい曲」「有名曲のカバー」「踊れる曲」「演歌」といった提案が続くも同じような結果が続いた。持田お得意のドラマチックかつロマンチックなラブソングが出ないのが面白い。ついでに、荒部の投稿作を聴いて、打ち込みだけでもコレだけできるのかと驚いたのも事実である。みんな同じに聞こえるけど。
さらに、このバトルの期間中に持田は別のメンバーを集めてライブを敢行する。三年の先輩(男子)にバイオリンが弾ける人がいるという事で会いに出かけ、一緒にライブをやろうと説得したとのこと。メンツを集めて楽曲を揃え、二週間程度の準備期間でそのアコースティック・ライブを成功させる。ちなみに楽曲は海外のトラッドやクラシックの曲をアレンジしたもの、持田のオリジナルも二曲ほど含む計八曲で行われた。メンバーはバイオリンの先輩と持田。アコーディオン役に二年の女子の先輩、歌にアキラ先輩、ベースに二年の男子の先輩。飛び入りで三年の吉良先輩がギター。身内からはパーカッション役で笹熊が参加。「またやってほしい」との声をあつめ、好評の内に終了。持田はバンドにしたいとか言ってたけど、その後はどうなったのだろうか。
話を戻す。溜まった楽曲を再利用するとして、持田がそれまで発表した曲をミックスして一曲にまとめたトラックを発表した時は学校中がふたたび爆笑の渦に包まれた。「次のお題はXXで」と時系列に沿ってつなげただけでなく、要所要所で「ラブ&ピース」の叫び声が入れば何に当てつけているかがわかるというモノ。
荒部は音楽をやめると発表。
それを受けて持田が「なんで辞めるのか理解できないが、辞められるんだ? ”自分にはこれしかない”とか言ってた音楽を」とコメント。放送には出られないので代理で木山が発表したものの、その声に同意する声が集まる。その後、声明を取り消して再度音楽活動を再開するという荒部のために「おかえり」という曲を持田が発表する。が、明らかに自分のフィールドではないラップの上、「ラブ&ピース」を連発し、さらに「同級生をパシリにするけどラブ&ピース」とか「最初に言ったルール忘れるけどラブ&ピース」「何のためにやってるんだか全然わからないけど全然わからないけど全然わからないけどラブ&ピース」「みんなありがとうラブ&ピース、ぼく音楽つづけるよ」とやらかしたためにさらなる怒りを買い、教室の窓ガラスが割られることとなった。だが、荒部はもはや圧倒的な才能の差を妬み、一人で自滅していったみっともない人というレッテルを貼られていた。
その後、持田は「すみません、遊びすぎました」というコメントとともに、以前と同じようなラブソングを”手乗りタイガース”名義で発表。すべては以前と同じに戻ったように思われた。
この話、まだまだ続く。