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フレンドシップ

作者: ヤンさん




1


どうして私はこうも人を諭すような言い方をするのでしょうか。きっと生まれつきの性格もあるのでしょうが、私の場合、とても入り組んだ理由がそうだったりするのかもしれません。どうしてそう思うかというのもよくわかりませんが、なんとなくそう思うのです。もはやこれはどうしようもない領域の問題です。基本的に私は人より勝りたいのかもしれません。勝ることで自らの安定を得る。そういう類の病気なのです。勝ったところで何も生まれませんが、そういった手続きが私の精神面を支える最も重要なポイントの一つということなのです。ただ、そういった手続きを順ずることを意識するわけでもなく、ただ単にそうなるだけということだけは、一応重ねていう必要があります。なにとぞご容赦ください。

追伸。秋の気配は感じ取れるようになりましたか?昔から秋だけは感じにくいものですよね。



 私はこういったとりとめのない手紙を書くことが、1ヶ月に一度あるみたいだ。なにか頭に浮かんだ単語から文章を広げていき、とくに思いもよらなかった結果に結びついていく。思いもよらなかった結果だからこそ、私はまったくまともに覚えていられない。そういうものの考え方がよしとしている結果だろう。

 この手紙は私の友人に宛てたものだ。友人の名前は雄一。世の中の矛盾をすべて背負い込んでいるという、ティーンにありがちな閉塞感に、三十代になっても感じ続けているピュアなやつだ。雄一は私の高校3年間を有意義に過ごさせてくれた唯一の友人だ。だからこの年になっても、大切な友人ということで、このようなとりとめもないはがきを恥ずかしげもなく出せるというわけだ。

 基本的に手紙は返信されることはない。きっと忙しいのだろう。私は別にそれを望んでいるわけでもないし、それに対する違和感もほとんどない。雄一は最近ラーメンのお店を開店したそうだが、思うように行かない部分が苦労をにじんだ表情に表れている。実に三十代ということだが、私が見る限りでは、40後半といわれても信じるような感じだ。それは手際の問題で、きっと雄一的な理由がそこにはあるのだろう。

 私は雄一のラーメン屋には月に1回は行っている。雄一は私を特に特別扱いするわけでもなく、淡々と私にラーメンを食べさせてくれる。私にはそれが雄一らしい最も良い性格のひとつだと思っている。なぜならという理由もないが、あえて言うなら、私がそれを望んでいるということだ。それを雄一は意識してなのかはわからないが、ピンポイントで私に返してくれる。何人もいない客の一人として迎えてくれる。ラーメンの味はいたって普通だ。私に味の事をとやかく言われるのも嫌なのだろう。かといって私に味のことは到底わからないし、語るつもりもない。日本中でもてはやされているラーメン。中にはカリスマとも言えるラーメン通なんかがいたり、つけ麺という新ジャンルまで気がつけば存在する世の中。そんな中に雄一は飛び込んだわけだが、シビアな世界だということが今現実的に雄一に実感として感じているのではないだろうか。私は500円を置いて店を出る。雄一は「ありがとうございましたー!」と、威勢がいいのか悪いのかわからないくらいの声で私を送る。友人の一人として、私は雄一の将来を心配せざるを得ない。だが、私にはラーメンの世界にとやかく言えるような立場ではない。



2


 次に雄一に会ったのは100円ショップだった。雄一はラーメン屋をたたんで、100円ショップを開業した。私は100円ショップには週2回行く。雄一が100円ショップをするというので、私は今までひいきにしていた100円ショップから雄一の100円ショップへ鞍替えした。といっても、たかが100円ショップなので、内容が変わるというのかといえばそうではない。別に普通の100円ショップを普通に経営している。そんな中の雄一は、なにか場違いな佇まいでレジに立っている。レジ打ちはこなしているように見えるが、100円ショップへの思い入れはその表情からは伺えない。私を見てもやはり反応しない。ときどき私は雄一と友人だったかどうかがわからなくなるときがある。そんな時、雄一は知ってか知らずか、私に話しかけてくれる。「いつも来てくれるけど、愛想できなくてごめんな。」と。ちゃんと私の存在に気がついてくれるし、私はそんな距離感を望んでいることを知っている。雄一はいつかすごい人物になるような気がする。




3



 1年後、雄一はアメリカへ行っていた。アメリカから手紙が届くのは初めてだった。なんだか雄一が遠い存在になったと感じた。しかし、その手紙の中には、雄一らしいきめの細かい字でこう書かれていた。「私はアメリカで農業を学んでいる。弟子入りしたトウモロコシ畑のおやじが毎日酒を飲んでて、私もそれに付き合わされる。しかもこっちの酒はクセがあって、妙に酔っ払ってしまう。おやじは年がら年中酔っ払っている。わたしという弟子ができて、余計に拍車がかかったと奥さんは言っている。私は日本で農業を営むつもりだ。お前も早くこれだと思うものを見つけろよ。」

 このような手紙はまさに雄一らしい。雄一は常に上から人を見下ろしている存在なのだ。それが良い面でもあるし、悪い面でもあるのは本人が一番知っている。だからといってその姿勢は崩さないし、周りもそれを望んでいない。私は雄一にこう言ったことがある。「いったい雄一は何がしたいんだ?私を餌に女の子と飲みたいのか?だったらそう言えばいい。お前を餌に女を釣るんだと。そう言わないのはお前が未熟だからだと私は認識しているぞ。この後の雄一は、どのような道を行くんだい?そろそろ考えなきゃいけない年だぜ。」




4


 次に雄一に会ったのは、私が棺おけの中に入っているときだった。私には身寄りがほとんどなく、かろうじて引っかかった親族に最小限の葬式をなんとか開いてもらえる程度だ。葬儀場の雰囲気も悪く、はずれくじを引いてしまったと顔に出ている親族ばかりだ。私は物言えぬ屍となって棺おけに横たわる。そんな中、雄一が線香を立てにやってきたのだ。私は死んでいるのだが、涙が止まらなかった。そして雄一は私の棺おけに一輪の菊を添えてくれた。そして私のために泣いてくれた。雄一は上質なスーツで身をくるみ、いかにも金持ちらしい雰囲気を漂わしている。アメリカで財をなしたのだ。弟子入りした親父が亡くなって、その後を継いだそうだ。雄一が行うアメリカでの行いはことごとく消費者のニーズに的中した。私はアメリカに行けるはずもなく、行こうともせず、ただ日本で死んだのだ。そんな私に対して雄一は涙を流してくれる。私の親族はコネクションを求めて彼と挨拶を交わしている。そのとき雄一は、私の親族には目もくれず、私のことだけを考えている表情で私の遺影を眺めていた。やはり雄一は雄一らしく、私の葬式に来てくれたのだ。雄一は私が望む立ち位置で私を見てくれているのだ。



おわり


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

あなたのその疲れた肉眼が、いち早く癒されますように。

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