6.ホノカ、ヤクザと戦う
「ほんなら、この神社の――」
イノは両手を揉みしだきながら、被害予定者達を睨めつけ、貧弱な胸を張った。
「宗教法人としての権利書、出してもらおか!」
日室神社。縁起は定かでないが、侍の時代が始まる前に書かれた書物に名が出ている。
「そんなもん、あるわけ無いじゃん。両親が持って出ていったわよ!」
馬鹿にしたような声で答えるのは姉のホノカ。仕事着である巫女装束に身を固めた高校二年生。やたら長いポニーの尻尾が一本、言動に合わせて上下に揺れる。
黒目がちの大きな目に怒気が含まれている。引き下がるつもりは全くない模様。
「ほなら、お前のサインでええわ。ここ、書き込んでぇや」
懐から皺くちゃの書類を引きずり出すイノさん。譲渡証明書に類する委任状らしい。
「それで借金チャラや。オレの、……いや、ワテの……じゃなかった、えーと、ウチの仕事もこれで終わりでぃ……終わりやわ」
「……無理して関西弁しゃべらなくてもいいわよ。充分恐いから。それより、借用書持ってるわね?」
再び懐より書類を取り出すイノさん。今度は封書で、皺はない。
イノさんは、ホノカから遠いところで封筒をピラピラと振りかざしている。
「お姉ちゃん!」
ヒカルがホノカの袖を引っ張る。
「なによ?」
「未成年は宗教法人法上、宗教法人の代表になれないんじゃなかったっけ?」
「だからサインするんじゃない。あっ!」
顔色を変えて口に手を当てるホノカ。未だ反応のないイノさんを横目で伺う。
「あ、ああーっ!」
ホノカの拳骨がヒカルの頭に落ちた頃、イノさんは、ようやくホノカの企みに気づいた。
「あやうく騙されるトコだった! 危ねぇ! ふてぇガキだな、こんにゃろめ!」
飛び上がって感情表現するイノさん。ヒカルはイノさんの生まれを特定した。
「初心に戻って正攻法だ! 大人をナメるとどうなるか、思い知らせてくれたりますわ!」
「無理して関西弁喋らなくていいから。脳内でちゃんと変換しておくから」
ホノカの胸ぐらを掴み、持ち上げる。ホノカの足が床から離れた。腰紐に取り付けたホノカとそっくりの人形ストラップが激しく揺れる。
イノさん、長身に見合う力持ちである。
「べらんめぇ! 親の居場所をきりきりと吐きやがれ、かいな、ワレ!」
イノさん。設定が崩壊してしまったが、もう後ろに下がれない。
「知ってりゃとっくに押しかけてるわよ。ハッ! 子供を捨てた親なんか、こちらから縁を切りにね!」
グーに握った右手をスイングバックさせるイノさん。
「暴力反対!」
イノさんの長い足に、左手でしがみつくヒカル。イノさんは、片手でしがみついたくらいでは、びくともしない下半身の持ち主だった。
「ほなら小僧でええわ。お前しっとるやろ。お姉ちゃんのお色気に免じて話してぇな?」
イノさん、痛々しいシナを作るの図。
「色気のない女の人に興味ないです。性的な意味で」
顔を真っ赤に上気させ、力任せに足を振りきるイノさん。吹っ飛ぶヒカルの身体。左手を付いたが、支えきれずに転がった。
イノさんはそんなヒカルの様子を見て動きを止め――一瞬だけ動きを止め、ぶら下げているホノカへ顔を向けた。
「お前ら、親に捨てられたのか?」
「捨てられたも何も、借金こさえたあげく、子供に黙って家を出て行ったのが子を捨てたっつんなら、そうなんでしょうね」
本当か? という顔をするイノさん。左手を付いて身体を起こすヒカルを見つめた。
「学校から帰ってきたら、いつもいるはずの母さんと父さんがいなくなってて、じきに帰ってくると思って待ってても帰ってこなくて、何日経っても、……電話一つかかってこなくて……」
答えるヒカルの声と肩が下がっていく。
「鉄板と呼ばれてたマリオンブラザーズ証券とFLI保険に全財産つっこんでたらしいわ。ところが金融破綻問題で二社があっさり倒産」
イノの腕にぶら下がりながら、器用に腕を組んでいるホノカ。
「あー、知ってる知ってる。アメリカのデカイ会社で、こないだ潰れよったアレ。そうそう、オレがバイト先クビになったのも、あれ潰れてからこっちやったな」
「それを世間では世界恐慌って呼ぶのよ」
イノさんの回想に、ウンウンとうなずくホノカ。
「怖えぇーっ! 世界恐慌、怖ぇ……でんがな!」
「あんたと同じように恐慌状態になった父は、穴埋めをしようと自棄になって、借金してまで追加資金をつぎ込んだあげく、首が回らなくなって、仲良く夫婦二人手に手を取ってトンズラ。高校生二人の姉弟で、どうやって金のない神社を切り盛りしろっつーのよ。笑っちゃうわね、まったく。はっはっはっ!」
口を左右非対称に歪めて笑うホノカ。ヒカルは、なにか声を掛けねばと、喉の奥で、言葉を行ったり来たりさせている。
「ご両親も、二人を捨てたわけではないと思うよ。きっと何か連絡できない事情があるんだよ、……まんねん」
自分で決めたキャラ設定を力ずくで守ろうとするイノさん。律儀にも、ヒカルは脳内で言葉を転換させて聞いていた。
「どんな理由よ?」
むくれるホノカ。
「例えば、オレみたいな借金取りを……あーっ! せや、借金返さんかいアホンダラ!」
基本に立ち返えったイノさん。
「しまった! このままうやむやにしてしまおうと思ってたのに!」
ホノカは臍をかんだ。
焦がした苦虫を二十四匹分咀嚼したような顔をするイノさん。
「金が無きゃてめえ、この土地建物、売っ払うしかねぇだろう? いや、ないやんけ!」
「だから、権利書一式持って出たって、さっきから言ってるでしょ? 公的手続きを踏んだら? それともナニ? 出るとこ出られない立場なの? そうでしょ? ヤミ金融なんだもんね! 叩かれたら埃とかウンコとか山と出るんでしょ?」
ダムに開いた針のような一点をほじくり返すホノカ。
「いや、だから、そこは……」
「とりあえず、あたしを下ろしなさいよ。未成年者虐待で児童相談センターに駆け込むわよ! 借金の取り立てどころの騒ぎじゃなくなるわね! ホホホホホ!」
防戦一方のイノさん。攻撃の手を緩めないホノカ。
「じゃ、じゃぁ……いや。ほな、どないせぇちゅーねん!」
憎々しげにホノカを床へ下ろすイノさんであった。
知り合いの神社がモデルですw。