5.ヒカル
太陽はとっくに沈んでいた。
十分暗かった。ここまで暗くなったら、もう太陽は上がってこないように思える。
――人生的な意味で。
十六才の騎旗ヒカルは、そう思うことにした。
「オラ、ガキが! さっさと権利書、出したらんかい!」
ずしんと家中に走る衝撃音。
古びた建物に響く音を背景に、怖い顔をして凄む。なかなか悦に入った恫喝である。
背の高い若者が、側にある太い柱に蹴りをくれていた。ここは古びた神社、日室神社。
キイロが逃げ込んだ館。そしてヒカル達の生家、築八十年でもある。
一つ年上の姉、ホノカの後ろに隠れたヒカルは、悩んでいた。人相学的な意味で。
恫喝者が、ピンクのジャージ姿でなければ、何も悩まずに怖がっていればよかった。
ピンクのジャージ姿で、茶色い短髪の前髪が段違いに切りそろえられていて、背が高くて、二十代で、ティアドロップ型のサングラスをかけて、右耳に付けた銀の棒ピアスがチャラチャラ鳴ってて、変な大阪弁を使わなければ、こんなにも動揺しなくて済んだのだ。
ぶっちゃけ、怖くない。でも空気読め的に怖がった方がいいのかもしれない。
もしくは、もう一人の男。強面するおじさんが凄んでくれた方がしっくり来る。
「イノさん、俺が代わろう」
浅黒い肌をした、四十代半ばの中年男。右目に黒いアイパッチ。白のスーツに白の手袋。念入りに、ソフト帽子まで白できめている。
看板は興信所。その実は、非警察関係一般のよろずもめ事力ずく解決業者、穂村興信所の所長、畝傍帆影その人である。
彼がアイパッチを着ける原因を作った事件は何だろうか? ヒカルは、それが気になって仕方なかった。
「へい、ごっつうおおきに!」
NHK朝の連ドラよりも不思議な発音と、ひどい関西弁。
どうひいき目に見ても箱根山以東の出身者。
畝傍は、銀のシガーケースから、煙草を一本取り出してくわえた。
「堅気の衆を相手に凄むのはいけないな」
アイパッチの男は、指先で煙草の端を軽くつまむ。たちまち煙が立ち上がった。
堅気と呼ばれたヒカルら姉弟二人は、火の付いた煙草をドングリまなこで見つめていた。
「手品、という言葉を知ってるか?」
旨そうに紫煙をくゆらす。
「なに、タネは簡単だ。マッチくらい知ってるだろ? あらかじめ煙草の先っぽに発火剤を仕込んでおいて、手袋に仕組んだヤスリで擦る。それだけで簡単に火が付く。手袋をしているのがミソだ」
ヒカルはその微妙なところを見たかったが、畝傍は手袋の指先を見えないように、うまく隠している。
「この建物、古いから簡単に燃えるぞ」
右、天井、左と首を回転させながら、畝傍は最後にニヤリと笑った。
人柄に似合わぬ無邪気な笑顔が、ヒカルに恐怖を抱かせる。
「子供を脅すのは趣味じゃないんだが――」
その時、ジブリ系アニメのテーマが鳴り渡る。場違いに軽快な電子音で。
「はい。あ、これはこれは、毎度毎度、おおきにおおきに!」
イノさんが、ジャージのポケットより取り出した携帯に耳を当てる。ご両親の躾が良かったのだろう。サングラスをとって話をしている。
サングラスの下から、場違いに綺麗な目が出てきた。
収まらないのが畝傍である。
「この空気どうすんだよ、イノさん!」
「親分が携帯持たねぇからだろうが!」
注意する畝傍に、平然と口答えするイノさん。この二人の関係はいったい?
ヒカルは首を捻る。
「畝傍のクソ親分! 有森牧場の社長からです」
恭しく携帯を差し出すイノさん。
「お前から親分って呼ばれるのも、なんだな……」
軽い拒否反応を示し、携帯の受け取りに躊躇する畝傍。
だから二人の関係は何なの?
「親分で差し障りがあるんなら、所長でどうっすか……でっしゃろ?」
「……まあ、それならいいか、事実、俺の役職だし」
納得したのか、イノさんより携帯を受け取る畝傍社長。
畝傍が携帯で話し込んでいる間、目一杯怖い顔をしてヒカル達を睨め付けるイノ。
平然と受けて立つホノカは別枠として、まともに視線を合わせる根性のないヒカルは、イノさんのバストショット中心に視線を泳がせる一方だった。
髪の毛をもう少し手入れすればいいのにとか、胸がペタンコだけど、この年齢だともう育たないのだろうなとか、顔を構成するパーツ自体は、そこそこ整っているのだから、派手に塗りたくらない方が見栄えするんじゃないだろうかとか、要らないことばかり考えている。
「別案件発生だ。俺は抜けさせてもらう。イノさん。後は任せたぜ。しっかりやんな!」
畝傍はイノさんの肩を叩いて背を向けた。
「任せといておくれやす!」
京都弁で畝傍を送り出すイノさん。玄関から出て行く畝傍の右肩が、心なしか下がり気味なのは気のせいであろうか?
もう一人の主人公、ヒカル君登場!
さらに、もう一人のヒロイン、ホノカ登場!
イノさんはアレの方向でw