38.反省
「待ってくれ! 伯爵も待ってくれ!」
白いソフト帽に黒いアイパッチ。裸に包帯をぐるぐる巻きにした上半身。白いスーツを肩に羽織っている。
ミカボシ、大きく息を吐いて間合いを外す。
――なるほど。ミカボシはこれを待っていたのか……。この者、役者なのだ。だが!
ヴァズロック、思うところあり。
「なんスか、社長じゃないっスか! けが人なんだから、おかゆをうまいうまいって食って寝てなきゃダメっスよ。チョチョイっとやっつけて、湿布取り替えに行きますから、ここは無敵のミカボシさんに任せて、引っ込んでてくだせいや」
ヴァズロックに標準を定めたまま叩くミカボシの軽口に、カグツチは苦い物を食った口で答えた。
「もういいんだ。イノさん、やめよう。……いや、……もう無茶はしないでくれ」
カグツチの息が荒い。倒れ込むように両膝を玉砂利につく。
「ヴァズロック伯爵。伯爵も矛を収めてくれ。この通りだ」
焔の銃を脇におろし、背の羽をたたむヴァズロック。三歩、後ろへ下がった。しかし、彼が無言で睨み付けているのは、カカセヲを持ったミカボシだった。
「俺は、……わかってるんだ。本当はわかってるんだ。だけど、どうしょうもなかったんだ。俺は……俺は親に憎まれ捨てられた。だが、それはヒルコやツクヨミ達には関係ないこと。俺には俺の世界がある。ミカボシ、……いや、イノさんには迷惑をかけた。危ない橋を渡ってもらった。すまなかった」
理由がわからないのはロゼだけ。きょとんとした顔をしている。珍しい表情だ。
「タケミナカタ。貴様にも迷惑を掛けた。必ず償う。許してくれ!」
門の入り口。カグツチは、崩壊した岩隗を背に座り込んでいるミナカタに頭を下げる。
「うるせぇ! サングラス代と治療費、払えよコノヤロウ!」
左手をパタパタと動かし、何に対してだろうか、否定を表現する。
カグツチの言葉が続く。
「父は母を愛していた。何者よりも愛していた。そして俺は母を殺した。殺した事実に変わりない。それは受け入れ、俺のものとしなければならない事だったんだ……」
カグツチ、呼吸が続かない。何度も何度も喘ぐように息を吸い込んでいる。
「イノさん。オレは悩んでいたんだ。ヒルメ達に復讐したい。でも、危険なヤツから守ってやりたいという願いも持っていた。オレは挟まれていたんだ。俺は自分で自分を追い詰めていたんだ。だから危険な伯爵に戦いを挑んだ。そんな俺に、イノさんは付き合ってくれたんだ。あんたは、俺の荒御魂が崩壊しないように誘導してくれてたんだな」
ミカボシ、カグツチの方を見ようとしないし、動こうともしない。ただ、溢れていた殺気が内部に向かって凝縮されていくだけだ。
「伯爵! あんたにもすまないことをした。あんたも俺のこと救おうとしてくれてたんだろう? 昼間は、手加減してくれてたんだろ? あんたのチカラなら、俺を殺せてたはずだ。それとあの時の言葉。俺は考えた。あんたも俺を救おうとしてくれてたんだ!」
カグツチは、一気に心の内を打ち明けた。
「勘違いするなカグツチ。我が輩はヒカルを危険な目に遭わせたくないだけだったのだ」
焔の銃を握り直すヴァズロック。ずいぶんと突き放したものの言い様。
「ところでカグツチよ」
相変わらずミカボシを睨め付けたままのヴァズロック。どうでもいいような風でカグツチに話しかける。
「そなたの母、イザナミは死ぬことによって、黄泉の国の女神となったのだ。誰よりも早く、初めて、あの世とやらへ行った母神なのだ。それはつまり、……自分の子供、そして孫達が死んで黄泉の国へ一人旅だったとき、寂しくないよう、悲しくないよう、黄泉の国で待って、受け入れてあげようという母心ではないのだろうか? カグツチよ、その方、黄泉の国で母に会っているはずなのだ」
カグツチは口を開いていた。目が遠くを見つめていた。
「あの時、あの黄泉の国の闇は……あの優しく俺を包んでいた闇は……母だったのか!」
たった一つの目から、涙が一粒こぼれた。
その一粒が、何かの栓だったのであろう。カグツチの目から、涙が堰を切って流れ落ちる。
――争いの元凶が消えた――。




