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30.斬撃

「今や我々は、狩る側にある。敵の狙いは日室神社のアマテラス。解っているのだ」


 暗闇の中、水色のスイフトが目的地に止まった。車の後部ドアから、ヴァズロックが優雅に降りる。

 前のドア。助手席から、ヒカルが転がるようにして、降りてきた。


「この車、勝手に使って良かったんですか? 法的な意味で」

「無灯火走行なので目撃者など存在しません。問題無しです。私が免許を保持しておらぬのも些細なこと」

 運転席より、お行儀よく足を揃えて降り立つロゼが答える。


 まばらにしか駐車していなかったとはいえ、車群が被った被害は甚大であった。使用に耐える車は、今、ヴァズロック達が超法規的手段(ロゼ談)を使用して手に入れた、タイヤハウスが大きく凹んだこのスイフトだけであった。


 ヒカルの右腕の腫れは、見た目が酷かった割にすぐ退いた。包帯でテーピングされているのは念のためだ。

 ヒカルは、カグツチに始まる、アマテラス襲撃計画の一部始終を車中でヴァズロックに聞かされた。現在、頭と体は理解したが、気持ちが受け入れていない状態である。


「でも、ここって……日室神社?」

 暗闇の中、それでも自分の家と認識できたのは、帰巣本能の成せる不思議であろうか。


 道を挟んだ背後に、新進の宗教団体本部があるというのに、この暗さはいつもと違う。

 明かりといえば、西の山脈に沈みつつある三日月だけ。一寸先は闇の中、とはまさに今の状況。


「シールドが張られております。見たところ、自然因子のようですが……」

 ロゼが、見えないモノをその目で見ている。


「これは、そのような生やさしいモノではない」

 ヴァズロックの目が赤くなった。


「絶対防御アマノイハヤト。俗に言う、天の岩戸であるな。神ごときに破れる代物ではないのだ。やるな、アマテラス殿」

 当然、一般人のヒカルには何も見えない。元々夜目が利かないものだから、一人目をこらしたり透かしたりしている。


「タケミナカタやカグツチ程度で打ち破れるモノではない。アマツミカボシといえど恐ろしく手間と労力を費やさねばならぬ。とうてい割に合わない・の・だ……?」

 ヴァズロックは、ここで何かを忘れてる気がして、言葉の最後をおなざりにした。


「じやあさ――」

 ヒカルが声をかけてきた。

「日室神社襲撃役のタケミナカタさんは、この辺で攻撃のチャンスをうかがっているんじゃぁ……」

 きょろきょろと周囲を警戒するヒカル。


「その通り」

 声は背後から。その声に反応して振り向く三人。


 爆発音にも似た派手な通電音をたて、新進宗教団体本部が、一斉にライトアップされた。

 悪魔的な白亜の殿堂。


「ミカボシに配下がいることを失念していたのだ」

 破壊されたはずの門。全く無傷の門の前、ブラックレザーのバトルスーツをまとったミナカタの巨体があった。


 ――両手を伸ばして。

 フジエダの鞭が来る!


 ヒカルに向かって一直線。ヴァズロックがそれの前に立ちはだかった。対カカセヲで見せた業、突進する物体の横腹を押し、軌跡を変える。


 大きく進行方向をずらすフジエダ。

 ミナカタは両腕を伸ばしていた。フジエダの鞭は二本のはず。


 もう一本が最初の一本の陰に隠れていた。完全にヴァズロックの死角。ヴァズロックの股下をくぐってヒカルに迫る。


 「しまった!」と言う時も、鞭に向き合う時も、ヴァズロックには過ぎてしまっていた。

 肉を裂く打鞭音。


 受け止めたのは獣人化したロゼ。ザクロが口を開いたような左肘の傷口が大きい。

 重傷だった。


「痛い」

 ロゼは吐き気を催していた。対消滅機関を内蔵しているのではないか、と主にからかわれてきた獣人の体が重かった。

 傷が酷い。固い皮が酸でただれ、動脈が切れていた。普通の人間だったら骨まで溶けていただろう。人狼のロゼといえど、回復には時間がかかる。


 でも、もっと深い傷口があった。

 ロゼの柔らかい心。


 ヒカルの眼前で、醜い恐怖の化け物姿を晒してしまった。

 無我夢中だった。気づいたら獣人化してヒカルの前に立っていた。


 探るようにヒカルの顔を見たのは、いつもの習慣だった。

 案の定、目を丸く剥きだし、口を大きく開いたまま固まっているヒカル。尻餅までついている。


「そこのボウズをかばって変身したのかい? あれ? ひょっとしてオトモダチだったの? そりゃ悪いことしちまったな。てめえが本当の姿を見せたモンだから、ションベンちびってるぜ。可愛そうに。でも安心しなボウズ。国津神が軍神、このタケミナカタ様が腐れ化け物を平定してくれよう!」


 ミナカタの挑発。ロゼは、ミナカタの言にいちいち反論するつもりはなかった。

 自分はアルカディアの末裔。人狼の一族。……誇り高き血の一族。


『また一つ終わった……』

 ロゼの心から、急速に暖かいものが失われていった。みずみずしい肥沃な大地が、痩せ衰え砂漠化していく。


 青々と茂っていた草々が、豊かな森が、枯れていくのが自分でもよくわかった。

 そこにあるのは、角張った岩が転がる、ひび割れて痩せた大地。上空にはどこまでも広がっている厚い曇り空。吹く風は冷たい北風。

 体が重い。体を動かすための筋肉が重い。


 酸に焼かれ立ち上がる煙もそのまま、ゆっくりとミナカタに向き合うロゼ。むしろ痛みが心地よかった。流れる血が生を感じさせてくれた。


「ロゼよ。予想の範疇ではないか」

 冷たいヴァズロック。でも今はその冷たさが救いだった。ヴァズロックもロゼを救うつもりで、そんな言い方をしたのだろう。

 それが証拠にヴァズロックは、腹いせでフジエダの鞭を切断していたのである。

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