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2.キイロ

 年の頃は……十才であろうか?

 夜の闇と、この季節にしては珍しい霧がもたらす視認性の悪さを考慮しても、中学生には見えない。


 彼女の名は、高原(タカハラ)キイロ。


 白いレースで縁取られた黒いビロード生地の、ワンピース姿の少女。

剥き出しの手足がやけに細い。頭には四角いニット帽。見ようによっては尖った耳に見えなくもない、という微妙なデザイン。


 この時間帯、彼女のような容姿の持ち主は、ある種の人間に注意しなければならない。

 普通の人間にも犯罪に走らせかねない素養を持つ美少女だった。


「姉には早く元気になってもらわねば」「きっと、今度こそ仲直りできる」

 彼女は気付いていない。電車からおりてこっち、その短いフレーズを険しい顔で、繰り返し唱え続けている事に。


 ワンショルダーバックに添えた手に力が入っている。中に入っているのは、姉のために買った品物。今の彼女にとって、命より大事な品だ。


 いつからだったのか? 少しずつ、それでも確実に姉との距離が開いていったのは?


 決定的だったのがあの事件。でもそれは仕方のない事。誰かがやらねばならなかった事。欲望を捨て、理性を通して見た者たちは、皆が正であり義でありと答えたあの事件。


 でも、感情がそこに絡めば……。

 そして姉は……。

 長い期間を空けた後、わたしを許してくれた。


 姉は賢いお方だ。

 生まれもって、長に立つ資質を持った方。どのように行動すれば、言動すれば、集が付いてくるか。それを知っている方。

 本当に許したわけではないだろう。わたしを許さなければ、……わたしを許すからこそ、長の座に座る資格を持つのだ。


 わたしが望むのは、ほんとうの許し。

 欲なのか? これは欲なのだろうか? 

 姉が、……私を愛してほしいと願うのが欲なのだろうか?

 その欲を捨てたいと願うことも欲なのだろうか?


 家路を急ぐ足。駅を飛び出してからずっと駆け足だった。黒猫のような俊敏さで、路地から路地を抜け、ほぼ一直線に目的地へ向かっている。


 市民公園に足を踏み入れたのも、そこが直線コースだったからに過ぎない。油断したと言えば油断だったであろう。


 遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。

 少女が立ち止まる。

 バッグにぶら下がった、少女によく似た人形のストラップが揺れる。目をこらしてみるが、赤いランプは見えなかった。


 救急車のサイレン音は、ドップラー効果をおこし、右から左へと走り抜けていく。

 普段なら、犬共がサイレンにつられ、遠吠えの合唱を行ってたはずだ。ところが、今宵に限り、一匹の声も聞こえない。


 気がついたら、辺り一面、濃厚な白い霧が満ちていた。


 白い闇。


 公園の防犯灯だろうか? 青白い光が宙に浮かんでいる。

 水滴が長い睫毛についている。帽子や襟元が水分を含んで重くなっていた。


 彼女は公園内に足を踏み出す。

 ゆっくりと、粘度の高い霧も動きだす。


 広葉樹の一群を過ぎた辺りで、彼女は口を歪めて後悔の言葉を口にした。

 濃くなった霧のせいで、五メートル先が見えなくなってしまったのだ。


 彼女にしては珍しく、方向感覚も狂いだしてきた。

 突然、後ろで錆びた金属のこすれる音が響く。驚く彼女は、音がした方向へ顔を向けた。


「ブランコ?」

 公園の片隅で、誰も乗っていないブランコが揺れていた。


 風もないのに?

 いや、さっきまでの悪視界は?


「お嬢様」

 棒読み気味の声が、右手から聞こえてきた。慌てて振り向くキイロ。


 青白い光の下、女が防犯灯を背にして立っていた。

 正確には、黒いメイド服を着た少女。金髪も鮮やか。人形のような小女といえばより正しいか。

 年の頃は二十歳……前?


「初めまして、わたくしの名はロゼ・アルカディア」

 足を軽く交差させ、スカートの端を優雅につまみ、お義理で頭を下げるメイド。大きな髪押さえが特徴的。


「わが主、ヴァズロック伯爵から、お嬢様にお話があるそうでございます」

 一歩下がってから、再び頭を下げるメイド。


「夜の一人歩きは危険なのだ。どのような魔の物が、口の中で牙を研いでおるかわからぬ」

 気怠い声が背後から聞こえた。

 黄色は、声の主を捜してしまった。


 先程まで空で揺れていたブランコに、黒くて細いシルエットの男が腰掛け、厚い本を読んでいた。

 高い折り返しの立て襟が特徴的な黒いマントに、本を持つ左腕以外すっぽりと包まれていた。


「とは言うものの……そなたからは聖なる匂いがするのだ。それも尋常でない量と質の」

 そこで初めて本から顔を上げる黒の男。

 キイロはおもわず息をのんだ。


 黒の男は、天使のような美しい顔を持っていたのだ。


 少年と言うには大人びていて、青年と呼ぶには幼すぎる。

 不思議な魅力を持った美男子であった。

 青に偏光した照明と白い霧の中から浮かび上がるような暗い闇色を纏った麗人。


 キイロの目は、麗人の容姿に惹きつけられた。

 夜のせいだろうか? 青白い照明のせいだろうか?

 麗人の肌は透けるように白かった。


 病的なまでに白い肌と対照的に、やたら血色のよい唇。みずみずしい漆黒の目。後ろにまとめた長髪は艶やかな黒。

 美を若者という容器に、詰めて詰めて詰めすぎてあふれ出してもまだ詰め込み続けた美の化身。


 もう一言いうと、日本人じゃない。完全にヨーロッパ系だった。

 カトリック系の寄宿舎や、聖歌隊という言葉が似合う麗人だった。そして冷たい声の持ち主でもあった。


「我が名は、ロード・ヴァズロック・ボグダン・チェルマーレ。我を崇めよ。そして恐れよ!」


 ヴァズロックと名乗る美麗人が立ち上がり、流れるような仕草で片を真横に伸ばす。

 優雅に風をはらませ、両裾の尖ったマントが広がった。裏地はブラッドレッド。


「ただの幼子であるならば答えるに及ばぬ。……そなた、何者か?」


 ヴァズロックの黒い瞳に一瞬、朱の色が現れ、そして消えた。マントを引き寄せ、口元を隠して枯れ木のように立っている。


 無理やり、キイロはヴァズロックの目から視線を外した。引きはがすようにして。

 そこで使った精神力は、普通の人間が持っていない量と質だった。


 キイロは大急ぎで、左手に魂を(みたま)集めていく。


「それこそ、答えるに及ばぬ」

 キイロの幼い声が、夜空に凛と響く。


「貴様こそ、只者ではないな!」

 姉のため、急いでいるというのに……。

 邪魔者め!


 キイロは左手を大きく払った。手のひらに現れたのは、銀に輝く巨大な強弓。


 いきなり持てる力を全開にするキイロ。全力を出してもヴァズロックに勝てる気が、どうにもしないのは何故だろう?


「おお、美しい! すばらしい芸術品なのだ!」

 ヴァズロックはキイロの問いに答えず、重厚な銀の弓を嬉しそうに凝視していた。

 部分によって太さや輝きが違い、見ようによっては装甲に見えなくもない太い反りの部分には、人の手では不可能な細かいレリーフが施されている。

 美術展に出展すれば、メインで展示されること間違い無しの一品。


 ヴァズロックが一度だけまばたきをした。

 キイロは、その隙を逃がさなかった。

「おや!」ヴァズロックの間抜な声。


 銀の長弓を半円にしならせているキイロ。矢をつがえ、ヴァズロックの胸元を狙う。


 しかし、隙を突けたのはそこまで。ロゼが音もなく背後に回り込んできた。弓をつがえるために出来た隙を突かれたのだ。


 ひょっとすると、今の隙はヴァズロックがわざと作ったものなのかもしれない。

 キイロは、生まれて初めて、背筋に冷たい物が走る事を知った。


「いや、そなたの正体、だいたいの想像は付くのだ。それよりも何故、我が輩と麗しきそなたが、今ここで出会ったのかが問題なのだ。そして、我が輩はそなたに――」

 ヴァズロックは七分に構え直し、熾天使(セラフィム)をも蕩かす笑みをその美しい顔に浮かべた。


「道を聞きたいのだが――」


 問答無用の銀光が、弓とヴァズロックの左胸の間を渡っていたのであった。

第3話は、明日投稿します!


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