24.狼と少年
夜の帳が降りた。
降りただけで、まだ今日は終わっていない。
駅前通りのアーケード街は、雑多な人々で混雑している。
流れを無視することも、通行人の体に触れず、逆らって歩くこともできない。
ところが、ヴァズロックは早足で歩いている。
自分が選んだ速度で、自分が選んだルートで歩いていた。人混みが意志を持っているかのようにヴァズロックを避けて、あるいは、ヴァズロックの進行方向で割れていく。
主の後ろを、狼の能力を使い、影のように尾行しているロゼ。そこそこの年月を主と過ごしたロゼであるが、今宵は心底感心していた。
ごった返した大通りの中、ヴァズロックの歩みは、無人の野を行くがごとく。
「だから何でホノカが、我が輩についてくるのだ?」
「保護者よ、保護者! 被害女性を出さないための必要処置よ!」
「ふふふ、レディの方から寄ってくる故、我が輩に罪はないのだ」
「勘違いしないで! 太陽光致死傷症感染者を出さないため、必要な監視処置よ!」
「何度言えばわかるのだ! 我が輩は吸血鬼ではないのだ!」
夜を待っていたかのように活動を開始したヴァズロックと、日室神社からずっと大声で言い争っているホノカの図。
夜会服に高襟黒マントを覆った異国の美青年と、巫女装束の未成年女子が、しゃべくりながら夜の町を闊歩する図。に言い換えてもオーケー。
町を行き交う人々は、異様な空気を醸し出している二人の男女に、目を合わせることなく、まるで存在しないがごとくふるまっている。と言い換えてもオーケー。
あるいは――。
「マイロードが持つ、違う意味での結界」ロゼ談。と言い換えてもオーケー。
「いやちょっと、ロゼさん。その発言はまずいんじゃないですか? 主従関係的な意味で」
さらに、ロゼの後ろ。神官服を着たままのヒカルが、こっそり尾行していた。
おくびにも出さないが、ロゼはもう少しで飛び上がりそうになっていた。
ロゼにとって、これは一生の不覚。
「邪魔しないように」
短く、ロゼがヒカルに告げている。これはロゼにとって一時の戯れ。冷徹を装うロゼも毛皮一枚剥いてしまえば、ただの女の子。
親交を深めたところで、お互い、一生物の傷がつくだけ。ロゼの正体を目の当たりにすれば、反応は二つに一つ。
声を無くして腰を抜かすか、悲鳴を上げて一目散に逃げていくか。
無垢な瞳を持つヒカルはどっちだろう?
――腰を抜かす方だ。
「ロゼさん、はいこれ」
ヒカルがヒョイと左手を伸ばす。ロゼは、それを思わず受け取ってしまった。
手にしたのはメイドの人形。もっと詳しく言うと、ロゼそっくりの人形。
作風から推測して、キイロやホノカが持っていた人形と、同一作者によるものと見受けられる。
「これは?」
あっけにとられるロゼ。
「プレゼント」
後にも先にも、銀の弾丸以外に、プレゼントなる物質をもらったのはこれが初めて。
突然だったのと初体験だったのが重なって、何と言っていいのか、体のどこを動かしていいのか、全くもってロゼには解らなかった。
「古いお守り入れを廃品利用して僕が作ってるんだ。日室神社に住んでる人は、みんな持ってるんだよ」
ワタワタと喋る準備運動を済ませてから、発音行動に移るロゼ。
「こ、こういうモノは、ほら、同級生にも可愛い女子が沢山いるでしょう? そんな子にあげた方が良くなくて?」
「あーダメダメ!」
ヒカルはパタパタと手を振って拒否を表現した。
「ああいうヒョロ軽いのはダメ。僕はもっと――あ! 二人が動いた!」
なにか言おうとしたロゼだったが、ヒカルにせかされ、結局エプロンのポケットに人形をしまい込むのであった。
そんな二人の動きを、ヴァズロックはとっくに察知していた。
あちらは、ヴァズロックの行動をおもしろおかしく観察しているのだろうが、こちらとしても、黒メイド服の金髪美少女と、狩衣姿の少年という組み合わせに失笑を隠し得ない。
人通りの中、目立つことこの上ない。町ゆく人々は見て見ぬふりをしている。
この二人も一種の結界を張っていることに、本人たちは気づいていない。
時折、ひそひそと仲良く内緒話までしている。
――いつの間に仲良くなったのか。
ヴァズロックとホノカは、相変わらず言い争いを続けていたが、アーケード街唯一の交差点で足止めを喰らった。
信号が赤だったからだ。
尾行対象が停止したので、あわててトンカツ屋の看板に身を隠す、金髪ガイジンメイドと、平安衣装のマヌケなコンビ。
ヴァズロックの位置からでも丸見え。とてもお似合いだ。たまらず声を出して笑ってしまった。
「なに馬鹿笑いしてるのよ? 今の話、ツボだった? 三輪山伝説がそんなに面白い?」
声を出して笑ったのは、ほんとうに久しぶりのことだ。
「うむ、正直に認めよう。笑いのツボを突かれたのだ」
信号が青に変わった。ヴァズロックとホノカが歩き出す。
影から出てきたロゼとヒカルも歩き出したようだ。
「今宵は良い夜だ」
このまま流されるのも良いかもしれない。流れに身を任せるのも心地よい。
三歩歩いて足が止まる。
お誘いが来た。
カグツチの様なむき出しの殺気ではない。例えるなら、鋼の檻へ厳重に閉じこめた猛獣が隙を探している目。
発信元を探そうと、ゆっくりと左を向いていくヴァズロック。視界の端にロゼがいた。ヴァズロックと同じ方向を探している。
ヴァズロックはその(・・)位置を特定した。アーケード街と平行に走る道に面した駐車場。
そして、顔だけを動かし、ロゼと目を合わせた。頷いて返すロゼ。狼の少女は、うれしそうに笑っている。
――殺気の主はカグツチより大物なのだ。
ヴァズロックは、付いて来いと、目の動きだけでロゼに伝えた。
「あ、あれ?」
ヒカルとホノカ。二人同時に、今まで話していた相手を探していた。
ロゼとヴァズロック。二人の姿は、蒸発したがごとく、周囲の人々の目から消えてしまったのだった。




