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23.天津甕星(まつろわぬかみ)

 拝殿にて、一通りの……かなり簡略化された……ほんとうは朝一番に執り行うはずであろう行事が終わった。

 神主代理のヒカルと、黒メイド姿のロゼが脇に控えて座っている。

 彼らがじっと見守っているのは、巫女装束のホノカと、彼女の対面に座する黒マント夜会服のヴァズロック。

 向かい合って座る二人。


「郷に入っては郷に従え。どうよ伯爵! これを機に、神道へ宗旨替えしてみない?」

「無茶を言うでない」

 チチチ、と指二本を優雅に振るヴァズロック。


 ある理由で、ヴァズロックには、熱心に入れ込む宗教というものがない。まあ、あえて強引に言えば、カトリック……なのかもしれない。

 そして、これまたごくごく最近、連続して生じた事件が原因で、神道に転ぶという目は無くなってしまった。


「古事記冒頭で『男神の成り余る所を女神の成り合わぬ所にさし塞いで国を生みましょう』なんて表現のある麗しき神話よ」

 猫と狐が力を合わせた目をして迫るホノカ。


「ちちちち!」

 また、キザったらしく指を左右に振って間を取るヴァズロック。

「下ネタは、高貴と勇猛で名高いワラキア貴族には通じない――こ、これ、何をする!」

 いままで振っていた指をホノカにわしづかみにされていた。


「勇猛な戦神なら豊富に取りそろえているわよ。天津神系ならスサノヲでしょ、タヂカラヲでしょ、タケミカヅチでしょ。国津神系ならヤエコトシロヌシでしょ、タケミナカタでしょ――」

「待つのだホノカ、待つのだ! そなた、我が輩の話をちゃんと聞いているのか?」


「神道の最高神は女神様よ!」

「うむ!」

 色めき立つヴァズロック。


「い、いや、無理な物は無理なのだ!」

 正直、ちょっと転びそうになった。だが、神道の最高神は天照大神。アマテラス、つまり二階のヒメコさんであることを際どいところで思い出し、すんでの所で思いとどまった。


 ヴァズロックの抵抗を無視し、ホノカのありがたくも迷惑な説話が始まった。

「女は強い! 八百万の神々は、こぞって女神アマテラスを慕い、集いました」


 あの引きこもりのヒメコさんを……ねえ……?


「アマテラスは全ての神々を愛と会話で従え、なんでも話し合いで解決してきました」

 あの引きこもりのヒメコさんが雄弁を奮っている図……は想像しにくい。それ以上に、先頭に立って争いごとを精力的に解決している図、というのがどうしても描けない。


 ……きっとツクヨミが裏働きしていたのだ。あの子も苦労性なのだ。


「どおっ? 良いシューキョーでしょ? 質問あったら何でもして! 専門家だし!」

 レイビームがごとき眩しい笑みを全方向へ放出しているホノカ。完璧な笑顔だが、完璧すぎて作り物っぽい。これがいわゆる営業スマイルというモノか。


 ――しかし……。ヴァズロックは考える。


 ホノカは知らないのだろうか?

 記紀に掲載された生々しい話を。


 さらにもう一つ。他の神話と比較して、あきらかに欠落している部分を。


 アマテラスの古い名はヒルメ。彼女が生まれる前に男神ヒルコが生まれた。母神イザナミと父神イザナミは、不虞を理由に、赤子のヒルコを生きたまま海に流したという。


 そしてそのすぐ後、イザナミは、火神カグツチを命と引き替えに産み落とした。愛する妻を亡くしたイザナギは前後不覚になって我が子カグツチを斬り刻んだ。

 火の神として生まれたが故に父の手にかかったカグツチこそ、茫然自失であろう。

 グレてヤクザになったのも頷ける話である。


 結局、母神イザナミは以後、冥府の神となったのだが、その転職が原因で、夫イザナギと離縁することとなる。日本史上初の家庭崩壊である。


「では質問させていただくのだ」

 キザったらしく。手を胸に当て、気持ち頭を垂れる。

「はい、バズロック君」

 かけてもいない眼鏡を上げるふりをするホノカ。


「ヴァズロックなのだ。……こほん。星の神様のお話を聞きたいのだ」

「は? え? 星?」

 片方の眉だけを上げ下げするという器用なまねをするホノカ。


「えーと、えーと……七夕伝説というのがあって――」

「それは大陸から伝わった話なのだ。天女は日本神話に出てこないのだ」

「か、かぐや姫伝説――」

「平安時代に書かれたノベライズなのだ」

 どうやらホノカの引き出しには星の話が無いらしい。


「……キトラ古墳の天井に星座が――」

「描かれた星座を観測できる緯度経度が、日本国内ではないのだ。あれは大陸で観測された星図の写しなのだ。

 星と言えば歴。ちなみにヨーロッパで、ローマ法王の名の下にグレゴリオ暦が採用されたのは一五八二年。ホンノウジ・テンプルで信長が命を落とした年なのだ。

 ところが、日本がグレゴリオ暦を導入したのは明治六年・西暦一八七三年の事。

 その差、実に二九一年。

 どうであるか? この日本人の夜空に関する見事なまでの無関心っぷりは!」


 性格の悪いヴァズロックは知っていた。

日本神話に欠落している部分。星にまつわる神話が皆無に等しいこと。つまり、それは太古の日本人が、夜空を見上げなかったこと。


 唯一、金星に相当する天津甕星(あまつみかぼし)が、まつろわぬ神・悪神として、日本書紀に、わずか一・二行登場するだけだ。

 面白いことにキリスト教関係に登場するサタンことルシファーも明けの明星、つまり金星を象徴していた、という共通点があるということ。そしてルシファーは光り輝く熾天使(セラフ)だった。


 ――そう、ルシファーは影を生み出す光の天使なのだ。


 ちょっと面白くなってきたので、ヴァズロックは頬をゆるめてしまった。

 堕天使をもたぶらかすその微笑み。だが――。

「あ、なにバカにした笑い! 一神教がもたらした世界規模の争いを知らないと言わせないわよ!」

 ホノカには通じなかった。


「神様がそんなに沢山いるから内輪もめが起こるのだ。おかげでいい迷惑なのだ!」

 ヴァズロックが立ち上がり、ずかずかとホノカに詰め寄る。


「内乱を戦い抜いて、勝ち残るくらいの甲斐性が無くてなんの神様よ!」

 どすどすと足音を立て、ホノカがヴァズロックを押し返す。


 殴り合いの喧嘩に発展するまであとわずか。アワアワしてオドオドするヒカルと、冷酷そうな薄ら笑いを唇に浮かべるロゼ。どちら共、止める手段は持ち合わせていない。


「やかましい!」

 だん、と戸があいてキイロの一喝が飛んだ。


「神聖なる拝殿で、騒いでいいと思っているのか! 姉上のお昼寝に差し障る!」

 ほっとするヒカルと、あからさまに舌打ちをするロゼ。

 

「ちょうどよい。そなたに聞きたいことがある」

 腕を組んでにらみつけるホノカに向き合わなくてすむ。ヴァズロックが、すでに帰りかけているキイロを呼び止めた。


「天津神共は、どんな手段でアマツミカボシを平定してのけたのだ?」

 アマテラスが送った天津神精鋭地上侵攻軍ツートップが、唯一殺せなかった悪神アマツミカボシ。


「ミカボシに会ったのか?」

 キイロは、片足を拝殿の外に出したまま、質問を質問で返した。

「カカセヲを持つ馬鹿女に、うちの者が世話になったのだ」


 ツクヨミの顔になるキイロ。言葉を探してから答えた。

「……天香香背男(アメノカカセヲ)事、天津甕星(アマツミカボシ)は、武では平定できなかった。一計を案じた天津神軍は、かの者に倭文神(しとりがみ)建葉槌(たけはつち)を遣わした。その後、二神は天に昇った。日本書記にそう書いてあっただろう?」

「いまいち解らないのだ」

 ヴァズロックお気に入りのポーズ。指二本を立ててチチチと振る。キイロは、イライラしだした。


「シトリ神の『シトリ』とは何なのだ? タケハツチとは何の神様なのだ?」

「シトリとは織物のこと。タケハツチとは着物の神霊だ。『武刃槌』と書けば武神を表すことにもなる。妥当だろ?」


「繊維製品と無敵の悪神がどう関係するのだ?」

「悪神を織物に織り込んで平伏させたとされている。これで良かろう!」

 なにか拝殿に恨みがあるのではなかろうかと邪推してしまいそうな程、力を込めて引き戸が閉められた。


「要出典……なのだ」

 天の岩戸のごとく閉じられた戸を見つめているヴァズロック。


「ちょっとバズロック! なに難しい事を言って子供を虐めるのよ!」

「ヴァズロックなのだ。発音しにくければ伯爵様と呼ぶのだ。虐めてなどおらぬ。我が輩は日本神話の小学生なりの素直な解釈を収集していただけなのだ」

 間違ってもいないし嘘もついていない。いけしゃあしゃと答えるヴァズロック。


「キイロちゃんは小学生なんだから、神話の解説なんかできないわよ!」

 第二ラウンド開始。つんつんとヴァズロックの胸を突いて壁際にまで押していくホノカ。


「では、ホノカなら先の下り、解説できるのであるな? 裏の話を含めて!」

 天使の美貌をホノカの目先数センチに持って行くことで、押し返すヴァズロック。


「当たり前よ!」

 中央部で動きが止まる。両者拮抗。


 ヴァズロックが右手を開き、柔和に話を促した。


天香香背男(アメノカガセヲ)率いる『天津甕星』という軍事超大国に、天津神政府が最先端の織物技術を無償提供することで和平を結んだ。つまり、ミカボシに貢いで停戦を請うたってことよ!」

 フンと荒い息を一つ、鼻から吐くホノカ。


「なぜ天津甕星の事をわざわざ日本書紀に書いたのだ? 支配者は、歴史を改ざんする権利を持つ。ならば、書物に文字として載せぬという選択肢があるのだ。」


「無視するには巨大すぎたってことよね。前例から言って、天津甕星側の人間を政府に登用したでしょうから、いろいろ出てくる弊害の方が面倒だったのよ。

 そうそう、天照大神こと、太陽の影響が及ばぬ暗い世界で、燦然と輝く星々は、ウルトラバイオレット絶対主義者たちにとって忌まわしい物だったのかもしれないわ。だったら、記紀の中に星の話が無くて当然よ! 絶対そうよ!」


 フンと鼻から荒い息を吐くホノカ。自分の説に酔ったのか頬をピンクに染めている。

 話よりもホノカの肌に見入っているヴァズロック。白い歯を見せ、ニッと笑う。


「なによ? 人の話聞いてる?」

「聞いておる。巨大な星はウルトラの星、と言うところまで聞いていたのだ」

 霧化能力を持つヴァズロックが、ノーモーションで放たれたホノカの拳に体を二つ折りにして転がったのだった。

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