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21.イノさん

 畝傍ことカグツチが、クレーターの中央に転がっている。荒御魂である朱雀の形態を解いていた。天空の太陽も姿を消していた。


「さすがに今のは大変だったのだ」


 ヴァズロックらしくない。埃まみれの姿で立っていた。

 人一倍伊達者であるヴァズロックが、もしも服装チェックを許したら、マントのそこかしこに小さな穴が開いているのを見つけられたであろう。


 倒れている者がカグツチ。立っている者はヴァズロック。勝敗はついていた。


「あんな……反撃を食らうとは、……イメージが狂うぜ」

 切れ切れに言葉を継ぎ足すカグツチ。目の光が弱くなっている。


 髪はバサラに、白くて綺麗だったスーツはドブ鼠色になり、外から見える皮膚の所々が爛れていた。


「普通、この場面にふさわしいセリフと言えば『止めが必要か?』なのであろうな?」

 カグツチに反応はない。


 ヴァズロックは、マントを軽く振った。大半の穴が消える。

 ここで一度、周囲を丹念に見渡す。


 そして溜息を一つついてから、さらにもう一度マントを振った。これにより、全ての穴が消え、新品同様輝く黒マントができあがった。


「では約束なのだ。なぜわが輩と戦うのだ? 話してもらおう」

 カグツチの目は、ヴァズロックの方に動こうとしない。しかし、口は動いた。


「俺は炎。滅ぼすことを宿命づけられた神だ。生まれる事が母を殺す事だった。生まれ落ちる事が父に殺される事だった。そのまま黄泉の国の住人になっていたかった。あの暗いけれど、どこか暖かい場所。柔らかい闇に包まれていた、あの世界が俺の安らぎだった。俺は生き返りたくなどなかった!」


「なかなか、かっこいい誕生秘話なのだ。むしろあこがれを感じるのだ」

 冷たい目をしたヴァズロックが、入れなくていい合いの手を入れる。


 カグツチは炎の神。そんな赤子を産み落とすのは大惨事である。

 真っ赤にいこった三千グラムの炭を生身の体で産み落とすシーンを想像してみるといい。まず母体は助からない。死に至る大火傷を負う。


 事実、母神であるイザナミはカグツチを産み落とす事で大ダメージを負い、それでも神々を生み落としながら、苦しみ悶えて死んでいった。死んで黄泉の国の女神になった。


「俺が生まれてきたことが罪なのか? 誰が生んでくれと言った? 母を殺してまで生きたいと誰が願った? アマテラスは、ツクヨミは、スサノヲは俺を顧みたか?

 ならば、俺は落ちてやる。ともに滅びの道を歩ませてやる! 俺だけが責任を負うのはまっぴらだ! 父や母や兄弟たちにも責任を取らせてやる! アマテラスを殺してやる!

 その眼前にお前達が現れた! 詐欺同然の手口で借用書を奪っていったお前達がいた!」


 身をよじり、起き上がろうともがくカグツチ。やっとの事で頭を上げた。

 その上げた頭が踏みつけられた。ヴァズロックが踏みつけ、再び地面に押しつけた。


「面白いことを言うではないか。すばらしい、実にファンタジック! 光り輝く生き様なのだ。……詐欺云々に心当たりは無いが」

 周囲を見渡しながら、踏んだ足をぐりぐりさせる。


「自分で望んで落ちたのに、身内のせいにするか? 落ちたいと望んで落ちた確信犯なのに、他の者に罪をなすりつけるとは、まさに神! ご立派な心構えなのだ」

「なんだとっ!」

 カグツチの手足に力が入る。


「その方、生きたいのか死にたいのかどっちなのだ? 誰かのせいにして、自分を終わりにしたがっているのではないのか?」

「俺に終わりはない!」

 ヴァズロックの足がカグツチより離れた。二歩三歩と後ろへ下がる。


「よかろう」

 腕を頭上にかざすヴァズロク。


「その方の人生に終わりはない。だが、終わらせることならできるのだ。そら!」

 破裂音。ヴァズロックの手の先に光球が現れた。そして――。


 ひょいとバックジャンプするヴァズロック。


 ヴァズロックの胸があった空間を貫き、化け物のようなランスが地面に突き刺さった。


「そこまでだ!」


 イノさんが飛び込んできた。

 長大な得物を引き抜き、カグツチの脇に飛びのいた。


 代わって、カグツチとヴァズロックの間に立つ大男、タケミナカタ。

「喰らえッ!」

 フジエダの鞭をふるう。必殺の脳天直撃コース。


 打ったのはただの地面だけ。鞭は空を切った。ヴァズロックは一歩も動いていない。

 タケミナカタの目に驚愕の色が浮かぶ。


「遅いのだ」

「音速越えが遅いだと?」

「……そっちではないのだ」

 いまいち意味がわからないのか、用心深く構えなおすタケミナカタ。


「筋肉団子よ、少しは空気を読むがよい。その方、初顔だな。ロゼは死んだか?」

 ここにこの二人が来たと言うことは、ロゼを抜いたと言うこと。

 美貌に影一つ落とさず、淡々としたまま対峙するヴァズロック。


「安心しろ。獣は仕留め損ねた。イノさんがせっつかなきゃ、今頃とどめを刺していた」

 後ろでは、「安心してくだせぇ所長! 傷は深……安心してくだせぇ!」と、イノさんがカグツチこと畝傍に肩を貸していた。


「その方がロゼを? イノサーンとやらの間違いではないか? あるいはよほど汚い手を使ったか。うむ、どちらであろうか?」

 腕を組み首を傾げ、考え込むヴァズロック。タケミナカタなど眼中にないようだ。


「て、てめぇ!」

 歯をギチギチ言わせ、フジエダの鞭を握り直すタケミナカタ。


「ミックン! ずらかるぞ!」

 肩にカグツチを担いだイノさんが、一声かけ、跳躍した。

「誰がミックンだ!」

 もう一度歯がみして、同じく跳躍するタケミナカタ。イノさんの軽口は、引き上げる良いきっかけだったのかもしれない。


「カグツチよ!」

 遠く過ぎ去る者に対し、ヴァズロックが大声を出す。珍しい事であった。


()めたいので、()める理由を探しているのであろう? それは違うぞカグツチ!」

 再び跳躍して、建物の向こうに消えゆく三つの影。


「外の問題ではない。そなたの中の問題なのだ。自分が強くならねば、終わることもできぬ! 簡単な答えに早く気づくがよい!」

 最後の方は聞き取れただろうか? 


 ――ま、どうでもよいが。


「マイロード」

 思ったより元気な声がした。振り向くと、青い顔をしたロゼだった。メイド服にほころびはない。

 当のロゼにも、その仕組みが解らないのだが、人間体に戻ると服まで元通りになるのだ。


「大事ないか?」

 言葉の意味とは裏腹に、全く気遣いを感じさせない語調のヴァズロック。

 ロゼはいつも通りに黙って頷いて見せたが、どこか動きが重い。触る者全てを切り裂くような鋭気がない。


「生きていればそれでよい。……しかしあのイノサーンとかいうノッポの女が使う長い得物。あれは並の武器ではない。……コレクションに欲しいのだ」

 いつものように襟の高い黒マントに、一度風をはらませてから身を包む。


「たしか『カカセヲ』と呼んでおられました」

 ヴァズロックの動きが止まる。マントの尖った端だけが左右に揺れていた。


「鞭使いの男はタケミナカタ。変態です」

「教えてやろう、タケミナカタというのはな――」


 自慢たらしく、何度も同じ言い回しで、だらだらとした知識の安売りをしながら、しずしずと足音も立てず、新興宗教施設を後にしたのだった。

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