20.醜女(しこめ)
「そうそう! 君は若くて可愛い女の子だ。プライドに逃げないと、その姿は寛容できまい!」
タケミナカタがサングラスをとる。案の定、狂気を宿した鋭い目。ニヤリと笑ってロゼを見下す。例えていうなら間抜けな小型肉食獣を見つけ、ほくそ笑む大型肉食獣。
「猛獣を躾けるに、こいつはちょうど良い得物だ!」
タケミナカタの鞭が飛ぶ。今度は余裕でかわし、タケミカヅチの眼前に壁のように立つ。この間ほんの一拍。
みっしり牙の生えた口を開いたロゼ。タケミナカタののど笛を狙っている。
人狼と化したロゼ。顎で噛みつく力は二トンを軽く超す。
ちなみにライオンで四百キロ強。レックスで一トン強だったと推測されている。
咬噛力に加味された牙による破砕力が、推定値以上の損害を哀れな被害者に与えることができる。
その凶悪な口が――閉じない。
悲鳴を上げるため、口は開けられたまま!
ロゼの背中に鞭の先端がヒットしていた。
ただの打撃に悲鳴を上げる人狼ではない。攻撃を受けた部分から煙が立ち上がっていた。
火による煙ではない。強酸性物質に特有の、嫌な臭いが立ちこめている。
――傷口が塞がらない!
いや、塞がってはいる。恐ろしくスローモーな速度であるが。
その間、焼け付くような痛みが持続する。
「化け物と言って失礼した。言い直そう」
指さすタケミナカタ
「醜いクソ化け物!」
「神など滅びてしまえばいい!」
ロゼは、叫びながら右ストレートを放った。首を傾げるだけでかわすタケミナカタ。
再び、悲鳴を上げるロゼ。脇腹の皮膚が剛毛ごと焼けている。タケミナカタの鞭による攻撃だ。
「こいつはフジエダの鞭。建御雷が持つ斬鉄剣・経津主用に作った武器だが――」
タケミナカタの腹にロゼの左が入った。
拳に走る違和感。拳から生まれた感覚は痛みには違いないが、あえて言うなら間接を鳴らしたときの爽快感。
見ると、ロゼの拳が砕けていた。タケミナカタの腹筋は超合金か?
砕けた拳は痛くない。痛みは危険信号と言う。ならば砕けた拳は危険信号を発しなかった事になる。それが証拠に、たちまちの内に拳は再生された。
「――対フツヌシ用だがっ! 人狼とも相性が良いようだな!」
タケミナカタが大きなモーションで鞭をふるう。
人狼と化したロゼの動体視力が捉えきらなかった。
一条であるはずのフジエダの鞭が、四条となって襲いかかってくる。先端部分は音速を超えている。避けられる道理がない。
体に走る四つの痛み。
久しぶりの感覚、痛み。
休むことなくタケミナカタの攻撃が続く。避けることも逃げることもできず。ただ、耐え、防御に徹するだけのロゼ。
フジエダの鞭は、ロゼの体だけでなく心までも浸食していく。どんどん腕が重くなっていく。足が思うように動かない。初めて、辛いという言葉が頭をよぎった。
――勝てない!
「どうした? 化け物。俺と戦うんじゃないのか?」
「私は化け物ではない!」
化け物という言葉だけに執念を燃やし、それでも何とか隙を見つけようと目だけをギラつかせるロゼ。
「まさか、醜い獣が(ケダモノ)神に勝てる、とでも思ってるんじゃないだろうね?」
キツイのが一発、肩口に入った。たまらず膝をつくロゼ。立ち上がろうとして……立ち上がれない。足が動かない!
――リュカオンの狼は、無敵のはず。
攻撃が止んだのに、反撃に出られないでいるロゼ。
傷口が再生しない。息が荒い。金色の毛皮が、血で真っ赤に染まっている。ボタボタと音を立てて赤い雫が地面を濡らす。
全てが初めての経験。こんな事は今まで無かった。
「諦めたのか? 諦めたなら早く死ねよ。化け物は死ねよ。生きてんじゃねぇよ!」
雨のごとく降り注ぐ鞭。それでも腕を伸ばすロゼ。
偶然、手のひらに鞭が当たった。ずる剥けになった手で鞭をつかみ取る。攻撃が止まった。条件反射のなせる技。
「生きて……悪いか! 誰が好きこのんで狼になぞなるものか!」
下から睨み返すも、ロゼの目に光はない。
「醜い姿だ……。だがそれもお前自身じゃないか? 悲しい女め!」
しなりをかけて、ロゼの手からいとも簡単に鞭を取り戻す。
空気を切り裂き、地面を叩くフジエダの鞭。大地が深く抉れている。タケミナカタのデモンストレーション。
そして、敵は攻撃準備態勢に入った。
次で終わる。その確信に、心拍数が多くなり、血圧が高くなる
ロゼの思考が停止した。
体が勝手に戦闘を続けようとする。下半身に、最後の力を込めようとした時だった。
主が炎の邪神と対峙しているはずの場所で、大きな爆発が起こったのだった。




