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12.名乗り

 ――主とホノカ様の組み合わせは、おもしろい化学反応がおきる。

 ロゼの興味は尽きない。


「いろんな意味でお口に合うかどうかわかりませんけど――」

 ホノカが、湯飲みを卓袱台の前で、ちょこなんと座るヴァズロックの前に置いた。いかにも来客用といった風情の湯飲み。中は透き通った薄緑色の液体。ヒカルが入れたお茶である。


 磁器容器の中では、縦になった小さくて短い植物の茎が、上下に浮き沈みしている。

 斜め後ろに座るロゼにかしずかれ、床の間を背にした位置に座するヴァズロック。眼前で湯気を立てている湯飲みをおずおずと覗き込む。


 ロゼが座る位置は、ヴァズロックにとって死角に当たるわけだが……ロゼは、裏切ってみたい気持ちを軽く抑えて、ポーカーフェイスの影で薄く笑う。


 卓袱台を挟んでホノカとヒカルが緊張している。離れて、壁に背を預け、膝を抱えて座るキイロは、ヴァズロックを刺し殺せるような鋭く尖った視線を向けている。

 ヒメコさんは、騒々しいのが苦手なのか、あのまま一言も発せず、引っ込んでしまった。


「我が輩、初めて見るが、これが緑茶という名のティーであるな? なかなかに美しい」

 ヴァズロックが手を伸ばそうとして……気配を感じたのか、ふいに顔を上げた。


「皆、何を見ているのだ?」

 ヒカル、ホノカ、そのまま居座ったキイロの三人が、固唾を呑んでヴァズロックの手元を覗き込んでいる。


「いやね、お茶飲めるのかなー? なんて思って――」

 ホノカが小鼻の横を爪で細かく掻いている。ヴァズロックとは微妙に視線を反らせていた。


「やっぱ、トマトジュースの方がよかった?」

「なにゆえ我が輩がトマトジュースを飲まねばならぬのか。意味がわからないのだ」

「え? だって吸血鬼は――」

「誰が吸血鬼なのだ!」 

 ヴァズロックにしては珍しくも語気を荒げ、片膝を立てる。白磁のような頬に紅が差し、右手をプルプルと振るわせている。


「……まあよい」


 ――マイロードは、ホノカ様を相手にすると、ペースが乱れる傾向にあるようだ。


 主は表情が豊かすぎる。だからそこにつけ込まれるのだ。

 わたしは違う。つねに無表情という仮面を付けている。


 ヴァズロックは落ち着くためだろうか、一つ大きく息を吸い、おとなしく座った。

「そういえば、自己紹介が未だであったな」


 至極冷徹な表情を浮かべているであろうバズロック。後ろからでは伺い知ることは出来ないが、長年の付き合いである。これくらいは顔を見ずともわかる。


「我が輩の名はロード・ヴァズロック・ボグダン・チェルマーレである。訳あって現ワラキア伯爵なのだ。もっとも、昔は公爵だったのだがっ!」

 元々姿勢のよいヴァズロック。自慢げに胸を張る。


「へー、すごいわね! 公爵から伯爵に出世したのね。やっぱ貴族は伯爵よね。だって、公爵ってあんまり格好良くないもんね!」

 ホノカの言に、再びヴァズロックの右手が、怒りのためプルプル震えだす。

 ロゼの尻尾もプルプル震えだした。こちらは込み上げてくる笑いのためだ。


「……伯爵より公爵の方が偉いのだ」

「あらそう。ま、どうでもいいけど」

「どうでもいい、でかたづけられてしまったのだ」

 ヴァズロックの左腕もプルプル震えだす。

 ロゼは震えだす耳を押さえるのに苦労していた。


「で、何処の国から来たの? やっぱアメリカ?」

「今言ったのだ! ワラキアなのだ! 予はワラキア伯なのだ!」

「それって西海岸? 東海岸?」

「この子、聞いてないのだ」

 ヴァズロックがホノカを指差し、救いを求める目をロゼに向ける。


 ――こんな馬鹿みたいな事で……。


「マイロード。地方名ではなく、現国名を教えた方がよろしいのでは?」

 ヴァズロックの耳元。口元に手を当て、ロゼが小声で注進する。冷たーい目と共に。


「なるほど! 妙案である!」

 ダウナー系のヴァズロックにしては、珍しくリキの入った相づちだった。


 咳払いを一つし、呼吸を整えるヴァズロック。大貴族らしく威風堂々と構える。

「よく聞くがよい小娘。我が輩はルーマニアからやってきたのだ」

「アレの上のルーマニア州ね。自然が豊かでいい土地よね」

「違うのだ違うのだ違うのだ! どの州の上なのだ? 言ってみるのだ!」

「だから、あの州よ。ほら、クレオール料理で有名な!」


「我が輩は……」

 そして、言いなおすヴァズロック。


「……我が輩の国は、オスマン帝国を相手に戦ってルーマニア周辺国群を守り抜いたのだ。ルしか合ってないルイジアナ州が何処の帝国と戦ったのか教えて欲しいのだ!」

「独立戦争でイギリスと戦ったじゃないの。自分家()の歴史くらい覚えておきなさいよ!」

 思わず立ち上がりかけたバズロックの袖が握られた。ロゼだった。


 ロゼは目で、任せてくださいと主に訴える。

 笑いを堪えるのに、もう限界だったのだ。


 ヴァズロックより、この場の処理をもぎ取ったロゼが口を開く。

「そんな事はさておき――」

「『そんな事』で処理されたのだ!」


「私はロゼ・アルカディア。マイロードの世話係を仰せつかっている者です」

 よく考えれば、自己紹介の途中であった。ロゼは話を元に戻したにすぎない。


 ヴァズロックは、ロゼを叱責することが出来ないでいる。


 ロゼは座ったまま、メイド服の両端をチョイと摘んで挨拶する。笑顔一つ浮かべない。


「まあよい。金持ち喧嘩せずの理どおり、我が輩がムキになる必要はないのだ」

 ヴァズロックが、お茶の入った湯飲みを両手で抱かまえる。


 熱かったのですぐに手を離したのだった。

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