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11.這いずる者

「二千五百万円を!」

「『たった』扱い?」

「これが貴族?」

 最初の一言はイノさん。二言目はホノカ。最後はヒカルが締めくくった。


「ニコラエ様がマイロードに貢納されました金額の、ざっと四千分の一でございます」

 ロゼが、これまたポケットから取り出したメモを片手に報告した。


「ニコラエってなあ誰だよ? 変な出所じゃねぇだろうな? ……ちゃうねんやろな?」

 離れた場所で凄むイノさん。


「ニコラエ・チャウセスク。なかなかのやり手ではあったが、お痛が過ぎたのだ。よって少しばかり灸を据えてやった。これが意外と攻めに弱い男であったのだ」


「出どころなんてどうでもいいのよ! マネーロンダリングは済んでいるんでしょうね?」

 ホノカのきつい目で睨まれたヴァズロックは、反射的に首を縦に振った。


「今、現金の持ち合わせはない。小切手でよいな?」

 片手をちょうだいのポーズで出すヴァズロック。ロゼは、ポケットから取り出した小切手帳と古めかしい万年筆を、主の手に乗せた。


 表紙に金刷りで印刷されている文字は、日本国籍の一流銀行名だ。日本が倒産する事があったとしても、この銀行が倒産することは無かろうと言われている超優良銀行。

 まっさらの小切手帳に、数字を書き込むヴァズロック。


「弐千五百万円……と。お釣りはいらないのだ。小遣いとして取っておくがよい!」

 書き慣れた手つきだった。ヴァズロックは、小気味よい音を立てて、小切手を切る。お母さん指とお兄さん指、二本の指で挟んでイノさんの鼻先へ突き出した。


「へっ、へい! 毎度おおきに!」

 イノさんの手が届く直前、手を引っ込めるヴァズロック。空振りするイノさん。


 ヴァズロックが見下し視線でイノさんを眺め、ぼそりと呟く。

「借用書が先なのだ」


 慌てて取り出すイノさん。ヴァズロックはスナップを利かせ、二千五百万円の小切手を投げた。イノさんの気が空中の小切手に移った瞬間、ヴァズロックは、返す刀でイノさんの手から借用書をもぎ取った。


 ヒカルやホノカの目には、指に挟まれた用紙が入れ替わった様にしか見えない早業。


「用が済んだら帰るがよい」

 既にヴァズロックの視線はイノさんから外されていた。


「なんだとテメェ! 金さえ払やイイとでも思って……はんのか?」

 袖を二の腕までまくり上げ、片膝立ててまくし立てるイノさん。


「イノサンとやら」

 ヴァズロックは眠たそうな目をイノさんに向ける。


「うなるのは嘘だが、金は物を言うのだ」

「何を言いたいねん?」

 眉間に眉を寄せ、ヴァズロックを睨め付けるイノさん。


「その方の会社、我が輩が有り余る資金で買い取った上、その方一人だけを送別会無しで寂しく解雇してやってもいいのだぞ!」

「すんません、ほんとすんません!」

 あっさり頭を下げるイノさん。


 イノさんは、役立たずの用心棒二人を蹴り起こして、そそくさと帰っていった。

 

「おとといきゃがれ!」

 派手にあっかんべぇをして見送るホノカ。


 事の成り行きを何かに取り憑かれたような目で見守っていたキイロ。

 今度はそのキイロとヴァズロックが向き合っていた。


 ――また面白い組み合わせ。

 ロゼの興味は尽きない。


「何か御用でもお有りか? 残念ながら、我が輩は子供と貧乳に興味はないのだ」

 ヴァズロックの言葉の、どこかとどこかに反応しかけ、ぐっと言葉を飲み込むキイロ。


「何を企んでいるのか解らないけど……。その子と何か因縁があるのでしょう? 目の前で正体を出せないみたいだしね」

「日本には『お互い様』と言う格言があるらしいのだ」

 ヴァズロックは、不敵に笑う。


「あ、あの、ヴァズロックさん。ありがとうございました」

 後ろからヒカルの声がした。見ると、真後ろで深々と頭を下げている。

 ロゼは、ちょっとだけびっくりした。気配を感じられないでいたからだ。


「そなたが礼を言う必要は――」

 ヴァズロックが振り向いて――階段の上に視線を飛ばす。


 五感以外の感覚は主の方が優れている。ロゼも最大級の警戒心をもって振り向いた。


 ――いる!


 ここから見える階段の頂。そこから先は闇に沈んでいるが、なにか……。

 渦を巻く闇の中にもう一つ、なにか黒いのがいた。


 黒いのは女性の長い髪。階段に流れ落ちるほどの長くて黒い髪。白いのが髪の狭間に見えた。下を向いた女の横顔だ。


 女は、階段の上から首だけを横に突き出し、長い髪を階段に垂らしている。

 油の切れた歯車で動くがごとく、ゆっくりとゆっくりと、女はこちらに顔を向けていく。


 白い肌、通った鼻筋、赤い唇。ギョロリと剥かれた丸い目は、焦点が合っていない。

 否。今、下瞼に黒いクマの出来た目の焦点が、ヴァズロックに合っていた。


 ――この屋敷はいったい。……なにゆえマイロードを……。


 ヴァズロックはヒカルを後ろ手にかばい、マントの襟元を合わせている。これが主の戦闘態勢であった。


 何故ヒカル君をかばわれるのか? 主の行動に疑問を抱きつつ、ロゼは、仕事に取りかかった。

 いつも通り、ヴァズロックの盾としてのポジションを取る。なにせ体力は売るほどあるのだから……。


 二人の心配をよそに、ホノカは平然と鼻から荒い息をだしている。


 暗黒のヌシに対応したのは、笑顔のヒカルだった。

「もう! ヒメコさん、階段降りるときは、明かりを付けてくださいよ。こないだみたいに足の小指、柱の角にぶつけてのたうち回っても知りませんよ!」

 ゆっくりと、微かに頷くキイロの姉、芦原ヒメコ・二十四才だった。

イノさん、退場です。


イノさんのキャラ表を見ると……、

週一回は、必ず部屋の掃除をする。

洗濯は毎日するタイプ。

下着類は通販かネットで。

料理の腕前は……アウトドア料理は豪快に得意。インドア料理は苦手。

年齢は十代ではない。三十代でも四十、五十、六十、ましてや七十、八十、九十代でもない。推定を間違えると虎王が飛ぶ(取扱注意)。

と、なってます。

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