9.ヴラド・ドラクリア
キイロが見つめる先。空になった空間の向こう側に、金の髪を持った黒いメイドがぽつんと立っていた。若すぎて、綺麗すぎて、そして氷のように冷たい目をしたメイド。
「断りもなくお屋敷に足を踏み入れたこと、心よりお詫び申し上げます」
どこに心があるのか解らない声で詫び、スカートの端を形だけ掴んでお辞儀するメイド。
癖毛が目立つ鮮やかな金の長髪が夜目にも眩しい。何かを押さえつけているような、不自然に大きい髪飾りが、やけに目に付く。
「なにやらこの家の住人に対し、よからぬ話し合いをしていたように見受けられましたので、とりあえず成敗しておきました」
足元で倒れている二人をチラリとも見ず、淡々と口上を述べていく。
その様子に腹を立てたのか、イノさんが啖呵を切る。
「何が成敗――」
「我が主が、騎旗家の窮状を救うべく参上いたしました。お目通りの許可を願います」
これが自分の仕事だと言わんがばかりに、イノさんの言を力ずくで遮るメイド。
ホノカが、イノさんを押しのけて前に出てきた。
「どこのどなたか存じませんが、鴨が葱しょって……もとい、飛んで火にいる……もとい、これは願ったり叶ったり! どうぞどうぞ、遠慮無くお上がりください!」
深々と頭を下げるホノカ。もちろん、ヒカルには一言の相談もない。
怪しむとか防御とか、そんな概念は無いのか、と、ヒカルは問いたかったが、迫力負けして結局黙り込んだ。
「マイロード。家人よりお許しが出ました」
脇に下がり、外に向かって深々と頭を下げるメイド。その真摯な姿、今までヒカル達に対して取ってきた態度と一線を画するものであった。
「呼ばれたから入るのだ」
ボーイズソプラノがヒカルの耳に響く。
白い霧と共に夜の闇が進入した。――ように、ヒカルの心が感じた。
痛い。右腕が痛い。何故か右腕が……。
突然、ヒカルの心臓が大きな鼓動を一つ打った。大量の血液が、首の動脈を団子になって駆け上がる。そして、視界がホワイトアウトした。
視力が戻ると、……ヒカルは真っ昼間の原野に立っていた。
見晴らしが良い丘の上。僅かに残った朝霧を割り、騎馬の二人組が眼前を占めていた。
こしらえは……日本じゃない。今じゃない。……昔の、中世のヨーロッパ風?
一人は白のイメージ。もう一人は漆黒の、闇の中に溶け込んだ闇のよう……。
後ろ姿なので顔が見えない。でもヒカルの記憶が知っていると叫んでいる。
――白い方は、モルドヴァのシュテファン大公。黒い方は、……ああ、黒い方は、よく知っている、ワラキアの串裂き公、ヴラド・ドラクリア……ドラキュラ伯爵……。
ヒカルが夢を見ていたのは、ほんの一時。眼前には、瞼を閉じる直前の風景があった。
少年と呼ぶには大人びた物腰。青年と呼ぶには儚げなシルエット。漆黒の夜会服と特徴的な高襟マントを身に付けた美麗人が立っている。
「我が名はロード・ヴァズロック! 我を崇めよ。そして媚びよ!」
片足をスキンヘドの頭に乗せ、腕を滑らしながらマントを翻す。
大笑いするロード・ヴァズロックであった。
ドラクリア。英語読みだとドラキュラ。ドラゴンとも読めます。




