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1.闇と光

「死角は無かったはず!」

 客を送り出す事とも忘れ、男は、ただただ額に汗していた。


 五月を過ぎたばかりのルーマニア。汗をかく季節にはまだ早い。

 四十半ばの男。その名は……、名前はどうでもいい。


 ただ彼は、魔術師(マジシヤン)と呼ばれている手品師(マジシヤン)。世界で五指に入ると言われる技術の持ち主。

 そしてこの部屋は光の間。違わず六面が明かりを放っていた。床にも光源を用いることで影を消す厳しい条件。テーブル手品(マジツク)の練習部屋を(トレーニングルーム)兼ねていた。


 仕事用でこしらえた特別な家だ。郊外の一軒家。見渡した限り、他に家は見えない。ぽつんと建てられた小さな家。

 企業秘密満載の機密基地。それ故に、使用人は一人もいない。招かざる限り、肉親であっても立ち入り禁止の家だ。


 この部屋で影と呼べる場所は、自分の、自らのテクニックで作り出す死角のみ。

 大変厳しい条件だ。それ故に高度な技術を研磨育成できる。


 客が帰った直後より、魔術師は、自慢の記憶能力をフルポテンシャルで発揮させていた。

 どこにも死角は無かったはず。いや、無かった!




 話は聞いていた。今宵九時に訪れる予定の者。離婚協定に入った妻の代理人だ。


 三番目の妻だった。若くて美しいだけでなく、家柄も利用できる便利な女だった。現に今宵の代理人は伯爵だ。妻は、伯爵を代理人に使う家柄なのだ。実にすばらしい!


 さて、別居して五ヶ月。そろそろ精神的に辛くなる頃合い。ただし、この場合、女が精神的に参ってくる頃合いを指している。魔術師はなんとも思ってない。

 調停の話だろうが聞く気はない。まだまだ利用価値がある妻だ。別れてやるつもりなどない。


 離婚したくないからといって、話をせず逃げ回るだけでは能がない。話し合いを持ちつつ、のらりくらりと逃げ回る。おかげで、妻からの書面は、一つも手にしてない。

 幾人かの代理人を相手にしてきたが、その数だけ手玉に取ってきた。今回も趣向を凝らし、丁重にお出迎えする準備とシナリオはできている。


 予定通り、午後九時にインターホンが鳴った。少し前から来訪を物理的に捕らえていた客人だ。

 職業としての手品師は、最先端の技術者導入者でもある。未公開の次世代最新セキュリティシステムが、門をくぐる前から男に情報を送っていた。


 魔術師自身が、光の間で受話器式のインターホンを取った。慌てることなく。シナリオを何度も反復しながら。


 三画面・三方向から来訪者を映す画像があった。魔術師は代理人の風体を視認した。

 折り返しの立襟が特徴的な、闇色マントにすっぽり包まれた姿。


 黒マント姿の代理人は、監視カメラの一つに目を向けていた。

 カメラの設置場所は、ダミーを含め、巧妙に隠していた。

 それにしても美しい。本当に代理人か?


 黒がよく似合う美しい……青年だった。

 非の打ち所のない整った顔が、カメラ目線で怪しく微笑んでいる。どうにも引き込まれてしまう笑顔。魔術師は、無理に視線をそらした。

 夜は彼の為にある。月は彼の為に輝いている。そんな麗人であった。


 黒マントの美しき伯爵は、自分の名を告げた。

「わが輩は、バズロック・チェルマーレ伯爵」確かに代理人の名だった。

「ようこそ、我が屋敷へ。鍵は開いている。どうぞ中へ」

 ここで間を空けてはいけない。魔術師は鉄の意思を持って、丁寧に黒マントの代理人を招き入れた。


 玄関からこの部屋まで廊下が続く。心理学と光学を応用した視線誘導を使い、計算し尽くした上で演出された薄暗い照明が、否応なく来訪者の心を不安定にする。


 そして通された部屋が、別世界の光の間。

 あまりにも違うその世界。来訪者は必ず生の心をこの館の主である魔術師に差し出すのだ。

 彼得意の心理誘導。それは魔術。


 さて、とばかりにインターホンを充電ケースに戻す。目を上げると――。


 黒服の美しき伯爵が立っていた! 眼前に!

 六方からの光に、より美しさが際だつ美麗人。


 闇の衣装が光の中で映える。計算されたように。

 いや、あの黒服はここの光によって映えるように計算されている!


 彼の意識をとらえて放さない、震いつきたくなるような若者の笑み。透きとおるような青白い肌を持つ美貌。この世のものとは思えない。


 どうやって入ってきたのか? どうやってこの部屋の照明トリックを知ったのか?

 狼狽えたのはこの館の主。

 襟の高いマントが外套掛けにかかっていた。伯爵は黒の夜会服姿で優雅に挨拶をした。


 正気を取り戻したのは、麗しい伯爵が、妻からの要求を述べ、ドアから出て行った後だ。


 いつ置かれたのかも気がつかなかった。二人を挟んだガラステーブルの上に、妻からの手紙が置かれていた。


「視線誘導など無かった……ハズだ」

 もう一度、もう一度と呟きながら、魔術師と呼ばれた手品師は、何度目になるのだろう、海馬体に刻んだ記憶を再生させていた。

 ……のだが、どこにもトリックは見あたらないのだった。

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