仮
第一章 白昼の都市は、嘘を飲み込む
昼の湾岸都市は、いつも通りだった。
再開発されたビル群はガラスの外壁を陽光に反射させ、観光客と買い物客が歩道を埋め尽くす。海からの風は生温く、どこか人工的な匂いがした。
――この街には、裏がある。
だがそれは、夜にだけ現れるわけじゃない。
白いクラウンが、流れに逆らうことなく車列に溶け込んでいた。派手さも、威圧感もない。警戒心を抱かせない、どこにでもある車。
ハンドルを握る藤野翠は、サイドミラー越しに街を見ていた。
24歳。
表向きは、ごく普通の社会人。
裏では、ちょっと訳ありな「運び屋」をしている。
裏社会専門――なんて言うと物騒だけど、実際はシンプルだ。
この仕事には、いくつかのルールがある。
荷物の中身は聞かない。
依頼主の素性は詮索しない。
指定された時間と場所は、きっちり守る。
そして何より、大事なのは――深入りしないこと。
助手席には、ひとりの青年が座っていた。
年は22歳くらいだろう。制服でもスーツでもない、特徴のない服装。名前も、背景も、思想も感じさせない。
翠は、ルームミラーで一度だけ彼を確認した。
青年はスマホの画面を見たまま、何も言わない。
「……到着は、二時十五分」
独り言のように呟くと、ダッシュボードの時計に視線を落とす。
13:48。
まだ余裕はある。
だが、胸の奥がわずかにざわついた。
理由は分からない。
ただ、その数字を見るたび、身体が先に反応してしまう。
――仕事中だ。
感情を切り離し、視線を前に戻す。
目的地が見えてきた。
ベイフロント・シティモール。
2週間前にオープンしたばかりの巨大商業施設だ。
集客を見込んでか、立体駐車場もA塔、B塔、C塔との3つの大型駐車場がそびえ立ち、週末にもなればモール前の街道は車で溢れ返る。
今日は土曜日。
時刻は、間もなく二時。
駐車場へ入る車列は長いが、事前に指定されたルートは警備が異様なほど手厚かった。
誘導は正確で、迷いがない。
――過剰だな。
翠はそう感じながらも、何も言わずハンドルを切る。
B塔。
三階。
立体駐車場エレベーターホール前。
ぴたりと車を停めると、青年が初めて口を開いた。
「ここでいい」
声に感情はなかった。
「迎えは?」
確認のために聞く。
青年は首を横に振った。
「いらない」
それだけ言って、ドアを開けた。
人混みの中に、溶けるように消えていく背中。
翠は、それを最後まで見送らなかった。
――それが、ルールだから。
エンジンをかけ直し、駐車場を離れる。
海沿いの道路に出た瞬間、時計が視界に入った。
14:14。
次の瞬間――
世界が、ひっくり返った。
轟音。
衝撃。
白昼の空を引き裂く、爆炎。
バックミラーに映ったベイフロント・シティモールの一角が、音もなく膨れ上がり、破裂する。
翠は街道を流しながら、ただミラーに反射した惨劇を見ていた。
心臓が、冷たい音を立てる。
――2時15分。
まただ。
白昼の都市は、何事もなかったかのように、嘘を飲み込んでいく。
そして数時間後、この爆発もまた――
「不幸な事故」として処理されることを、
藤野翠は、まだ知らない。




