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仮ストーリー(Whiteout Heaven —強制終了のプロトコル—)

クッソ長い没バックアップなんで、めんどい人はすぐスキップしよう!!

------------------------- エピソード1開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

普通の朝、普通の嘘


【本文】

 目覚ましが鳴る一秒前に、俺は目を覚ました。


 いつもと同じ天井。薄いヒビが一本、窓のほうへ伸びている。

 初めてそのヒビに気づいたのは、六年前だ。あの日から、毎朝なんとなく見上げて、

「今日も同じだ」

と確認するのが、クセになっていた。


 布団から這い出て、カーテンを開ける。

 灰色に薄く曇った空。遠く、首都ラーヴェンの中心にそびえる「中央タワー」が、霧の中から針みたいに突き出している。


 テレビをつけると、いつものニュースキャスターの、いつもの笑顔。


『本日より、新型神経安定剤の国民配布が開始されます。市民の皆さまの、より安定した毎日を──』


 そこで、俺はリモコンを押した。画面が暗くなる。


「おはよう、ルカ」


 背中から、父さんの声。

 振り向くと、作業服の胸元を留めながら、父さんがキッチンから顔を出した。


「あれ、今日はいつもより早いな」


「テストだから」


「お、そうか。……愛国テスト、だっけか?」


 父さんは、少しだけ眉を動かした。その動きはすぐに、いつもの笑い皺の奥に引っ込んでいく。


「まあ、がんばれ。点数が良ければ、また食料配給のランクが上がるかもしれん」


「はいはい」


 テーブルには、トーストと目玉焼きと、安定剤入りの水。

 透明なプラスチックカップの中で、錠剤が一つ、底に沈んでいる。


 俺はそれを手に取り、光に透かしてみた。


 ……今日も、同じ色。


 父さんは、黙って自分のカップを掴むと、ためらいなく錠剤ごと口に放り込む。

 喉仏が一度、大きく上下する。


「ルカ」


「ん?」


「ちゃんと飲めよ」


「分かってるって」


 俺は笑ってみせて、錠剤を口に含む。舌に乗せたまま、ゆっくりと水を流し込んだ。


 冷たさが喉を通り過ぎる。

 けれど──いつも通り、何も変わらない。


 少なくとも、俺の感覚の範囲では。


 グラスを置いた瞬間、父さんの表情が、ほんの一瞬だけ揺れた。


 ……あ、まただ。


 右の眉が、ほんの少しだけ下がる。目尻が、わずかに切なそうに沈む。


「どうした?」


「いや。……工場の同僚がな、一人いなくなってな」


 父さんは、そこで言葉を飲み込んだ。

 さっき沈んだ目尻を、無理やり持ち上げるみたいに笑う。


「ま、転勤だろ。よくある話だ」


 嘘だ。


 でも、俺も何も言わない。


 父さんが嘘をつくとき、右手の指先が、テーブルを一回だけ軽く叩く。

 今も、カン、とコップの横を、指がひとつ、はじいた。


 俺は、そういう細かいところばかり、昔からよく見てしまう。

 見たくないときでさえ、勝手に目が拾ってしまう。


「名前、なんて言う人?」


 気づいたら、口が勝手に動いていた。


 父さんの指が、テーブルの上で止まる。


「……ガルツって男だ」


 聞き覚えのない名前。

 だけど、その名前は、父さんの口から出た瞬間、なぜか頭の中に引っかかった。


「そうなんだ」


 それ以上は、聞かなかった。

 聞いたら、きっと父さんは、もっと苦い顔をする。


 だから、何も聞かない。

 それが、この国で普通に生きるための、普通のマナーだ。


 テレビは消えたまま。

 窓の外では、中央タワーの先端に、薄い雲が絡みついている。


 気づけば、錠剤の味は、もうどこにも残っていなかった。


 学校へ向かう道は、今日も「普通」だ。


 舗装された道路。走り抜ける自動車のエンジン音。

 電光掲示板には、マサト王の笑顔と、「努力する民に、栄光を」のスローガン。


 通学路の途中に、小さな広場がある。

 その真ん中に、巨大な銅像が立っていた。


 右手に剣、左手に高く掲げた旗。風をはらんだマント。

 魔王を討ったとされる、伝説の勇者アルセリア。


 幼い頃は、あの顔を見上げるたびに、なんとなく胸が高鳴った。

 でも今は、その台座の横に立っている「もう一つの標識」のほうが、先に目に入る。


『獣人街区 →』


 白地に青い矢印だけの、簡素な標識。

 アルセリア像の輝きとは、あまりにも釣り合わない。


「おーい、ルカ!」


 背中から、少し間の抜けた声が飛んできた。


 振り返ると、黒髪をぼさぼさにした少年──ゼフが、片手を振りながら駆け寄ってくる。


「お前、また一人で先に行くなよな。置いてくな」


「いや、時間どおりだろ。お前が遅いだけ」


「寝坊した」


「知ってる。目の下にクマできてる」


「マジか。いやー、昨夜ゲームしててさ──」


 そこまで言いかけて、ゼフは一瞬だけ言葉を切った。

 すぐに、いつもの軽い調子で笑い直す。


「ってのは冗談で。愛国テストの勉強してました!」


「はいはい優等生優等生」


 ゼフは、冗談を言うとき、わざとらしく肩をすくめる。

 けれど今のは、肩じゃなくて、指先が一瞬だけ強ばっていた。


 笑いの奥で、何かを飲み込んだまま、話題を誤魔化すときのゼフのパターンだ。


「……何?」


「いや。何も」


 俺がそう言うと、ゼフはほっとしたように頭をかいた。


「そういやさ、今日の愛国テスト、満点取ると推薦とかあるらしいぜ。先生が言ってた」


「知ってる」


「お前、余裕だろ? いっつも成績いいし」


「暗記物だしな。公式見解を覚えればいいだけ」


「言い方」


 ゼフが苦笑する。


 広場を抜けるとき、視界の端で、アルセリア像の顔が見えた。

 英雄の顔は、いつ見ても変わらない。

 風に吹かれているようで、実際には風の影響なんか受けない。


 その足元から、獣人街区への道が伸びている。


 狐耳や猫耳を持つ人たちが行き交う細い路地。

 ボロボロの看板。安売りの服。入れない店。


 目を向けなくても、そこにあることは知っている。


 だから、俺たちは揃って、見ないふりをして通り過ぎる。


 教室に入ると、黒板の上に掛けられたマサト王の写真が、真っ先に目に入る。


 若い王の、よく整った笑顔。

 制服の胸には、王国の紋章。

 その下に、「我らの導き手に感謝を」と金色の文字。


 担任の先生が教壇に立ち、その写真を指さした。


「では皆さん、予習はしてきましたね? 本日の愛国テストは、王国史と現行制度についてです」


 教室のあちこちから、ため息ともつかない声が漏れる。

 けれど、そのため息はすぐに飲み込まれる。

 飲み込んだ証拠に、みんなの喉仏が、一瞬だけ上下するのを、俺は見てしまう。


「マサト王の即位は、何年前でしたか?」


「六年前です」


「よろしい。では、そのとき解体されたものは何ですか?」


「身分制度と、旧貴族制です」


「よくできました」


 黒板にチョークの音が走る。

 先生の声は、どこまでも滑らかで、感情の波がない。

 まるで、感情を抑える電波のサンプルみたいだ。


 俺はノートを開き、教科書通りの答えを、教科書通りに書き写していく。


 マサト王。

 独裁政権。

 平等。

 安定。


 公式の歴史は、どこも綺麗に整えられていて、余白がない。


 ただ一つだけ、実感として分かることがある。


 ノートの端に、俺は小さく書き込む。


『最近、工場の同僚が一人いなくなった』


 父さんが言いかけて、やめた言葉。


 鉛筆の先が、一瞬だけ止まる。


「ルカ、どうした?」


 隣から、小声が飛んでくる。

 ゼフが目だけをこちらに向けていた。


「いや。なんでもない」


 俺がそう言うと、ゼフは「そっか」とだけ呟いて前を向く。


 その横顔は、どこからどう見ても、普通の高校生だ。

 教師の話を半分だけ聞いている、適度に優等生な、普通の顔。


 ──でも、六年前。


 あいつが、あんな顔で黙っていたのを、一度だけ見たことがある。


 何かを見て、何かを聞いて、何も言わないと決めた、あの日の顔。


 チャイムが鳴る。

 愛国テストの問題用紙が配られる。


『問一 マサト王の政策のうち、「平等化」を目的として実施されたものを三つ、挙げなさい』


 俺は、問題を読み終える前に、答えを書き始めていた。


 身分制度の廃止。

 旧貴族制の解体。

 種族を問わない「特別登用枠」の創設。


 どれも、教科書に載っている「正しい答え」だ。


 問題用紙の一番下。

 小さな文字で、注意書きがある。


『※このテストは、国王への忠誠度評価とは関係ありません。安心して解答してください』


 そういう一文が、わざわざ書いてあること自体が、何よりの答えだと思った。


 けれど、俺はそれを、誰にも言わない。


 この国では、「言わないこと」こそが、いちばん安全な正解だからだ。


 放課後。


 空はすっかり晴れていたけれど、校舎の窓ガラスには、薄く自分の顔だけが映っていた。


「なあ、今日寄り道どうする?」


 ゼフが、鞄を肩に引っかけながら聞いてくる。


「テスト返却の日じゃないし、まっすぐ帰る」


「だよなー。オレも腹減ったし」


 昇降口を抜け、いつもの帰り道に出る。

 人通りの多い大通りの向こう側に、さっき通り過ぎたアルセリア像の頭が、屋根の隙間から少しだけ見えた。


 信号が青に変わる。

 横断歩道を歩きながら、ゼフがぼそっと言う。


「なあ、ルカ」


「ん?」


「もしさ」


 ゼフは言いかけて、唇を噛んだ。

 足取りが、ほんのわずかに乱れる。


「もし、明日起きたらさ。世界がさ──」


 そこで、対向車線から走ってきた車のクラクションが鳴った。

 ゼフは慌てて口を閉じて、走るように渡り切る。


「っと、危ね。……忘れた。なんでもねーや」


「お前な」


「ほら、早く帰れよ。おっちゃん、心配するぞ」


 ゼフは、わざとらしく明るい声で笑うと、商店街のほうへ手を振って走り去っていった。


 俺はしばらく、ゼフの背中を見送っていた。


 もし、明日起きたら。

 世界が──なんだ?


 問いかけの半分だけが、胸の奥に引っかかったまま、形にならない。


 家路を辿る足取りは、いつも通りだった。


 その夜、世界は「いつも通り」の顔をして、静かに崩れ始めた。


 夕飯の食卓。

 今日は冷蔵庫の残り物で作ったスープと、少し硬くなったパン。


「どうだった、テスト」


 父さんが、スプーンを口に運びながら聞いてくる。


「たぶん満点」


「おお。さすが俺の息子だ」


 そう言って笑うけれど、その笑いはいつもより少しだけ薄い。

 スプーンを持つ手首の力が、どこか抜けている。


 テレビは、つけっぱなしだった。

 ニュースキャスターの声が、遠くから聞こえてくる。


『続いてのニュースです。本日未明、反政府活動に関与した疑いのある複数名が、治安維持法違反の容疑で拘束されました──』


 その瞬間、父さんのスプーンが、カツンと皿の縁を叩いた。


 顔を上げる。

 父さんは、テレビを見ているわけでもなく、俺を見ているわけでもない。

 焦点の合わない目で、宙を見つめていた。


「父さん?」


 声をかけると、父さんはハッとしたように瞬きをして、いつもの笑顔を取り戻す。


「悪い、スープが熱くてな」


「もう冷めてるだろ、それ」


「そうだな」


 冗談みたいな会話。

 でも、父さんの右手の人差し指は、テーブルの下で、小刻みに震えていた。


『なお、治安状況は安定しており、一般市民の皆さまの生活に影響はありません』


 テレビの中の言葉は、いつもの調子で続いていく。


 そのとき、窓の外から、低いエンジン音が聞こえてきた。


 普通の車とは違う、重たく、押しつぶすような音。


 俺はスプーンを置いて、立ち上がった。


「ちょっと見てくる」


「ルカ」


 父さんの声が、いつもより低く響いた。


「外には出るな。いいな」


 その目は真剣で、笑いの余地がどこにもなかった。


「……分かった」


 玄関までは行かず、廊下の電気を消して、カーテンの端から外を覗く。


 黒い車が、家の前の道に三台止まっていた。

 車体の側面には、王国紋章と「治安維持局」の文字。


 心臓が、ドクンと跳ねる。


 俺の家だけじゃない。

 隣の家の前にも、同じ車が止まっている。


 ドアを叩く音が、家々に響く。

 ここ数年で、何度か聞いたことのある音。


 他人の家の話として、ニュースの中の音として、遠くで聞いていた音。


 それが今、自分の玄関に近づいてくる。


 トン、トン、トン。


 規則正しいノック。

 父さんが立ち上がる気配がして、廊下に出ていく足音がした。


 俺も思わず、廊下に出る。

 けれど、玄関まであと数歩というところで、父さんに振り向かれた。


「部屋に戻れ、ルカ」


「でも──」


「いいから」


 短く、強い声だった。


 言い返そうとして、口を開いたとき。


 ノックが、少しだけ強くなった。


「治安維持局です。開けてください」


 無機質な男の声。

 返事を待たない圧が、ドア越しに伝わってくる。


 父さんは、俺から目を離さないまま、小さく首を振った。


「大丈夫だ。すぐ終わる」


 その言い方が、一番大丈夫じゃないと、すぐに分かってしまう自分が嫌だった。


 けれど、俺の足は玄関に向かうのをやめず、一歩、また一歩と近づいてしまう。


 父さんは覚悟を決めたように、玄関の鍵を回した。


 ドアが開くと、外の冷たい空気が一気に流れ込んでくる。

 黒い制服に身を包んだ男たちが三人、父さんを見下ろしていた。


「ルカ・ファルンの父親、アルト・ファルンさんですね」


「ああ」


「治安維持法第十七条違反、および反政府活動への関与の疑いにより、同行をお願いします」


「反政府活動? 俺はただの工場労働者だぞ」


「詳しいことは局で説明します」


 決まり文句。

 どこかで何度も聞いた文言を、そのまま読み上げているだけの声。


 男の一人が、ちらりと俺のほうに目を向けた。


 その視線には、感情らしいものが何一つ乗っていない。

 まるで、家具の配置を確認するみたいな目。


「息子さんですか?」


「ああ」


「立ち入り禁止区域への出入りは?」


「ない。……はずだ」


 父さんの言葉が一瞬だけ揺れた。

 男の視線が、俺の靴のつま先まで滑り落ちる。


「念のため、本人からも後日確認を」


 そう言いながら、男はメモに何かを書き込んだ。


「待ってください」


 気づいたら、声が出ていた。


 父さんの腕を掴もうとして、一歩踏み出す。


 けれど、その肩を後ろから強く引っ張られた。


「ルカ!」


 耳元で、叫び声。

 振り返ると、さっきまでいなかったはずのゼフが、息を切らして立っていた。


「なんで──」


「ごめん。……ごめん」


 ゼフは、俺の体を後ろから羽交い締めにする。

 いつもは軽い力でしか殴ってこない腕が、今は痛いくらいに強かった。


「離せ!」


「無理だ!」


 玄関の外で、男たちが父さんに手錠をかける。

 金属の擦れる音が、やけに大きく響く。


「父さん!」


 ゼフの腕の中で、俺は必死にもがいた。

 けれど、ゼフは歯を食いしばって、さらに力を込める。


「見るな、ルカ。お願いだから」


 その声は、震えていた。


 父さんが、ゆっくりと振り返る。

 手錠で繋がれた手の間から、俺と目が合った。


 何か言おうとして、言葉にならない。

 喉が、何かを押し出そうとして詰まっている。


 代わりに、父さんの口が、俺の名前を形作った。


『ルカ』


 声にはならなかった。

 でも、確かにそう動いた。


 ドアの向こうへ、父さんの姿が連れて行かれる。

 黒い車のドアが開き、閉まる音。


 エンジンが再び唸りを上げ、車列がゆっくりと動き出す。


 そのすべてを、俺はゼフの腕の中で、音と気配だけで感じることしかできなかった。


 やがて、外は静かになった。


 ゼフの腕の力が、少しだけ抜ける。

 その隙をついて、俺は彼の腕を振りほどいた。


 玄関の外に飛び出す。

 けれど、もう何もいない。

 ただ、タイヤの跡が、道路に黒く残っているだけだった。


「ルカ……」


 追いかけても間に合わないことくらい、分かっている。

 それでも、足が勝手に前に出ようとする。


 ゼフが、もう一度俺の肩を掴んだ。


「行くな」


「離せ!」


「行っても、どうにもならない!」


 ゼフの叫びが、夜の空気に溶ける。


「なんで分かるんだよ!」


「……見たからだよ」


 ゼフの目が、ほんの一瞬だけ遠くを見た。

 六年前の、あの日の何かを。


 俺は、何も言えなくなった。


 代わりに、胸の奥で何かがひっくり返るような感覚があった。


 足下が、少しだけ傾く。

 世界が、少しだけズレた。


 家の中は、異常なほど静かだった。


 テレビだけが、変わらない調子でニュースを流し続けている。


『本日も、目立った事件はなく、治安は良好です』


 さっきまで、「反政府活動家の一斉検挙」とテロップを出していたはずの番組が、何事もなかったかのように笑い声を垂れ流している。


 俺は、ゆっくりとテレビの前まで歩いた。


 今まで、ただの「音」として流していた画面。

 父さんと一緒に、何も考えずに聞き流していた声。


 その向こう側に、自分の家のドアを叩いたのと同じ制服がある。


 そう気づいた瞬間。


 俺の目は、初めて、それを「テレビ」として見た。


 カチリ。


 リモコンを握る指に、力が入る。


 親指が、電源ボタンの上で震えていた。


 プラスチック越しに、自分の鼓動が伝わってくるみたいだ。


 画面の中で、マサト王の顔がアップになる。

 若い王の笑顔。

 国民に向けたメッセージ。


『皆さんの努力が、この国の安定を支えています。私は、皆さんを信じています』


 俺は、その笑顔を見つめた。


 言葉の内容も、声のトーンも、表情も。

 どれも、今までと同じはずなのに。


 さっき聞いた、金属の音と、自分の名前を呼ぼうとした父さんの口の形が、頭から離れなかった。


 テレビの光が、部屋を白く照らす。

 その中で、俺はようやく、自分の喉がカラカラに乾いていることに気づいた。


「……ふざけんな」


 自分でも驚くほど、低い声が出た。


 その声を聞いた瞬間。

 胸の奥に、何か熱いものが流れ込んでくる。


 怒り。

 恐怖。

 悔しさ。

 名前のつかない感情が、ぐちゃぐちゃに混ざって、暴れ始めた。


 けれど、不思議なことに。


 そのどれもが、どこかで押さえつけられている感覚もあった。


 喉元まで上がってきた叫びが、見えない手で押し戻されるみたいに。


 俺は、ゆっくりと息を吐いた。


 そして、画面の中のマサト王を、真正面から睨みつける。


「なあ、王様」


 誰にも聞こえない部屋で、呟く。


「俺の父さんを連れていったのは、お前の国か?」


 リモコンのスイッチを、強く押した。


 画面が、暗転する。


 部屋の中に、静寂だけが戻ってきた。


 けれど、もう「普通の夜」には、戻らなかった。


 この国のどこかで、感情を抑える電波が、いつも通り空を満たしている。

 安定剤の成分が、血の中を巡っている。


 それでも。


 俺の中の何かは、もう、元には戻らないところまで、ひび割れてしまっていた。


【リアクション】

0件


------------------------- エピソード2開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

亀裂の前夜


【本文】

 翌朝も、目覚ましが鳴る一秒前に目が覚めた。


 同じ天井。同じヒビ。同じはずの朝。

 けれど、胸の中の温度だけが、昨日とはまるで違っていた。


 父さんの「おはよう」は、聞こえない。


 キッチンに行くと、椅子が一つ、ぽっかりと空いている。

 昨夜のスープの鍋は、シンクにそのまま残されていた。


 机の上には、安定剤の錠剤が二つ。

 一つは、俺の分。

 もう一つは、飲まれなかったまま、カップの底に沈んでいた。


 喉が勝手に鳴る。


 俺は、父さんのカップを手に取って、しばらく見つめた。

 指紋が、取っ手のところにうっすら残っている。


「……行ってきます」


 返事は、当然ない。


 靴を履いて、玄関を出る。

 ドアを閉める音が、やけに大きく響いた。


 学校への道は、相変わらず人で溢れていた。


 誰も、昨夜何があったのか知らないはずだ。

 少なくとも、「公式には」。


 それでも、すれ違う人の顔を一人一人見るたびに、

(この人の家からも、誰か連れていかれたのかもしれない)

という考えが頭をよぎる。


 アルセリア像の広場に差し掛かる。


 勇者は、今日も変わらない顔で、剣を掲げていた。

 その足元から伸びる矢印も、昨日と同じように、獣人街区の方角を指している。


 でも、昨日と違うのは。


 その矢印の先へ向かう耳や尻尾を持った人たちの肩が、やけに小さく見えたことだ。


「よっ」


 不意に、肩を叩かれる。


 振り向くと、ゼフがいつものように片手を上げていた。


「……おはよ」


「おう」


 ゼフの顔は、いつも通りだった。

 少なくとも、パッと見は。


「昨日、その……」


「うん」


 言葉がそこで止まる。

 俺も、ゼフも、何をどう続ければいいか分からなかった。


「ごめん」


 先に口を開いたのは、ゼフだった。


「オレ、何もできなかった」


「違う。止めてくれた」


「でも、止めたからって、何も変わってねえ」


 ゼフは、前を向いたまま、強く歯を噛みしめる。


「六年前さ。近所のオッサンが、同じように連れていかれたんだ」


 唐突に、ゼフは言った。


「オレ、見てた。玄関の影から。……何も、できなかった」


 その声には、薄い膜みたいなものが張ってある。

 触れたら破れそうで、破れたら中身が全部溢れ出しそうで。


「だからな」


 ゼフは、俺のほうを見ずに続けた。


「せめてお前だけは、あのときのオレと同じ顔させたくなかった。……それだけ」


 アルセリア像の影が、二人分、伸びて重なる。


 俺は、それ以上何も言えなかった。

 言ったところで、何をどう言えば正解なのか分からない。


 ただ一つ分かったのは。


 ゼフもまた、この国に六年前から続いている「何か」を、ずっと押し込めてきた一人だということだ。


 教室の空気は、妙にざわついていた。


「なあなあ聞いたか? 隣のクラスのヤツの親父さん、昨夜──」


「やめろよ。誰に聞かれてんのか分かんねえだろ」


 小声で交わされる噂話。

 途中でブツリと切れる会話。


 廊下の向こうから、誰かが笑い声を上げる。

 その笑い声の直後、周りの空気が一瞬で凍る。


 先生が教室に入ってくると、ざわめきが一気に収まった。


「席に着きなさい」


 担任の声は、いつもより少しだけ早口だ。


「昨日の愛国テストの結果を返却します」


 プリントの束が配られていく。


 俺の手元にも、一枚の紙が置かれた。


 赤ペンで、百点の丸。

 端には、小さく「よくできました」と書かれている。


 視界の隅で、ゼフが自分の点数を見て「おー」と小さく声を漏らした。


 教壇の前に立った先生が、黒板の上のマサト王の写真を指さす。


「皆さん。昨日のテストは、単なる点数だけでなく、王国の一員としての自覚を──」


 言葉が、一瞬だけ詰まった。


 教室の空気が、わずかに揺れる。


 先生は、すぐにいつもの調子を取り戻した。


「──再確認するためのものです。どのような状況にあっても、皆さんは冷静に、理性的に行動しなければなりません」


 「どのような状況にあっても」。


 その一言に、教室中の視線が、ほんの少しだけ鋭くなる。


 父さんが連れていかれたのは、「どのような状況」の一つなのか。

 そう考えた瞬間、喉の奥に熱が溜まる。


 机の下で、手に力が入った。


 鉛筆が、小さく軋む音を立てる。


「なお、本日のホームルーム終了後、希望者には新型神経安定剤の配布があります。保護者の皆さんにも、昨日から配布が始まっていますね」


 先生は、黒板に大きく『安定』と書き、丸で囲った。


「不安を感じるときこそ、国の制度を信じてください。感情は、時に判断を誤らせます」


 その言葉に、クラスの数人がうなずく。


 俺は、うなずけなかった。


 判断を誤らせる「感情」が、今の自分を突き動かしているのだとしたら。

 それを全部削り取った先に残るのは、本当に「正しい判断」なのか。


 それとも、何も感じないただの空洞か。


 答えは出ない。


 それでも、胸のヒビは、確実に広がり始めていた。


 そのころ、首都ラーヴェンの中心、中央タワーの最上階では。


「隣国侵攻計画、フェーズ2へ移行します」


 軍の会議室に、若い男の声が響いていた。


 会議室の壁一面には、巨大な地図が貼られている。

 シンセシア王国と、その周囲を取り巻く国々。

 国境線のいくつかには、赤いピンが刺さっていた。


 会議机の上には、資料の束と、淡く光る端末。


 その一番奥に座っている男──国王マサトが、ペン先で机を軽く叩く。


「タワー出力は?」


「現在、感情調整電波・第一層の出力は安定。第二層、第三層も誤差範囲です」


 モニターに映し出されたグラフが、なだらかな線を描いていた。


 マサトは、退屈そうに片目を細める。


「ふうん。じゃあ、もう少しだけ上げようか」


「しかし、これ以上の出力は市民の体調に──」


「問題が出たら、そのときに調整すればいい」


 マサトは、あっさりと言った。


「壊れるなら、それはその程度のものだったってことだろう?」


 会議室の空気が、一瞬だけ凍る。


 その沈黙を、白銀の髪の女が破った。


「陛下。隣国侵攻のスケジュールが前倒しになれば、我が軍の補給線にも影響が出ます」


 軍服に身を包んだ女──軍将校カリアが、冷静な声で言う。


「現地の地形が特殊で、長期戦になればなるほど不利になります。兵の疲弊も考慮すべきです」


「分かってるよ、カリア」


 マサトは、彼女に視線を向ける。


「だからこそ、短期で終わらせるんだ。そのために、ここまで準備してきただろ?」


 マサトは立ち上がり、壁の地図に近づく。

 赤いピンが刺さった都市の一つに、指先を滑らせる。


 彼の指が触れた瞬間、地図の紙の上に埋め込まれた極小センサーが反応し、隣の端末に情報が流れ込んだ。


「ここ。隣国の電波研究施設。表向きは民間機関。だけど、実際は──」


 マサトは、画面に映るデータを一瞥する。


「僕らと同じ、おもちゃで遊んでる」


 口元に、子どもみたいな笑みが浮かんだ。


「取られたら困るよね? だったら、先に奪う。単純な話だ」


 カリアは、その笑みを真っ直ぐに見つめ返す。


 彼女の故郷の名前が、赤いピンの少し離れた場所に、小さく記されていた。


「……了解しました。軍は命令どおり動きます」


「頼んだよ」


 マサトは軽く手を振り、会議室の空気が再び動き出す。


 その様子を、壁際に立つ別の影が、静かに見ていた。


 古狐獣人の女、ヴェロニカ。

 金色の瞳が、マサトと地図と、淡々と動く軍人たちを、まるで別の時代の劇でも見るように眺めている。


「ねえ、マサト」


 会議が一段落したタイミングで、ヴェロニカが囁いた。


「あなた、本当に楽しそうな顔をするわね。人の感情を削る仕組みを作っておいて、自分は一番、感情豊かなんだから」


「だって」


 マサトは笑う。


「僕が退屈したら、この国が終わるからね」


 窓の外、中央タワーから見下ろす首都ラーヴェン。

 感情調整電波は、今日も見えない波となって街を覆っている。


 その波の下で、一人の少年の胸だけが、ゆっくりと熱を帯び始めていることなど、まだ誰も知らない。


【リアクション】

0件


------------------------- エピソード3開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

消えた夜


【本文】

 父さんが連れていかれた夜から、三日が経った。


 家の中の空気は、時間が止まったままだった。


 食卓の椅子は、一つだけ空いたまま。

 冷蔵庫の中身は、確実に減っている。


 配給センターで、事情を説明すると、窓口の女の人は「そうでしたか」と笑顔で言った。


「ご安心ください。反政府活動の容疑で連行された方のうち、潔白が証明された方は、すぐにご家族のもとへ帰されます」


「証明されなかったら?」


 思わず聞いてしまった。


 女は、一瞬だけ笑顔を固まらせてから、マニュアル通りの言葉を返す。


「王国の制度を信じてください。きっと大丈夫ですよ」


 その「きっと」が、どこにも根拠を持たない音だと分かっていても。


 俺は、ただ配給券を受け取ることしかできなかった。


 学校。

 愛国テストの結果は、廊下の掲示板に貼り出されていた。


「お、ルカ、一位じゃん」


 ゼフが指を差して笑う。


「やめろ。目立つ」


「目立つのはもう手遅れだろ。先生、めっちゃ褒めてたぞ。『ルカ君は模範的な生徒です』って」


「それはそれで皮肉だな」


 模範的な生徒。

 国の歴史をよく理解し、国王の政策を正しく暗記し、テストで高得点を取る生徒。


 父さんが「反政府活動」の疑いで連行された、その三日後の話だ。


 ゼフは、周りの目を確認してから、小声で言った。


「で、家のほうは?」


「……何も」


「連絡は?」


「ない」


 短い言葉のやり取りが、妙に重たい。


「何かあったら言えよ。オレ、役に立つか分かんねーけど」


「お前がいてくれれば、それでいいよ」


 それは本音だった。


 誰にも言えないことを、言えないまま抱えているより。

 何も言えないままでも、隣に誰かがいるほうが、まだマシだ。


 チャイムが鳴り、ホームルームが始まる。


 先生は、いつものように出欠を取り、いつものように連絡事項を読み上げた。


「では、最後に一つ。六年前に起きた『民主化運動騒乱』について、来週の公民の授業で取り扱います。各自、教科書の該当ページを読んでくるように」


 教室の空気が、また少しだけ揺れた。


 六年前。


 ゼフが「何も言わないこと」を覚えた年。


 俺が天井のヒビに気づいた年。


 教科書の中では、それは「騒乱」と呼ばれている。

 国王暗殺未遂に端を発した、一部過激派による暴動。

 正当な王権を守るため、やむなく軍が武力鎮圧した事件。


 ページの余白には、綺麗に整理された年号と、被害者の人数だけが並んでいる。


 けれど、そのとき街で何が起きていたのか。

 どんな声が、どんな泣き声が、どんな叫びが飛び交っていたのか。


 それを知っている大人たちは、誰も口を開かない。


 まるで──そのときの記憶ごと、どこかに消えてしまったかのように。


 その夜。


 俺は、机の上に教科書を広げていた。


 電気スタンドの光が、薄い紙の上を照らす。


『第十二章 民主化運動騒乱』


 タイトルの下には、簡潔な説明文。


『六年前、一部過激派の扇動により、王都ラーヴェンを中心にデモ活動が発生した。これにより治安が悪化し、多くの市民生活が脅かされたため、国王はやむなく非常事態宣言を発令し、軍を投入。短期間で騒乱を収束させた』


 文章だけ見れば、スッキリとした「歴史」だ。


 でも、そこには何かが決定的に足りない気がした。


 ページの端を、指先で撫でる。


 紙の下に、別の言葉が隠れているような感覚。


 そのとき。


 窓ガラスが、かすかに震えた。


 遠くで雷が鳴ったかと思ったが、空は晴れている。

 代わりに、頭の奥で、微かなノイズのようなものが走った。


「……なんだ?」


 こめかみのあたりが、じんわりと重くなる。


 気のせいだろうか。

 それとも、ただの疲れか。


 そう思おうとした矢先だった。


 意識の中のどこか、普段は使われていない引き出しのような場所が、カチリと音を立てて開く感覚がした。


 目の前の教科書の文字が、急にぼやける。


 代わりに、まったく別の光景が頭の中に流れ込んできた。


 ──人、人、人。


 広場に、たくさんの人が集まっている。

 誰もが口を開き、何かを叫んでいる。


 プラカード。

 掲げられた手。

 泣きそうな顔。

 怒っている顔。


 そのど真ん中に、俺は立っていた。


 いや、「俺」らしい誰かが。


 手には、よく見慣れた指。

 少し小さい。今よりも。


『民主を返せ!』


 誰かが叫ぶ。

 それに合わせて、周りも声を上げる。


『記憶を返せ!』


 別の誰かの声。


 なのに、何を「返せ」と言っているのか、自分でも分からない。


 ただ、その言葉が、自分の喉からも勝手に飛び出していた。


『返せ!』


 空気が震える。

 心臓が早鐘を打つ。


 そのとき。


 視界の端で、何かが光った。


 銃口の反射。

 黒い車列。

 整然と並ぶ軍服。


『解散しろ! ここは違法集会だ!』


 拡声器の声が響く。


 誰かが投げた石が、兵士の盾に当たって跳ね返る。

 その瞬間、世界が一気に音で満たされた。


 破裂音。

 悲鳴。

 怒号。


 誰かが目の前で倒れる。

 地面に、鮮やかな赤が広がる。


『なんで──』


 声にならない問いが、喉に詰まる。


 そのとき。


 頭の中に、別の「音」が割り込んできた。


 耳ではなく、脳に直接響くような、低い唸り。

 ラジオのチューニングがずれたときのノイズが、千倍になったみたいな、不快な波。


 世界の色が、一瞬で褪せていく。


 なにこれ。

 なにが起きて──


 怒りが、恐怖が、悲しみが。

 胸の中から、まるごと削り取られていく。


 さっきまで叫んでいたはずの喉が、急に動かなくなる。


 目の前で、誰かが倒れた。


 でも、それを見ても、何も感じない自分がいる。


 おかしい。

 おかしいのに、「おかしい」と思う感情すら、どこかへ連れていかれる。


 何かを必死に掴もうとして、空を掻く。


 指先からも、何かが抜け落ちていく。


『……』


 口が動かない。

 声が出ない。


 視界の端で、誰かが空を見上げていた。


 遠くに見える、中央タワー。

 そのてっぺんから、見えない何かが街全体に降り注いでいる。


 あれだ、と直感した。


 あれが、俺たちから何かを奪っている。


 そう思った瞬間。


 世界が、ブツリと途切れた。


「っ──!」


 息を吸う音で、現実に引き戻された。


 机の上には、開きっぱなしの教科書。

 電気スタンドの明かり。

 自分の荒い呼吸。


 額には、じっとりと汗がにじんでいた。


「今の、何だ……?」


 夢にしては、あまりにも生々しい。


 胸の奥に残っているのは、さっきまで見ていた光景が「初めて」ではないという感覚だった。


 六年前。

 俺は、あの場にいたのか?


 そんなはずはない。


 だって、六年前の自分の記憶は──


 そこで、思考が途切れた。


 六年前。

 何をしていた?


 学校? 家? 友達?

 どんな匂いで、どんな音で、どんな景色で。


 何も、出てこなかった。


 まるで、その一年だけ、記憶の本からページが一枚、丸ごと破り取られたみたいに。


「……おかしいだろ」


 思わず呟いた。


 子どもの頃の記憶なんて、曖昧なものだ。

 でも、「何もない」というのは、曖昧ですらない。


 その瞬間、頭の奥で、さっきと同じノイズがまた走った。


 ただ、さっきより少しだけ弱い。


「……電波?」


 思わず、口に出た言葉。


 ニュースで何度も聞いたことのあるフレーズが、頭の中で繋がる。


 感情調整電波。

 第一層、第二層、第三層。


 特に、第三層──『特定の記憶の改竄』。


 でも、それは「一部危険分子」にしか照射されない、はずだ。


 そう教えられてきた。


 胸が、嫌な予感で締め付けられる。


 もし、あれが。


 六年前、街ごとに照射されていたとしたら。


 もし、あのときのデモに参加していた全員の、「あの瞬間だけ」が消されていたとしたら。


 父さんは。


 ゼフは。


 そして、俺は。


 何を忘れさせられた?


 部屋の空気が、急に薄く感じられた。


 窓を開ける。


 夜風が流れ込んでくる。

 遠くから、中央タワーの光が見えた。


 針のような尖塔。

 その先端から、見えない波が広がっている──そんな気がしてならない。


「……父さん」


 名前を呼ぶ。


 返事は返ってこない。


 でも、六年前のあの光景の中に、父さんの姿がいなかったかどうか。

 それを確かめずにはいられなかった。


 俺は、机の引き出しからノートを取り出した。


 表紙に、大きく書く。


『消えたもの』


 ページを開き、ペンを走らせる。


・父さん

・ガルツという名前

・六年前の記憶

・民主化運動騒乱(教科書の外側)

・タワーから出ている「何か」


 書きながら、自分でもその馬鹿馬鹿しさに気づいている。


 でも、書かなければ、本当に全部消えてしまう気がした。


 ペン先が止まる。


 最後に、一行だけ、勢いで書き足した。


・この国の「普通」


 書き終えた瞬間、胸の中の何かが、カチリと音を立てて噛み合った気がした。


 まだ何も分からない。

 分からないことだらけだ。


 でも。


 「何かがおかしい」と思う感情だけは、まだ自分の中に残っている。


 それだけは、電波にも薬にも渡さない。


 そう決めた夜だった。


【リアクション】

0件


------------------------- エピソード4開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

ミラの地図


【本文】

 四日目の朝も、父さんの椅子は空いたままだった。


 人は、案外すぐに「ないこと」に慣れるらしい。

 空いた椅子を見ても、昨日ほど胸は痛まない。

 代わりに、その違和感が、どこか別の場所に沈殿していく。


 安定剤の錠剤は、相変わらずテーブルの上に二つ置かれている。

 一つは、俺の分。

 もう一つは、飲まれなかったままの分。


 俺は二つとも掌に乗せて、しばらく見比べた。


 同じ形。同じ色。同じ匂い。

 でも、一つは「もう飲まれることがない」。


 そんな当たり前の区別に、妙に引っかかってしまう自分がいる。


「……行ってきます」


 今日も返事はない。


 学校に着くと、教室の空気は、いつも以上に重たかった。


 廊下の掲示板には、また新しい紙が貼られている。


『反政府活動に関する噂や憶測を口にしないようにしましょう』

『不安を感じたときは、安定剤の服用を忘れずに』


 太い文字と、にこやかなイラスト。

 それが「注意喚起」なのか「脅し」なのか、一瞬で判別できる人間は、このクラスにはいない。


 ゼフが、俺の横で小声を漏らした。


「……ああいうの、増えたよな」


「うん」


 それだけで会話は終わる。


 不用意な言葉は、今のこの国では「武器」じゃなくて「爆弾」だ。

 どこに誰がいるか分からない室内で投げれば、真っ先に吹き飛ぶのは自分かもしれない。


 席に着こうとしたとき、視界の端で、俯いている女子の姿が目に入った。


 栗色の髪を一本に結び、教科書を盾みたいに抱えている。

 俯いたまま、教室の床の一点を見つめていた。


 ミラだ。


 いつもなら、授業が始まる前にノートやペンを机に並べているはずなのに。

 今日は、鞄から何一つ出していない。


 その指先が、教科書のカドを、同じリズムでトントンと叩いている。


 心拍と、少しだけズレたリズム。

 不安を紛らわせようとしているときの癖だ。


 俺は、自分の席に鞄を置いてから、ふと足を止めた。


「……ミラ」


 声をかけると、彼女の肩が小さく跳ねる。


 顔を上げたミラの目は、いつもより少し赤かった。


「なに?」


 声はいつも通り、淡々としている。


 でも、目の下のクマと、指の動きと、視線の泳ぎ方が「いつも通り」じゃないことを、俺は知っている。


「体調、悪い?」


「別に」


 即答。


 嘘だ。


 でも、追及したところで、余計に口を閉ざされるだけだろう。


 そう思って、言葉を飲み込んだとき。


「ルカ」


 ミラのほうから、俺の名前が呼ばれた。


「放課後、時間ある?」


「あるけど」


「じゃあ……裏庭に来て。ちょっと、見せたいものがある」


 言い終えると、ミラはまた俯いた。


 その指先は、さっきより速いリズムで教科書を叩いていた。


 放課後の裏庭は、人がほとんどいなかった。


 枯れかけた木と、少し剥がれたコンクリート。

 ここだけ時間が取り残されたみたいな一角。


 ミラは、透明なフェンスの影に立っていた。


 手に、折りたたまれた紙の束を持っている。


「来た」


 俺を見ると、ミラはほんのわずかに頷いた。


 目は、相変わらず俯きがちだ。

 けれど、その指先だけが妙に落ち着いている。


「ゼフは?」


「今日は、用事があるって」


 本当かどうかは分からない。

 でも、ミラは「二人きり」を選んだ。


 その事実だけで、なんとなく察せるものがある。


「で、見せたいものって?」


 そう聞くと、ミラは紙の束を慎重に開いた。


 出てきたのは、一枚の地図。


 市販の観光地図を元にしたものだが、上からびっしりと書き込みがされている。

 赤い丸。青いバツ印。日付。名前。


「……なにこれ」


「消えた人の地図」


 ミラは、感情の起伏を表に出さない声で言った。


「ここ一年で、『転勤』『引っ越し』『親戚の家に預けられた』って理由で、突然いなくなった人たちの場所」


 その言葉に、首筋がひやりとした。


「そんなの、どうやって──」


「噂。近所の人の話。掲示板。配給センターの職員の独り言。……いくらでもあるよ」


 ミラの指が、地図の上を滑る。

 赤い丸を、ひとつずつなぞっていく。


「最初は、ただの『変な趣味』だった」


 俯いたまま、ミラは続ける。


「二年前に、母がいなくなったから」


 その言葉が出てくるまでに、少しだけ間があった。


「母さんは、『地方の病院に転院した』ってことになってる。でも、その病院は地図のどこにも載ってない」


 指が、地図の端を軽く叩く。


「だから、探し始めた。どこかに、同じものを見た人がいるんじゃないかって」


 地図の上の赤い丸が、じっとりとした意味を帯びてくる。


「で、気づいたんだ」


 ミラは、赤い丸のいくつかをペン先で囲んだ。


「これ。全部、『第七施設』の近くから消えた人たち」


 地図の端に、小さく『廃工場区域』と印刷された場所がある。

 その真ん中に、手書きで『第七施設』と書かれていた。


「第七施設って、教科書に載ってる軍の保管庫?」


「表向きは」


 淡々とした返事。


「でも、母さんが消える前に、配給センターの人がうっかり言ったの。『あの人も、七番に行っちゃうのかな』って」


 その一言を、ミラは二年間、頭の中で転がし続けてきたのだろう。


「ルカ」


 ミラが、初めて真正面から俺を見た。


 黒目がちの瞳。

 そこに、二年間分の疲労と、焦りと、消えない疑問が詰まっていた。


「この地図、誰にも見せたことなかった」


「なんで、俺に?」


「分からない」


 ミラは、少しだけ視線を逸らした。


「でも……」


 教科書のカドをトントンと叩く癖が、今日は紙の端をトントンと叩いている。


「最近のルカ、前と違う。ちゃんと、周りを見てる顔してるから」


 胸の奥で、何かがチクリと刺さった。


 「前」は、どうだった?


 見ないふりをして、聞かないふりをして、考えないふりをして。

 それを「普通」と呼んでいた。


 今は、見ることをやめられない。


 父さんの空いた椅子。

 ゼフの飲み込んだ言葉。

 掲示板の「噂を口にするな」という紙。

 そして、この地図。


「父さんも、工場の同僚が一人いなくなったって言いかけた」


 自分でも驚くほど、素直に言葉が出た。


「名前は、ガルツ」


 ミラの目が、わずかに見開かれる。


「……その名前、知ってる」


「え?」


「ここ」


 ミラは、地図の端をめくった。


 裏側には、びっしりと名前のリストが書かれている。

 その中に、『ガルツ(工場労働者・六年前の民主化運動参加者の噂)』と、走り書きがあった。


「六年前のデモにいたって。近所のおばあさんが言ってた」


 六年前。

 民主化運動騒乱。


 頭の奥で、あのノイズがまた鳴りかける。


 俺は思わず、こめかみを押さえた。


「ルカ?」


「……なんでもない」


 ミラは、それ以上は聞かなかった。


 代わりに、地図を畳んで俺に差し出す。


「これ、預かって」


「いいのか?」


「ずっと一人で見てたら、頭がおかしくなる」


 乾いた冗談みたいな言い方だった。


「それに、もし私が──」


 そこで、ミラは口をつぐんだ。


 「もし私が消えたら」、と続けるつもりだったことは、言われなくても分かった。


「そのとき、これを見つけてくれる人が、もう一人いたほうがいい」


 紙は、思ったより重かった。


 単なるインクと紙の重さじゃない。

 二年間、一人で積み上げた「消えた人たち」の重さだ。


「……分かった。預かる」


 俺がそう言うと、ミラはほっとしたように目を閉じた。


「ありがと」


 その一言には、余計な装飾が何もなかった。


 その夜。


 俺は、机の上に「消えたもの」のノートと、ミラの「消えた人の地図」を並べた。


 ノートには、相変わらず拙い字で『父さん』『ガルツ』『六年前の記憶』『タワー』と書かれている。


 その隣に、地図の赤い丸が広がっていた。


 点と点。

 線と線。


 俺は、ペンを手に取り、ノートの新しいページを開く。


『ミラの母』

『第七施設』

『ガルツ』

『父さん』

『六年前のデモ』


 書きながら、頭の中で一本の糸が伸びていくのを感じた。


 まだ、細くて頼りない。

 でも、確かにどこかへ繋がっている。


 窓の外には、中央タワーの光。


 あの光の下で、どれだけの「消えたもの」が積み上がっているのか。

 今の俺には想像もつかない。


 でも。


 想像しないまま、また「普通」に戻ることだけは、もうできそうになかった。


 ペン先が、紙の端に小さな点を打つ。


 その点は、やがて俺たちを、誰も知らない場所へと連れていく。

 まだ、そのことを知るのは早すぎるけれど。


【リアクション】

0件


------------------------- エピソード5開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

セオという男


【本文】

 ミラから地図を預かった翌日、空は珍しくよく晴れていた。


 晴れの日の青空は、本来なら少しだけ気分を軽くしてくれるはずだ。

 でも今の俺には、ただの「背景」にしか見えない。


 父さんの椅子は、今日も空いたまま。

 テーブルの上には、錠剤が二つ。


「……行ってきます」


 返事のない玄関に向かって声をかけるのにも、そろそろ慣れてきてしまった。

 慣れたくなんてなかったのに。


 昼休み。

 教室のざわめきから少し離れたくて、俺は屋上へ続く階段の踊り場に座っていた。


 弁当箱の中身をつつきながら、鞄の中の「地図」の存在を意識する。


 紙は、そこにあるだけで妙な重さを放っている。

 持ち主が二年間かけて詰め込んだ「何か」が、まだ抜けきっていない。


「一人で食ってんの、珍しいな」


 頭上から声がした。


 顔を上げると、ゼフが階段の上の段に腰を下ろそうとしている。


「たまには静かなのもいいだろ」


「まあな」


 ゼフは、俺の二段上に座った。

 いつものように、無遠慮に隣に来ないあたり、空気は読んでいる。


「ミラは?」


「図書室。調べもの」


「真面目だなー」


「真面目っていうか、必死っていうか」


 言った途端、自分でもその言葉の重さに気づいた。


 ゼフは、しばらく黙っていた。


「ルカ」


「ん?」


「なんかさ。お前、前より『見てる』よな」


 唐突な一言。


「前はもっと、ボーッとしてたっていうか。良い意味で鈍感だったのに」


「それ、褒めてる?」


「多分な」


 ゼフは、ポリポリとパンの耳をかじりながら続ける。


「オレさ、あの日──おっちゃんが連れていかれたとき、お前が暴れたの見て、正直ホッとしたんだよ」


「なんで」


「だって、『何も感じてない』顔したらヤバいじゃん。そっちのほうが怖い」


 言われてみれば、確かにそうかもしれない。


 感じること自体は、まだ正常だ。

 問題は、その感情をどう扱うかだ。


 そのとき。


「やあ、君たち」


 階段の下から、聞き慣れない声がした。


 振り向くと、そこに一人の男が立っていた。


 三十代くらい。

 白衣の裾を雑に折り曲げ、その上からよれたジャケットを羽織っている。

 髪は少し伸びかけで、無精髭も薄く残っていた。


 でも、目だけは妙に冴えている。


「昼休みを階段で過ごす高校生、っていうのは、だいたい二パターンに分かれるんだ」


 男は、勝手に階段を上がりながら言った。


「一つは、ただのサボり魔。もう一つは、教室の空気に耐えられない賢い子たち」


「どっちですかねえ、ルカ君」


 ゼフが、露骨に警戒しながら俺を見る。


「誰ですか、あんた」


「自己紹介がまだだったね」


 男は、俺たちから一段下に腰を下ろした。

 ポケットから、折れかけた身分証を取り出す。


「セオ。いちおう、この国の『元・真面目な研究者』だよ」


「元、って」


「今は、フリーの──そうだな、『好奇心に忠実な大人』ってことにしておこうか」


 セオは、こちらを見上げて笑った。


 笑っているのに、その目だけは笑っていない。

 観察眼というより、本能的にそう感じた。


「で、その『元真面目な研究者』が、なんで高校の階段にいるんです?」


 ゼフが先に口を開いた。

 口調は軽いが、足はいつでも立ち上がれるように力が入っている。


「いい質問だ。君、授業中はもう少し口を慎んだほうがいいタイプだろうね」


「余計なお世話」


「まあまあ」


 セオは、ポケットから一枚の紙を取り出した。


 そこには、簡単な図が描かれている。

 中央タワーのシルエットと、その周囲に広がる同心円。

 そして、『第一層』『第二層』『第三層』という文字。


 感情調整電波。


 ニュースや教科書で見た図より、ずっと生々しく、雑に描かれていた。


「これ、見たことある?」


 セオの問いに、俺の喉がひくりと動いた。


「教科書なら」


「そう。教科書には、だいたい『第一層』までしか載ってないんだよね。せいぜい、『人々の不安を和らげる安心の電波』っていう、聞き心地のいい説明つきで」


 セオは、人差し指で紙の『第三層』を軽く叩いた。


「でも、君はさ。きっと、もう少し先まで見ちゃってる側だと思うんだ」


 心臓が、一拍、変な跳ね方をした。


「なに、言って──」


「六年前のこととか」


 その一言で、完全に呼吸が止まった。


 セオは、俺の目をまっすぐ見ていた。


「君、最近『変な夢』を見るようになってない?」


 夢、という表現が正しいかは分からない。


 でも、あの「デモの光景」を思い出したときの感覚を、他にどう形容すればいいのかも分からない。


「……何者なんですか、あんた」


 やっとのことで、言葉を絞り出した。


「ただの、大人だよ」


 セオは、あっさりと答える。


「六年前に、少しだけ『本当の仕事』をして、たくさん逃げて、今は逃げ足を止めるかどうか迷ってる大人」


 言っていることは軽いのに、その口調には重さがあった。


「本題に入ろうか」


 セオは紙を畳み、ジャケットのポケットにしまった。


「君たちに、二つ頼みがある」


「頼み?」


「一つは、情報を集めてほしい。君たちの身の回りで、『最近いなくなった人』の話を集めてきて」


 ミラの地図が、鞄の中で重くなるのを感じた。


「もう一つは──」


 セオは、少しだけ声を潜めた。


「怖がるな、ってことだ」


「……は?」


「怖がるな、っていうのは、『何も感じるな』って意味じゃない」


 セオは、階段の上の小さな窓から見える空に、一瞬だけ視線を投げた。


「君たちの感情は、本物だよ。怒りも、悲しみも、違和感も。たとえ、あのタワーが全部を削り取ろうとしても」


 その言葉は、どこかで聞いたフレーズと重なった。


『あなたの感情は本物です。でも、疑う感情だけが削られてた』


 まだ出会っていない誰か──ノアの言葉が、遠い未来からこだまするみたいに。


「ただし」


 セオは、表情を引き締めた。


「怖がると、人間は『考える』のをやめる。考えるのをやめたら、あっちの思うツボだ」


「あっち、って」


「中央タワーにいる『誰か』たち」


 マサト。

 カリア。

 ヴェロニカ。


 会ったこともない顔が、頭の中でぼんやりと輪郭を持ち始める。


「で、なんでオレたちなんだよ」


 ゼフが、とうとう我慢できなくなったように口を挟んだ。


「もっと大人とか、いるだろ」


「いるよ」


 セオは、あっさり認めた。


「でも、大人たちの大半は、もう『ノイズの入ったラジオ』みたいになってる。君らの親世代は特にね」


 父さんの、あの一瞬だけ揺れた目が頭に浮かぶ。


「君たちは、まだチューニングをやり直せる」


 セオは、俺に視線を戻した。


「それに、君は──」


 そこで一瞬、言葉を探すように間を置く。


「人の表情を見るのが、上手いだろ」


 心臓が、嫌な意味で見透かされた気がした。


「……なんで、そう思う」


「君の視線の動き方を見てたら、だいたい分かる。人は、自分が一番よく使う感覚に、無意識に情報を集めるから」


 セオは、自分のこめかみを指で軽く叩いた。


「こっち側の世界を見てしまったやつは、だいたい二種類に分かれるんだ。全部忘れようとするやつと、忘れられなくて動き出すやつ」


「どっちがマシなんだよ」


「さあね」


 セオは笑った。


「でも、君はもう前者には戻れない気がするよ」


 図星だった。


 「何も考えない」ことに戻るには、あまりにも多くを見過ぎてしまった。


「もし、もっと知りたいと思ったら」


 セオは、ポケットから小さなメモを一枚取り出した。


 そこには、街外れの古いビルの住所が書かれている。


「ここに来なさい。……もちろん、来なくてもいい」


 メモを渡されたとき、その紙もまた妙な重さを持っている気がした。


「君たちが来るかどうかは、君たちの『感情』と『判断』に任せる」


 セオは立ち上がった。


「それが、僕の逃げ道の一つでもあるからね」


 そう言って、彼は階段を降りていく。


 背中を見送りながら、ゼフが小さく呟いた。


「なんか、ヤバい人だったな」


「うん」


「でも、ルカ。……オレ、ああいうの、嫌いじゃない」


 ゼフの横顔は、いつもより少しだけ真剣だった。


 その夜。


 机の上には、「消えたもの」のノートと、「消えた人の地図」と、「セオのメモ」が並んでいた。


 ページの隅に、俺は小さく書き足す。


『セオという男──元・政府の科学者?』


 疑問符は、当分のあいだ消えないだろう。


 でも、その名前は確かに、新しいページの一行目を飾っていた。


【リアクション】

0件


------------------------- エピソード6開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

市民たちの夜


【本文】

 その日の夜。

 街は、いつも通りの灯りに包まれていた。


 ネオン看板。

 居酒屋の提灯。

 病院の白い窓。

 高層マンションの点々とした明かり。


 ──ただし、その「いつも通り」は、誰の目にも少しずつ歪み始めていた。


 居酒屋「青い狐」のカウンター席。


 テレビから流れるニュースを、誰も真剣には見ていなかった。


『本日も、目立った事件はなく、治安は安定しています』


 その言葉に、カウンターの中にいる店主が、鼻で笑う。


「目立った事件、ねえ」


 常連の中年男が、煮込みをつつきながら言った。


「おっちゃん、昨日も誰か連れてかれたって言ってなかった?」


「言ったな」


 店主は、グラスを拭きながら答える。


「三軒隣の八百屋の兄ちゃんだ。『親戚の手伝いに行く』って話になってる」


「へえ。便利な親戚だこと」


 別の客が、皮肉っぽく笑う。


「お前ら、聞こえないように言えよ」


 カウンターの端で、スーツ姿の男が低く言った。


「誰がどこで聞いてるか分かんねえだろ」


「はいはい、分かってるよ、官僚様」


 店主は、わざとらしく敬礼してみせる。


 スーツの男は、グラスを一口飲んでから、小さくため息をついた。


「……新型の安定剤、うちの部署にも来たよ」


「本物か?」


「さあな。前のと何が違うのか、説明を読んでもよく分からん」


 男は、ポケットから小さな錠剤を取り出してテーブルに置いた。


 透明なカプセルの中に、細かい粒が詰まっている。


「飲んだのか?」


「一応な」


「効いた?」


「分からん」


 男は、苦笑した。


「ただ、こうして酒を飲んでると、あんまり変わってない気もするな」


「それは、酒のせいだろ」


 店内に、疲れた笑いが広がる。


 笑い声の奥で、誰かの喉が一瞬だけ上下する。

 不安を飲み込むように。


 店の隅のテーブル席。

 そこに座る老女は、グラスの水を前に、錠剤を指で転がしていた。


「飲まないのかい、婆さん」


 店主が声をかける。


「忘れてただけさ」


 老女は、皺だらけの指で錠剤を摘み上げた。


 光に透かす。


 目は、妙に澄んでいた。


「前は、よく忘れてたよ。あんたの店に来るときは特にね」


「そうかい」


「でもね」


 老女は、ぽつりと続けた。


「最近は、敢えて忘れるようにしてる」


 店主の手が止まる。


「なんでだ」


「飲まないとね、いろいろ思い出すんだよ」


 老女は、テレビのほうを見もせずに言った。


「忘れてたほうが楽なことも、多いんだけどね」


 錠剤が、皿の上にコトリと落ちる。


 老女の目には、わずかに光が戻っていた。


 夜の病院。


 白い廊下には、人の気配が薄い。

 ナースステーションの明かりだけが、ぽつんと灯っている。


「夜勤、お疲れさまです」


 若い看護師が、カウンターに紙の束を置いた。


「例のアンケート、回収してきました」


「ありがと」


 先輩看護師が、書類をめくる。


『新型神経安定剤服用後の体調変化について』


 問診票には、「特に変化なし」「よく眠れるようになった」という丸が多かった。


 その中に、一枚だけ違う回答が混じっている。


『ときどき、昔のことを思い出すようになった』


 備考欄には、震える字でこう書かれていた。


『六年前のことを、少しずつ』


「……これ、誰?」


 先輩看護師が尋ねる。


「三階の、あの人です。工場で怪我したって」


「ガルツさん?」


「たぶん」


 名前を口にした瞬間、廊下の先の病室から、小さな歌声が聞こえた。


 古い労働歌。

 今では誰も歌わなくなったはずの歌。


 途切れ途切れのメロディーが、白い壁に染み込んでいく。


「ねえ」


 若い看護師が、声を潜めた。


「六年前って、そんなにひどいことがあったのかな」


「教科書くらいでしか知らないけど」


 先輩は、苦笑いした。


「でも、うちの親は何も言わないんだよね。聞いても、『別に』って」


「うちも」


 二人は、一瞬だけ顔を見合わせる。


「……変だよね」


「変だけど」


 先輩は、アンケート用紙をクリアファイルにしまった。


「変って口に出すと、もっと変なことになりそうだから」


 ナースステーションの端には、小さなプラスチック容器。

 新型安定剤が、ぎっしりと詰まっている。


 蓋には、『勤務前・勤務後に一錠』とマジックで書かれていた。


 若い看護師は、その容器をしばらく見つめてから、そっと蓋を閉めた。


 夜の街角。


 自動販売機の明かりの下で、一人の少年が立っていた。


 制服の胸ポケットには、しわくちゃになった紙切れ。

 セオからもらったメモ。


 ビルの住所が書かれている。


「……ここか」


 見上げると、そこにあるのは、ただの古びた雑居ビルだ。


 一階には、営業しているのかどうか分からない古本屋。

 二階以上は、明かりがまばらにしか灯っていない。


 ルカは、喉を鳴らした。


 怖い。

 正直、怖い。


 このドアを開けて階段を上がれば、もう「普通の高校生」には戻れない気がする。


 けれど、父さんの空いた椅子と、ミラの地図と、ゼフの叫びと。

 それらを全部抱えたまま、「何もしない」を選ぶほうが、今はもっと怖かった。


 足が、一歩前に出る。


 そのとき。


「おい」


 背中から、声がした。


 振り向くと、ゼフが立っていた。


「なんでお前、そういうとき一人で来んだよ」


 息を少し切らしながら、ゼフは言う。


「尾行とか、バレないようにやれよな。途中から筒抜けだったぞ」


 驚きと呆れの入り混じった声。


「……来なくてよかったのに」


「バーカ」


 ゼフは、短く吐き捨てる。


「お前一人でヤバいところに行かせたら、あとでオレが後悔するだろ」


 その言葉には、照れ隠し以上の何かがあった。


「それに」


 ゼフは、古びたビルを見上げる。


「ああいう怪しい大人のところはな、二人で行ったほうが、ツッコミ役がいて安心なんだよ」


「お前がツッコミかよ」


「うるせー」


 二人のやり取りは、一見するといつもの調子だ。


 でも、その足取りは、いつもより慎重だった。


 古本屋の横を通り抜け、階段を上がる。

 コンクリートの壁には、古いポスターがいくつも貼られて剥がれかけている。


 二階、三階。

 メモに書かれていたのは、四階の一室。


 ドアの前には、「テナント募集」という古い札が掛かっていた。


「ほんとにここか?」


「多分」


 ルカがノックしようとしたとき、中から声がした。


「開いてるよー」


 拍子抜けするくらいの気楽な声。


 ドアを開けると、そこには――


 雑然とした部屋。

 壁一面に貼られた地図。

 山積みの資料。

 安物のソファ。

 その真ん中に、缶コーヒーを片手にしたセオがいた。


「やあ、よく来たね」


 セオは、カン、と缶を軽く上げてみせる。


「二人揃って来るとは、ちょっと嬉しい誤算だ」


 ゼフは、部屋を一瞥してからぼそっと言った。


「……マジで怪しい部屋だな」


「だろ?」


 セオは、あっさり認める。


「でも、怪しい場所じゃないと、こういう話はできないんだよ」


 壁の地図には、赤い線がいくつも引かれていた。

 中央タワーから放射状に伸びる線。

 『第七施設』『感情調整電波照射範囲』『六年前のデモ地点』と書かれた文字。


 ルカの「消えたもの」のノートと、ミラの「消えた人の地図」が、頭の中で重なっていく。


「ようこそ」


 セオは、二人に向き直った。


「ここが、君たちの『普通』が壊れたあとの、最初の部屋だ」


 その言葉を聞いた瞬間。


 ルカの中で、何かが静かに決まった。


 もう戻れないなら、せめて前に進む。

 その先で、自分の目で、この国の「普通」がどうできているのか確かめる。


 それが、この夜に踏み出した、小さな一歩の意味だった。


【リアクション】

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------------------------- エピソード7開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

ニアの照準


【本文】

 セオの部屋に来てから、一週間が経った。


 毎晩のように集まる俺たち四人──ルカ、ゼフ、ミラ、そしてセオ。


 机の上には、地図とノートと、切り抜いた新聞記事が山積みだ。


「第七施設の警備は、昼夜逆転型だ」


 セオが、壁の地図に赤いピンを刺しながら言う。


「夜が最も手薄になるのは、明後日の午前二時。交代要員の到着が遅れるシフトだ」


 ミラが、リストから名前を一つ消し線を引く。


「このルートなら、裏口から侵入可能」


 ゼフは、懐中電灯の電池をチェックしながらぼそっと。


「マジでスパイ映画じゃん……」


 俺は、ただ黙って聞いていた。


 聞いているようで、頭の半分は別のことを考えている。


 父さんの空いた椅子。

 六年前のノイズ。

 中央タワーの光。


 それらが一本の線で繋がる日が、すぐそこまで来ている気がした。


 ──その同じ夜。


 ラーヴェン郊外の闇の中、一人の少女が動いていた。


 黒いフード付きのパーカー。

 手には、小型スコープ付きのクロスボウ。


 ニア。


 政府の精鋭実働部隊の一員。

 ハクアの部下として、数え切れない任務をこなしてきた。


 今夜の標的は、革命組織の連絡員。

 セオの「アジト」から半キロ離れた、物資運搬トラックの運転手だ。


 屋根の上に身を潜め、スコープを覗く。


 視界に、男の後ろ姿が入る。


 呼吸のリズム。

 足音の間隔。

 首の傾き。


 空間認知異能が、全てを数値化する。


 距離:47.3メートル。

 風速:東へ2.1m/s。

 男の歩幅:68cm。

 次の足運びまで:1.8秒。


 クロスボウの弦を静かに引く。

 照準を、男のふくらはぎに合わせる。


 指に力が入る。


 シュッ。


 矢は、闇の中を一直線に飛んだ。


 男が「ぐっ」と小さく声を上げて倒れる。

 麻痺毒付きの矢。

 30分間の完全行動不能。


 任務完了。


 ニアは、スコープから目を離して小さく息を吐く。


 無線に手をやる。


「目標制圧。情報漏洩の可能性、低」


 ハクアの声が、即座に返ってくる。


「了解。撤収しろ」


「はい」


 短いやり取り。


 無線を切ると同時に、ニアは立ち上がる。


 次の屋根へ飛び移る。

 闇に溶け込む。


 完璧な任務遂行。


 けれど。


 屋根の端で一瞬だけ足を止めた。


 視界の端に、さっきの男が倒れた場所が見えた。


 動かない体。

 月明かりに照らされた、苦痛に歪んだ顔。


「……見てた?」


 無線越しに、ハクアの声が聞こえた気がした。


 いや、実際に聞こえた。


「見てたよ、ニア。完璧だった」


 その一言で、心臓の鼓動が整う。


 見ていてくれる。

 必要としてくれる。


 それだけでいい。


 それが、ニアにとっての「生きる」理由だった。


 次の屋根へ飛び移る瞬間。


 一瞬だけ、胸の奥に冷たい風が吹き抜けた。


 見ていてくれる誰かがいなくなったら。


 自分は、どうやって自分の存在を証明すればいいのか。


 その考えが、ほんの一瞬、頭をよぎる。


 すぐに、闇に飲み込まれた。


 同じ時刻、セオのアジト。


 俺たちは、まだ作戦会議の真っ最中だった。


「トラックの運転手が襲われたって情報が入った」


 セオが、急に顔を上げた。


「物資の到着が遅れる。明後日の潜入は、リスクが跳ね上がる」


「どうする?」


 ミラが、地図のピンを動かす。


「予定通り進めるか、中止か」


 セオは、一瞬だけ俺を見た。


「ルカ、どう思う?」


 突然の指名に、喉が詰まる。


 でも、口を開いた。


「進める」


 即答だった。


「運転手が襲われたってことは──」


 言葉を探しながら続ける。


「向こうも、俺たちの動きをある程度読んでるってことだろ」


「その通り」


「だったら、予定通りに動いて、向こうの出方を見る。罠かもしれないけど、見極められる」


 ゼフが、隣で小さく笑った。


「お前、いつからそんな頭キレるキャラになったんだよ」


「黙れ」


 セオは、ゆっくりとうなずいた。


「よし。予定通りだ」


 地図のピンを、元の位置に戻す。


 ニアの矢が刺さった運転手がいることを、この時点ではまだ誰も知らない。


 ただ一つ分かっていたのは。


 敵の動きが、すぐそこまで迫ってきているということだ。


【リアクション】

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------------------------- エピソード8開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

ノアの持ち込んだ真実


【本文】

 潜入当日。午前二時。


 第七施設の裏口。

 錆びた鉄扉の前に、四つの影が控えている。


 ルカ、ゼフ、ミラ、セオ。


 無線で息を合わせ、セオが扉の電子錠をハッキングする。


 カチリ。


 小さな音とともに、扉が開いた。


「よし、行くぞ」


 セオの指示で、一人ずつ中へ滑り込む。


 暗い通路。

 消毒液の匂い。

 遠くから聞こえる機械音。


 予定ルートを進み、エレベーターの前で全員が集合する。


「地下二階が目標。そこに『記録保管庫』があるはずだ」


 セオが、小声で囁く。


 エレベーターのボタンを押す。


 数字がゆっくりと降りていく。


 そのとき。


 通路の奥から、足音が聞こえてきた。


 規則正しい、ブーツの音。


 全員が一瞬で息を止める。


 影に身を潜め、息を殺す。


 角を曲がった先に現れたのは──


 白衣を着た女性だった。


 二十代後半くらい。

 長い黒髪を後ろでまとめ、表情は硬い。


 手に持ったIDカードを、エレベーターのスキャナーにかざす。


 ピッ。


 ドアが開く。


 女性は、中に入って階数ボタンを押す。


 ドアが閉まりかけた瞬間。


「待ってください!」


 セオの声が、無線越しに響いた。


 女性の動きが、一瞬だけ止まる。


 ドアの隙間から、セオが飛び出す。


「あなた──!」


 女性の目が見開かれる。


 次の瞬間。


 彼女は、素早くセオの腕を掴み、壁に叩きつけた。


「誰!?」


 鋭い声。


 異能の気配はない。

 ただの、訓練された動き。


 セオは、慌てて両手を上げる。


「落ち着いて! ノア!」


 その名前に、女性──ノアの手がピタリと止まる。


「どうして、私の名前を──」


「六年前の研究チームだよ。覚えててくれ!」


 セオの言葉に、ノアの目が揺れる。


 その隙に、俺たちはエレベーターに滑り込む。


「セオ!」


 ゼフが小声で呼ぶ。


「後で説明する! 先に潜入を!」


 セオは、ノアの手を振りほどいて俺たちに合流。


 エレベーターのドアが、静かに閉まる。


 ノアは、呆然とその場に立ち尽くしていた。


 地下二階。

 記録保管庫の扉の前。


 セオが、ハッキングツールでロックを解除する。


 中は、サーバーラックの林。

 青いLEDが、無機質に点滅している。


「時間がない。各自、データコピーを」


 指示が出る。


 俺は、指定された端末にUSBメモリを挿す。


 ファイルが、次々とコピーされていく。


 『感情調整電波・運用記録』

『被検体リスト』

『第三層照射履歴』


 画面に映る文字が、胸を締め付ける。


 そのとき。


 背後から、ドアが開く音。


 振り向くと、そこにノアが立っていた。


「あなたたち──」


 声が震えている。


 敵か味方か、一瞬も判断がつかない。


 ゼフが、咄嗟に前に出る。


「待て! 俺たちは──」


「黙って!」


 ノアは、鋭く遮る。


 手に持ったタブレット端末を、床に叩きつける。


 画面に、膨大なデータが映し出される。


「見て。これが、あなたたちの知りたかった『真実』だ」


 タブレットには、中央タワーの制御パネルが映っていた。


 三つの円グラフ。


 第一層:怒り・抵抗感・疑念の抑制。

 第二層:マサト王への親しみの誘発。

 第三層:特定の記憶の改竄。


「電波は、三層構造。都市全体に照射されてる」


 ノアの声は、抑えきれずに震えていた。


「第一層で『反抗心』を削ぎ、第二層で『忠誠心』を植え付け、第三層で『都合の悪い記憶』を消す」


 俺の喉が、ゴクリと鳴る。


 六年前のデモ。

 父さんの連行。

 街中で囁かれる「消えた人たち」。


 全てが、一つの線で繋がっていく。


「あなたの感情は、本物です」


 ノアは、俺をまっすぐ見つめた。


「でも、疑う感情だけが削られてた。あなたたちが感じてる違和感は、電波の『隙間』から漏れてきた、本当の感情なんだ」


 その言葉に、胸の奥で何かが弾けた。


 父さんの、言葉にならない目。

 ゼフの、飲み込んだ六年前の記憶。

 ミラの、二年間の地図。


 それらが、全て「本物」だった。


「ノア、あなた──」


 セオが口を開く。


「私は、政府の研究施設から逃げてきた」


 ノアは、淡々と続ける。


「このデータは、私が持ち出したもの。電波の全貌と、停止方法も」


 画面に、新たなファイルが開かれる。


 『中央タワー制御装置・緊急停止プロトコル』


「最終決戦で使う。でも、今はまだ早い」


 ノアの目は、確信に満ちていた。


「まず、民衆の目を覚まさなきゃ。あなたたちが、その第一歩なんだ」


 その瞬間。


 通路の奥から、複数の足音。


 ブーツの音。

 無線のノイズ。


 敵の実働部隊が、迫ってくる。


「時間だ! 撤収!」


 セオの叫び。


 俺たちは、データを持ち、走り出す。


 ノアも、最後尾で続く。


 背後で、扉が破られる音。


 追手のシルエットが、暗闇に浮かぶ。


 第七施設の闇の中を、俺たちは走った。


 手に握りしめたUSBと、胸に灯った「本物の感情」を守りながら。


【リアクション】

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------------------------- エピソード9開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

ネフェリシェの魔力と重力


【本文】

 第七施設からの脱出から、二日後の夜。


 セオのアジトは、いつもより息苦しい空気に包まれていた。


 机の上には、コピーしたデータが散乱している。

 感情調整電波の全貌。

 被検体リスト。

 第三層照射履歴。


「これ……全部、本物なの?」


 ミラが、震える指でプリントをめくる。


「本物だよ」


 ノアが、淡々と答える。


「マサトの政権が即位三年前に完成させた技術。都市全体を覆う周波数で、扁桃体を直接抑制する」


 ゼフが、眉を寄せる。


「要するに、俺たちの『怒り』とか『疑う気持ち』を、根こそぎ削ってるってことか」


「正確にはね」


 ノアは、ホワイトボードに三つの円を描く。


「第一層で反抗心を抑制。第二層でマサト王への親近感を植え付け。第三層で六年前の民主化運動の記憶を改竄」


「だから、俺の父さんやミラの母さんが消えたことも、誰も覚えてない……」


 俺の呟きに、全員が一瞬、息を飲む。


 そのとき。


 部屋の隅で、ノアが小さく咳き込んだ。


「ノア、大丈夫か?」


 セオが心配そうに声をかける。


「平気……ただ、少し魔力が不安定で」


 彼女は、自分の掌を見つめる。


 そこには、淡い紫色の光が揺らめいていた。


「魔力?」


 ゼフが首を傾げる。


「異能の一種。重力操作なんだけど……最近、制御が難しい」


 ノアは、苦笑いを浮かべる。


「電波の影響かもしれないね。抑制されてる感情と一緒に、魔力の流れも乱れてるのかも」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが引っかかった。


 抑えると、消えそうになる。


 どこかで聞いたような感覚。


 ──同じ夜、中央タワー地下訓練場。


 重力波が、コンクリートの床を波打たせていた。


 中心に立つ少女──ネフェリシェ。


 豹柄の髪。

 鋭い金色の瞳。

 両手に渦巻く、紫黒の魔力。


「集中しろ」


 背後から、低い声。


 部隊長ハクアが、腕を組んで見つめている。


「抑えると、消えそうになる……」


 ネフェリシェは、呟きながら拳を握る。


 瞬間、周囲の重力が三倍に跳ね上がる。


 訓練用人形が、床にめり込む。


「良し。解除」


 ハクアの指示で、魔力が霧散する。


 ネフェリシェは、大きく息を吐く。


 額に汗。

 膝がわずかに震えている。


「どうした? いつもより出力が低い」


「分からない……最近、魔力が『重く』感じるんです」


 ハクアは、静かに近づく。


「電波の影響か?」


「それもあるかもしれないけど……」


 ネフェリシェの視線が、虚空を彷徨う。


 フラッシュバック。


 幼い頃、魔力が暴走した日。


 『化け物!』

 『呪いだ!』

 『使えるときだけ必要とされてた……』


 村人たちの叫び声。

 燃える家。

 自分だけが、取り残された感覚。


「使えるときだけ……必要とされてた」


 ネフェリシェは、無意識に呟いていた。


 ハクアの手が、静かに肩に置かれる。


「お前の魔力は、本物だ」


 低い、確信を持った声。


「俺が、そう認めた。だからここにいる」


 その言葉に、金色の瞳がわずかに揺れる。


「ハクア様……」


「休め。明日の任務に備えろ」


 ネフェリシェは、ゆっくりと頭を下げる。


 訓練場の扉が閉まる音。


 一人残された瞬間。


 掌を開く。


 そこには、もう魔力の残滓すら残っていない。


 抑えると、消えそうになる。


 その感覚が、胸の奥に冷たい棘となって刺さっていた。


 セオのアジトに戻る。


 ホワイトボードには、敵側の組織図が書き足されていた。


 マサト王。

 カリア、ヴェロニカ。

 そして、『実働部隊:ハクア率いる精鋭』。


「こいつらが、第七施設で俺たちを追ってきた連中だ」


 セオが、赤いマーカーで囲む。


「ハクアの部下の中に、重力使いがいるらしい」


 ノアが補足する。


「ネフェリシェ。魔力を重力波として放出する異能者。非常に危険」


「マジかよ……」


 ゼフが顔をしかめる。


「でもさ、敵にも色々あって面白いよな」


 俺の言葉に、全員が顔を上げる。


「どういう意味だ?」


「さっきのノアの話だと、電波は異能にも影響してるってことだろ?」


 ノアが、ゆっくりとうなずく。


「ええ。感情抑制と同時に、魔力の流れも乱す副作用があるわ」


「つまり、敵の異能者も、俺たちと同じように『違和感』を感じ始めてる可能性がある」


 セオの目が、鋭く光る。


「面白い視点だな、ルカ」


「ただの勘だけど」


 本当は、さっきノアが咳き込んだときの表情が、どこかで見たものと重なっただけだ。


 抑えると、消えそうになる。


 その一瞬の、脆さ。


 敵側にも、同じ「隙間」が生まれつつある。


 その考えは、まだ確信には程遠い。


 でも、確かにそこに、一筋の光が見えた気がした。


【リアクション】

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------------------------- エピソード10開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

ゼフが言えなかったこと


【本文】

 翌朝、学校の屋上。


 昼休みのチャイムが鳴る前、俺とゼフはいつもの階段に座っていた。


「昨日の会議、ちょっと怖かったな」


 ゼフが、パンをかじりながら言う。


「敵の組織図、見てたらさ。なんか現実味出てきたよな」


「うん」


 俺は、弁当の卵焼きをつまむ。


 一週間前までなら、こんな会話はSF映画の感想みたいに笑いものだった。


 今は、ただの現実だ。


「なぁ、ルカ」


 ゼフが、突然真剣な顔になる。


「オレさ、ずっと言えなかったことがあるんだ」


 心臓が、一瞬早く鳴る。


 六年前。

 近所のおじさんが連れていかれた日。


 ゼフが、あのときのことを話すのは初めてだ。


「言えよ」


 短く促す。


 ゼフは、空を見上げて大きく息を吸った。


「六年前、オレたち十歳のとき。近所のガルツおじさんが、政府の車に連れていかれた」


 名前を聞いて、俺の箸が止まる。


「ガルツ……父さんの言ってた工場の同僚か?」


「そう。オレん家のすぐ隣の家だったんだ」


 ゼフは、膝を抱える。


「その日、オレは玄関の影から見てた。ガルツおじさんが、抵抗もしないで車に乗せられてくのを」


「なんで言わなかったんだ?」


「言えなかったんだよ」


 ゼフの声が、少し震える。


「ガルツおじさん、オレにだけ笑ってたんだ。連れていかれる直前まで」


 その言葉に、胸が締め付けられる。


「『ゼフ、何も言うなよ』って目でさ。『お前だけは、笑ったままでいろ』って感じで」


 ゼフは、自分の拳を握る。


「それが、オレにできる最後の優しさだったんだと思う。だから、オレも何も言わないことにした」


「ゼフ……」


「でもさ、ルカ」


 ゼフが、俺をまっすぐ見る。


「お前が父さん連れていかれたとき、オレまた同じことした。あのときのガルツおじさんと同じ顔で、お前を止めた」


 屋上の風が、二人の間を通り抜ける。


「言えなかったよ。『何も言うな、笑ったままでいろ』って、お前に伝えるの、オレにはできなかった」


 ゼフの目が、わずかに赤くなる。


「でも、今なら言える。お前には、笑ったままでいてほしかった。でも、それ以上に──」


 言葉が、一瞬詰まる。


「生きててほしかったんだよ、バカ」


 最後の言葉は、ほとんど叫びに近かった。


 俺は、ゆっくりとうなずく。


「分かってる」


 短い言葉。


 でも、その中には全てが詰まっていた。


「オレもだよ、ゼフ」


 ゼフは、照れくさそうに頭をかく。


「ったく……男同士で何やってんだよな」


「革命前の感傷ってやつだろ」


 二人は、顔を見合わせて小さく笑う。


 その笑顔は、確かに「笑ったまま」だった。


 放課後、セオのアジト。


 ゼフが、皆の前で初めて六年前の話をした。


「ガルツおじさん、きっとまだ生きてるよ。電波耐性体質だって噂だったから」


 ミラが、地図を広げる。


「このリストに、ガルツって名前があった。第七施設近くの工場労働者」


 ノアが、データを確認する。


「被検体リストにもあるわ。『耐性確認済み・隔離房D-17』」


 セオが、ゆっくり立ち上がる。


「つまり、我々の潜入ルート上に、重要な味方がいる可能性がある」


 全員の視線が、俺に集まる。


「ルカ。次の作戦、お前の観察眼が必要だ」


 俺は、静かにうなずく。


「分かった」


 胸の中で、何かが確実に形になり始めていた。


 父さん。

 ガルツ。

 ゼフの六年前。

 ミラの二年前。


 消えた人たちが、一人、また一人と繋がっていく。


 この手で、必ず連れ戻す。


 その決意が、静かに、だが確実に燃え始めていた。


【リアクション】

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------------------------- エピソード11開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

実働部隊


【本文】

 ガルツ救出作戦当日。深夜零時。


 第七施設の裏口。

 前回の潜入ルート。

 四人の影が、再び鉄扉前に集まる。


「今回は正面突破はなし。換気ダクト経由で直行」


 セオが、小声で指示を出す。


「ルカとゼフが先頭。ミラは後方警戒。ノアは魔力温存」


 全員がうなずく。


 ダクトのカバーを外し、一人ずつ中へ滑り込む。


 狭い鉄の筒。

 埃っぽい空気。

 手足を擦りながら進む。


「右15度、30メートル先に分岐」


 俺の観察眼で、暗闇の中の構造を読み取る。


「了解」


 ゼフが、懐中電灯を最小限に抑えて進む。


 30分後。

 目標の隔離房D-17前。


 天井パネルを静かに外し、下を覗く。


 薄暗い部屋。

 鉄格子越しに、二つのベッド。


 一人は、父さんだ。


 やつれた顔。

 作業服はボロボロ。

 でも、確かに生きている。


 隣のベッドに、60代の男。

 ガルツだろう。


「見つけた……」


 俺の呟きに、ゼフの手が俺の肩を強く握る。


 そのとき。


 通路の奥から、複数の気配。


 静かだが、確実に近づいてくる。


「敵!」


 ノアの警告。


 次の瞬間。


 通路の角から、三つの影が現れた。


 黒い戦闘服。

 無表情な顔。

 手には、それぞれ異様な武器。


 先頭は、白い兎耳を持つ女性──エレノア。


 「雑魚を追う趣味はないわ」


 冷ややかに言い放ち、両手を広げる。


 瞬間、緑色の霧が通路を満たす。


 毒だ。


「咳き込むな! 布で口を塞げ!」


 セオの指示。


 俺たちは、服の袖で口と鼻を覆う。


 視界が霞む中、エレノアの後ろから、穏やかな笑顔の少女が現れる。


 イヴ。


 見た目は15歳くらい。

 無垢な瞳。

 でも、手に持つナイフは、すでに血の匂いを帯びている。


 イヴは、無言で俺たちに向かってくる。


 ゼフが咄嗟に飛び出し、金属パイプで受け止める。


 ガキン!


 予想外の衝撃。


「ぐっ……!」


 ゼフが後退する。


 イヴの表情は、変わらない。

 穏やかな笑顔のまま、容赦なく次の斬撃。


「ゼフ!」


 俺が飛び出すが、その前に──


 「下がりなさい」


 ノアが前に出る。


 掌から紫の重力波。


 イヴのナイフが、軌道を外れて床に突き刺さる。


「魔力使い……ネフェリシェ?」


 エレノアが目を細める。


「違います」


 ノアの短い否定。


 その隙に、ミラが換気ダクトのカバーを外す。


「今よ!」


 俺とゼフが飛び降り、鉄格子の鍵を破壊。


「父さん! ガルツさん!」


 父さんは、朦朧とした意識の中で俺の顔を見て呟く。


「ルカ……ルカ」


 その声に、胸が張り裂けそうになる。


 ガルツは、比較的しっかりした様子で立ち上がる。


「来たか。……遅かったな」


 不敵な笑み。


「話は後! 行くぞ!」


 セオの指示で、全員がダクトへ。


 背後で、エレノアの冷笑。


「逃がすと思う?」


 緑の霧が、さらに濃くなる。


 ノアが最後尾で重力波を放ち、霧の流れを乱す。


 なんとかダクトに全員収まり、カバーを閉める。


 追跡は続くが、ダクトの複雑な構造が俺たちの味方をする。


 なんとか脱出に成功。


 夜の闇の中、六人で走る。


 父さんとガルツを抱えながら。


 セオのアジトに戻り、全員が息をつく。


 父さんは、まだ意識が朦朧としている。


 ガルツは、部屋を見回して小さく笑う。


「すんのか。やっとか」


 その一言に、緊張が解ける。


「ガルツさん、電波に耐性があったんですか?」


 ミラが尋ねる。


「ああ。先天的な体質だ。第三層の記憶改竄も効かねえ」


 ガルツは、ポケットから手書きの図面を取り出す。


「施設内の換気ダクトの構造を読んで脱走しようとしたが、一人じゃ無理だった」


 俺の観察眼が、その図面の正確さに驚く。


「これ……完璧な設計図だ」


「62年間、工場の機械いじりしてりゃ、これくらい読めるさ」


 ガルツは肩をすくめる。


「すんのが、あるから、すんだ。それだけだ」


 その言葉に、セオが小さく笑う。


「ようこそ、革命軍へ」


 父さんが、ようやく目を覚ます。


「ルカ……無事か」


「父さん!」


 俺は、父さんの手を強く握る。


 涙が、止まらなかった。


【リアクション】

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------------------------- エピソード12開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

帰ってきた男


【本文】

 ガルツ救出から翌日。


 セオのアジトは、初めて「家族」が揃ったような空気に包まれていた。


 父さんとガルツは、まだ体力を回復中だが、会話は弾む。


「アルト、お前の息子、いい目してるぞ」


 ガルツが、父さんに言う。


「ああ。昔から、そうだ」


 父さんは、俺を見て優しく笑う。


「ルカが小さい頃から、人の表情をよく見てた。『あの人は嘘ついてる』とか言っては、私を困らせたよ」


 その言葉に、俺は少し照れる。


「そんな大層なもんじゃないよ。ただ、目に入ってくるだけ」


「それが、武器になるんだよ」


 セオが、静かに言う。


「政府の実働部隊と遭遇した件だが……あの二人、エレノアとイヴだな」


 ノアが補足する。


「エレノアは毒霧使い。旧貴族と白兎獣人のハーフ。イヴは近接戦闘特化型だが、感情が薄い」


「感情が薄い?」


 ゼフが首を傾げる。


「施設で実験されて、何かが削られたらしいわ」


 ノアの言葉に、胸がざわつく。


 削られた感情。


 それは、俺たちが戦っている電波そのものじゃないか。


「敵にも、同じ『隙間』があるかもしれないな」


 俺の呟きに、セオがうなずく。


「その通り。次は情報戦だ」


 ガルツが、手書き図面を広げる。


「第七施設のデータから、中央タワーの弱点が見えてくる。制御装置の冷却システムが鍵だ」


 ミラが、地図に印をつける。


「ここからなら、潜入ルートを二手に分けられる」


 全員の目が、次なる目標に向かう。


 中央タワー。


 全ての元凶。


 その夜、中央タワー地下会議室。


 マサト王が、地図を睨む。


「第七施設から二名脱走か」


 冷ややかな声。


 エレノアが頭を下げる。


「失態です、陛下」


「いや、想定内だ」


 マサトは笑う。


「奴らが次に狙うのは、中央タワーだと読んでいる。それを利用して、一網打尽にする」


 隣で、カリアが無表情に言う。


「増援を送りますか?」


「いや。あえて手薄にする」


 マサトの目が、妖しく光る。


「奴らが来るのを待つ。そして、そこで潰す」


 ヴェロニカが、金色の瞳で微笑む。


「面白い展開ね。感情調整電波が効かない者たちが、どんな顔を見せるのかしら」


 マサトは、窓の外を見やる。


 首都ラーヴェン全体を覆う、見えない電波の網。


「僕の国に、逆らう感情は許さない」


 静かな、確信を持った声。


 その言葉とは裏腹に。


 どこかで、一人の少年の「見る目」が、その網の隙間を突き始めていることを、まだ知らない。


【リアクション】

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------------------------- エピソード13開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

ルシェの縄張り


【本文】

 中央タワー潜入作戦の前夜。


 セオのアジトでは、最終確認が行われていた。


「冷却システムの制御盤は、B2Fの機械室。ノアとガルツが直撃」


 セオが、地図にルートをなぞる。


「俺とゼフは陽動。ミラは通信管制。ルカは……全体を見てくれ」


 俺の役割は曖昧だが、それが今の俺に合っている。


 父さんとミラの母さんは、後方支援に回る。


「準備はいいか?」


 全員がうなずく。


 緊張の中、僅かな希望が灯っていた。


 ──その同じ時刻。


 ラーヴェン旧市街、廃墟と化した倉庫街。


 淡い青い光の膜が、空中に広がっていた。


 結界。


 ルシェの縄張り。


 青い光の中で、無数の光点が浮遊している。

 それらは、革命組織の動きを記録した「情報粒子」だ。


 中心に立つのは、青髪の少女──ルシェ。


 結界魔術師。

 実働部隊の一員。


 彼女は、光点を指で弾く。


 一つの粒子が拡大し、内部に映像が映し出される。


 第七施設での潜入。

 ガルツとアルトの救出。

 エレノアとイヴとの遭遇。


「ふうん……やるじゃない」


 ルシェは、小さく笑う。


 次の粒子。


 セオのアジト外部の監視映像。

 メンバーの顔が、次々と記録される。


「ルカ、ゼフ、ミラ、セオ、ノア……ガルツまでね」


 指先が、中央タワーへの潜入ルートを示す粒子に触れる。


「明日、ここを狙う気か。読めてる読めてる」


 結界は、情報蓄積装置。

 敵の行動パターンを学習し、予測する。


 潰すのは簡単だ。


 一つの指令を飛ばせば、明日未明に待ち伏せ部隊が配置される。


 ルシェの手が、宙に浮かぶ「破壊コマンド」に伸びる。


 そのとき。


 頭の奥で、何かが軋む音がした。


 かつて信用した相手に裏切られた日の記憶。


 『先に傷つけておけば、傷つけられずに済む』


 その防衛機制が、今、微かに揺らいでいる。


 指が、コマンドの上で止まる。


 なぜ、潰さない?


 ルシェ自身も、その答えを持っていない。


 結界の青い光が、彼女の顔を冷たく照らす。


 ゆっくりと手を下ろす。


 粒子たちは、再び静かに浮遊し始める。


「まあ……いいか」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


 結界の中心で、ルシェは一人、夜を過ごす。


 翌朝、セオのアジト。


 作戦開始まであと12時間。


 俺たちは、装備を整えていた。


「ルシェの結界が、なぜか反応していない」


 セオが、監視端末を睨む。


「罠か?」


 ミラが、地図のルートを再確認する。


「分からない。でも、この隙は利用する」


 セオの判断。


 ルシェが革命組織を潰さなかった理由を、この時点では誰も知らない。


 ただ、確かに道が開けていた。


 中央タワーへの最終突入が、すぐそこまで迫っていた。


【リアクション】

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------------------------- エピソード14開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

6年前の亡霊


【本文】

 中央タワー潜入当日。午前三時。


 夜の闇に紛れ、八人の影がタワー基部に集まる。


 ルカ、ゼフ、ミラ、セオ、ノア、ガルツ、父さん、ミラの母さん。


 正面玄関は意図的に手薄。

 マサトの罠だと分かっていても、ここを突破しなければ始まらない。


「予定通り、二手に分かれる」


 セオの指示。


「Aチーム(俺、ノア、ガルツ)は冷却システム直撃。Bチーム(ルカ達)は陽動と情報攪乱」


 無線で息を合わせ、侵入開始。


 Bチーム視点。タワー中層。


 警報が鳴り響く中、俺たちはエレベーターシャフトを伝い移動。


「ルカ、右翼に敵影!」


 ゼフの警告。


 振り向くと、青い結界の残滓。


 ルシェの痕跡だ。


「通ったばかり……意図的に道を開けた?」


 俺の観察に、ミラが頷く。


「罠じゃない。少なくとも、今は」


 その直感が正しかったことを、後で知ることになる。


 同時刻、Aチーム。B2F機械室。


 ノアが制御盤にハッキングツールを接続。


「冷却システムの緊急停止プロトコル、起動!」


 ガルツが、周囲を警戒。


「敵はまだか?」


 そのとき。


 通路の奥から、複数の気配。


 ハクア、ニア、ネフェリシェ。


 実働部隊の本隊。


「時間稼ぎだ!」


 セオが前に出る。


 ハクアの巨大な剣が振り下ろされる。


 激しい戦闘の中、冷却システムのカウントダウンが始まる。


 00:59

 00:58

 00:57


 Bチーム、通信管制室制圧。


 ミラが端末を操作し、警備システムを混乱させる。


「Aチームの位置を敵から隠した!」


 その瞬間。


 タワー全体が揺れる。


 冷却システムの停止音。


 電波照射が、一時的に不安定になる。


 その隙に、ノアが本命のデータを発見。


「第三層の照射履歴……!」


 画面に、衝撃の事実が映し出される。


『照射対象:ラーヴェン全域(人口187万人)』

『日時:6年前3月15日 午前4時32分』

『目的:民主化運動関連記憶の完全改竄』


「全域……?」


 俺の声が震える。


 六年前のデモは、一部の「過激派」によるものではなかった。


 街全体が、記憶を奪われていた。


 ノアが、さらにスクロール。


『照射成功率:99.8%』

『耐性残存者:382名(隔離中)』


 ガルツはその一人だった。


 父さんも、ゼフも、ミラも、俺も。


 全てが繋がる。


 機械室では、激戦が続いていた。


 ネフェリシェの重力波が、セオを壁に叩きつける。


「抑えると……消えそう……!」


 彼女の呻き。


 ニアのクロスボウが、正確にゼフを狙う。


「見られてなくても……照準は外れない!」


 ハクアの剣が、ガルツの肩を掠める。


 だが、カウントダウンは止まらない。


 00:05

 00:04

 00:03


 ノアが叫ぶ。


「電波照射完全停止まで、あと三秒!」


 その瞬間。


 タワーの頂上から、低い唸り音。


 感情調整電波が、一時停止。


 ハクアたちの動きが、ほんの一瞬だけ止まる。


 その隙を突いて、Aチームが脱出。


 Bチームと合流し、外部へ脱出成功。


 夜明け前、タワー外部。


 八人は、息を切らしながら互いを見つめる。


「やった……」


 ゼフが、笑う。


 だが、俺の胸には重いものが残っていた。


 六年前、ラーヴェン全域。


 187万人の記憶が、強制的に奪われた事実。


 父さんの連行も、ただの「一例」に過ぎなかった。


 この国全体が、巨大な洗脳装置の中にあった。


 ノアが、静かに言う。


「まだ終わってないわ。第三層の記憶改竄痕跡を解析すれば、真実が全部見えてくる」


 セオが、疲れた笑みを浮かべる。


「次は、地獄だな」


 空が、薄明るくなる。


 革命は、まだ始まったばかりだった。


【リアクション】

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------------------------- エピソード15開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

セオの傷


【本文】

 中央タワー脱出から三日後。


 セオのアジト地下室。

 壁一面に貼られた電波照射データの解析結果。


 俺たちは、疲労と緊張の狭間で息を潜めていた。


「第三層の記憶改竄痕跡……解析完了したわ」


 ノアが、ホワイトボードに複雑な波形を描く。


「六年前の照射は、一夜でラーヴェン全域を覆った。99.8%の成功率」


 ミラが、地図に赤い円を重ねる。


「つまり、俺たちの親世代のほぼ全員が、記憶を削られたってことか」


 ゼフの声に、父さんとガルツが静かにうなずく。


「だが、耐性体質の者は382名。第七施設に隔離されてた」


 ガルツが補足する。


 そのとき。


 セオが、珍しく沈黙を守っていた。


 いつもなら軽口で場を和ませる男が、解析データをじっと見つめている。


「セオ?」


 俺が声をかけると、彼はハッとして顔を上げる。


「ああ……すまん。少し、考え事をな」


 その目には、普段の飄々とした光がなかった。


 夜。

 セオは一人、アジトの屋上で煙草を吸っていた。


 俺は、静かに隣に立つ。


「話してくれよ、セオ」


 直球。


 セオは、一瞬煙を止めて笑う。


「君、ほんと人の表情を読むの上手いな。観察眼ってレベルじゃないよ」


「元・政府の科学者、だろ?」


 俺の言葉に、セオの肩が小さく落ちる。


「バレてたか。まあ、隠しきれんかったな」


 煙草の火が、夜風に揺れる。


「六年前、俺は感情調整電波の開発チームにいた」


 静かな告白。


「マサトの即位三年前に完成させた、あの三層構造の設計者だよ。少なくとも、第一層と第二層は」


 胸が、冷たく締め付けられる。


「第三層は?」


「俺が逃げた後、完成させた。記憶改竄の技術は、俺の知らないところで進化した」


 セオは、空を見上げる。


「開発中、真の目的が分かったんだ。単なる『社会安定装置』じゃない。完全な支配ツールだってね」


「それで逃げたのか」


「ああ。でも……」


 セオの声が、低くなる。


「逃げた罪悪感で、革命をやってる。第一層と第二層は、俺の手で生み出したんだから」


 煙草を地面に落とし、靴で踏み潰す。


「ルカ。お前の父親が捕まったのは、俺が作った技術のせいかもしれない」


 その言葉に、俺の手が震える。


 父さんの、連行された夜の顔が脳裏に浮かぶ。


「それが、セオのごまかしの正体か」


 第5章の階段での出会い。

 『政府は市民の思想をスキャンできる技術を持っている可能性がある』


 本当は、自分がその技術を作ったことを隠していた。


「許せとは言わない。ただ、知っておいてほしかった」


 セオは、疲れた笑みを浮かべる。


「明日から、本当の戦いが始まる。リーダーが過去を背負ってることを、知っておいてくれ」


 俺は、静かにうなずく。


「分かった。……でもさ」


 一拍置いて。


「俺たちの父親を捕まえたのは、お前じゃない。マサトだ」


 セオの目が、わずかに見開かれる。


「革命は、罪滅ぼしじゃなくていい。正しいことをするためにやればいい」


 セオは、しばらく黙って俺を見つめた。


「君、ほんと危険な目をしてるな」


 そう言って、ようやくいつもの笑顔が戻る。


 翌朝の作戦会議。


 セオは、いつも通りの調子で指示を出す。


「次は、民衆覚醒作戦だ。電波が止まった隙に、真実を広める」


 皆の士気が、明らかに上がっていた。


 セオの傷を知ったことで、逆に結束が強まった。


 リーダーの人間性が見えた瞬間だった。


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------------------------- エピソード16開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

6年前の真実


【本文】

 民衆覚醒作戦初日。


 俺たちは、市内各所に真実のビラを撒いた。


『感情調整電波の全貌』

『六年前の記憶改竄』

『中央タワーの真実』


 配給センター前、工場地区、学校周辺。


 ビラを受け取る市民の表情は、最初は困惑。


 だが、次第に目が揺らぎ始める。


「なんか……思い出しそう」


「そういえば、六年前……」


 電波が止まった隙間から、本物の記憶が漏れ始める。


 セオのアジト。

 ガルツが、手書きのスケッチブックを広げる。


「六年前の俺の記憶だ。電波耐性のおかげで、全部覚えてる」


 そこには、ラーヴェン中心部の広場デモの様子が描かれていた。


 プラカード。

 叫ぶ群衆。

 軍の装甲車。


 そして、その群衆の中に。


 若いセオの姿があった。


「これ……お前?」


 俺の指差す人物に、セオが苦笑する。


「そうだよ。まだ大学院生だった頃だ」


 ガルツが続ける。


「民主化運動の中心人物だった。お前、演説もしてたぞ」


 セオは、目を伏せる。


「前国王の身分制度廃止に反対する運動だった。急速な平等化が、旧貴族や獣人層を路頭に迷わせるって警告を発してた」


 スケッチの次のページ。


 軍の鎮圧シーン。


 催涙ガス。

 ゴム弾。

 倒れるデモ参加者。


「4時32分。中央タワーから第三層電波が照射された瞬間、世界が静かになった」


 ガルツの声が低くなる。


「叫び声が、怒りが、恐怖が、一瞬で消えた。みんな呆然と立ち尽くしてた」


 セオが補足する。


「その後、翌日のニュースでは『一部過激派の暴動を鎮圧』と報道。参加者の99.8%が記憶を改竄された」


 ミラが、地図を広げる。


「参加者は、工場労働者、主婦、学生……街のあらゆる層。『一部過激派』なんて嘘だった」


 ゼフが、拳を握る。


「だから、大人たちはみんな口を閉ざしてたのか……」


 父さんが、静かに言う。


「俺もいた。あの広場に。でも、何も覚えてねえ。ルカ、ルカって呟くことしかできなかった」


 胸が、熱くなる。


 その夜、街角の反応が無線で入ってくる。


「ビラを見て、泣き出した市民が続出」


「『思い出した!』と叫んで配給センターに押しかけ」


「安定剤を捨てる人々」


 電波の隙間から、本物の感情が溢れ出し始めていた。


 だが、同時に。


 政府の反撃も始まる。


 街中に巡回車が増え、ビラ撒きメンバーが次々と逮捕される。


「ルカチーム、後退! 敵実働部隊接近!」


 ミラの無線に、俺たちは路地裏へ逃げる。


 背後から、エレベーターの毒霧が漂ってくる。


 追跡は、苛烈さを増していた。


 アジトに戻り、全員が息を切らす。


「民衆の覚醒は始まった。でも、政府も本気になった」


 セオが、地図に新たなピンを刺す。


「次は、決戦前夜だ」


 ガルツのスケッチを見ながら、俺は確信する。


 六年前の真実を知った今、もう後戻りはできない。


 中央タワーへ。

 マサトの元へ。


 全ての始まりと終わりを、俺たちの手で終わらせる。


 空が、朝焼けに染まる。


 革命の第二段階が、静かに幕を開けた。


【リアクション】

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------------------------- エピソード17開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

アイリスという嵐


【本文】

 民衆覚醒作戦から一週間。


 街の空気は、明らかに変わっていた。


 配給センター前には、デモ隊が集まり始める。

 『真実を返せ』

 『記憶を返せ』


 ビラは、ネットにも拡散。

 電波が止まった隙間から、忘れられた感情が溢れ出していた。


 だが、政府の反撃も苛烈を極めていた。


 セオのアジト第二拠点。

 旧市街の地下駐車場。


 俺たちは、新たなビラを印刷していた。


「次の目標は、中央タワーの予備電源破壊。電波再開を阻止する」


 セオが、作戦図を広げる。


 そのとき。


 無線にノイズ。


「こちらミラ! 第一拠点に敵襲! ルシェの結界と……何かいる!」


 全員が顔を上げる。


「第一拠点は囮のはずだ!」


 ゼフが立ち上がる。


「行くしかねぇだろ!」


 五人で車に飛び乗り、現場へ急行。


 第一拠点到着。

 廃ビルの屋上。


 ルシェの青い結界が、半壊状態で揺らめいている。


 その中心に、金髪の少女が立っていた。


 アイリス。


 感情を理解できない少女。

 実働部隊の切り札。


 周囲には、ビラ印刷機が粉々に破壊され、仲間二名が倒れている。


「え、楽しいじゃん? 仕事だけど」


 アイリスは、無邪気に笑う。


 次の瞬間。


 彼女の手から、無数の光の刃が放たれる。


 嵐。


 俺たちは、咄嗟に物陰に隠れる。


「魔力嵐……予測不能の軌道!」


 ノアが叫ぶ。


 光刃は、壁を貫き、車を切り裂き、コンクリートを粉砕。


 ルシェの結界すら、削り取られていく。


「アイリス、やりすぎ」


 ルシェが、呆れたように言う。


「えー? でも、楽しいもん」


 アイリスの「楽しい」は、他の感情と同じラベル。


 喜びか、興奮か、ただの習慣か。

 本人にも分からない。


「撤退! 第一拠点を捨てる!」


 セオの判断。


 俺たちは、負傷者を抱えて脱出。


 背後で、ビルの屋上が崩落する音。


 初の拠点喪失。


 第二拠点に戻り、応急処置。


 負傷二名は重傷ではないが、印刷機喪失でビラ撒きが一時中断。


「アイリス……感情が読めない敵か」


 セオが、眉を寄せる。


「ルシェの結界も半壊。次はもっと大規模な襲撃が来る」


 空気が、重くなる。


 俺は、アイリスの笑顔を思い出す。


 『楽しいじゃん?』


 あれは、本当に「楽しい」のか。


 敵にも、電波の隙間が広がり始めているのか。


 その答えは、まだ見えない。


【リアクション】

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------------------------- エピソード18開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

フィラの静かな亀裂


【本文】

 拠点喪失から翌日。


 俺たちは、第三拠点(仮)に移動完了。


 民衆デモは拡大中だが、ビラ撒きが止まった影響で勢いが鈍る。


 そんな中、無線に暗号通信。


「こちらフィラ。明日の標的リスト送上」


 政府軍将校からの内通情報。


 フィラ。


 セオが以前から接触していたスパイ。


「明日の12時に、D地区工場街のデモ隊を一網打尽にする計画らしい」


 リストには、デモリーダー30名の名前。


 その中に、父さんの知人が含まれていた。


「阻止する。D地区に囮部隊を配置」


 セオの指示。


 ──同時刻、政府軍司令部。


 フィラ少佐は、報告書を机に置いていた。


 30代前半。

 軍服に身を包み、眼鏡の奥の目は冷静。


 今回の標的リストには、問題があった。


 3番目の名前。


 『トマス・グレア(工場労働者・独身)』


 報告書には、家族なしとされていた。


 だが、フィラは知っている。


 先週の偵察で見た、あの家の窓辺に飾られた子供の写真。


 離婚して遠方に住む息子。

 時々、手紙を送ってくるらしい。


 フィラの手が、ペンを持つ。


 一瞬の躊躇。


 そして、書き直す。


『トマス・グレア:標的逃走確認。追跡中止』


 他の29名は、そのまま。


 報告書を上官に提出。


 誰も、気づかない。


 翌日、D地区。


 囮デモ隊が、予定通りに動く。


 政府軍は、大規模な包囲網を敷く。


 銃口。

 装甲車。

 催涙ガス。


 だが、標的リストの3番目、トマス・グレアは姿を見せない。


「目標30名中、29名拘束。1名逃走」


 現場指揮官の報告。


 司令部で、フィラは無表情で聞いていた。


「了解。追跡は不要」


 静かな判断。


 上官は、眉を少し動かすが、それ以上は追及しない。


 夜、第三拠点。


 フィラからの無線。


「トマス・グレアの命、預かったよ」


 セオが、ゆっくり息を吐く。


「ありがとう、フィラ」


「礼はいらない。ただ……少し疲れた」


 僅かな、感情の揺らぎ。


 フィラの声には、初めて人間らしいひびが入っていた。


「命令で動くのを、やめたいのかもしれない」


 その言葉を最後に、無線が切れる。


 俺たちは、静かに顔を見合わせる。


 敵側に、確実に亀裂が生まれ始めていた。


 フィラの静かな反抗。


 それが、革命に新たな希望を灯した夜だった。


【リアクション】

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------------------------- エピソード19開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

洗脳という名の鏡


【本文】

民衆覚醒作戦から二週間。ラーヴェンの街は、二つの顔を持っていた。


配給センター前では、デモが日常化していた。


「真実を返せ!」

「記憶を返せ!」


プラカードを掲げる群衆。最初は数百人だったのが、数千人に膨れ上がる。工場労働者、主婦、学生。六年前の記憶が、電波の隙間から漏れ出すにつれ、参加者は増えていった。


だが、政府の抑圧も苛烈を極めていた。巡回車が増え、ビラ撒きメンバーは次々と逮捕。街角には「安定剤服用を忘れずに」のポスターが乱貼りされる。


工場地区、昼休み。


作業服の男たちが、弁当を広げていた。


「なあ、なんかおかしくねえか?」


一人が、箸を止めて言う。


「何がだよ」


「この国だよ。最近、妙に落ち着いてる気がすんだ。昔はもっと……熱かっただろ?」


「熱かったって、何に対してだ?」


「分かんねえ……でも、なんか思い出せそうで思い出せねえんだよ」


隣の男が、安定剤の錠剤をポケットから取り出す。光に透かすと、わずかに手が震えた。


「飲むか?」


「いや……今日はいいや」


錠剤を、ポケットの奥に押し込む。


軍駐屯地、夜。


若い兵士の日記。


『今日もデモ鎮圧に出動。催涙ガスを撃ち込んだ。倒れた女がいた。目が合った。

でも、何も感じなかった。昔は、こんなことしてたら胸が痛んだはずだ。

俺は何をしているんだろう。この国は正しいんだよな?

母さんが言ってた。『王様を信じなさい』って。

でも、母さんの目も、最近おかしい。遠くを見てるみたいで。

安定剤、明日から飲まないでおこう。』


文字は、震えながらも力強く書かれていた。


病院、夜勤の看護師控室。


「最近、入院患者の様子がおかしいわ」


先輩看護師が言う。


「どういう風に?」


「夜中にうなされる人が増えたの。『六年前の夢を見た』って」


若い看護師が、カルテをめくる。


「この人、工場で働いてた人ね。六年前の診断書に『民主化運動関連の外傷』ってあるけど……」


「しっ! そんな言葉、口に出さないで」


先輩が、周囲を気にする。


「でも、本当にあったの? 教科書じゃ『一部過激派の暴動』って……」


「教科書通りよ。でも……」


先輩は、自分の白衣のポケットに手を入れる。安定剤の容器を、そっと握る。


「私も、最近変な夢を見る。広場で叫んでる自分がいるの」


二人は、顔を見合わせる。一瞬の沈黙。


「飲まないで、正解だったかもね」


若い看護師が、小さく笑う。


獣人街区、夜の路地。


狐耳の少女が、壁に貼られたビラを見つめる。


『感情調整電波 ─あなたの怒りは本物です─』


「怒り……?」


少女は、自分の胸に手を当てる。


魔王の血脈として差別されてきた記憶。入れない店、罵声、貧困。


電波が抑えていた感情が、ゆっくりと蘇る。


「そうだ……私、ずっと怒ってた」


小さな拳が、震える。


路地の奥から、同じ耳を持つ男が現れる。


「よう、シャル。あんたもか」


双翼種の少女、シャルが振り返る。


「ねえ、怖い? 私のこと」


いつもの口癖。


だが、今日は少し違う響きがあった。


「怖くねえよ。一緒に怒ろうぜ」


男の言葉に、シャルは空を見上げる。


遠く、中央タワーの光が、いつもより弱々しく見えた。


学校、放課後。


生徒たちが、ひそひそと話す。


「アイツの親父、連れていかれたらしいぜ」


「しっ! 誰かに聞かれたらヤバいって」


「でもさ、最近なんか変じゃね? 先生の目が……ギラついてる」


「安定剤飲んでねえからだろ」


教室の黒板には、いつものマサト王の写真。


だが、生徒たちの視線は、もうそこに注がれていなかった。


セオのアジト、同時刻。


無線が鳴る。


「こちらフィラ。政府内部でも動揺が広がっている。明日の作戦、成功を祈る」


セオが、ゆっくり息を吐く。


「民衆の『なんかおかしい』が、積み重なってきたな」


俺は、窓の外を見る。


街の灯りが、いつもより強く感じられた。


洗脳という名の鏡が、少しずつひび割れ始めていた。


電波の隙間から、本物の感情が溢れ出す。


革命は、静かに、だが確実に動き始めていた。


【リアクション】

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------------------------- エピソード20開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

フィラの選択


【本文】

第三拠点、作戦会議。


「政府が無差別電磁爆撃を計画している」


フィラからの緊急情報。


「目標はD地区とE地区。デモの中心地を一掃する気だ」


セオが、地図に赤い円を描く。


「爆撃開始まで、あと36時間。私たちは阻止しなければならない」


全員の顔が強張る。


無差別爆撃。


民間人込みで、数千人が死ぬ。


「どうやって阻止する?」


ミラが尋ねる。


「フィラに、作戦の中止報告を出させる」


セオの答え。


「しかし、それじゃフィラが危険すぎる!」


ゼフが反論する。


「それが、一番確実なんだ」


静寂が部屋を包む。


その夜、フィラと直接接触。


廃墟の倉庫。薄暗い明かりの下。


軍服姿のフィラ少佐が、疲れた顔で待っていた。


「間に合ったか」


短い挨拶。


セオが、無線機を渡す。


「これで、司令部に直接報告できる。虚偽の内容でな」


フィラは、無線機を受け取らずに返す。


「もう決めたよ」


静かな声。


「爆撃中止の報告を出す。『目標地域に市民が混入。爆撃見合わせ』と」


「それじゃ、お前が……」


「分かってる。降格、最悪逮捕だ」


フィラは、眼鏡を外す。


初めて見る、生身の表情。


「最近、妙な夢を見るんだ。子供の頃の記憶が鮮明でね」


六年前の電波が効きにくい体質らしい。


「この国が間違ってるって、気づいてしまった」


セオが、ゆっくり言う。


「まだ間に合う。一緒に……」


「いや。俺はここで終わる」


フィラは、静かに笑う。


「ただ、最後に一つ頼みがある。上官に『作戦中止』を認めさせるため、俺一人で増援部隊を足止めする」


「無茶だ!」


「命令だよ、セオ」


軍人らしい言い回し。


フィラは、再び眼鏡をかけ直す。


「行ってくれ。革命を、成功させろ」


その言葉を最後に、フィラは闇の中へ消えた。


翌日、司令部。


フィラの報告。


「D地区E地区に市民混入確認。爆撃中止を提案します」


上官の冷たい視線。


「確証は?」


「私の判断です」


一瞬の沈黙。


「少佐の独断で、か」


上官が立ち上がる。


「貴官は降格。以後、監視下に置く」


フィラは、無表情で敬礼。


「了解しました」


だが、心の中では、何かが静かに終わっていた。


第三拠点、無線。


「こちらフィラ。爆撃中止。増援部隊は、私が引きつける」


声に、僅かな安堵。


「生き延びろ、フィラ」


セオの言葉に、短い返事。


「命令で動くのは、やめる」


無線が切れる。


部屋に、重い静寂が落ちる。


フィラの選択。


一人の軍人の、静かな反抗。


それが、革命の新たな火を灯した。


【リアクション】

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------------------------- エピソード21開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

初めての大敗


【本文】

フィラの決断から三日後。革命は最高潮に達していた。


街の半分がデモに染まり、中央タワー周辺では数万人の群衆が「電波を止めろ!」と叫ぶ。ビラはインターネットに溢れ、安定剤拒否の動きが広がっていた。


だが、政府も最後の抵抗を始めた。


第三拠点、作戦会議。


「電波塔破壊作戦を実行する。四基ある予備電波塔を同時攻撃だ」


セオが、地図に四つの赤点を指す。


「俺とノアが1番塔、ガルツとルカが2番塔、ゼフとミラが3番塔、4番塔は囮部隊で」


完璧な分散作戦。


「今夜23時、同時突入」


全員がうなずく。勝利の予感が漂っていた。


深夜0時、2番塔。


俺とガルツは、塔基部のフェンスを切断して侵入。制御室まであと50メートル。


「ルカ、敵影なし。異常なし」


ガルツの報告に、俺は無線で応じる。


「了解。他の塔も順調か?」


「1番塔、制御盤到達」


「3番塔、警備回避成功」


勝利が目前だった。


そのとき。


無線に、シャルの声が割り込む。


「ねえ、怖い? 私のこと」


聞き覚えのない声。だが、背筋に冷たいものが走る。


「ゼフ! 3番塔どうだ!」


俺の叫びに、返事がない。


次の瞬間。


バン!


遠くで爆発音。


「ゼフ!!」


無線から、断続的な銃声と叫び声。


「星穿ち……!」


ミラの悲鳴。


天測による超長距離狙撃。


双翼種のシャルが、夜空から3番塔を狙撃していた。


ゼフの声。


「ぐあっ! ルカ、逃げ……!」


通信途切。


俺の手が震える。


「ガルツ! 3番塔へ急行!」


「待て、ルカ! 作戦は……」


「ゼフが!」


感情が先行する。ガルツは一瞬迷ったが、俺を追う。


3番塔到着。


廃墟と化した制御室。


ミラが、ゼフを支えて出てくる。


ゼフの左肩、血に染まっていた。


「ゼフ!」


俺が駆け寄ると、ゼフは苦笑いを浮かべる。


「悪い……やられた。超遠距離からの一撃だ」


弾丸は、特殊合金製。天測精度で心臓を外れたのが奇跡だった。


「ミラ、止血を!」


ミラの手が震えながら包帯を巻く。


「塔は……爆破失敗か?」


「制御盤を破壊したけど、主電源は無事……」


そのとき。


夜空に、シャルのシルエット。


黒い翼。星明かりに光るライフル。


「ねえ、怖い? 私のこと」


無線越しに聞こえる、感情の読めない声。


「双翼種……獣人からも人間からも差別される存在か」


ガルツが呟く。


シャルの狙撃点は、2キロ先の丘。


通常の人間なら不可能な距離。


だが、俺の観察眼が異変を捉える。


「ガルツ、あの子の翼……微かに震えてる」


狙撃の反動か、それとも。


「感情が、揺らいでるのか?」


その瞬間。


二撃目。


弾丸が、俺の足元を掠める。


「退け!」


ガルツが俺を突き飛ばす。


塔の残骸が崩れ、視界が土煙で覆われる。


その隙に、シャルは姿を消す。


撤退を余儀なくされた俺たち。


他の塔も、シャルの援護で次々と失敗。


初めての大敗。


アジトに戻り、応急処置室。


ゼフは意識を失ったまま。


ミラは黙って、血まみれの手を洗う。


セオが、重い声で言う。


「全塔健在。電波予備システム、再稼働の恐れあり」


ノアがデータを確認。


「最悪だわ……民衆の勢いを削ぐ最悪のタイミング」


父さんが、静かに言う。


「だが、ゼフは生きてる。それだけでも……」


俺は、拳を握る。


初めての敗北。


だが、シャルの翼の震えを、俺は見逃さなかった。


敵にも、隙が生まれている。


「次は、必ず……」


静かな決意。


大敗の夜、革命に最初の傷跡が刻まれた。


【リアクション】

0件


------------------------- エピソード22開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

シャルの問い


【本文】

電波塔破壊作戦の大敗から翌夜。


中央タワー最上階、作戦室。


マサト王が、モニターを睨む。


「全塔防衛成功か。シャル、よくやった」


青白いスクリーンに映るのは、シャルの超長距離狙撃の記録映像。


ヴェロニカが、金色の瞳を細める。


「双翼種の星穿ち、素晴らしい精度ね。感情調整電波の影響を受けにくい体質かしら」


シャルは、無表情で立つ。


黒い翼が、微かに揺れている。


「ねえ、怖い? 私のこと」


いつもの口癖。


マサトは、軽く笑う。


「怖くなんてないよ。君は僕らの大切な駒だ」


その言葉に、シャルの瞳が一瞬揺れる。


だが、すぐに元に戻る。


「任務完了。次は?」


事務的な声。


ヴェロニカが、懐中時計を弄びながら近づく。


「次はもっと面白い仕事よ。革命軍の本拠地を、天測で探し出して」


シャルは、ゆっくりうなずく。


だが、その夜。


無人の丘の上。


シャルは一人、星空を見上げていた。


狙撃スコープを地面に置き、翼を広げる。


「感情とは……何ですか」


誰に聞かせるでもない呟き。


双翼種として、獣人からも人間からも拒絶されてきた人生。


感情が分からない自分を、誰も理解してくれなかった。


マサトも、ヴェロニカも、「使える駒」としてしか見てない。


スコープに映った昨夜の光景が脳裏に蘇る。


革命軍の少年──ルカが、撃たれた友人を抱き上げる姿。


あの目には、確かに「何か」があった。


怒りか、悲しみか、恐怖か。


シャルには、分からない。


だが、確かにそこには「感情」があった。


「ねえ、怖い? 私のこと」


自分で自分に問いかける。


翼が、再び微かに震える。


遠くで、中央タワーの光が点滅する。


電波が、彼女の心にも届かない隙間を作り始めていた。


ヴェロニカの部屋。


古狐獣人は、懐中時計を見つめながら微笑む。


「シャル、お前が聞くか。面白い」


時計の針が、ゆっくりと回る。


敵側の心にも、革命の波紋が広がり始めていた。


【リアクション】

0件


------------------------- エピソード23開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

ゼフの告白とミラの秘密


【本文】

第三拠点、応急処置室。


ゼフは、意識を取り戻していた。


左肩に包帯が巻かれ、顔色は悪いが、目は生きていた。


「よお、ルカ……心配かけたな」


弱々しい笑顔。


「バカ野郎……二度とあんなマネすんな」


俺の声が震える。


ミラは、黙って薬瓶を片付けている。


セオ、ノア、ガルツ、父さんも部屋に集まる。


「シャルの狙撃……天測精度は異常だった。あの距離で心臓を外したのは奇跡だ」


ガルツが言う。


「敵にも、電波の隙間が生まれてる証拠だよ」


セオが補足。


「双翼種は、元々電波耐性が強いらしい。感情抑制が効きにくい体質なんだ」


ノアの解析結果。


ゼフが、ゆっくり身を起こす。


「オレさ……あのとき、死ぬかと思ったよ」


静かな告白。


「でも、撃たれた瞬間、はっきり分かった。あの狙撃手、迷ってた」


「迷い?」


「弾道だよ。心臓を狙った矢が、ほんの少しだけ逸れてた。意図的だ」


俺の観察眼と一致する。


「敵にも、変化が……」


そのとき。


ミラが、突然立ち上がる。


「私、行ってくる」


「どこに!?」


「第七施設周辺。偵察」


「一人で!? 今そんな状況で!?」


セオが止める。


「母さんの記録が、まだ残ってるはず。単独行動なら、バレない」


俯きがちな瞳に、強い意志。


「ミラ、お前……」


ゼフが、ベッドから手を伸ばす。


「待てよ。オレの告白の続き、まだ聞いてねえだろ」


ミラが、足を止める。


「六年前の話だ。ガルツおじさんが連れていかれた日」


皆の視線がゼフに集まる。


「オレ、あのとき誓ったんだ。『何も言わないこと』を。ルカだけには、笑ったままでいてほしくて」


「ゼフ……」


「でも、それだけじゃなかった。オレ自身が、怖かったんだ」


声が、少し震える。


「政府に逆らったら、ルカも家族も、全部失うって。自分勝手な保護欲だったよ」


静寂。


「でも今は違う。オレはお前のせいで生きてるんだ、ルカ。それの何が罪だ?」


俺の言葉を、ゼフが受け継ぐ。


「ゼフ、俺はお前のせいで生きてる。それの何が罪だ」


二人の視線が交わる。


「だからさ、ミラ」


ゼフが、ミラを見る。


「お前も一人で行くな。オレらがいるだろ」


ミラの俯いた顔が、ゆっくり上がる。


目尻に、僅かな潤み。


「母さんを……見つけるまで、諦めない」


小さな声。


「分かってる。一緒に行くよ、全員で」


俺が言う。


セオが、地図を広げる。


「第七施設再潜入、決定だ。ミラの母さん、そしてイヴの記録も確かめる」


ノアがうなずく。


「自発的提供者と強制被験者のリストね。あれが公開されれば、政府は終わる」


ガルツが、肩を叩く。


「すんのが、あるから、すんだ」


父さんが、静かに笑う。


「ルカたちが、俺たちを救ってくれた。今度は、俺たちが」


部屋に、静かな連帯感が生まれる。


大敗の傷跡は、まだ癒えていない。


だが、仲間間の絆は、それ以上に強くなっていた。


ゼフの告白が、ミラの秘密が、全員を一つに結びつけた。


第七施設への再突入。


最終決戦への、最後の準備が整った。


【リアクション】

0件


------------------------- エピソード24開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

ガルツの夜


【本文】

第七施設再潜入の前夜。


第三拠点は静まり返っていた。


ゼフは回復中、ミラは地図を睨み、セオとノアは最終調整。父さんたちは後方支援の準備。


俺は、一人で屋上に出ていた。


夜風が、頬を撫でる。


中央タワーの光が、遠くで不気味に瞬く。


「まだ寝てねえのか」


背後から、ガルツの声。


62歳の工場労働者は、煙草をくわえながら近づいてくる。


「ガルツさんこそ」


「すんのが、あるからな」


いつもの口癖。


俺の隣に腰を下ろし、火を点ける。


「ルカ。お前、父さんとの再会、どうだった?」


突然の質問。


「怖かったって……父さんがそう言った。あの施設で、ずっと俺の名前を呟いてたって」


胸が熱くなる。


「俺もだよ。父さんの空いた椅子を見てるのが、毎日辛かった」


ガルツは、ゆっくり煙を吐く。


「俺もな。六年前のあの夜、アルトと同じ房だった」


「え……」


「施設内で、唯一まともに話せた奴だ。お前さんの名前を、毎晩のように呟いてた」


ガルツの目が、遠くを見る。


「『ルカが心配だ』『ルカに、普通の国を残したい』ってな」


煙草の火が、夜風に揺れる。


「だから、俺は逃げた。換気ダクトの構造を読んでな」


手書きの図面を、ポケットから取り出す。


「英雄でも被害者の代弁者でもねえ。ただ、すんのがあったから、すんだ」


静かな言葉。


「ガルツさんは、六年前からずっと……」


「ああ。電波耐性のおかげで、全部覚えてる。あのデモの熱気も、鎮圧の恐怖も、記憶改竄の虚無も」


ガルツは、空を見上げる。


「若い頃は、熱いことが好きだった。民主化を叫んで、仲間と酒を飲んでな」


苦笑。


「でも62歳ともなると、熱さより静けさが欲しくなる。それでも、すんのがあるなら、すんだよ」


煙草を地面に落とし、踏み潰す。


「明日、第七施設で何が待ってるか分からねえ。ミラの母さん、イヴの記録……そして、お前らの未来だ」


俺は、静かにうなずく。


「ガルツさんも、静けさを手に入れてくれよ。この戦いが終わったら」


「さあな」


ガルツは立ち上がり、肩を叩く。


「ただ、することはあるだろう」


背中を見送りながら、俺は確信する。


ガルツは英雄じゃない。被害者の代弁者でもない。


ただ、一人の人間として「すんのがあったから、すんだ」。


その静かな強さが、革命を支えている。


屋上のドアが閉まる音。


一人残された夜空に、中央タワーの光が不気味に瞬く。


明日が、決戦前夜だった。


【リアクション】

0件


------------------------- エピソード25開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

第七施設へ


【本文】

最終突入当日。深夜1時。


第七施設の裏口。


ルカ、ミラ、ゼフ、ガルツの四人。


「母さんの記録は、B3F保管庫。イヴのリストもそこにあるはず」


ミラの声に、緊張が滲む。


ガルツの手書き図面を頼りに、換気ダクトを進む。


前回の脱出ルートを逆走。


警備は厳重だが、革命の混乱で手薄になっていた。


B3F保管庫前。


電子錠をセオのハッキングツールで解除。


中は、膨大なファイルキャビネット。


「時間がない! 『イヴ』『ミラ母』で検索!」


指示を出す。


ミラが、震える手でファイルを探す。


「あった……母さん!」


『レイラ・クロウ:自発的提供者。電波耐性確認済み。隔離房C-12』


「自発的……?」


ミラの顔が青ざめる。


そのとき。


俺の手元に、一つのファイル。


『イヴ:強制被験者。貴族制廃止後、職業制限→水商売→極貧→保護収容。感情抑制実験第一号』


第11章の穏やかな笑顔の少女。


感情を削られた理由が、そこにあった。


「ルカ、見て!」


ゼフが叫ぶ。


監視モニターに、C-12の映像。


ミラの母、レイラが写っている。


隣には、父さんと同じ房だったもう一人の男。


「母さん!」


ミラが走り出す。


「待て! 罠の可能性が……」


遅かった。


警報が鳴り響く。


通路から、黒い影。


エレノアの毒霧。イヴのナイフ。


だが、今回は違う。


「道を開けて」


エレノアが、静かに言う。


「今回は、追わない」


白兎耳が、微かに揺れる。


イヴも、無表情で道を空ける。


「どうして……」


俺の問いに、答えはない。


二人は、ただ静かに退く。


C-12の鉄格子前。


ミラが、鍵を破壊。


「母さん!」


レイラが、ゆっくり顔を上げる。


やつれた顔。だが、目は生きていた。


「ミラ……大きくなったね」


抱き合う母娘。


ゼフが、俺の肩を叩く。


「お前の父さんも、ここにいたんだろ?」


うなずく。


ガルツが、隣の房を開ける。


そこには、誰もいない。


「アルトは……?」


そのとき。


保管庫のモニターに、自動再生映像。


『被検体アルト・ファルン、ルカとの面会を希望。許可せず。独房送り』


父さんは、別の場所に。


「父さん、生きてる……」


胸が熱くなる。


ミラの母が、静かに言う。


「ありがとう、皆さん。私がここに来たのは……」


「自発的提供者、だろ?」


俺の問いに、レイラはうなずく。


「電波耐性があったの。政府に『協力すれば、娘の安全を保証する』と言われて……」


ミラの手を、強く握る。


「騙されてたのよ。でも、もう終わりにするわ」


イヴのファイルを持ち、脱出。


エレノアとイヴは、なおも追わず。


第七施設を後にする四人。


母娘の再会。父さんの生存確認。イヴの真実。


最大の成果を手に、夜の闇へ消えた。


だが、戦いはまだ終わらない。


中央タワー最終決戦が、すぐそこまで迫っていた。


【リアクション】

0件


------------------------- エピソード26開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

中央タワー、最終突入


【本文】

第七施設脱出から24時間後。


全軍勢力──ルカ、ゼフ、ミラ、セオ、ノア、ガルツ、父さん、レイラ──が中央タワー前に集結。


民衆デモが最大規模に達し、数十万人が周辺を包囲。政府軍との衝突が始まっていた。


「最終作戦、開始」


セオの声で、全員がタワーへ突入。


正面玄関は、フィラが一人で抑えている。


「命令で動くのは、やめる!」


軍将校の叫びと共に、増援部隊を足止め。


内部へ突入。


だが、1Fロビーで最初の試練。


ルシェの迷宮結界。


無限に続く廊下。壁の位置が変化し、方向感覚が狂う。


「ルシェの仕掛け……!」


ノアが解析を試みるが、結界は複雑化。


そのとき。


結界の一部が、突然消える。


「抜け穴……意図的な?」


俺の観察に、セオがうなずく。


「ルシェが、潰さなかった理由か」


第13章の夜、結界を解除しなかった少女の決断。


チームが分断される中、戦闘が始まる。


ニアの空間認知狙撃。


「見られなくても……照準は外れない!」


だが、矢はわずかに逸れる。ハクアの視線がない不安定さ。


ネフェリシェの重力波。


「抑えると消えそう……出し切っても、消えなかった!」


初めての解放感に、攻撃が乱れる。


エレノアの毒霧。


「道を開ける。一度だけ」


白兎耳が揺れ、霧が晴れる。


ルシェの結界が、次々と消えていく。


アイリスは、最上階で待機。


敵の実働部隊が、次々と離脱。


最終通路。


俺とカリアが対峙。


白銀髪の軍将校。妖刀「紅鳴」を構える。


「マサト様の元へは、行かせない」


冷たい声。


だが、俺は見逃さない。


カリアの視線が、地図の一点に留まる。


故郷の地名。


「拾ってくれた人が、間違ってたとしても」


俺の言葉に、カリアの手が止まる。


「お前の痛みは、本物だ」


妖刀が、ゆっくり下ろされる。


「追わない」


カリアは、踵を返して去る。


最上階へ。


マサトが待っていた。


【リアクション】

0件


------------------------- エピソード27開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

マサトという鏡


【本文】

中央タワー最上階、制御室。


巨大な円形の制御装置。感情調整電波の発信源。


その前に、マサト王が一人立っていた。


28歳。若々しい顔に、歪んだ笑み。


「よく来たね、ルカ君。君の観察眼は、最初から読めてたよ」


護衛なし。余裕の態度。


「僕も同じだよ。奪われた。だから奪い返した」


マサトの過去。前国王に両親を粛清され、孤独の中で元素読取異能を覚醒。


「俺は奪い返したいんじゃない」


俺は、真正面から言う。


「もう誰も奪われない場所を作りたい」


マサトの目が、僅かに揺れる。


「……誰かがそれを言ってくれたら、よかったな。昔」


一瞬の沈黙。


ノアが、制御装置に接近。


「緊急停止プロトコル、起動!」


カウントダウン開始。


マサトは、動かない。


ゆっくり座り込む。


「これで、終わりか」


セオが近づく。


「マサト。お前も、あのとき俺と同じ広場にいたよな」


六年前の民主化運動。セオとマサトの因縁。


その瞬間。


床が爆発。


電磁地雷。


俺は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。


マサトが立ち上がる。


「抵抗しない、は演出だよ」


コートの裏から、改造アサルトライフル。


元素読取異能で、弾薬に腐食性化合物を充填。


「お前たちの装備、全部把握してる。最初に会った瞬間からね」


銃口が火を噴く。


特殊弾が、俺の剣を腐食。ノアの魔力結界を貫通。


「優しいな、ルカ君。だから読める」


電磁トラップが発動。床から放電。


ゼフが盾になり、俺を守る。


「ぐっ……!」


科学兵器の連鎖。


マサトのサイコパスな笑顔。


「この国は僕のものだ。感情を削れば、誰も不幸にならない!」


ノアのカウントダウンが続く。


00:29

00:28


俺は倒れながらも、立ち上がる。


「まだ終わってない!」


マサトの目が、初めて驚きに揺れる。


「その目……!」


最終突入。


俺の観察眼が、マサトの次のトラップを看破。


「左足の重心移動……地雷だ!」


回避。


マサトの銃口が、僅かにブレる。


「ノア、今!」


00:05

00:04

00:03


ノアが、最後のコマンド入力。


ブオオオオ!


制御装置が停止。


感情調整電波、完全停止。


マサトが、膝をつく。


銃を落とし、座り込む。


今度は、本物。


「僕の国が……」


静かな呟き。


制御室の窓から、ラーヴェン全域が見える。


電波の網が消え、街が目覚め始める。


遠くの丘で、シャルが空を見上げていた。


(最終決戦・続く)


第28章 ゼロからの朝

電波停止から数時間後。


ラーヴェン全域で、記憶が蘇る。


デモ隊が、中央タワーへ殺到。


マサトは収監。処刑を求める声が上がる。


臨時議場。


俺たちは、混乱の中で議論していた。


「マサトを殺せば、俺たちと同じになるぞ!」


俺の叫びに、セオが返す。


「お前の綺麗事に、何人死んだ?」


答えが出ない。


ノアが、第七施設の記録を公開。


『自発的提供者リスト』に、意外な名前。


一部の市民が、自ら電波耐性を実験に提供していた。


「協力者もいた……完全な悪じゃなかった?」


ミラの呟き。


種族差別の問題も浮上。


獣人街区の住民が、「人間の作った国に未来はない」と分離独立を宣言。


「革命は成功したが、次の課題が山積だ」


セオの言葉。


各々のその後。


ゼフはリハビリ中。「次はお前が撃たれる番な、ルカ」


ミラと母は再会。「あんたが聞く?」と笑う。


ガルツは静かに帰郷。「することはあるだろう」


父さんは、俺の肩を叩く。「お前がいてくれて、よかった」


フィラは降格されたが、軍を離れ新政府入り。


ルシェ、アイリスは行方不明。


カリア、ヴェロニカも消息不明。


ノアが言う。


「とりあえず、電気から直しましょう」


皆が笑う。


俺は窓の外を見る。


混乱の街。


だが、そこには本物の感情が溢れていた。


怒りも、悲しみも、希望も。


「国って、どうやって作るんだろうな」


ゼフの問いに、誰も答えられない。


ガルツが、静かに言う。


「さあ。でも、することはあるだろう」


俺は、笑う。


ゼロからの朝が、静かに始まった。


【リアクション】

0件


------------------------- エピソード28開始 -------------------------

【エピソードタイトル】

ゼロからの朝


【本文】

電波停止から数時間後。


ラーヴェン全域で、記憶が蘇る。


デモ隊が、中央タワーへ殺到。


マサトは収監。処刑を求める声が上がる。


臨時議場。


俺たちは、混乱の中で議論していた。


「マサトを殺せば、俺たちと同じになるぞ!」


俺の叫びに、セオが返す。


「お前の綺麗事に、何人死んだ?」


答えが出ない。


ノアが、第七施設の記録を公開。


『自発的提供者リスト』に、意外な名前。


一部の市民が、自ら電波耐性を実験に提供していた。


「協力者もいた……完全な悪じゃなかった?」


ミラの呟き。


種族差別の問題も浮上。


獣人街区の住民が、「人間の作った国に未来はない」と分離独立を宣言。


「革命は成功したが、次の課題が山積だ」


セオの言葉。


各々のその後。


ゼフはリハビリ中。「次はお前が撃たれる番な、ルカ」


ミラと母は再会。「あんたが聞く?」と笑う。


ガルツは静かに帰郷。「することはあるだろう」


父さんは、俺の肩を叩く。「お前がいてくれて、よかった」


フィラは降格されたが、軍を離れ新政府入り。


ルシェ、アイリスは行方不明。


カリア、ヴェロニカも消息不明。


ノアが言う。


「とりあえず、電気から直しましょう」


皆が笑う。


俺は窓の外を見る。


混乱の街。


だが、そこには本物の感情が溢れていた。


怒りも、悲しみも、希望も。


「国って、どうやって作るんだろうな」


ゼフの問いに、誰も答えられない。


ガルツが、静かに言う。


「さあ。でも、することはあるだろう」


俺は、笑う。


ゼロからの朝が、静かに始まった。


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