第3話 合法120φ=正義!
深夜の自室。液晶画面のブルーライトに照らされた藤野直人の瞳は、獲物を狙う野生の獣のようにギラギラと輝いていた。
彼にとって、深夜のヤフオクは単なるネットショッピングではない。己の魂の全てを賭けた「電子の異種格闘技戦」であった。
「にゃおーん……! 今夜の獲物は、シルビニャを『合法的キチガイ』にクラスチェンジさせるための、超一級の聖遺物だにゃ!」
直人の細い指先が、キーボードを狂ったように叩く。
画面に映し出されているのは、名門ブランド『H〇S』が誇る、テール径120φ(パイ)という大砲のような存在感を放つマフラー『Hi-Power 4〇9』。そして、排気ガスをクリーンにしつつパワーを逃がさない、これまた一流メーカー『SA〇D』のスポーツキャタライザーがセットになった、奇跡の中古ジャンク出品だった。
「お巡りどもを黙らせるには、ガス検を100%クリアするスポーツキャタライザーが絶対不可欠だにゃ! しかもマフラーは、テールエンド120φという凶悪な太さなのに、インナーサイレンサー無しで保安基準に適合する『Hi-Power 4〇9』! これこそ、法律の網の目をすり抜けて爆音と合法を両立する、僕ニャンにぴったりのマフラーだにゃ!」
直人の軍資金は10万円。
相手が競ってきたら一瞬で予算オーバーになる綱渡りだったが、出品タイトルが『s14 まふらー 触媒 つめあわせ』という、検索に引っかかりにくいあまりにも雑なものだったため、ライバルは全く現れなかった。
「残り時間、3、2、1……にゃにゃっ!?」
落札通知のファンファーレが鳴り響く。
なんと、開始価格の6万円のまま、無風で落札できてしまったのだ。
「勝った……! 圧勝だにゃ! 予算が4万円も浮いたにゃ! 僕ニャンはヤフオクの神に愛された天才バイヤーだにゃ!」
直人は大はしゃぎでノンアル缶を煽り、まだ見ぬ120φの輝きを夢見て、その夜はシャワーの音をいつも以上に壁に響かせながら眠りについた。
翌日の朝。
注文したマフラーとキャタライザーが届くまでの間、直人はワクワクしながらアパートの駐車場でシルビアのボンネットを開けていた。
スイスポ時代からの癖で、まずは現状のエンジンルームを舐めるように点検するためだ。
「そういえば、シルビニャのサスペンションはどうなってるんだにゃ?」
これまでは、前オーナーが取り付けていたぶ厚いタワーバーの影に隠れていて、アッパーマウント(ストラット上部)がよく見えなかった。
直人がタワーバーを工具で外して、マウント部分を覗き込んだその瞬間、ブルーの瞳が驚愕に見開かれた。
「にゃ、にゃにぃっ!? ピンク色……!?」
ストラットの隙間から見えた金属パーツは、ショッキングピンクに塗装されていた。
車業界において、サスペンションパーツでピンクといえば、ドリフト界隈で絶大な支持を得る『D-〇AX』の車高調に他ならない。
「D-〇AX……! しかもアッパーマウントの形状からして、ストリート向けの『スーパーストリート』シリーズだにゃ! よしよし、これならストロークも確保できるし、やり方次第で普通に車検の最低地上高9センチをクリアできるはずだにゃ!」
直人は嬉々として、車体をジャッキアップし、フェンダーの奥に手を伸ばした。
だが、タイヤの隙間からショックアブソーバーの本体を見た瞬間、彼の顔から血の気が引いた。
「にゃ……にゃにこれ……ベトベトするにゃ……」
直人の指先についたのは、真っ黒で生臭い、粘り気のある液体だった。
それは、ショックアブソーバーの中から完全に漏れ出したダンパーオイルであった。
経年劣化により、シールが完全に破れ、中身のオイルがすべて「おねしょ」のように吹き出していたのだ。
それだけではない。車高を調整するためのシートロック(金属のネジ山)が、サビと泥で完全に固着し、限界まで車高を下げた「超シャコタン状態」で溶接されたかのようにガチガチに固定されていた。
「オイル抜け……しかもシート固着……! 完全に終わってるにゃ!! これじゃあただの『ピンク色の硬い鉄の棒』だにゃ! 地上高が5センチから1ミリも動かないにゃ!!」
車高調がこの状態では、いくら排気系を合法にしても、陸運局の検査官に「最低地上高が足りないから出直せ」と鼻で笑われて追い返される。
適合させるには、車高調を丸ごと新品にするか、D-〇AXにオーバーホール(修理)を依頼して、固着したブラケットを破壊して交換しなければならない。
「オーバーホール費用……最低でも、3万……いや、4万円はかかるにゃ……」
ヤフオクで奇跡的に浮いたはずの4万円が、目の前で砂のように崩れ去り、むしろ追加の送料や工具代で大赤字になる現実が、直人の脳天を直撃した。
「うにゃあああああ!! 僕ニャンの浮いたお金が、ピンク色の鉄屑に吸い込まれていくにゃあああ!!」
直人はアパートの駐車場で頭を抱えてのたうち回った。
当然、来月の生活費、食費、そしてシルビアに飲ませるフューエルワンの予算は、完全にマイナスへと突入した。
数日後の深夜。
埼玉南東部某所の、月明かりすら届かない鬱蒼とした放置竹林。
そこに、頭にLEDヘッドランプを装着し、手には100円ショップで買った園芸用の移植ゴテを握りしめた直人の姿があった。
「フシュー……フシュー……」
直人は荒い息を吐きながら、地面からわずかに頭を出している、茶色いタケノコを狂ったように掘り返していた。
「雑草をむしって食べるのは、もう飽きたにゃ。時代は自給自足、そして大自然の恵みをハントするハンティングライフだにゃ! 春のタケノコは、食物繊維も豊富で、僕ニャンのボロボロの胃壁を優しく保護してくれるはずだにゃ!」
深夜の竹林に不法侵入してタケノコを掘り起こす行為は、普通に考えれば立派な窃盗罪である。
だが、車クズの脳内辞書に「法律」という文字は、車検適合の欄以外には存在しない。
「にゃ? 窃盗? 人聞きが悪いにゃ。ここは完全に放棄された竹林だにゃ。看板もないし、管理人もいない。ということは、このタケノコたちは『野生のフリー素材』だにゃ! 誰も通報なんかしないから、これは合法的な収穫だにゃ。実質、0円食堂だにゃ!」
直人は、掘り出した泥だらけのタケノコを抱え、満足そうにブルーの瞳を輝かせた。
その夜、アパートの22号室。
部屋の中に漂う強烈なオイル臭とガソリン臭の中に、新たに「泥とエグみ」の臭いが加わった。
直人は、タケノコのアクを抜くための「米ぬか」を買う金すら惜しんだため、泥を適当に洗い流したタケノコを、錆びた片手鍋でただの水からグラグラと沸騰させただけで、そのままマヨネーズをつけて口に放り込んだ。
「はぐっ……むぐっ……!」
その瞬間、直人の顔が、信じられないほど酸っぱい梅干しを食べたときのように激しく歪んだ。
「お、おほぉっ!? エグい! 信じられないくらい口の中がチクチクして、舌が痺れるにゃ!! 喉が、喉の奥が焼けるように熱いにゃあああ!!」
米ぬかで何時間も茹でてアク抜きをしないタケノコは、強烈なシュウ酸とホモゲンチジン酸の塊であり、口に入れた瞬間、無数の針で刺されたような激痛と猛烈なエグみが襲いかかる。
「だ、だけど……毒じゃないにゃ! この痺れは、シルビニャの過激なG(重力)に耐えるための、僕ニャンの神経トレーニングだにゃ! 痛みに耐えろ、僕ニャン……!」
直人は涙をボロボロとこぼし、麻痺して感覚のなくなった舌で、必死にアクだらけのタケノコを咀嚼し、ノンアルコールビールで胃袋へと流し込んだ。
胃の中がエグみで大火事を起こす中、部屋のチャイムが鳴り響いた。
玄関のドアを開けると、そこには宅配業者のトラックが停まっており、大きな段ボール箱が届いていた。
宛名には『H〇S Hi-Power 4〇9 / SA〇Dスポーツキャタライザー セット』と書かれている。
直人は、感覚の麻痺した口元を歪ませ、ヨダレを垂らしながら、届いた巨大なマフラーを愛おしそうに抱きしめた。
「しゅごい……ついに来たにゃ、合法120φ……! 口の中はめちゃくちゃ痛いけど、僕ニャンとシルビニャの合法的な明日は、もうすぐそこだにゃあ……」




