白亜の龍と時計師の僕 下書き
第1章 路地裏の白い影
港町の夕暮れは、いつも少し煤けている。
海の匂いと錆びた鉄の匂い。それに加えて今日は、昼に壊れた置き時計の金属粉が指についたままだ。
「……最悪。洗うの忘れてた」
僕――ルシアン・ヴェルネは、店じまい前の通りを早足で歩いていた。帰りにパンでも買おう、と考えていたのに、さっきの客が妙に粘ってきたせいで遅くなったのだ。
こういうときは、いつもの近道を使う。
港の倉庫街の裏手にある、誰も通らない細い路地。
……のはずだった。
曲がった瞬間、僕は思わず息を呑んだ。
白いものが倒れていた。
いや、“もの”なんて言い方じゃ足りない。路地の奥いっぱいに広がる影。光を反射する白銀と、薄く揺れる毛皮。大きく見開いた――人間のものとは違う、氷みたいな青い瞳。
ドラゴンだった。
「……嘘、だろ」
港には怪物の噂がたまに流れる。戦争中に軍が造った化け物が逃げ出したとか、海の向こうから飛んできたとか。でも実物は見たことがない。普通は見ない。見たら死ぬ。
なのに、目の前にいる。
しかも、近い。
五歩くらいの距離で、僕は固まっている。
ドラゴンは息をしていた。かすかに上下する腹。くしゃりとひしゃげた翼の端。路地石に血が落ちる音が、ぱち、ぱち、と耳に刺さる。
目が合った。
僕は全身が硬直したまま、喉だけが勝手に震えた。
「お、おい……僕を……食わないでよな……?」
言ってから、アホだと思った。
食べる気満々だったら、もう僕はいない。
けれど、そのドラゴンは襲ってこなかった。睨んでいるわけでも、威嚇しているわけでもない。ただ、苦しそうに僕を見ているだけだった。
目が……人間みたいに、助けを求めていた。
逃げろ、と頭のどこかが叫んでいる。
でも、それより先に動いたのは足だった。
僕はゆっくりと近づいて、地面に落ちていた破れた翼膜をそっと持ち上げた。触れた指に、湿った熱が伝わる。
「……ひどい怪我じゃん……誰にやられたんだよ」
もちろん返事なんてない。
話せる生物兵器がいるなら、それはそれで怖い。
でも、目が痛そうだった。
その目を放って帰るなんて、僕にはできなかった。
「……はあ。大きい面倒ごとを拾っちまったな、これ……」
ぼそっと呟くと、白い竜の耳がぴくりと動いた。
まるで聞こえているみたいに。
僕は右手を差し出した。
触れるかどうかは分からない。噛まれるかもしれない。
「動けるなら、ちょっとだけ……うち来る? 治せるかは分かんないけど、このままは死ぬだろ」
竜は、少しだけ首を動かした。
その動作が、弱々しい肯定に見えた。
「……よし。じゃあ、頑張って歩いてよね。僕ひとりじゃ運べないんだから」
港の裏路地で、僕の静かな生活は音もなく崩れ始めた。
白い竜――彼女との出会いは、そんなふうに始まった。
第2章 “シーア”という名
白い竜を連れて帰る――考えただけで頭がおかしくなりそうだった。
うちの店兼住居は、港のはしっこにある小さな時計店。
表向きはガラクタ修理屋、裏では密輸船の壊れた計器の調整なんかもする。
客は少ないし、狭いし、床はギシギシ鳴る。
「……無理だよな、普通」
でも、引き返すわけにはいかなかった。
竜は僕の後ろをふらふらとついてくる。翼を引きずる度に、石畳に血が落ちる。
「ちょっ……あんまり力入れないで。こっち、こっち」
言っても伝わっているのか分からない。
けれど竜は、僕の歩幅に合わせるように、低い姿勢でゆっくり歩いた。
ほとんど瀕死のくせに、人を気遣うみたいな動き方だった。
店へ着く頃には、夕日は完全に沈んでいた。
僕は慌てて店のシャッターを下ろし、鍵をかけ、周囲の気配を確かめてから裏口を開けた。
「……入れる? いや入れないか。でかすぎるよな……」
竜は頭だけ突っ込んで、室内を覗き込んできた。
その仕草が妙に可愛く見えて、僕は首を振った。
「違う違う。可愛いとかじゃなくて……! いや、これはその……」
落ち着け僕。
相手は大型生物兵器だ。撫でていい存在じゃない。
だが幸い、裏口から工房までは天井が高く、出入口も広い。
なんとか“体を少し丸めれば”入れそうだった。
「よし、ゆっくり……そうそう。翼引っ掛けんなよ……」
僕の声に従ってか、竜は器用に体を折りたたみ、きゅい……と弱く鳴きながら工房の床に倒れ込んだ。
そこでようやく、僕は竜を正面から見た。
毛皮の部分は汗と血でべっとり濡れていて、鱗はひび割れ、翼膜には裂け目がいくつもある。
首の左側――そこには生々しい手術痕が縦に走っていた。
「……ほんと、どこの地獄をくぐってきたんだよ」
言いながら、僕は棚から薬箱を引っ張り出した。
自分の怪我用の簡易なものだが、傷を洗って止血するくらいならできる。
「痛いだろうけど……我慢してね」
竜は僕の手元をじっと見つめていた。
青い瞳の奥が、小さく揺れる。
怖がっている――のだと、なぜだか分かった。
「大丈夫。僕はその……噛まないから」
自分で言って自分で赤面した。
竜の耳がまたぴくっと動いた。笑っているように見えるのは気のせいだろうか。
僕はタオルを濡らし、傷口を拭い、薬草のエキスを塗って布を巻く。
竜は時折、息を震わせるが、暴れたりはしない。
「偉いな……」
ぽつりと呟くと、竜はほんの少しだけ目を細めた。
まるで、言葉が通じているみたいだった。
ひと通り処置を終え、僕は床に座り込んで大きく息をついた。
「……名前、どうしよう」
問いかけると、竜は首をかしげた。
「だって、“おい”とか“白いやつ”とか呼ぶわけにはいかないし……」
竜は返事はしない。
でも、僕をじっと見ている。
「じゃあ……シーアってのはどう? 白いし……なんか、そんな感じ」
自分でも理由が曖昧だったが、口から出た瞬間に「あ、これだ」としっくりきた。
竜はぱちぱちと瞬きをして、それからゆっくり瞬きをした。
了承の合図みたいだった。
「よし、決定。今日から君は……シーア」
僕がそう告げた瞬間、竜――シーアの尾が、床をとん、と軽く叩いた。
痛みで動くはずのない尾が、ほんの少しだけ。
僕は笑ってしまった。
「なんだよ……そんな反応されたら、捨てられないじゃんか」
シーアはそっと頭を下げ、僕の足元近くに額を寄せてきた。
僕は、その柔らかい毛皮におそるおそる手を伸ばす。
あたたかかった。
戦争で失った家族――
その面影がふと蘇って、胸が締めつけられた。
「……放っとけなくなるよ、そんなことされたら」
シーアは目を閉じた。
その呼吸は、少しだけ穏やかになっていた。
そしてこの夜、僕の静かな生活は、本当に戻れなくなる。
第3章 狭い部屋と大きな竜
シーアが眠っているあいだ、僕は工房の床にへたり込んでいた。
あれだけでかい体を治療するのに、そもそも僕一人の手じゃ限界がある。
翼の裂け目なんて、布を巻くだけでは到底追いつかない。
でも――
「他に頼める相手、いないしな……」
町の医者に見せたら通報される。
港の連中でも、竜なんて連れ込んだら仕事を切られる。
密輸組に見つかったら、逆に“売り物”として運ばれる。
つまり僕が面倒を見るしかないのだ。
ふと、眠るシーアを見る。
大きい。とにかく大きい。
工房の床いっぱいに体を丸めて、かろうじて収まっている。
「……いや、待て。これ、寝る場所どうすんだ」
僕の寝床は、工房の奥の小部屋。
ベッドというより、干し草と古い毛布を敷き詰めた倉庫の隅だ。
シーアはというと、工房から動かせそうにない。
下手に動かせば傷が開く。
「……一緒に寝るしかないのか?」
いやいやいや。
竜と同じ部屋で寝るとか、正気じゃない。
もし寝返りで尻尾がぶつかったら、僕なんて即死だ。
そう思いながらも、僕は古い毛布と工具箱をどけ、シーアのそばに簡易寝床を敷いた。
「これで……まあ、なんとかなるだろ」
自分でもひどく適当な言い訳だと思う。
でも、シーアの寝息はかすかに震えていて、少しでも離れた場所で眠らせるのが不安だった。
僕は毛布にくるまり、灯りをひとつ落として暗くする。
工房全体が静まり返った。
――と思ったその時。
ごそっ。
「ひっ……な、なんだ?」
暗闇で巨大な影が動く。
シーアが、ゆっくり顔を上げて僕の方を見る。
青い瞳が、月明かりみたいに淡く光った。
「……どうしたの?」
返事の代わりに、シーアは鼻先を僕の布団に寄せてきた。
「ちょ、ちょっと……近いって」
鼻息がふわっとかかり、僕は変な声を飲み込んだ。
怖いというより……なんだろう、妙に安心する。
シーアは僕のすぐ近くで体を丸め直し、翼をたたみ、そっと頭を下ろした。
その位置は、僕の寝床から手を伸ばせば届く距離だった。
「……寂しいの?」
竜が寂しがる、なんて想像もつかない。
でも、目の前のシーアは、まるで子どもみたいに落ち着かなさげに喉を鳴らしていた。
僕はそっと、シーアの頭の横に手を置いた。
毛皮は思ったよりやわらかくて、温かくて……
ふと胸の奥がじわりと熱くなる。
(家族に触れたとき、こんな感じだったな……)
そんな記憶が、突然よみがえった。
父が夜、直していた古い懐中時計。
母が作ってくれた毛布の匂い。
みんな、戦争で失った。
けれど今、僕のすぐそばで、ひとつの命が僕を頼っている。
「まったく……面倒見きれないよ」
口ではそう言うのに、不思議と手はシーアの毛並みを撫でていた。
シーアの呼吸が落ち着いていく。
青い瞳がゆっくり閉じられ、まぶたがふるふると震え、やがて動かなくなった。
眠ったのだ。
竜と同じ部屋で暮らすなんて、誰が聞いても狂気の沙汰だ。
それなのに――
(悪くない)
心のどこかで、そう思っている自分がいた。
そうして僕らの奇妙な同居生活は、静かに始まったのだった。
第4章 奇妙な同居生活
翌朝――。
目を覚ますと、目の前いっぱいに白い毛皮があった。
「……近ッ!!?」
思わず飛び起きた。
いや、正確には飛び起きようとしたが、頭をがつんと何かにぶつけた。
「いっ……!」
ぶつかった先は、シーアの角だった。
シーアは眠そうに目をぱちぱちさせ、僕の慌てっぷりに首をかしげた。
「ちょ、ちょっと距離! 距離ってものをだな!」
シーアは理解してないのか、理解してわざとなのか、さらに鼻先を寄せてくる。
その拍子に、僕の寝床は半分つぶされた。
「お前、絶対わざとだろ……」
返事の代わりに、シーアがぷしゅ、と鼻を鳴らす。
どう聞いても笑ってる。
とりあえず、押しつぶされた毛布を直しながら僕はため息をついた。
「……まあ、生きてるならいいか」
昨夜よりもずっと顔色――いや、竜だから“毛並み”か――がよくなっている。
痛みも少し引いたのか、動きがぎこちなくない。
それが分かるだけで、僕はほっとした。
■ 朝から騒音
工房のシャッターを開けると、港の朝独特のざわめきが押し寄せてきた。
魚市場の呼び声、荷物を運ぶ荷車の軋み、船の汽笛――。
その音を聞くと、不思議と落ち着く。
「よし……」
工具に油をさし、作業台を片付け、修理依頼の時計を並べる。
表向きは普通の日常。
問題は――奥で見ているシーアだ。
「いいか? 絶対に出てくるなよ。バレたら僕たち、即終了だからな」
シーアは分かっているのかいないのか、こくりと頷いたように見えた。
「……ほんとに分かってる?」
シーアはもう一度こくり。
いや、こいつ絶対分かってない。
そう確信したが、言っても仕方ないので、僕は店先に出た。
■ 客と嘘と、シーアの鼻息
「お、ルシアン。今日も早いな」
港の荷役のおっちゃんが時計を差し出してくる。
「いつもの。竜骨の粉が詰まって動かん」
(……竜骨? いやいや、こわい話しないで)
僕の背後の工房で、気配がぴくっと動いた。
振り向くな。頼むから出るな。
「ええと、すぐ見ますよ。三時間後に取りに来てください」
「おう!」
おっちゃんが帰っていくのを見届けて、僕はそっと工房をのぞき込んだ。
シーアは、薄暗い工房の隅からこちらを見ている。
その青い瞳は、何やら落ち着かない。
「……聞こえたの? “竜骨”って単語」
シーアは小さく、しゅんとするように翼をたたんだ。
まるで“嫌な思い出です”と言わんばかりだった。
「大丈夫。そのへんは比喩で言ってるだけ。ほんとに竜の骨なんて使ってないよ。安心して」
シーアはぽふ、と鼻息を漏らした。
……ちょっと涙目に見えるのは気のせいだろうか。
「お前、感情豊かだなぁ」
苦笑しつつ、僕はクッション代わりの古い布をシーアの下に敷いた。
竜が座るには頼りないが、ないよりマシだ。
シーアはしばらくそれをこねくり回し、最終的に満足そうに喉を鳴らした。
「あのさ。僕、仕事しなきゃいけないから……大人しくしててくれよ?」
するとシーアは――。
こてん、と床に寝そべった。
そして、僕の姿が見えるように頭だけ工房の入口に残し、体は奥へ。
「……見張られてる気分なんだけど?」
シーアはゆっくり瞬きをした。
肯定にも見えるし、ただの眠気にも見える。
「はいはい。分かったよ。ちゃんと見てて」
僕が苦笑して工具を握ると、シーアは満足したのか大きな翼を少し畳み、また目を閉じた。
■ 小さな幸せと、大きな不安
昼過ぎ。
作業の手を止めて、僕はパンをちぎって食べた。
端っこをシーアの方へ投げると、ぱくん、と器用にキャッチする。
竜なのに、かわいいのがずるい。
「おいしい?」
シーアは尾で床をとんと叩いた。肯定らしい。
「そっか」
そんな簡単なやり取りなのに、胸がじんわりあたたかくなる。
家族を失い、戦後の混乱の中で一人で生きてきて――
こんな“誰かとの時間”なんて、もうないと思っていた。
なのに。
今は、工房の片隅に大きな竜がいて、
その竜は僕を見ると嬉しそうに喉を鳴らす。
たったそれだけで、毎日が少しずつ満たされていく。
(……この生活が長く続けばいいけど)
そう思った瞬間、胸に冷たいものが走る。
竜なんて存在、誰かに見られたら終わりだ。
軍の残党が動いている噂も聞く。
そもそも――なぜ竜がいるのかすら分からない。
「……シーア」
呼ぶと、シーアは首をかしげた。
「お前のこと、いつか……ちゃんと調べないとな」
シーアは理解していないのか、ただ僕に寄るだけだった。
その温もりに触れながら、僕は小さくため息をつく。
この平和は、あまりにも脆い。
たぶん――長くは続かない。
そう予感していた。
第5章 港湾検査官来訪
その日の午後――。
工房の前を、妙に威圧感のある足音が通り過ぎた。
がつ、がつ、と軍靴みたいな硬い音。
(……嫌な予感しかしない)
ちょうどそのとき。
「ルシアン、いるか!」
重低音の声が店内に響いた。
僕は反射的に工房の奥へ視線を送る。
シーアはびくっと身を縮め、翼を小さく畳んで気配を消そうとしている。
「大丈夫、大丈夫だから。絶対出てくるなよ」
口パクで伝え、僕は慌てて店先へ出た。
■ 港湾検査官、現る
「お、お久しぶりです。ハルドさん」
そこにいたのは屈強な体格の大男。
港湾警備隊の検査官・ハルド。
戦時中は前線部隊にいたという噂もある、超がつくほど真面目な人だ。
よりにもよって、こんなときに。
「定期巡回だ。最近この辺で妙な“魔力反応”があると報告が来てな」
「魔力反応……?」
「お前の工房のほうからだ」
(終わった~!!ていうか、いつまで新政府は戦前のような「オカルト魔力話」信じてるんだよ!!)
背中にじっとり汗が流れる。
思わず笑顔が引きつった。
「ウチはただの時計屋ですよ? 魔力なんて扱えませんって」
「見れば分かる。だが一応、確認は必要だ」
(だよな~~~~!!!)
ハルドはずかずかと店内に入ってくる。
待て。そこは工房への扉だ。
そこから先は、竜がいるんだ。
竜がいるんだよ!? ほんとに!!
「ちょ、ちょっと散らかってて! 本日定休日ですし!」
「気にするな」
「気にしてくれ!!!」
心の中で絶叫しながら、僕は必死にハルドの進行を止める。
だが、大男の脚力は強い。
僕は紙みたいに押しのけられ、工房の扉が――
ぎい、と開いた。
■ 竜、息を止める
(ああああああああ……やばい……!)
工房の奥には、古い布にくるまった巨大な影。
シーアは息を殺し、ぴくりとも動かない。
ハルドの鋭い視線が奥まで貫く。
「……妙に暖かいな」
(うわあああ気付くなあああ!!)
「最近は夏日が多いですからね! あはは!」
乾いた笑いがむなしく響く。
「それにしても、この匂い……」
(匂い!? なんの!? シーアの匂い!? 竜臭!?)
「生き物の気配がする」
(やっぱりーーーー!!!)
僕は咄嗟にハルドの前に立ちふさがり、両手を広げた。
「は、鳩です!」
「鳩?」
「そう! でっかいやつ! 迷い込んできてまして! ほら、港の鳩でかいじゃないですか!」
「……鳩は鳴くぞ」
「今日は静かな気分みたいで!」
やばい。
自分でも何言ってるか分からない。
でも言わなきゃ死ぬ。
シーアも死ぬ。
僕は必死だった。
■ シーアの反撃(?)
その瞬間――。
工房奥から、ちいさなくしゃみが聞こえた。
「……っ」
僕の心臓が止まりかける。
「今のは?」
「僕です!!!」
「お前、今しゃべってなかっただろう」
「心のくしゃみです!!!」
(心のくしゃみってなんだよ!?)
さすがに苦しすぎる言い訳に、ハルドの眉が怪訝に寄る。
「……奥を確認する」
「だーーーめーーーーです!!!!」
ハルドの腕を掴もうとした、そのとき。
工房の奥で“何か”が動いた。
ばさっ、と布がめくれ、
丸く光る青い瞳がこちらをにらんでいる。
(終わった……!)
と思ったが――。
シーアは突然、猫みたいに丸くなって寝たふりを始めた。
翼を畳み、お腹を見せ、完全に“でっかい白いクッション”に擬態したのだ。
「………………」
「………………」
「……ただの荷物か?」
(バレてない!? 今のバレてないの!?)
僕は心の中でガッツポーズを決めた。
「ふむ。魔力反応は誤検知だったかもしれんな」
「そうですよそうですよ! 誤検知です! いやー焦りましたね!」
ハルドはしばらく工房を見渡した後、ゆっくり頷いた。
「では、また巡回に来る」
(来なくていい……!!)
心の叫びを押し殺しながら、僕はにこりと笑った。
「お気をつけて~!」
ハルドが去り、扉が閉まった瞬間――。
■ 僕と竜の、命が縮む午後
「シーア! お前……!」
シーアはむくりと顔を上げ、
キラキラと誇らしげな表情をしていた。
「……今の、“擬態”ってつもり?」
シーアは尾をぴん、と立てて自慢げに一回振った。
「……すごかったよ。正直、死ぬほど冷や汗かいたけどな!!」
僕がへたり込むと、シーアは心配そうに鼻先を寄せてくる。
「平気。……多分」
撫でると、シーアは嬉しそうに喉を鳴らした。
なんでこんなに危険な生き物を可愛いと思ってしまうんだろう。
(でも……もう限界だな)
このままじゃ、いつかバレる。
そうなる前に、何か手を打たなくてはならない。
そう、決意した。
第6章 “港の幽霊竜”と噂される
ハルドが去ってから数日後――港町は、やけに落ち着かない空気に包まれていた。
「なぁ聞いたか? “白い竜”の目撃情報が出てるらしいぞ」
「港の倉庫街で巨大な影が飛んでたって……夜中に鳴き声も聞こえたとか」
こんな噂が、酒場から市場まであちこちで飛び交い始めたのだ。
(……完全にウチのシーアのことだよな)
僕は頭を抱えながら、店先でため息をつく。
夜、工房の中でシーアが寝返りを打つと床がきしむ。
翼をぱたぱたすると窓が震える。
――そりゃ外にも音が漏れるわけで。
(お前、寝相悪すぎだろ……)
悩む僕の背後で、当の本人――いや当の竜が、棚に頭を突っ込みながらもぞもぞ動いている。
「シーア、ちょっと静かにして……!!」
小声で注意すると、シーアは悪びれずに尻尾を振った。
その動きで、置いてあった工具箱ががしゃんと落ちる。
「そういうとこだよ!!」
外に人がいないことを確認してから、僕は急いでシャッターを降ろした。
この町で白い竜なんて目撃されたらどうなるか。
戦争の傷跡が残っているこの国では、軍に引き渡されるのがオチだ。
つまり――シーアは即捕獲コースだ。
(絶対にやらせるか……!)
■ ■ やっぱり来た、港湾警備隊
そんな矢先。
――ドン、ドン、ドン!
勢いよく扉が叩かれた。
「港湾警備隊だ! ルシアン、いるか!」
「うわっ……またかよ!」
声の主はハルドではない。もっと軽い、若い声。
どうやら複数人いる。
(やば……完全に“調査”モードじゃん!!)
工房の奥では、シーアが固まっている。
今回は寝たふりで誤魔化せるレベルじゃない。
僕は深呼吸し、扉越しに叫んだ。
「ちょっと待ってください! 今、散らかってて!」
「緊急調査だ! 最近、この辺で“魔力反応の揺れ”が観測されてる。倉庫街の噂も聞いたか?」
「き、聞いてませんねぇ!」
「開けろ!」
(あーーーーもう!!)
腹をくくって扉を開ける。
警備隊の若い隊員が三名。
全員、明らかに緊張している。
そのうち一人が言った。
「怪しい影を見たという通報があった。この工房の屋根の上で」
(シーア、お前夜中に何してた……!?)
■ ■ 必死の誤魔化しタイム
「工房の屋根には僕しか登りませんよ。ええ、もう毎日のように」
「なぜだ?」
「星を見るためで~~~す」
「……時計屋なのに?」
(うるせぇな! ロマンってやつだよ!!)
内心叫びつつ、外面はにこにこ。
「と、とりあえず奥を確認させてもらう!」
「えぇ!? 今日は本当に何も――」
隊員たちがずかずか工房に入ろうとしたその瞬間。
――バタンッ!
奥の扉が勝手に閉まった。
(シーア!? おい! 逆に怪しいから!)
「……今のは?」
「風でーす!! 海風でーす!! 港町の風は強いんですよ!」
そのとき。
奥から、かすかな鳴き声が聞こえた。
……きゅるるる。
「……今のは?」
「僕のお腹でーす!!!」
(マジで学習しないな僕は!!!)
隊員たちの視線が鋭くなる。
「奥、開けます」
「ちょっと待ったああああ!!」
僕は隊員一人の腕を掴んだ。
「これでも職人です。精密機械が多いんです。乱暴に開けられたら壊れます」
「それは……まぁ……」
「代わりに、僕が先に開けます。ゆっくり、慎重に」
隊員たちは顔を見合わせ、頷いた。
■ ■ 小さな竜の、完璧隠れ方
(シーア……頼む……せめて動かないでくれ……)
祈りながら扉をゆっくり開く。
――すぅ……。
工房の奥の光景。
そこには、
巨大な白いクッションの山に擬態したシーアがあった。
(おい……絶対動くなよ!?)
シーアは丸くなり、翼を体に巻きつけ、
尻尾を完全に体の下に隠している。
その真ん中に、たまたま毛布と布が重なっており、
本当に“ただの布の山”に見えなくもない。
ただし――。
……呼吸で山が上下している。
(動くなって言ったのに……!!)
「これは……?」
「冬用の布団です!! 寒がりなんで!!」
「港町で冬用……? 今、夏だが」
「夏こそ冷えるんですよ!!」
(意味わかんねぇ!!)
隊員の一人が布の山に手を伸ばしかける。
(触るなぁぁぁ!!)
「すごく高級なんで触らないでください!!!
汚れた手だと跡がつくんで!!!!」
「お、おう……」
隊員たちはそれ以上追及せず、しぶしぶ工房を後にした。
扉が閉まり――
僕はどっと床に倒れ込んだ。
「しんだ……もうしんだ……」
山の下から、シーアがひょこっと耳だけ出した。
「シーア……お前……ほんと……」
怒るでもなく、呆れるでもなく、僕は笑った。
「……ありがとな。頑張って隠れてくれて」
シーアは照れたように鼻を鳴らし、尾をぴんと立てた。
■ ■ そして、噂は“確信”へ
その日の夕方。
酒場ではこう言われていた。
「やっぱり港に白い竜がいるらしい」
「警備隊が調査に来てただろ? 相当本気だぞ」
(やべぇ……やべぇって……)
そして、この噂は――。
とある科学者の耳にも届く。
銀縁メガネの男は、グラスを置きながら微笑んだ。
「……白い竜。まさかね。
でも、本当に生きているなら――」
細い指が、嬉しげに震える。
「迎えに行かないと。
――僕のアルバレイスを」
その声は、どこまでも冷たく穏やかだった。
第7章 科学者、海風とともに帰還す
港町の夕暮れは、潮の匂いが濃い。
その中を、銀縁の丸メガネがきらりと光りながら歩く男が一人。
――ニコライ・オーベル。
白衣の裾が風になびき、革靴はいつものように一切の汚れを許さない。
「……懐かしいな。
戦争中、この港からどれだけの“素材”が運び込まれたことか」
その“素材”の中のひとつ――いや、最高傑作。
彼のアルバレイスは、今どこかこの街にいる。
ニコライの笑みは、穏やかで、恐ろしく冷たい。
「会いたいな。
君の“成長”を、この目で確かめたい」
その背後。
音もなくついてくる影があった。
「先生、調査区域の地図です」
「ありがとう、ラース」
淡い水色の眼鏡をかけたラース・フェルナーが、始終同じ笑顔のまま地図を差し出す。
「“白い竜”の目撃情報は、この倉庫群あたりに集中してます。
住民は怯えてますよ。ふふ……怖がりですよね、人間って」
まるで他人事のように言う。
ニコライは地図を軽く広げ、港町の中心に印をつけた。
「ここだ。
魔力反応が最も安定している」
それは――ルシアンの工房がある地区だった。
■ ■ 工房の夜。何かが近づく
その頃、工房では。
僕は作業机で、壊れた懐中時計をいじっていた。
隣の部屋では、シーアが丸くなって寝ている。
(今日は大人しいな……)
静かなのは良いことだ。
だけど、港での白竜騒ぎは悪化している。
町の連中は“幽霊竜”なんて呼び始めた。
冗談みたいな噂が、現実を呼び寄せる。
僕は嫌な予感で胸がざわついていた。
すると――。
――コン、コン。
軽く扉が叩かれた。
夜だぞ? 客は来ないはずだ。
「……どちら様ですか?」
返事はない。
代わりに、扉越しに柔らかい声がした。
「ルシアン・ヴェルネくん。時計職人の」
胸が、ぴたりと止まった。
「初めまして。私は――
ニコライ・オーベルだ」
(名前……知ってる。絶対に関わっちゃいけない人種だ)
心臓が早鐘のように鳴る。
シーアが奥の部屋で目を覚ましたのか、
かすかに羽音がした。
「入っても?」
「い、いや、今日は閉店で――!」
「そう言うと思っていました」
その瞬間――。
扉の鍵が、勝手に開いた。
カチリ。
(……なんで!?)
ゆっくりと扉が開く。
潮風を背負って、白衣の男が立っていた。
■ ■ 科学者と、時計職人
ニコライは、軽く眼鏡を押し上げる。
穏やかな笑み。
しかし瞳の奥は死ぬほど冷たい。
「こんばんは。突然でごめんね」
「な、何の用です……?」
「少し、探し物をしていてね。
“白い竜”を見なかったかな?」
(きた……!)
「み、見てませんね……。はは……」
「そう。君の工房の周辺で目撃があったと聞いてね。
もしかすると……君の工房に、匿っているのかと思って」
でた。
笑顔のまま、刺すように核心を突いてくるやつ。
「いるわけないじゃないですか」
「そうかな?」
その声に、背中が凍る。
ニコライの視線は、部屋の奥へ滑るように移動する。
「魔力の“残り香”がある。懐かしい匂いだ。
まるで……僕のアルバレイスのような」
笑顔のまま、軽く首を傾げる。
「君の後ろにいるのは、誰だい?」
(やめろ……!)
僕の背後の部屋には、確かにシーアがいる。
でも、絶対に渡せない。
「……誰もいませんよ」
「嘘をつくと、呼吸が浅くなる。
君、正直者なんだね」
ニコライが一歩近づく。
足音が、妙に静かだ。
「ルシアンくん。
僕は“作品を奪われる”のが大嫌いでね。
――返してくれる?」
作品。
その言い方に、僕の中で何かが切れた。
「……シーアは、人だ」
小声で言ったつもりだった。
しかしニコライは、確かに聞いていた。
その瞬間、彼の目の色が変わる。
「……シーア。
なるほど、偽名をつけたのか」
凍り付くような笑み。
「返さない……と言うのかな?」
背中の部屋がかすかに揺れた。
シーアの気配が、僕の肩越しに伝わってくる。
(……来るな。絶対出てくるな)
「返す気はありません」
僕は震える声で言った。
「彼女は……僕が守ります」
ニコライの笑顔が、静かに深まる。
「いいね。
じゃあ、“奪い返す”しかないか」
その言葉と同時に、
風のような気配が背後から迫った。
「先生」
ラースだ。
いつの間にか、扉の近くに立っていた。
不気味な笑顔のまま。
「準備、できてます」
「ありがとう」
ニコライは軽く頷き、僕を見た。
「では――始めようか。
“奪還作戦”を」




