第31話 反旗
「姫宮様のお誕生、誠におめでとうございます。並びに皇太后様に幼名まで、と姫宮様の将来がますますと明るくなることでしょう」
承香殿女御が祝いに訪れた翌日、尚侍が弘徽殿にやってきた。
常盤院にいた時も、鈴の誕生の知らせを聞いた家々から、様々な贈り物が届いていた。それは後宮に戻って来てからも変わらない。
若宮でなくても、帝の唯一の御子を産んだものだから、こぞってご機嫌取りをしているのだろう。直接、常盤院に来て挨拶をしてくる者を、お父様は嬉々として対応していたという。
鈴が帝の子ではないことを知りながらも、対応してくれることは有り難いと思っている。左大臣という高い位にいるため、ボロを出す危険性がないのも救いだった。
けれど後宮に戻ってくれば、そのすべてを私が対応しなくてはならなかったため、お父様の有り難さが身に沁みた。
それでも、そのすべてを私が対応しているわけではない。贈り物や位の低い者の挨拶などは、小侍従たち女房が判別し、請け負ってくれている。けれど尚侍はそうはいかない。
帝の補佐をし、現在不在である事実を隠している筆頭女官。承香殿女御とは違い、彼女を蔑ろにするわけにはいかなかった。
けれど皇太后様のように、鈴の顔まで見せる必要はない。かといって、承香殿女御のように警戒するのは失礼に値する気がしたため、鈴を局に残した。勿論、傍には乳母と小侍従が控えている。
「ありがとう、尚侍」
思えば尚侍は、初めて会った時から好意的なのか、中立の立場なのか、よく分からない人物だった。それは話の分かる女官として、重宝したいという感情はあるものの、どうにも彼女を好きになれなかったからだ。
暗に惟久様から聞いたであろうことを平気で口にすることや、猫を惟久様に連れて来させることなど、これ見よがしと接触していることを匂わせる素振りをしていたからだ。
惟久様は尚侍との関係を否定するけれど、私には分かる。私も惟久様のことが好きだから、尚侍も同じ想いを抱き、届かないともがき苦しんでいるのだ。
直接、私の前で、そのような素振りをしたことはない。けれど同じ人を好きになったからだろうか。察したくもないのに、察してしまう。
おそらく、それは尚侍も同じだと思っている。私が帝ではなく、惟久様のことが好きなことを、向こうも察しているような気がするのだ。
だから鈴を、局に残した。帝の不在を知っている尚侍ならば、鈴の父親が誰かなど、予想はついていることだから。ここで釘を刺しておかなくては。
私は承香殿女御の時とは違った緊張を抱きながら、再び口を開こうとした。その矢先、傍に控えていた鈴がぐずり出した。
さっきまで、ご機嫌だったのに。私の感情に反応してしまったらしい。
思わず乳母の元へ駆け寄ると、御簾の向こうから、クスクスと笑う声が聞こえた。
「ごめんなさいね。普段は人見知りをしないのだけれど、今日は違うみたいで」
「いいえ。私が尚侍として後宮にやって来てから、子どもの声など聞いたことがなかったものですから、このような声でも愛らしく聞こえてしまい……申し訳ございません」
「いいのよ。尚侍も初めてのことでしょうか。それにしても、よく笑う子なのに、どうしたのかしら」
鈴の好きな綺麗な布を見せたり、人形を見せたりしても「うっ、うっ」と言い、今にも泣き出しそうだった。乳母も困った表情をするばかりで、一向によくならない。
仕方がない、と思い、私は鈴を乳母から受け取った。なにせ鈴は、私の腕の中では泣かぬのだ。
「よしよし、いい子ね。尚侍、すまないが、このままでいいかしら」
「構いません。けれど、私のような者が来たからでしょうか。姫宮様のご機嫌が悪くなったのは」
「……何か思い当たる節でもあるというの?」
正直にいうと、これは私の落ち度だ。
いくら乳母がいるからといっても、常盤院でも弘徽殿でも、常に鈴を身近に置いていたからだ。そのため、私の感情に反応しやすくなってしまったのだろう。気をつけなければ。
「……それは弘徽殿女御様の方かと思いますが」
「っ! 言いたいことは分かるわ。でも、ここで言うことではないでしょう」
尚侍という立場ならば、分かるはずだ。けれど御簾越しに見える尚侍は、悪びれる素振りがない。むしろ、昨日の承香殿女御と同じ空気を纏っているように感じた。
何かしら。嫌な予感がするわ。
「小侍従」
長年の付き合いからか、その声だけで隣にいる乳母に何か支持を出している。おそらく人を呼ぶように言ったのだろう。すぐに乳母が隣の局へと移動する音が聞こえ、代わりに小侍従が私の傍に寄って来た。
「尚侍、何をする気?」
「簡単なことです。姫宮様がお生まれになりましたので、もう後宮の秘密を明かしてもいいのではないか、と思ったまでです」
「……これまで、頑なに守り続けて来たのに、どうしたというの?」
「守るべき対象ではない、と思ったまでのことです。もう、疲れてしまったのですよ。私達は」
その言い分は最もだった。後宮の秘密とは、帝の不在のこと。後宮でも内裏でも、一部の者しか知らされていないため、年月が長くなれば、誤魔化すのも大変だろう。
特に帝の補佐し、身の回りを世話する女官の頂点にいる、尚侍であれば。
「身勝手に私達を振り回し、今度は御子様まで。このような狼藉を働かせる者に、誠心誠意お仕えなんてできません!」
尚侍が言い放つと、突然、女房達が押し寄せてきた。ここが後宮でなかったら、検非違使もいたのではないだろうか、と思わせるほどの現れ方だった。
「尚侍様! いくらあなたがこの後宮において、女御様ほどの権力を有していても、これは無礼ですよ!」
「相手は帝の子ではない御子をお産みになられた女御様です。これが無礼であるものですか!」
「な、何を根拠に」
「女御様もご存知のはずではありませんか。今、この都に帝はいません。いない方の御子など産むことすらできない、ということが」
その言葉に、この場にいる誰もが驚きの反応を見せなかった。
いや、それよりもやられた気分だった。
尚侍にとって私はいわば、恋敵のような者。惟久様が猫を貰い受ける時に叱っておいた、と言っていたことから、私との関係を疑ってもおかしくはない。そう、逆恨みをしてもおかしくはないのだ。
私を鈴ごと後宮から、いや世間から排除することで、帝が不在という事実を軽くしようともしていた。鈴は帝の子ではないのだから、尚侍のやっていることは正攻法。不意を突かれた、こちらの方に落ち度がある。
そして何より、彼女は帝に仕えている身。その帝を優先することが、尚侍である彼女の仕事であり、忠誠心を表しているのだ。これに対して私が反論など……できるはずもなかった。




