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帝不在の平安後宮〜それでも私が入内する理由〜  作者: 有木珠乃@2/6『ヒロインの弟に迫られています』配信中
第4章 後宮復帰

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第30話 招かざる者の来訪

 後宮という狭い世界では、よい噂ほど速く広まるものである。逆に、悪い噂や隠そうとする意志のある情報においては、水面下でのみ広まってしまうのかもしれない。


 お陰で皇太后様が姫宮に、『鈴』という幼名を付けられたという情報は、その日の内に知れ渡った。


 だから、かの者がこのような出方をするのもまた、想定内だったが……いくらなんでも速すぎない? 数日、間を置くとか、考えなかったのかしら。


 私は御簾越しだというのに、扇で顔を隠しながら、小さくため息を吐いた。


「弘徽殿女御様におかれましては、御子様の誕生、誠におめでとうございます」

「お祝いの言葉をありがとうございます、承香殿女御様」


 思わず直々に、と言いそうになり、グッと堪えた。言い方によっては、皮肉にしか聞こえないからだ。いや、承香殿女御を見ていると、皮肉めいた言い方しかできそうにない。


「御子様の誕生は、同じ入内した身として、喜ばずにはいられませんから。後宮とは、そういう場所でしょう?」

「……えぇ、そうですわね」


 暗に後宮ではない場所の懐妊宣言を非難して来るなんてね。約一年ぶりの再会だけど、承香殿女御も少しは頭を使えるようになったのかしら。それともこれを言いに来たとか。


 少しだけ揺さぶりをかけてみることにした。


「私もまさか、宿下がりをしている時に、帝がわざわざいらしてくれるとは思っても見なかったのです」

「っ! そういえば、弘徽殿女御様は帝と筒井筒(幼なじみ)の仲だとか」

「えぇ。いとこ同士でもあったため、童の頃は交流がありましたの。けれど裳着を終えてからは、一度も顔を合わせていなかったんですよ」

「まぁ! そういうことでしたの。ではさそがし、話が弾んだのではないでしょうか」


 何かしら、この違和感。この不気味さ。


 今、この場に鈴を置かなかったのは、承香殿女御が何か仕出かすのではないか、と危惧したからだ。けれど今の承香殿女御を見ていると、鈴を傍においても、何も問題がなさそうなほど、大人しかった。


 それが却って、承香殿女御という存在が、怖くて堪らなかった。


「弘徽殿女御様のところに帝が頻繁に行かれたのも、無理もありませんわ。私には、帝との接点が皆無ですから」

「そのようなことは……帝はお優しい方ですから」

「では、なぜ私のところにはいらしてくれないのでしょうか。弘徽殿女御様のところばかり……狡いですわ」

「帝が後宮にばかり時間を割けないのは、お分かりになると思いますが。それに私に対しては、今更取り繕う必要はありませんから、それでよくお渡りになるのかもしれません」

「……私では、心を休められないと、そうおっしゃるのですか?」


 現に私が休められないのに、帝が休めるとでもいうのだろうか。そもそも、帝が不在であるため、どんなに努力をしても、承香殿女御の元に渡ることはあり得ない。いや、そもそも努力などしているのだろうか。


「ご自分が御子様を産んだからって、このような仕打ちは酷いです!」

「仕打ちって、私は何も酷いことは言っておりません」

「言ったではありませんか。私では、帝のお心を休めることができないと」


 それはあなたの発言であって、私が言ったわけでも、言わせたわけでもないわ!


「承香殿女御様。どうなさったのですか? 以前お会いした時とは、まるで人が違うように思えましてよ」

「弘徽殿女御様がそうお感じになるのは、御子様を産んだからです。余裕がある者だからこそ、私の気持ちなど理解できないのです。もう私たちは対等な立場ではないのですから」


 いつから承香殿女御と対等だったかしら、と思わず首を傾げたくなった。


 そもそも私は帝を愛していないし、入内すら拒んでいた身。承香殿女御と同じ舞台にすら立っていなかったのである。とはいえ、帝の不在を知らない承香殿女御に、それを伝えたら伝えたらで、大騒ぎするだろう。


「……対等ではない、とおっしゃるのであれば、私にどのような態度を望むのですか? 先ほどから承香殿女御様は、そればかりおっしゃられる。御子の誕生を祝いに来てくださったのではありませんか?」

「も、勿論ですわ。御子様は今、帝の唯一のお子ですから。だけどこのままでは……」

「このままでは?」

「い、いえ、なんでもありませんわ」


 このままでは右大臣家の力が弱まってしまう。そう言いたかったのだろう。


 もしかして、皇太后様とお祖母様のお怒りを受けた右大臣から、何か言われたのだろうか。それこそ、酷い仕打ちを。だから私を悪者に仕立て上げようと……いや、この場合は、仕立て上げなければ精神が保てないほど、衰弱しているのかもしれない。


 そうは見えないけれど……本当に困ったお人だこと。


「どうやら承香殿女御様は、お体の調子が悪いようにお見受けいたします。ささやかですが、五十日(いか)の祝いも予定していますので、またその折にでも、お越しくださいませ」

「ささやかなどと。それはいけませんわ」

「いいえ。いずれお生まれになる若宮様のためには、それが一番良いかと思うのです」


 帝の御子でもないのに、堂々と後宮で祝うのは、さすがに気が咎める。それに、いずれ帝が戻ってくれば、本当に若宮が生まれる可能性だって否定できないのだ。


 まだまだ帝は若い。私や承香殿女御以外にも、入内して来る者も出てくるはずだ。桐壺女御様は……おそらくもう戻って来るつもりはないのだろうけれど。

 私が後宮に戻って来ても、桐壺に女御様の姿はないという。であれば、帝の女御は私と承香殿女御しかいない。私が生んだ御子が姫宮だと分かれば、まだ好機があるとみて、入内させるかもしれないからだ。


 その望みを絶やしてはならない。他ならぬ、鈴のためにも。


「さぁ、承香殿女御様のお見送りの準備を」

「……ご配慮、ありがとうございます」


 まだまだ言い足りない、とでもいうような顔をされたが、私の方はもう用はない。できることなら、これからもないことを望みながら、小侍従へとさらに指示を出した。



 ***



「ちょっと! これはどういうことなの?」


 弘徽殿を後にした承香殿女御は、自身の殿舎に戻らず、清涼殿へと足を運んでいた。そこにいる女房に用があったからだ。


「なんのことでしょうか」

「しらばっくれないで! あの女に帝の話を振れば、動揺させることができるっていう話だったじゃない」

「……では、今度は御子様に振ればいいのです。宿下がり中に懐妊だなんて、本当に帝の子なのか、怪しいですからね」

「確かに。でも、そう何度も弘徽殿へは行けないわ。ご機嫌伺いなんて、そもそもしたくないし」


 帝が不在になってから、清涼殿の警備は気薄になっていた。主がいないのに、警備するのも馬鹿馬鹿しく思ったのだろう。承香殿女御とその女房は、警備の隙をつき、このように密会をしていた。


「はぁ、相変わらずですね。弘徽殿女御様を陥れたいのであれば、多少は我慢してください」

「な、何よ。私にだけやらせようとしておいて、ちょっと図々しいわよ。あんただって、面白くないんでしょう?」

「そうですね……では、こういうのはどうでしょうか」


 女房は承香殿女御の耳に口元を寄せた。ほんの僅かな間だったが、承香殿女御にとっては、満足のいく言葉を得たのか、口元が弧を描く。


「いいわ。でも私はすでに警戒されているし、お父様から問題を起こすな、と言われているの。だから結局は、おまえがやるのよ、いいわね」

「構いません。けれど私一人では無理ですので」

「分かっているわ。手助けをしてあげる。その代わり、帝に私のことをちゃんと伝えるのよ」

「勿論でございます」


 そう答える女房の口元もまた、弧を描いていた。

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