第27話 皆の助け
「千景!」
お父様から私の懐妊宣言をしてもらった日の夜。案の定ともいうべきか、惟久様がやって来た。まだ帝の影武者をしているためか、なるべく足音を立てずに、それでも急いで来てくれたのが分かるほど、息を切らしていた。
それが嬉しくて、思わず惟久様に抱きつく。すると、なぜか駆けつけてくれたのにもかかわらず、私の行動に驚き、体を離してきた。
「……惟久様?」
「いや、その……直衣が冷たいから……千景の体が冷えてしまう」
「これくらい、大丈夫ですよ?」
「だが……」
「それとも、何かやましいことがあるのですか? ここ最近、来てくださらないことが増えましたよね」
宿下がりした時は、毎夜、訪れては、朝方に帰って行く。ずっと会えない期間が長かったから、何もせず、ただお喋りをするだけでも嬉しかった。
その反面、惟久様の意図にも気づいていた。帝の影武者となって、私の元に通う意味を。
後宮でのお渡りは、他の女房の目もあり確実なのだが、今の私は常盤院に帰って来てしまっている状態である。とはいえ、ほんの少しの宿下がりを終えたのち、後宮に戻って懐妊宣言。さらに再び宿下がりをすると、私の体に負担がかかるため、医師から容認できない、と言われてしまった。
惟久様は先回りをして、その対策を練っていたのだ。嫌がっていた帝の影武者になってまで、私を助けてくれる。共犯者であるのだから、バレたら惟久様もただでは済まされない。だから当たり前だ、と思うことはあるけれど、それでもいいのだ。
どんなものでも、惟久様との繋がりが切れなければ、それで……だけど、限度というものがある!
おそらく、周囲の憶測が、あらかた認知され始めたのだろう。そこを見計らった途端、足が遠のくなんて……もう用済みだと言われているような気分だった。
「惟久様もお忙しいのは分かっています。でも、急にそのような態度をされたら、不安に思うではありませんか」
今夜も来ないのか、と侘しく思っていた数日間の感情が、急にあふれ出し、気がつくと頬を濡らしていた。
「すまない。ここ最近は……と言い訳をしても見苦しいだけだから、そこは省くが、私はけして千景を見捨てることは絶対にしない。これだけは誰に何を言われても、変わらないことを約束するよ。千景は私のものなんだ。誰にも奪わせない」
「……こ、惟久、様?」
何もそこまで言わせるつもりはなかった。確かに私は、惟久様のものだけど……少しだけ、その眼差しが怖くなった。どこか、狂気にも似た、その眼差しが。
けれど惟久様も、すぐにそれを察したのだろう。一瞬、目を見開き、詰めていた距離だけ、身を引いた。
「い、いや、これは、その……それだけ千景のことが大事なんだと言いたかったんだよ。だから、千景が疑うようなやましい行為はしていない。絶対にね」
「けれど、内裏では尚侍と会う機会もあるのでしょう?」
「っ! やきもちを焼いてくれるのは嬉しいけど、千景に疑われたくはないからね。あれから尚侍とは話してはいないよ。会う機会は、まぁあるにはあるけど、後宮には千景の女房達も残っているからね。千景の耳に入れて、傷つけたくはないから」
「そう、でしたの」
まさかそこまで気を遣ってくださっていたとは思わず、急に胸が熱くなった。
「これからは、ここに来られない日は、前もって連絡をするよ。そうすれば、千景も不安に思わなくて済むだろう?」
「はい。でも、手間が……」
「さっきのように泣かれるくらいなら、このくらい手間じゃないよ」
そう言いながら、私の濡れた頬に触れ、そのまま抱きしめてくれた。その瞬間、思わず「あっ」と声が漏れた。なぜなら、さきほどは冷たかった直衣が、温かいのだ。
「温石を仕込ませておいたんだけど、効果が出る前に千景が抱きついてきたから……すまない。私だって、毎日、千景に会えていた日々は夢のようだったんだ。こちらの都合とはいえ、それが潰えれば、私だって寂しかったんだよ」
「惟久様……」
「加えて、何の相談もないまま懐妊宣言されて、どれだけ驚いたことか。そうせざるを得ない状況なのかと、肝が冷えた」
惟久様をただ驚かそうと、いや、なかなか来られないことを恨めしくて、お父様にお願いしただけなのに、まさか変な方向に深読みされていたとは思ってもみなかった。
「医師からの許可は得ていましたので、お父様からそろそろ、と言われたのです」
「確かに千景は今、常盤院にいるわけだから、宣言するならば、左大臣様しかいない。私よりも情勢を読まれているから、時機を見計らうのも上手いだろう。だけど、それだけだとは思えないんだけど?」
さすがは惟久様。幼なじみなだけはある。私は正直に話すことにした。そう、ただ惟久様を驚かせたかった、のだということを。
「……そういうところは、二人とも、お祖母様にそっくりなんだから」
「ごめんなさい」
「いや。でも、本当に何もなくて良かったよ」
「医師がいうには、あと数月もしたら、お腹も大きくなってしまうため、この辺りがいいと言っていたんです。ただの宿下がりだと、そろそろ限界がありますから。けれど今の時期は、牛車に乗るのも危険だと言われまして」
「っ! そうなのか。こんなことなら、情報を仕入れておけばよかったな」
情報って、妊娠の? 惟久様が? そんなことをしたら、怪しまれますよ。
「ふふふっ。とりあえず、懐妊宣言はしたので、あとはゆっくりと過ごしたいと思います」
「そうだね。内裏や後宮は大騒ぎになっているけど、事前に帝が常盤院に通っている、という噂を流しておいたから、そっちは疑われていないみたいだから」
「っ!」
「皇太后様にお願いしておいたんだ」
「そうだったんですか!? 弘徽殿には、私の女房達が残っているのに……まったく気がつきませんでした」
「いいんだよ。今は自分の体のことだけを考えてほしいんだ。そのために宿下がりさせたんだから」
えっ、と顔を惟久様の方に向けると、明らかに動揺した素振りを見せた。
「ほ、ほら、千景の文をお祖母様と左大臣様に届けただろう。その時に打ち合わせをしたというか、なんというか……」
「そう、でしたね。あの時は惟久様に対して、まだ怒りが収まっていない状況でしたし、それでお祖母様がお父様の文をわざわざ届けに来てくださったのですから」
だから誰にも非難されず、円滑に宿下がりができた、というわけか。
「それではますます、元気なややこを産まなくては、ですね」
出だしはどうであれ、皆が協力してくれている。下手すれば非難され、挙げ句の果てに、都から追い出されていてもおかしくはなかったというのに。
願ってもいなかった愛する人とのややこ。誰にも祝福されないことも、覚悟の上だった。それなのに、お父様が懐妊宣言をしてから、常盤院に届く、祝いの品々。
見に行くことは止められているけれど、芹からの報告で、どれだけ嬉しかったことか。
「できる限り、私も協力するよ。連絡も逐一入れるようにする。何分、そういうのは得意だからね」
「ふふふっ、ありがとうございます」
そうして惟久様をはじめとする、お父様やお母様、芹の助けを借り、八カ月後に無事、姫宮を授かった。




