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帝不在の平安後宮〜それでも私が入内する理由〜  作者: 有木珠乃@2/6『ヒロインの弟に迫られています』配信中
第3章 宿下がり

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第25話 願い(惟久視点)

 噂というのは簡単なものだ。ただ一言、「帝が常盤院に通っているのでは?」という憶測を、後宮は勿論のこと、内裏にまで広めてもらうようにと、皇太后様に頼んだ。


 私がいくら帝の影武者をしていても、表立って姿を現すことはできない。前にお祖母様が、『背格好は似ているし、確か年齢も同じだった』と私と帝を比較していたが、女性のように扇や裾で顔を隠せるわけではないのだ。

 渡廊(わたりろう)を歩く程度なら、姿を見せても大丈夫だろうが、それでも限界がある。


 さらに問題なのは、私の顔を知っている者たちの存在だ。普段は帝の間諜として、こっそり内裏に忍び込んでいるが、顔なじみの者たちもいる。たとえば、尚侍とか。


 先日、帝の影武者をしていることを知らない尚侍に見つかり、どうしたのか、と問われてしまったのだ。その時は咄嗟に「千景が宿下がりしているから、私も帝の不在を疑われないようにしているだけだよ」と繕ったが、千景の懐妊を疑われずに遅らせるための行為だと、いずれバレてしまうことだろう。


 それを避けるには、帝の不在を知っている者でも、帝が常盤院に通っている、という憶測を植え付ける必要があった。

 不在を知らない者には清涼殿から通っている帝に(ふん)した私の姿を見せ、知る者には不在の間、こっそり千景と会っていたのではないか、と思い起こさせれば、誰も千景の懐妊を疑わないだろう。


 すると今度は、次に打つべき手段が、必然と見えてくる。そう、帝のお出ましだ。


 私は皇太后様に頭を垂れた後、再びこっそりと藤壺を抜け、あるところへと向かった。



 ***



 都を離れ、馬を走らせて数刻。宇治にある、寂れた邸に足を踏み入れた。寂れたといっても、人の出入りが少ないだけで、邸の周りは整備されている。

 ここはかつて、橘家の別荘があった場所だからだ。通称、瑞霞院(ずいかいん)。時折、邸に霞がかかるため、そう名付けられたのだ。


 そんな幻想的ともいえる、宇治の別荘に、今、身を置いている人物もまた、浮世離れしていた。私が瑞霞院に足を踏み入れても、その者は(きざはし)に座ったまま、動こうとはしなかった。


「帝。いくらここが人目に付かない場所でも、無防備に姿を表に晒すものではありませんよ」


 浅黄色の狩衣を身に纏っていても、さすがは帝。諸国を回っている私とは違い、ただ座っているだけで品がある。けれどどこか儚げに見えてしまうほどの、危うさも見られた。


「惟久か。都にいた時は、あまりうるさいことを言わなかったのに……でもまぁ、私の我が儘につき合ってもらっているんだから、これくらい我慢しないとな」

「……我が儘なのは、私の方ですよ」

「どうした? 今日はやけにしおらしいではないか」

「……千景が身籠りました」

「っ!」


 私の言葉に、今まで心ここにあらずといった表情だった帝が、生気を取り戻したかのように、真剣な顔をこちらに向けてくる。


「私のために入内したことは聞いた。それがなぜ、身籠るなど……まさか、惟久。それが狙いだったのか!?」

「それは違います。千景の入内でさえ、私にとっては予想外のことだったんですから」

「では、どのような結末を望んで、桐壺女御を入内させた? あの者はずっと、苦しんでいた。入内した時からずっと」

「帝に知ってほしかったのです。他に想い人がいる者を入内させれば、苦しむことになると」

「千景の心がおまえにあったことは知っている。だから急かしはしなかった」


 それが帝なりの優しさなのは分かっていた。けれど政事(まつりごと)に待ったはない。いくら帝が遠慮した姿勢を見せても、欲に満ちた人間たちの行動は早いのだ。


 だから私も急ぐ必要があった。


「帝は分かっていらっしゃらない。千景の入内は刻々と迫っておりました。常盤院に、二年間も外に出してもらえない程、切羽詰まっていたのです」

「っ! 左大臣がそのようなことを……それで、千景は惟久に助けを求めた、というわけか」

「いいえ。弱音一つ吐くことなく、耐えていました。左大臣様の目を盗んで、こっそり会いに行った時でさえ、いつものように明るく迎えてくれるだけで……」

「そうか。惟久は元服後も、そうやって会いに行っていたのだな。私は何もできず……最初から勝ち目などなかった、というわけか」


 こういう時、帝に間諜にしてもらって良かったと思っている。諸国を回ることで、体力も処世術も学び、忍び込む術も会得できたのだから。


「帝が誰かに肩入れすれば、どうなるのか、も分かっていただけたかと思います」

「はぁ、承香殿女御のことか。おまえの策略とはいえ、桐壺女御を見ていると、千景と重なってな。せめて、と気にかけすぎたのがいけなかった」

「千景も入内して、しばらくしてから、やはり手を出してきましたよ」

「っ! それで千景は? 大丈夫だったのか!?」

「お祖母様が来ていましたので、皇太后様にもお力を借りて、右大臣様に抗議したようです」

「……都合よくそんなことが起こるとは思えん。お祖母様が来た時に、仕掛けるようにと、承香殿女御を唆したのか?」


 さすがは帝。千景もお祖母様も疑わなかったというのに。


「えぇ、その通りです。お祖母様を通して、皇太后様に取り入り、承香殿女御様の力を削ぐつもりだと。承香殿女御様も偶然を装い、その場に混ぜてもらい、邪魔してはいかがですか? と助言させていただきました」

「あの女は危険だ。右大臣を使って大人しくさせても、意味はない。しばらくすれば、また同じことをするだろう」

「そうです。これは一時的な牽制……いえ、制裁でしょうか」


 念のため、その後の様子を監視していたが、やはり懲りている様子はなかった。父親である右大臣から叱責を受けた後、お付の女房たちに当たり散らしていたからな。


「ですから、帝に頼みがあるのです。そんな身の上ではないことは分かっているのですが……千景は御子を産んだ後、再び後宮に戻らなければなりません。けれど私では、御子と千景を守ることができない。帝でなければ……」

「本当に都合の良いことだな。自分のために、桐壺女御を無理やり入内させ、私を都から追い出したというのに、今度は千景のために戻れという」

「厚かましいのは分かっています。どのような処罰も受ける覚悟にございます。ですが、御子と千景だけは、どうか!」


 守っていただきたい。御子が無事に産まれるか、は左大臣様がこの状況を好機とおっしゃったのだから、そこはまず、問題がないだろう。けれどその後だ。

 御子が帝の子でない以上、どのような扱いを受け、千景も見放されるのが怖かった。


 都合のいい時だけ、と言われ、罵られても構わない。私にとっては、それほど大事なのだ。


「……分かった。惟久の処分については、ここ瑞霞院でゆっくりと考えよう。その代わり、条件がある」

「な、なんでしょうか」

「私が都に戻る時期だ。不在を隠している、ということだから、騒動にはならないだろう。けれどその時期を見誤りたくはない」

「それは勿論です」

「だから、千景の様子を逐一知らせてほしい」

「っ!」


 な、なんで!? もしや、まだ未練があるというのか?


「何か心配しているようだが、惟久が思っていることではない。これでも桐壺女御を見ていたのだぞ。彼女はその後……里に戻ったらしいが、無事なのかも分からない。せめて、千景の様子だけでも、と思ったまでだ。後は、そうだな。おまえへの嫌がらせだ」

「……分かりました。なるべくこちらに戻るようにいたします」


 こういう駆け引きはさすが帝。のほほんと見えていて、やり手なのだ。ともあれ、あとは無事に、千景が御子を産んでくれることを祈るばかりだ。


 今宵はもう、常盤院には行けない。代わりに明日は、何か手土産でも持って行こう。

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