第七話 三つの仮説
その日の夜、俺は506号室で監視カメラのデータを確認しながら、まだ一人でじっくりと考えていた。
ジャックとクイーンは既に寝ている。
俺も、今朝サイラスが言っていた通り、行方不明者が実際にいるのに捜査願いが出ていないという状況の意味がわからない。
サイラスは実際に、行方不明者の家族たちも尋ねたらしい。
しかし、家族らは『今は音信不通だけど、きっと旅に出ているだけだ』という答えを返すのみだったようだ。
監視カメラの映像を見せても、『これは別人だ』と言い張る始末だ。
彼らの職場に赴いても、『ついこの間に辞めた』だとか『病気にかかってしまい休職中』という答えが返ってくる。
サイラスがしびれを切らして、親族のひとりを尋問したが、それでも証言を変えなかった。
要は、行方不明者たちは旅に出ているということになっているわけだ。消える瞬間が監視カメラには映っており、目撃者の証言が多数あるにも関わらず、だ。
…意味がわからん。監視カメラの不具合かとも思ったが、目撃証言と時刻が一致している。特にデータが改竄された痕跡もない。
「…ん?」
俺はそのとき、些細な違和感に気付いた。
監視カメラのテープを巻き戻す。
行方不明者のリストや、目撃証言と見比べながら、もう一度、全ての監視カメラの映像を見返していく。
俺は、全ての監視カメラのテープをもう一度見返して、そして、ひとつの答えにたどり着いた。
どの行方不明者も、街の路地や角から現れている。
一つとして『遠くから歩いてくる』という画角がないのだ。
そういうカメラがなかっただけかもしれないが、山ほどある映像の全てに共通していた。
行方不明者たちは、裏路地や街角で唐突に現れて、そしてまた忽然と消える。
そして、その目撃証言だけが警察に届けられる。
まさに霧の都ロンドンだな。
ずっと煙に巻かれてる感じがする。
今のところ、仮説は三つある。
①『本当にただの幻で家族は嘘をついていない』
家族は嘘をついておらず、怪異は幻を見せるだけのものという説。
ただし行方不明者の中には、実際に1年以上帰っていない人もいる。それも12歳の子供が、だ。
考えにくいだろう。
②『家族が嘘をついており、失踪を秘匿している』
これについては、サイラスが自白剤を服用させたものの、効果がなかったようだ。同様に考えにくい線だ。
③『家族は嘘をついておらず、実際に行方不明者が出ている』
必然的に濃厚なのはこの仮説となる。しかし、明らかに矛盾している。おそらくサイラスも、ここで煮詰まってしまったのだろう。
行方不明者がいることには間違いない。
しかしどうも、カメラや証言から察するに、幻に近い性質を持っている。
そして行方不明者を街中に出現させるという、怪異の目的がわからない。
いったい何のために?わからないことだらけだ。
まあいい。とりあえず風呂に入って寝よう。
考えすぎて、もう深夜1時だ。寝て英気を養うことも重要だ。
そう思ってズボンを脱ぐ。
ふと鏡を見ると、そこにはガーネットがいた。
ーーー
「おい…ガーネット」
「ん〜?どうしたんだい?エース」
ガーネットは、頬杖をつきながらニヤニヤ笑いを浮かべている。本当に同棲中の彼女みたいになってきたな。最初のミステリアス美人はどこいった。
「お前さあ、俺が脱いでる時しか出てこれないとかじゃないよな」
「まさか。昼間に出てきたら、君の迷惑だろう?これは、私なりの配慮さ」
そう聞いた俺は、脱ぎかけたズボンを元に戻した。
ガーネットが、あからさまに残念そうなポーズをとった。わざとらしいやつだ。アメリカンコメディアンかお前は。
まあ確かに他人には見えないとはいえ、いきなり出て来られたら俺もびっくりする。
意外とこいつ、人の気持ちがわかるよな。人探すのがめんどくさいから全員殺してローラー作戦しよう!ってなったやつと同一人物とは思えないんだが。
(あれ?実はいい女だったりするのか?)
そんなことを考えていると、ガーネットは目を細めて言う。
「それより、君はあのアルファとかいう女と、随分懇意にしているようだね。私という女がありながら」
ガーネットは上目遣いで拗ねたような態度だ。
赤く艶のあるしなだれた髪、赫いローブから覗く白い肌。
…正直かわいい。かわいいからって調子に乗ってんじゃねえぞ。
「お前と付き合った覚えはない。それに、アルファさんとは仕事上の関係だ。邪推はやめてもらおうか」
俺はキッパリと否定した。
しかし、彼女は嗤いながら詰めてくる。
「嘘だね。君があの女と話している時、私の書斎がドクンドクン揺れる。まったく、これじゃ本も読めないよ」
俺の顔が真っ赤になる。
(そういやコイツ、俺の心臓に住んでるんだった…!)
同棲中の彼女に、胃袋じゃなくて心臓を掴まれてた。
何を言ってるか自分でもわからない。
現実に干渉してくるタイプの妄想だ。
「その話はもういい。で、今日は何の用事で出てきたんだ?」
俺は這這の体で平静を装いながら、ガーネットに尋ねた。
ガーネットは全て見透かしたような薄ら笑いを浮かながら、俺の質問に答える。
「今日は君に助言をしにきた」
「助言?」
「何やら困っているようだからね。私の力を借りたいだろう?」
ガーネットは蠱惑的な眼差しを俺に向ける。
誘ってんのか?言っとくがここはホテルだからな。
「お前の力なんか借りなくても、自分一人で解決できるさ」
「フフ、素直じゃないねえ。意地を張らずに、『助けてください』と言えばいいのに」
…俺はそういわれて、少しハッとした。
そうだな。彼女はなんだかんだ、俺に大切なことを教えてくれる。
男でも、困ったときは『助けて』と言っていいんだ。言わずに後悔する前に。
「…助けてください」
「よくできました!赤丸をあげようね」
赤い蛍が円を描いて俺の周りを飛び回る。
うっとうしい。
「さて、では助言を…と言いたいところだが、実はそっくりそのまま教えてしまうと、君との間に新しい契約ができてしまう」
「契約ができる?」
「そう。肉体の修復とは別の『未来視』だな」
未来視。未来を見ることができる力か。
こいつ、そんなこともできるのかよ。
「それの何が悪いんだ?」
「私は今、君との間に『不死身』の契約を結んでいる。それを『未来視』に切り替えてしまうと、心臓を動かせなくなって死ぬ」
あー、そういうことね。俺は契約によって生きてる状態だから、その契約が無くなったらそりゃあ死ぬわ。
「じゃあどうするんだよ」
「ふふ、何ごとにも抜け道はあるのさ。未来をそのまま教えることはできないが、詩として詠うことはできる」
(なるほど、そんな方法があるのか)
ガーネットは胸に手を当て、目を閉じる。
「今から詠う詩を、よく覚えておくんだよ」
俺はスマホのアプリを開き、ボイスメモの録音ボタンをタップした。
ーーー
赫き煉瓦の街路にて
人は影より現れ 影へと還る
名を叫ぶ声は掻き消され 家族は眠りに縛られる
運命の織り手は夢を渡り
涙を笑みに 嘆きを旅路へと変える
その微笑みの下 真実は鎖に囚われる
見えぬ門は路地に口を開き
探す者はなく 追う者もない
ただ面影だけを 石畳は湛えている
やがて知るだろう
失せし者たちは 忘却に飲まれ
安寧を善しとせぬ者たちの手により
安らぎとともに 闇へ葬られたことを
ーーー
ガーネットは未知の言語で歌い終わった。
なぜか意味は伝わってくる。
とても綺麗な歌声だ。思わず拍手しそうになった。
「では頑張りなさい。恥ずかしがりの、我が伴侶よ」
彼女はそういうと、瞬きをした瞬間に消えた。
どうも釈然としないが、助けられたのは事実だ。
次は詩を手がかりに、事件を捜査してみよう。