第四話 信念
アルファは気持ちよさそうにタバコをふかしている。昨晩、実験を主導していた時の冷酷な表情とは大違いだ。
タバコをふかす彼女の横顔はとても絵になる。帽子をかぶっていてわからなかったが、東洋系の美人だ。鼻立ちがとても整っている。
…なぜ彼女は、あんな残酷な実験を行なっていたのだろう。今の幸せそうな彼女を見ていると、血も涙もない人間だとは思えない。
ついジッと見ていると、彼女はタバコを吸うのを止めた。
「…不思議か?」
「え?」
アルファは吸いかけのタバコをぐりぐりと灰皿に押し付けた。知性のともった瞳は、憂鬱そうに下を向いている。
「この世界に入った人間は皆、複雑そうな顔で私を見る」
…表情に出ていたか。
「そうですね…不思議です。昨日見たあなたはあれほど恐ろしかったのに、今は怖くない」
そういうと、アルファは自嘲げに笑う。
「そうだな。それが私だ」
彼女は深呼吸し、大きくため息をついた。
表情と声色に変化はないが、物憂げだ。
俺はその表情を見てなんとなく、彼女が弱みを見せてくれた気がした。
(今なら、大丈夫かもしれない)
俺はついさっき却下された質問をしてみた。
「…あなたたちの目的は何なんですか?」
彼女の回答は、単純明快だった。
「怪奇現象から一般社会を守ることだ」
怪奇現象…。
ああ、いま同棲中の彼女みたいなことね。わかりやすいのが居てくれて話が早いわ。タスカルワー。
「パラダイムという言葉は、既存社会の大まかな枠組みを意味する。我々はそれを保護し、社会を漸次的に発展させることを目的としている」
難しい言葉遣いだな。
「要は、怪奇現象によって、いきなり一般社会が急変してしまうのを防ぐのが目的ってことですか?」
「そうだ」
アルファは頷いた。
「たとえば赫茵茵は、一般市民を鏖殺してでも、目的の人物を見つけ出すつもりだった。だから我々は早急に器を見つけ、封じ込める必要があった」
マジかよ。ガーネットあいつ最低じゃねえか。今度出てきたら叱っておかないとな。
「私は、そういった封じ込めプロジェクトや、怪異の撃退、無力化を何度も成功させてきた。…多大なる犠牲と引き換えにな」
アルファは、懺悔と正当化のこもった声色で話す。
「毎日夢に出てくる。巻き込まれた犠牲者の亡霊が。『お前は許さない』と、怨嗟のこもった目で私を睨んでくる」
「だが」
アルファは、脱いでいた手袋をキュッと付け直した。
「私には、私を慕ってくれる部下たちがいる。私は、私を信じてくれる人たちのために、これからも手を汚し続けるだろう」
その言葉は力強く、瞳には信念が宿っていた。
俺の中で、ひとつ疑問に思っていたことが解消された。
なぜ、統括マネージャーなどという物々しい肩書きを持っている人間が、わざわざ血生臭い実験現場に降りてくるのか。
もちろん、自分の目で直接管理したいという考えもあるのだろうが、それだけではなさそうだ。
(直接手を下すのは、彼女なりのケジメか)
彼女なりに、自らの抱えた業と向き合おうとしているのだ。ともすれば俺より一回り歳下の女性が。
「君にとってはとんだ災難だったろう。すまない」
彼女の態度が柔らかくなったのを感じた。俺のことを怪異ではなく、人間だと認めてくれたのだろう。
「いや、俺はむしろ…結果論ですが救われましたよ。知ってのとおり、クズ人間だったので」
これは俺の本心だ。お世辞でも媚びでもない。
「昨日初めて会った人間が言うのもなんですが、あなたは立派な人だと思います。少なくとも、俺なんかより遥かにずっと」
彼女はほんの一瞬だけ、驚いた顔をした。
そして微笑みを浮かべた。
「君の名前を聞いてもいいか?」
ーーー
翌日、俺はアルファに連れられて、彼女の私設兵団の元へと向かった。
彼女はパラダイム内では次期最高司令官の候補らしく、私設兵を持つことを許されているようだ。
ちなみに私設兵団視察への同行を決めたのは、俺の意思だ。
俺が「ついていきたいです!!!」と言ったら、アルファは少し笑って、許可してくれた。可愛い。
もともと俺自体の役割は封じ込めで終わりだったようで、想像していた戦闘員の仕事はなかった。
しかし、アルファと話していて、なんというか彼女を支えたい気持ちになった。
娘くらいの年齢の女の子が、俺の想像もできない過酷な運命を背負わされて、なお気丈に振る舞っている。同情する気持ちにもなろう。
…
(いや、カッコつけるのはやめよう!これは下心だ!!)
なぜなら肉体は思春期真っ盛りの男の子だからな。
俺は、これまで独身だった。高校時代の同級生が次々と結婚していくのを見るたび、酷い焦燥感と頭痛に襲われていた。俺には、無縁なものだと思えたからだ。
だが、こうしてやり直す機会ができたのなら、人並みに真面目な恋愛をして、結婚したいという欲が出る。
(それがもしアルファだったら…)
いやいや、俺は何を妄想しているんだ。まだ会ったばっかだぞ。……クソ、胸がドキドキする!!
(全く…ガキの恋愛じゃないんだから)
…かつては俺もエリート街道を歩いた人間だ。
あの頃は、俺も女には困らなかった。
俺は強くならなければいけない。
今一度、『未来を選べる強さ』を手に入れなければならない。
そのためには。
(怪異だろうがなんだろうが、使えるものは全て利用してやる)
ーーー
「広っ!」
アルファ直属の私設兵団の駐屯地は、かなり広かった。一般的な野球ドームほどはあるだろうか。
天蓋は開いているが、雨天は閉まるようになっているとのことだ。素晴らしい設備だな。仲良い奴ができたら野球サークルでも作ろうかな。
駐屯地からは、広大な太平洋の景色が見渡せる。ザザーッと、打ち寄せる波の音が聞こえてくる。ワタリドリが飛んでいる。ロケーション最高だ。
違う違う、バカンスではないのだ。
浮かれるのもほどほどにしよう。
アルファが駐屯地に入ると、散らばっていた私設兵が一斉に集まり、整列した。
「第一近衛師兵団《Alpha-01》ただいま参集いたしました!!」
リーダーと思しき屈強そうな男性が、ドーム中に響き渡る大きな声で敬礼をした。
(想像してたが、みんな強そうだ)
私兵団は、ざっと数えて50人程度がいた。
若手から老兵まで、老若男女問わず在籍している。
そのどれもが、歴戦の風貌である。
「ああ。ご苦労。みんな仕事に戻ってくれ」
アルファの一声で、近衛師兵団は散り散りになり、それぞれの作業へと戻っていった。
駐屯地には兵練場だけでなく、研究施設や、鍛冶場などあらゆる施設が揃っている。何でも屋だな。
アルファは駐屯地をキョロキョロと見回すと、私兵団の一人に尋ねた。
「ダークは来ていないのか?」
「はい!ダーク殿は只今、本部直命の特務中とのことです!」
アルファはそれを聞くと、少し残念そうな顔をした。
「そうか…彼をエース君と会わせてやりたかったんだが…仕方ないな」
「どういった方なんですか?」
俺が聞くと、アルファはフッと笑った。
「私が知る限り、最強の男だよ」
最強の…男。……ふーん、そう。最強ね。ん?いや別にヤキモチなんか妬いてないけどね。なんか信頼置かれてそうでウザいな、とか思ってないよ。決して。
それに最悪俺にはガーネットがいるし。いや、その考え方はよくない。『選べる強さ』だ。逃げ腰はやめろ。
「だが彼がいなくとも、私の軍には素晴らしい教官が山ほどいる。ジャック、クイーン!新入りだ。教育してやれ」
アルファがそう叫ぶと、練兵場で今まさに、自分の倍の体重はあろうかという大男を投げた少年が、ピクリと反応した。
ドッシィン!!
鈍い音を立てて、大男が受け身をとり、少年に礼をする。少年は急ぎながら礼をすると、軽快にこっちにやってきた。
黒いジャージを着たその少年は、金髪の碧眼だった。第一印象は、今の俺よりも若そうなイメージだ。
背は俺より少し低い…175くらいか?
飄々とした態度で、見るからに生意気だ。
「久しぶり、アルファ姉。そいつが新入り?」
「そうだ。私の元で働いてもらおうと思ってな。色々と教えてやってほしい」
あ、薄々わかってたけど、やっぱり俺入隊することになるのね。
「よろしくお願いします!」
俺は握手しようとして爽やかな笑顔で手を差し伸べる。
「ふーん、なんか、弱そうだね」
ジャックは握手しようとした俺の手をパチンと叩いて、バカにした態度をとった。
…
…怒ってはいけない。あくまで俺は新入りなのだ。それに、この程度でキレるのは大人気ないぞ。
平常心平常心。アンガーマネジメント。アルファが見てるぞ〜〜〜〜。
俺ならできる俺ならできる俺ならでき…
「ごめんあそばせ〜〜〜!!!!」
(!?)
俺の方向にむけて、モッサモサのフリルがついた何かが飛んでくる。
(早い!!避けられない!)
避けようと思った時には既に、近づかれすぎていた。
「ぶべらっ」
そいつは俺を押し倒すと、下敷きになった俺の背中の上で華麗な着地を決めた。
「クイーン、ただいま参上いたしましたわ!」