エース編 第一話 コンテナに揺られて
目が醒めたら、天井が目と鼻の先にあった。
ガン。と鈍い音を立ててデコがぶつかる。
(痛え)
…凄まじい吐き気と頭痛がする。ずっと体が上下に揺られているのだ。シートベルトなしでジェットコースターに乗せられてる気分だ。
どうしてこんなことになったのか…落ち着いて整理しよう。
俺の名前はA。皆からはエースだとか呼ばれてる。髪は黒。ソース顔とよく言われる。高身長でガタイは良いが、ビール腹が全てを無に帰している。
36歳にして無職独身のアル中で、家族からはとうの昔に勘当を食らった。
勘当されたあと、俺はしばらくコンビニのバイトをしながら日々を凌いでいたが、どうしても耐えきれなくなって、親から生活費でもらった最後の50万を全てFXに溶かしてしまった。
(あれは上がるはずだった。クソ、どうしてこんなことに)
食うのに困った俺は、消費者金融全てから借りれるだけ借りて、飛んだ。それでも負け続け、逃げ続け、最後には闇金に捕まったことを覚えてる。
…思い出してもクソみてえな負け犬の人生だった。しかも別に、親は貧乏だったわけじゃない。俺がただただ自滅しただけなのだ。
もし生まれ変われるなら、やり直したい。
そもそもまだ、死んでないが。
ここは多分、闇金どもの用意したコンテナの中だ。
曰く、「誰もやりたがらない仕事」「死と隣り合わせの仕事」をするための労働力として運ばれてるらしい。
(はは、全く予想がつかないな)
…カニの殻を剥いて優勝する仕事だったりしないかな。
俺も一応、仕事を全くしてなかったわけじゃない。大学卒業後、不動産の営業を3年続けた。
仕事に対する熱意とか、責任感とか、そんなものに溢れていたと思う。
だけど、結局キツくなって辞めた。
なんでだろうな。
きっと、俺は何かになりたかったんだろうな。
守るほどでもないプライドを守るために、他の誰よりも上に立とうとした。
結果、俺よりも遥かに優秀で世渡り上手な奴がいるのを知って、ポッキリと心が折れてしまった。
そのあとはずっと引きこもりのニートだ。
(…男ってのは、バカだよな)
ドスン。急な勢いで体が投げ出され、コンテナの壁にぶつかった。どうやら、船が停まったらしい。
「いってえな…ブレーキかけるときは徐々にかけろって、教習所で習わなかったのか?」
Aはぶつくさいいながら頭を掻く。
船が停まった。汽笛の音が、コンテナの中からも伸びて聴こえる。
どれくらいの時間運ばれていたのだろうか。途中で眠っていたから定かではないが、だいぶ遠くまで来てしまったらしい。
コンテナが大きく揺れる。真っ暗闇のなか、他にも連れてこられたらしい奴とぶつかる。
誰かが漏らしたのか、小便が顔にかかった。
(汚ねえ!!)
そのうち、コンテナが地面についたのがわかった。
クソ、胸が痛い。
自分の心臓が早鐘のように鳴っている。
俺をここに連れてきたのは反社だ。人を拉致しようが、臓器を売り飛ばして殺そうが、なんとも思ってない奴らだ。
俺はまだ死にたくない。生きていてもしょうがない人間だが、まだ生に縋りついていたい。
脂汗が噴き出る。こんなにも生きた心地がしないのは、生まれて初めての経験だった。
そんな俺の気持ちをよそに、ゆっくりと音を立てて、コンテナの開口部が開いた。光が漏れ出てくる。
ーーー
コンテナから出ると、そこには複数人のガラの悪い輩と、黒いコートを着た男女が4人立っていた。
俺たちは横一列に整列させられ、胸に番号のかかれたワッペンを貼られた。俺の番号は7番だった。
「アルファ様。約束通り被験体を20体用意いたしました」
アルファと呼ばれた黒いコートの女が、その言葉に頷く。見た目は20代後半といったところだろうか。くすんだ紫色の髪。顔は、目深に被ったハンチング帽のせいでよく見えない。
「よくやった。報酬は、後日送金する」
アルファは、ハスキーで嗜虐的な声をしていた。
(ドMなら喜びそうだな)
これまでずっと、人の上に立ってきたんだろうなとわかる声色だった。
なんにせよ、女がリーダーとわかってホッとした。女は、男と比べてまだ話が通じる。
「被験体」だとか物騒なワードが聴こえたが、たぶん新薬の臨床実験か何かだろう。臓器を抜かれて殺されるよりはまだマシだ。
「では、失礼いたします」
「…ご苦労だった」
柄の悪い連中がお辞儀をして去った後、俺たちは目隠しをされて、トラックに乗せられた。口にはガムテープ。さっきのアルファとかいう女とあわせて、新しい扉が開きそうだ。
俺はこんな状況にあって、なぜかワクワクしていた。
…この時の俺は思ってもみなかったのだ。
これから文字通り、死んだほうがマシな目に遭うとは。
ーーー
トラックから降ろされたときには、既にあたりは真っ暗になっていた。ここがどこなのかわからない。
湿った土の匂いがする。コオロギか何かが鳴いている。森の奥にある捨てられた廃工場のようなところに、俺たちは連行された。
工場からは薬品の匂いがした。思ったとおりだ。
ここで、まだ市場には出せない新薬の臨床試験をやってるんだろう。
こういうことをするのは、薬品メーカーと相場が決まっている。流石に死人を出すような真似はしないだろう。それに俺は体が頑丈だから、多少危ない薬を投与されたぐらいじゃ死なない。
まず俺たちは、身体検査をされた。服を脱がされ、体に何か隠し持ってないかチェックされる。
被験者には女もいたから眼福だった。彼女は19番ちゃんか。胸も尻も大きいナイスバディだ。この試験が終わったら話しかけてみようかな。
次に行われたのは血液検査だ。俺はO型だ。
これも特に問題なくパスした。
一連の検査を終えた俺たちは、金属製のタンカのようなものに、仰向けで縛りつけられた。冷たい金属の感触が背を伝い、少し不安な気持ちになる。
(つめたっ)
廃工場の欠けた天井からは、月が見える。夜の冷えた空気が鼻腔に染み渡り、くしゃみをした。
俺の周りには、白衣を着た人たちがいる。
ノートパソコンと睨めっこしながら、仕事でも扱ったことのない桁の数字を打ち込んでいるのが見える。
俺は、ここにきてようやく焦りを覚えた。
(やべえ、動けねえ)
今、俺は何をされようとも抵抗のできない状態だ。金属製のタンカは地面にガッチリと固定されているし、裸のまま縛り付けられている。
俺の全力でも、きっと抜け出すことができないだろう。
「被験体1番、試験開始」
俺が不安でドキドキしていると、アルファの冷徹な声が廃工場に響いた。被験体1番のタンカは、俺から見て6つぶん左に位置している。
ピカッ、と被験体1番が照らされる。よく医療ドラマのオペ室などで見るような照明だ。
被験体1番は、縛られたまま眩しそうにした。
「では、投与しろ」
次の瞬間、俺は信じられないものを見た。
どすっ。ぶちゅっ。べとっ。
赫く蠢く巨大な何かが、暗がりから現れる。
光に照らされたその物体は、冒涜的なまでに鮮やかな赤をしており、まろびでた臓物のように、生々しさを有していた。
骸骨のような無数の脚が、爛れた肉の布を支えている。まさに死神の風体だ。
(な…なんだあれ!!?)
同時に、鼻のひん曲がるような悪臭が漂う。生卵が腐ったような、カビの生えた肉のような腐臭だ。
その赫は、およそ常人の倍近くはあろうかという体躯となって、絶叫しながら拒絶する被験体1番の上に覆い被さった。
(うお”え”っっ)
俺は、仰向けのまま吐いてしまった。今目の前で繰り広げられている光景が、あまりにもグロテスクだったからだ。
その赫い化物は、被験体1番の体をポキポキとまさぐったあと、お気に召さなかったかのように吐き出した。
…被験体1番は、死亡していた。
身体中の関節を、あらぬ方向に曲げながら。
「ひあ”っあ”あ”っあ”あ”あ”ッッ!!!!!」
被験体2番が、言葉にならない悲鳴をあげながら、小便がを漏らした。
無理もない。あんな光景を間近で見せられて、発狂しない方がおかしい。
ガタガタと必死になってタンカを揺らすが、びくともしない。
「被験体2番、試験開始」
アルファは、まるでこの行いが当然だとでも言わんばかりの声音で続ける。
ガタガタと震える被験体2番を無視しながら。
やめろ!!と俺は大声で叫ぼうとして、できなかった。奥歯が震えている。全身の細胞が、あの化け物から逃れようとして暴れている。胃が底冷えしてキリキリする。
そんな状況で、俺は勇気を振り絞ることができなかった。
3番、4番、5番と、次々に人が死んでいく。
止まる気配はない。逃げられない。
(嫌だ…!!!!!嫌だぁっっ!!!)
汗が滝のように流れていく。感染症にかかったときのように、血の気が引いていく。
生きた心地がしないランキング一位更新だ。
俺はこれから死ぬのだ。
嫌だ。
死にたくない。
死にたくない。
こんな化け物に殺される人生は嫌だ。
せめて安らかに死にたかった。これならまだ麻酔をかけられて臓器を取り出された方がマシだ。
ああっ、クソッ。
肋骨の下まで化け物の指が入ってくるのがわかる。
耐えがたい不快感だ。筋肉を無理やり動かされて激痛が走る。
「ぐがあっ、ぐぎぃっ」
俺は言葉にならない苦悶の声をあげる。体をよじり、なんとかしてこの苦痛から逃れようとするが、できない。
そうこうしているうちに、俺は意識を失った。