第8話 〈大魔法使い〉シャーロット
「ん? あんた誰?」
「えっと……新人のハルと言います」
「ふぅん。あんた、あんまりパン屋の店員って柄じゃなさそうだけど」
「元冒険者だったので」
「へぇ。そうなんだ」
「……」
淡々と会話を続ける彼女は──〈大魔法使い〉シャーロット。俺は彼女のことをシャロと呼んでいた。一応、彼女は俺のことを先生と呼んでくれて師匠のようなものだった。といっても、シャロの才能は規格外。俺が教えることなんてほとんどなかったが。
「あ! シャロさん。いらっしゃいませ!」
こちらに出てきたリセルがシャロに声をかける。なるほど。やはり、シャロもこの店に定期的に訪れているのか。
「リセル。今日も買いに来たわよ」
「はい。ありがとうございます!」
「ふん。別に感謝するほどのものじゃないわ。ただ……先生ならきっと、ここのパンが気に入ると思っただけだから」
えっと……その。もしかして、シャロも俺の墓参りのためにパンを買いに来てくれたのか? シャロはいつも俺に対して当たりがキツかったし、俺がいなくなってもケロッとしていると思っていたが。
「というか、このハルとかいう新人。ちょっと怖くない? 体大きいし、目つきも鋭いし」
「見た目は確かにそうかもですが、ハルさんはとても優秀ですよ! ね? ハルさん?」
「え、えっとまぁ。精一杯やらせてもらっています」
「ふぅん」
じっとシャロが俺のことを見つめてくるが、その時彼女は「あ」と声を漏らした。
「ねぇあんた。誰かに似てるって言われたことない?」
「いえ……ありませんね」
今の俺が〈勇者ハルト〉だと気がつくはずがない。ない……よな?
「そっか。じゃ、また来るわ」
「はい! ご来店、ありがとうございましたー!」
「ありがとうございました」
また来る。そう言ったので間隔は空くだろうと思っていたが、三日後にまたシャロはやってきた。相変わらず、不機嫌そうな顔をして。
「いらっしゃいませ!」
「ふん」
「今日は早いですね」
「別に……近くに滞在してるから、ついでよ。最近、この近隣で魔物が出たのは知ってる?」
「えーっと。一応耳にはしています」
「ネームドの魔物で被害もかなり出てたけど、討伐されていたのよね。一体誰が討伐したのやら。ねぇ、あんた知らない?」
「流石にわかりませんね」
「騎士団、冒険者ギルド、魔法協会。加えて剣聖も出す予定だったけど、まさかの肩透かし。ま、脅威が排除されたならいいんだけど」
「……」
その時。俺はとあることを思い出す。
もしかして、俺がこのローテンに来る途中で倒したあの魔物ことなのか? いや、話を聞くに間違いなくそうだろう。しかし、そこまで大ごとになっていたのか。俺としてはそこまで脅威ではなかったが、まぁ……〈アビスサンクタム〉基準で考えていたので世間とのズレもあるのか。
「で、今日はオススメある?」
「えっと。それでは──」
俺は大将の作ったパンの中で、今日のオススメのものをシャロに提案した。彼女はそれを全て購入してくれた。体は小さいけど、昔からよく食べる方だったからな。そこは変わりはないのか。
「あんた手際いいわね」
「そうでしょうか?」
「えぇ。初めはこんな無骨なやつに店員なんて務まるのかしら、と思ったけど」
「ははは。そうですね。一生懸命にやらせてもらってます。パン作りはまだまだですけど、大将のように美味しいパンを提供できたらいいなと思っています」
「ふぅん。じゃあ、あんたのパンが出来たら買ってあげるわよ」
「本当ですか?」
「ただ忖度はしないから。だからそれまでに、ちゃんと修行しておきなさいよ」
「分かりました」
そう言ってシャロは店から去っていった。物腰が柔らかいわけではないが、彼女なりの優しさだろうか。ただ、そうだな。いつか自分の作ったパンを食べて貰えるのは悪い気分ではなかった。
今日の仕事も終わってその帰り道。そこで俺はシャロと遭遇するが、彼女はなぜか道の途中で立ち止まっていた。どうしたんだろうか。
「こんばんは。シャーロットさん」
「きゃっ! びっくりした!」
「あ。えっと、すみません」
背後から声をかけたので、シャロはビクッと反応をする。
「何をしていたんですか?」
「別に。ただ、ちょっと考え事よ」
「そうですか。お仕事が大変とかですか?」
「まぁ……そうね。今はあの魔物を討伐したやつを探すことになってるし、他にも調査することが多いし。大変ね」
「そ、そうですか……」
え? 討伐したやつを探すことになっている? いつの間にかそんなことになっていたのか……ともかく、俺が倒したということは絶対にバレないようにしよう。
「改めて訊くけど。あんた、〈災牙獣・オルグ〉を倒した人物に心当たりとかない?」
「いえ……流石に」
「ふぅん。ま、それもそっか。でも残った痕跡的にその人物は相当の手練れっぽいのよね」
「別の魔物が討伐した可能性はないのですか?」
「ないわね。魔物同士の争いなら、もっと周囲が荒れているはずよ。でもそれが全くなかった。人間なのは間違いないでしょう」
「……」
ま、まずい。どうしてこんなことになった……? くそ。あの時はそこまで頭が回っていなかったから、普通に討伐してしまったのが仇となったのか。
「その人物が魔法使いなのか。剣士なのか。それも不明ね。全くの痕跡もなかったし、私としては他国の侵略の可能性も疑っているわ。仮に単独で討伐したとしたら、世界最強クラスの人物ね。それこそ剣聖に匹敵するか、それ以上の」
「な、なるほど……」
そんなに大ごとになっているとは……。
「私はもう少しここに滞在するから、何かあったら教えてちょうだい。些細なことでもいいわ」
「分かりました」
「うん。じゃあ、バイバイ」
「はい。さようなら」
シャロはそう言って去っていった。昔はもっと子どもっぽかったが、今は立場もあるのかしっかりとした大人のような印象を抱いた。ただ……うん。俺が〈災牙獣・オルグ〉を倒してしまったことは絶対に隠しておこう……。
週末の休みを挟んで、また仕事が始まった。今日は前から聞いていたが、仕入れ先に挨拶に向かうらしい。
「今日は仕入れ先に向かいます。ご挨拶ということで」
「向かう先はどこなんだ?」
「オルド農園ですね。それほど遠くはありませんよ。馬車を使えばすぐなので」
俺とリセルの二人はそのオルド農園に向かう。なんでも、大将はそこの農園の小麦粉しか使う気がないとか。
ローテンの町から南へ小一時間。緩やかな丘陵を越えた先に、黄金色の海が広がる。それが──オルド農園。広大な畑には風に揺れる麦の穂が、一面にそよいでいた。ふわりと吹いた風がまるで大地に指を滑らせたように、波紋を描いていく。
農園の中央には、低く構えた石造りの農家があった。リセルにはそこに向かうと、大きな声を出す。
「リセルでーす! ご挨拶に来ましたー!」
「おぉ。リセルちゃんか!」
現れたのは一人の初老の男性。細身ではあるが、体にはしっかりと筋肉があるのが窺える。
「新人さんが入ったのでご紹介をしようと思いまして」
「ハルです。大将のもとでお世話になっています」
「おぉ! ガタイが良くていいねぇ! もしかして、元冒険者かい?」
「そうですね」
「ははは! 冒険者からパン屋か! いいねぇ。そういうやつ、俺は好きだよ。俺はオルド。よろしくハル」
「はい。よろしくお願いします」
握手を交わす。オルドさんはとてもいい人そうだった。
「あ。実はうちでも新しく働いている子がいてね。おーい。ラスター! いるかー!」
ラスタ……? いや気のせいだよな。きっと同じ名前なだけだよな。そう思っていると、出て来たのは一人の女性だった。
「ん。どうしたの、オルド」
頭には麦わら帽をかぶり、袖をまくっている。肌は陶器のように滑らかで、瞳は紅蓮で短めの髪も燃えるように赤い。風が吹くと赤い髪がさらりと流れ、麦の海に溶けていくようだった。
間違いない。彼女は最後の一人。かつての仲間だった──〈絶対守護者・ラスタ〉だ。