第7話 リセルの芸術
「では、参ります──!」
「あぁ!」
レオが一気に距離を詰めてくる。戦う、という感覚は久しぶりのものだったが、俺の目は正確に相手の動きを捉えていた。やはり習慣的なものは残っていた。
「はぁ!」
「む!」
互いに激しく木剣が交わる。実力者であれば、その力量はある程度把握することができる。レオは若いが、剣の実力は抜きん出ている。俺たちは本気で戦っているわけではないので、実力の底は見えないが。
「やりますね!」
「そっちこそ!」
さらに加速していく。一挙手一投足。その全てが洗練されている。これが天才ってやつなのか。でも、俺には圧倒的な経験がある。それは美しさなど度外視した、生き残るための技術だ。それから鍔迫り合いのような形になって、互いに木剣が強く弾かれる。
俺たちは距離を取ったが、レオは剣を下ろした。
「これぐらいにしておきましょうか」
「あぁ。そうだな」
このまま続けていれば、その先は殺し合いになってもおかしくはない。刹那の時間だったが、それほどまでにこの手合わせはレベルの高いものだった。なるほど。やはり、世界は広いものだなと俺は思った。
「ハルさん。元冒険者とのことですが、実はかなり高位の冒険者だったのでは?」
「いや、それほどのものじゃないさ」
「へぇ。そうですか」
「レオも凄まじい剣だったな。その若さで今の実力。レオならきっと、より高みへ至ることができると思うよ」
「ありがとうございます。精進します」
去り際。レオは振り返って声をかけてくる。
「ハルさん。また手合わせお願いできますか?」
「あぁ。基本的に朝はこの辺りを走っているからな。タイミングが合えば。といっても、俺はこの後パン屋で仕事があるから長時間は無理だが」
「いえ。それで結構です。ではまた」
にこりと笑みを浮かべて、レオは颯爽と去っていった。
「よし。俺も行くか」
軽く汗を流すことができたので、俺はすぐに着替えてパン屋へと出勤する。
†
「レオンハルト様!」
「ん? あぁ。おはよう。フィオ」
「もう! どこに行っていたんですか!」
「軽く散歩だよ」
「もう勝手に動くのはやめて下さい! あなたは──《《剣聖》》なのですから」
そう。先ほどハルと手合わせをしたレオの真の名前は──〈剣聖レオンハルト〉
半年前に引退した剣聖の座に着いたのは、まだ十五歳の若者だった。剣聖は世襲制ではなく、当代の剣聖が認めた者が次の剣聖になる。つまり、レオンハルトは前代の剣聖に認められたのだ。
そして、剣聖の補佐についているのはフィオと呼ばれる女性。淡い灰紫のローブに身を包み、銀縁の小さな眼鏡をかけていた。黒髪は艶やかに結われ、うなじのあたりで控えめにまとめられている。
「はは。今後は気をつけるよ」
「はぁ……全く。それで、〈災牙獣・オルグ〉の件は何か分かりましたか?」
「んー」
レオンハルトは顎に手を当て、考える素振りを見せる。剣聖レオンハルトは王国から〈災牙獣・オルグ〉の討伐を命じられていた。しかし、相手はドロップアイテムだけ残して消失。現在はさまざまな王国組織が、その調査をしている。
〈災牙獣・オルグ〉の脅威は王都を震撼させていており、王国の全戦力を投入しなければならないほどだった。〈剣聖レオンハルト〉を出すのは余程のことである。それは彼以外では討伐できないと王国が認めた証拠だ。
それがあっさりと討伐されていた。一体何者なのか──王国では密やかにその人物の特定のために、さまざまな組織が動き始めていた。
もちろん、そんなことをハルが知るはずもなく──。
「まぁ、多分」
「たぶん……!? 何か手がかりが!?」
「フィオには教えなーい」
「はぁ!? どういうことですか!?」
「まぁまぁ。脅威はもう無いし、それほど焦ることじゃ無いだろう」
「それは、そうですが……」
「さ、王都に戻ろうか」
「分かりました。それと最近は新しい王になってから、動きに違和感があります。引き続き、気を引き締めていきましょう」
「あぁ。それも気をつけないとね」
確信があるわけではない。しかし、レオンハルトはハルという人間の底まで見通すことができなかった。前代の剣聖ですら恐れたその目でも、ハルの全貌を掴むことはできなかった。レオンハルトは微笑む。
(そうだね。いずれ、あのパン屋に行ってみようかな──)
†
「よくきたな。ハル」
「大将。話とは何でしょうか」
今日の営業も終わり、今はリセルが晩御飯を作っている最中である。今日はハンバーグにするらしく、香ばしいいい匂いが既に漂ってきている。
「明日。リセルが新作の試食を進めてくる」
「なるほど。リセルに一応概要は聞いています」
この前、新作を作っている話は聞いていたからな。
「でも、わざわざ自分に伝える何かがあるのですか? 大将の様子から察するに」
「勘がいいな。いいか。何があっても、肯定しろ。否定はするな。最終的な判断は俺が下す。ハルは黙って『美味い』『良い』というだけでいい。分かったな?」
「は、はい……」
ここまで張り詰めた雰囲気の大将は初めてだった。い、一体明日何が行われるんだ……? 俺は緊張感を保ったまま、翌日を迎えた。
「ハルさん! おはようございます!」
「あぁ。おはよう」
いつもよりもキラキラとした笑みで挨拶をしてくるリセル。しかし、厨房で淡々と作業をしている大将からは冷や汗のようなものが流れている気がした。今まで感じたことのない、異質な雰囲気だった。
「先日お話ししましたが、今日はずっと考えていた新作を見てもらうんです! ハルさんも忌憚のない意見をくださいね!」
「あ、あぁ……」
い、嫌な予感がする。俺はチラッと大将に視線を向けると、神妙な面持ちでこくりと頷いた。一体これから先、何が行われるんだ……俺と大将は黙ってリセルの新作のパンを待っていた。
「焼き上がりました!」
匂い自体は悪くはない。しかし、俺たちの前に出されたパンは──異形そのものだった。生地は藍と紫のマーブル模様。だが焼き上がった結果、それはまるで深海から這い出た異形の軟体生物のような色彩を帯びている。
全体は球体状。だがその外周からは、細長くねじれた十本の生地がくるくると渦を巻き、あちこちに伸びている。中心には、黒いチーズを芯にした球状トッピングもある。
それがまるで目のように見えるせいで、パン全体がこちらを睨んでいるような錯覚すら覚える。あまりにも禍々しい見た目で、それこそあの〈アビスサンクタム〉の魔物に酷似している。
いや……この見た目で提供するのは流石に……。
「では、どうぞ!」
「いただきます」
「いただきます……」
俺と大将はその異形を口に運ぶ。触手のような部分を噛み切ると、中からは黒いチーズが出てくる。な、何で黒いんだ……? ただ味は悪くはない。悪くないからこそ、このパンの見た目の異様さがどうしても目に付く。
「ハルさん! どうですか? 美味しいですか?」
「あ、あぁ。美味しいよ」
「お父さんもどう?」
「味《《は》》悪くはない」
「やった! じゃあ、私の新作も店頭に並べていい?」
た、大将……! 流石にこれを表に出すわけには……! と俺は抗議を込めた視線を送る。
「いや、ダメだ」
「え? なんで?」
「焼きが緩いし、味もぼやけている。あくまで悪くはない範疇だ」
「うーん。そっかぁ……やっぱ、独創性を追求すると味がなぁ。でも、見た目はいいでしょ?」
「あぁ」
「──!!!!??」
大将……!? このゲテモノの見た目を肯定するんですか……!? と俺は驚愕する。これが店頭に並んだ日には、パン屋の評判が下がりますよ……! 子どもが見たら泣きますよ……! と俺は言いたかった。でも言えなかった。だって、ずっとニコニコと楽しそうにリセルは笑っているのだから。この笑みを奪うことは、俺には出来なかった。
「じゃあ、また新作出来たら食べてね! お父さん。ハルさん!」
「うむ」
「あ、あぁ」
そう言ってリセルは今日の分のパンをカウンターへと並べに行った。この場には俺と大将が残された。
「た、大将……あれは一体……」
「リセルは正直なところ、パン作りの味は問題ない。ただあいつには見た目のセンスが絶望的にない……こればかりは努力で獲得できるものじゃねぇ……」
「ですよね。正直に言いますが、アレを出すとお客さんは泣いちゃいますよ。逆に言えば、前衛的な芸術作品にも見えますが。でも、そのことは伝えないんですか?」
「……あれほどの笑顔を見せている娘に、真実を言えるのか? お前は」
「あー……確かに。でもいずれはリセルも自覚しないとダメだと思いますが」
「う……ま、まぁいずれな。ハル。仕事に戻るぞ」
「分かりました」
ということで、俺はリセルの意外な一面を知ることになった。それに大将も意外と娘には甘いところがあるんだな。
しかし、このリセルの〈芸術パン〉の物語は思いがけない展開になっていくのだが、俺はまだそのことを知らない──。
いつものように元気よく挨拶をして、来客を迎える。もうすっかりと慣れたものだった。
「いらっしゃいませ!」
入ってきたのは小柄な少女だった。頭には大きな帽子を被り、黒と紺のローブを羽織っている。装飾は控えめだが、袖や裾に走る星の紋様が目立つ。腰には魔導書のポーチと、魔道具を吊るしたベルトをしている。
真っ黒な髪に深い紫色をした瞳。いや──もしかして、彼女は……。声を聞くまでも分かってしまう。今まではフェリナもエステルも成長していたが、彼女は当時のまま変わっていなかった。
「ふん。相変わらず、小さいお店ね」
彼女はかつて同じパーティメンバーだった──〈大魔法使い〉シャーロットだ。