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第17話 解放


 早朝。今日は仕事前に、大将に俺のパンを見てもらうことになった。なんと、今回合格が出ればそのまま店に出してもいいらしい。俺はより一層気合を入れてパン作りをする。俺が今回指定されたパンは──〈クロワッサン〉だった。


 クロワッサンは折り込みという技術が必要になり、繊細な力加減がいる。だからこそ、大将も俺にそれを指定したのだろう。


「……よし」


 小麦粉と発酵バターの香りが厨房に漂う。俺はカウンターの上に置いた生地を見下ろし、静かに息を吐いた。


 ──折り込み。勝負はここからだ。


 前日から低温でじっくり寝かせておいたパン生地を広げ、その中央に冷えたバターの塊を置く。正方形に折りたたみ、棒でゆっくりと力を込めて伸ばしていく。


「焦るな。力を均一に……生地が破れたら終わりだ」


 慎重に三つ折りし、再び冷蔵庫へ。温度管理と時間の戦いが始まった。


 一折り、二折り、三折り。


 そのたびに冷やし直し、生地をなだめるように丁寧に伸ばす。汗をぬぐう暇もなく、俺は無言で作業を続けていた。やがて、何層にも重なった生地を細長い三角形に切り出し、端からくるくると巻き上げていく。生地は無事に小さな三日月型の姿になった。


 ──そして、焼成。


 オーブンの中で、クロワッサンは静かに膨らみ始める。幾重にも折り重ねられた層がふわりと開き、黄金色に変わっていく様はまるで魔法のようだった。


 俺は焼き上がったクロワッサンを見て、手応えを感じる。


「大将。できました」

「おう」

「……」


 緊張の一瞬。隣でリセルも緊張した面持ちで大将の反応を窺う。俺のクロワッサンは合格をもらえるのか──?


「ダメだな」

「う……」

「形にはなっているが、まだ表面が硬い。中の密度も高いな。食感に硬さが残るのは、問題だ」

「ぐ……」


 がっくりと肩を下ろす。そうか……ダメだったか。自分では手応えがあったが、俺もまだまだ精進あるのみだな。


「だが、悪くはない。他の店なら出せるレベルだろう。だが、うちの店の基準はもっと上だ。ハル。短期間でここまで仕上げたお前なら、近いうちにその基準に届くだろう。これからも精進しろ」


 大将には厳しいことをたくさん言われてきたけど、こうして直接褒められるのは初めてだった。


「は、はい!!」



 今日もいつものように仕事が始り、今は昼前。ちょうどピークアウトした時間帯で、俺とリセルはカウンターで話をしていた。


「ハルさん。惜しかったですね」

「そうだな……」

「でも、美味しかったですけどね。お父さんってば、厳しいですよねぇ」

「厳しいが、今日は大将に褒めてもらえた。俺、もっと頑張るよ」


 合格はできなかったが、俺はやる気に満ちていた。次は絶対に合格してやる。その意気込みを持って、これからもパン作りをしていこう。


 そう思っていると、リセルがじっと俺のことを見つめてくる。


「ハルさんはその……」

「ん? どうかしたか?」

「あ。いえ──なんでもありません」

「……」


 明らかにリセルは何かを訊いてこようとしていた。もしかしたら、俺が普通ではないことに気がついているのだろうか。リセルには魔道具作りも見せているし、他にも何か察しているのかもしれない。最近は、今までと違ったリセルの視線を感じるから。


 けれど俺は──自分から過去を開示する勇気はなかった。ここはもう、俺にとって大切な居場所になった。またそれを失うのは、あまりにも怖かったから──。



「じゃあ、私はミルダさんのところに配達に行ってきますね」

「あぁ」

「すぐに戻ると思いますので、お店をお願いしますね」

「分かった」


 パンの配達に関してだが、今は遠方は俺が担当、近隣はリセルが担当することになっている。流石に配達を全て俺に任せるのは悪いとリセルが言ったからだ。


 それからも来客があって俺は対応する。そして、気がつけば閉店時間が迫ってきていた。


「遅いな……」


 リセルが帰ってこない。どうしたんだろうか。ミルダさんの店はそれほど遠くはないし、すぐに戻ってくると思っていたが……。


「ハル。そろそろ店を閉めるが、リセルはどうした?」

「配達に行ってから帰ってきてません。ミルダさんのとこに行ったんですが、一時間も戻ってこないのは」

「……おかしいな。あいつは仕事をサボるような奴じゃないが……」

「ちょっとミルダ亭に行ってみます」

「あぁ。頼んだ」


 嫌な予感がする。当たって欲しくはないと願いながら、俺はミルダさんに話を訊きにいった。


「ミルダさん!」

「おや。どうしたんだい。そんなに焦って」

「リセルは来ましたか?」

「ん? いや、来てないよ」

「……リセルが来てない?」


 おかしい。つまり、店を出てミルダさんのところに向かう途中で何かあったということか。


「お騒がせてすみません! 自分はこれで」

「あ。ちょっと。ハル──!」


 俺はすぐに店に戻って、大将と話をする。


「大将。リセルはミルダさんのところには行っていないようです」

「何? じゃあ、ミルダの店に行く途中で何かあったのか……?」

「おそらくは」

「……リセル」


 大将にいつものような覇気はなく、どこか憔悴している様子。ここまで気落ちしている大将の姿は初めて見た。俺と大将は互いに口にしてはいないが、思っているだろう。リセルは──何か事件に巻き込まれたかもしれないと。


「大将。大丈夫です。自分が絶対にリセルを連れ戻します」


 覚悟の宿った瞳で俺は真剣に大将と向かい合う。


「ハル……」

「自分は絶対に約束は守ります。だから待っていてください」

「……あぁ。分かった」





「──探索サーチ


 外に出ると俺はリセルの魔力探知を開始する。それは確かにこの場に残っていて、俺はその残滓を追っていく。魔力の残滓は、ローテンの町の外れから森へと続いていた。


「血痕……?」


 だが、その途中で俺は血痕を発見した。しかもそれは、断続的に森の奥へと続いている。その跡はまるで誘っているかのようだった。森は深く、夜が近づくにつれて空気が重くなっていく。木々のざわめきが、獣ではない何かの気配を忍ばせる。


「この先か」


 気がつけば森の奥までやって来ていた。苔むした岩の裂け目の先に、ぽっかりと黒く口を開けた洞窟が現れた。血痕もこの先へと続いていた。


 そして洞窟の中に入ると、結界が展開されていく。


「結界? やはり誘っていたか……」


 警戒しながら洞窟の奥へと入り込んでいくと、そこには──縛られたリセルとニヤニヤと薄い笑みを浮かべているゼファがそこにいた。


「リセル──!」

「ハルさん──!」


 リセルの元へと駆け寄ろうとするが、ゼファはスッと漆黒の双剣を彼女の首元へ添える。ツーッと首元から血が流れ出す。


 リセルは「うっ……」と声を漏らして恐怖で体を震わせていた。


「ククク……来たな」

「何が目的だ──?」

「お前。目立ち過ぎだよなぁ。あの結界の魔道具、《《計画》》の邪魔なんだよ。だから、その原因を取り除くってことさ」

「……」


 計画? 一体こいつは何をしようとしている? そんな疑問がよぎるが、今はリセルを助けることに意識を集中させる。


「ちょっとは魔法に自信があるみたいだが、本物ってやつの前では無力なことを教えてやるさ。ククク……ただ、この女。すぐに殺すには惜しいなぁ」


 舌なめずりをしてゼファはリセルの頬を舐めた。その下賎な顔つきから、何をしようとしているのかすぐに分かった。


「ま、この女はお前を殺した後に、犯してから殺すとしようか」

「ハルさん! 逃げて──!」

「リセル……!」

「ククク。あぁいいねぇ! この状況、最高だよ!」


 ゼファは高笑いをする。そうか……この五年でこいつは堕ちるところまで堕ちたのか。


「女。そこで見てろ」

「うっ……!」


 リセルを乱暴に投げ捨てると同時に、ゼファは腰に差している双剣を抜いた。



双翼蝕剣イクリプス──発動アクティベート



 瞬間。漆黒の魔力がその双剣から溢れ出していく。大気がうねり、地面が震えた。

闇の奔流は剣の軌跡に沿って形を成し、まるで意思を持つ蛇のようにゼファにまとわりついた。


「……特異魔道具アーティファクトか」

「ご名答! ははは! お前はコレでなぶり殺しにしてやるよ──!」


 特異魔道具アーティファクト。それは特別な魔法式が刻まれた魔道具。通常の魔道具とは異なり、持ち主の魔力に応じて進化し、時に意思すら持つという。こいつがなぜそんな大層なものを持っているか知らないが──俺にはもう、迷いなどなかった。



『ハルさん! おはようございます!』

『ハルさんはやっぱり凄いですね!』

『ハルさん。今日もお疲れ様でした』



 ずっと俺に優しく接してくれたリセルをここで見捨てるなんてことは、できるわけがない。


 だから──ここで俺が〈勇者ハルト〉の力を出すのに、躊躇ためらいなどあるわけがなかった。俺は即座に魔法式を走らせる。



「第一基点:構造構築。第二基点:魔力流制御。第三基点:因果連結。第四基点:双属性融合。第五基点:干渉領域拡張。第六基点:属性相転導。第七基点:効果因子定着。第八基点:収束式再構成。第九基点:象徴接続確定──九重基点ノナコード:位相展開」



 溢れ出す白と黒の魔力の奔流。それは俺を中心にして舞い上がるように昇っていく。


「ハルさん……? あなたは──」


 信じられないという表情をしているリセルと目が合う。リセル、大丈夫だ。俺は全力でリセルのことを助けるから。


 この先の戦いを見てしまえば、もう前のような関係に戻ることはできない。そうだとしても、俺は作り上げた魔法式を発動した。


 刹那。俺の背後に、白と黒の剣が顕現する。


 白剣は透き通るような純白の刃──まるで月光が氷の結晶に姿を変えたような、静謐せいひつと清浄を帯びた光が宿る。


 黒剣は闇に溶け込むような深黒の刃──まるで夜そのものが凝縮されて鍛え上げられたかのような、光を拒む重苦しい影を纏っている。


 白と黒。光と闇。

 鍔のない細身のシルエットは、儚くも研ぎ澄まされた静謐の象徴。


 そして俺は、静かにたたずみながら自身の固有魔法の名を紡ぐ──




白夜千剣アルリア──発動アクティベート


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