第13話 規格外
「今、何者かが厨房にいたようで……」
「何? もしかして、コソ泥か?」
「多分、そうだと思います」
相手は確かに魔法を使っていた。それも転移系統の魔法。並の使い手では習得できないが、魔道具ならば魔力を込めただけで発動できる。といっても、魔道具の場合は入手するのがかなり困難になるが。
「泥棒ですか……それは流石にちょっと怖いですね……」
リセルは顔を暗くする。王都の件から何か繋がっているような気もするが、現状何か証拠があるわけではない。ここは──対策をするしかないな。
「今日、お店が閉まった後に魔法で結界を張りましょうか? かなり厳重にしておきますよ」
「ハル。そんなことができるのか?」
「はい。店を閉めている時間にだけ発動するようにも調整できますよ」
「そうだな……すまないが、頼めるか?」
「分かりました」
その後は何か盗まれたものが無いか確認したが、特に被害はなかった。それからいつもように開店。今日一番初めにやって来たのは──エステルだった。
「おはようございます。お二人とも」
「おはようございます。エステルさん!」
「おはようございます」
聖女であるエステルはあれから頻繁に店に来るようになった。俺としてはちょっと気まずいが、ハルとして接することにも慣れてきた。
「実はこの度、ローテンに長期滞在することが決まりまして」
「えぇ、そうなんですか! それは嬉しいです! でも聖女様がこの小さな町に滞在するなんて、いいんですか?」
「えぇ。もちろん。ちょっとごうい──いえ。しっかりと教会とも話し合ったので、問題ありませんよ」
「……」
ん? 今、『ちょっと強引に』──って言おうとしなかったか? だが、そうか。エステルはしばらくここに滞在することになったのか。付き合いはそれなりに多くなりそうだな……。
「では、私はまたこれで。リセルさん。ハルさん。また」
「はい。ありがとうございましたー!」
「ご来店、ありがとうございました」
きっと気のせいだと思うが、エステルは俺のことを凝視していたような……。次に来るのは──フェリナだった。
「お久しぶりです」
「フェリナさん。いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ」
あれからフェリナの詳細は耳にしたが、今はSランク冒険者の一人としてソロで活動しているらしい。王都でも有名な冒険者の一人だとか。
「今日もお墓参りですか?」
「……まぁ、そんなところでしょうか」
そう言いながら、フェリナは俺のことを見つめてくる。
「えっと。どうかしましたか?」
「いえ。ハルさんもすっかりこのお店に馴染んでいるなぁ〜と思いまして」
「そうですね。もう慣れましたね」
「ふふ。それはよかったです」
フェリナはニコニコと笑っていて、その顔は確かに過去の面影があった。
「実は、最近は王都のダンジョンではなく、ローテンの近くのダンジョン攻略をしているんです。なので、しばらくはここに来る頻度も多くなると思います。本当にここのパンは美味しいので」
「それは、こちらとしてもありがたいです」
「それで、まだハルさんのパンは無いんですか?」
「流石に無いですね。まだまだ修行中なので」
「そうですか。ぜひ、ハルさんの作ったパンができたら教えてくださいね」
「はい。分かりました」
そんなやりとりをして、フェリナは去っていった。来る頻度が多くなる……か。
それから店を閉めようとした時、最後にやって来たのは──ラスタだった。ただ、ラスタが来るのは客としてではなく仕事なのは分かっていた。外には馬車が停まっていているので、きっと小麦を輸送してくれたのだろう。
「こんばんは」
「ラスタさん。こんばんは。小麦の輸送ですね!」
「うん。オルドに頼まれたから」
「ありがとうございます! では、お店の裏に卸してもらえると」
「分かった」
「あ。俺も手伝うよ」
俺も手伝って小麦の袋を下ろし、ラスタは馬車に乗って帰ろうとするが──その時。彼女は微かに笑みを浮かべて俺に話しかけてくる。
「ハル。お仕事頑張ってる?」
「はい」
「ふふ。それなら良かった。じゃあ、またね」
「はい。また」
ふぅ……今日一日で元パーティメンバー三人と会うことになるとは、すごい偶然だな。まあ、そんなこともあるか。
さて、店を閉めてから結界を張らないとな。
俺は早速、店全体に結界を展開することにした。結界魔法はあの〈アビスサンクタム〉で何度も使っていた魔法だ。魔物に勘付かれない空間は流石に必須だったからな。そして、俺は店の全体を確認してどの程度の結界を張ればいいのかイメージする。
「ハルさんは魔法が使えるんですね」
「ん? まぁな。冒険者だとそれほど珍しいことじゃないが」
「そうなんですね。でも、凄いと思います! 私、魔法は見たことがありませんから!」
リセルは見学に来たのか、俺の動向を興味深そうに見つめていた。
俺はその間も魔法を発動するために構築式を走らせていた。かなり厳重にするか。それこそ、並の使い手では全く太刀打ちできないほどに。あの王都の件で少し気になるものもあるしな。
俺は店の壁に手を当てて、結界魔法を発動する。
「第一基点:均衡定位。第二基点:遮断接続。第三基点:侵入拒絶。第四基点:魔力分散。第五基点:干渉制御。第六基点:循環維持。第七基点:核心固定」
基礎工程の確保は完了。さらに俺は魔法式を走らせていく。
「七重基点──位相展開。結界外殻、投影開始。重層干渉──三層構築:外・中・内、同時展開外層──空間断絶、物理遮断を成立。中層──魔法式拡散、魔力中和を設定。内層──観測遮断、意識干渉を限定。全層、位相安定確認……応答よし。最終固定──封鎖完了」
魔法式発動完了。店全体を一気に覆っていき、一切の淀みのない結界が展開された。うん。我ながら悪くはないな。この規模と強度なら、たとえ何が襲いかかってきても大丈夫そうだ。
「よし。こんなもんだな」
「え? 終わったんですか? 早いですね」
「もう発動してるから、軽く触ってみるといい」
「じゃ、じゃあ……失礼して……」
リセルは恐る恐る、結界に触れる。彼女の手は見えない壁に阻まれてしまい、そこから先に進むことはできない。
「うわぁ。これが結界魔法なんですね」
「あぁ」
「ハルさん。本当にありがとうございます! 何から何までやってもらって。それにとても凄そうな結界です!」
「別に大したものじゃないさ」
リセルは深く頭を下げて、感謝を述べてくる。だが、感謝したいのは俺の方だった。どこにも行く当てのない俺を受け入れてくれたんだから。
「いや、これくらいはさせて欲しい。今後は閉店した時は展開しておくようにするよ。ただ……夜にリセルと大将、他にも誰かが来た時は困るよな。そこは〈対象指定〉の選別までしておくか……」
結界の改良まで考えていると、ちょうど大将が顔を出した。
「ハル。終わったのか?」
「はい。問題なく」
「これを受け取れ」
「え……!?」
麻袋にはあろうことか金貨が入っていた。
「大将。流石にこれは……」
「受け取れ。正式な報酬だ」
「でも……」
「なんだ? 足りないか?」
「いえいえ! では──そうですね。ありがたく、受け取っておきます」
「そうしろ。よし。二人とも、明日の仕込みに行くぞ」
「うん!」
「はい!」
†
夜の帳が降りた。あれからはハルはさらに結界を改良して、自分が指定した対象は結界を素通りできるようにしておいた。結界魔法における〈対象指定〉の概念は、〈アビスサンクタム〉で培ったハルのオリジナルの魔法だ。それはあまりにも規格外の魔法だが、もちろんリセルたちはそれに気がつくはずもなく。
ハル自身もまた、それが特別な魔法だという認識はない。なぜなら、ハルは〈アビスサンクタム〉で自分がどれほど成長したのかという自覚がないからだ。
そして、夜になった店に来たのは、シャーロットだった。呼び鈴を鳴らすが、すぐに反応はなかった。
「すみませーん! あいてますかー!」
彼女は〈災牙獣・オルグ〉の調査でローテン周辺に滞在していたのだが、ここ最近は盗難事件も近くで発生していた。その聞き込みのために、パン屋を訪れたのだ。
「返事ないし。鍵は──」
シャーロットはドアノブに手をかけようとするが、バチッと手が弾かれてしまう。それは間違いなく、ハルの結界魔法が発動した証拠だった。
「え……? 結界? でもこの規模は……いや。待って、何この魔法式……複雑すぎるなんてものじゃない……」
シャーロットはある《《目的》》のために死ぬ気で研鑽を積み、この五年で〈世界最高峰の魔法使い〉と呼ばれるまで成長した。彼女に匹敵する魔法使いは、世界でも五人もいない。その魔法の頂点に君臨する彼女ですら、この結界の強度と複雑さに驚いてしまう。それこそ、シャーロットでもその魔法式は理解できなかった。
「すみません! 何か御用ですか……!」
パタパタと慌てた様子でやって来るのは、リセルだった。
「あ。そうだ。えっと、この棒を……」
「何?」
「シャロさん。この棒に触れてください」
「えぇ」
するとシャーロットの体内に魔力が流れていき、この結界を素通りできるようになっていた。
「これは?」
「この棒に触れたら、一時的に結界を通ることができるらしいです」
「これ──誰がやったの?」
恐る恐る、シャーロットは訊くことにした。本来は聞き込みをしに来たはずなのに、シャーロットの脳内はこの結果を誰が張ったのか、ということで満たされていた。
「ハルさんです。ハルさんは謙遜するんですが、やっぱりこの結界って凄いですよね!」
「……ハル? あいつが?」
(冴えない見た目。オーラも感じないし、特別強い魔力を保有しているわけでもない。でも、あいつがこれを? このレベルの魔法。世界でも出来るやつはいない……いや、待って。《《ハル》》ってもしかして、そういうことなの……? でも先生はあのダンジョンから帰って来るわけがない。もう扉は完全に閉じてしまったし……)
「シャロさん。どうかしましたか?」
「ううん。なんでもないわ。最近はこの周りで盗難被害が多いみたいだから気をつけなさい」
「はい! わざわざありがとうございます!」
「えぇ。それじゃ、私はこれで」
シャーロットは帰路へとつく。彼女の心臓は──今までにないくらいに、高鳴っていた。