本当の理由
「ばか!謝れ!」
他の客の喧騒に満たされている喫茶店に彼女の声が響いた。
周りの客も何事かとこちらに視線を送っている。
全くもって心当たりが無い僕はこうなるまでの経緯を思い出していた。
彼女と付き合い始めて三年目そろそろ身を固めてもいい頃合いだと思った僕は結婚に対しての意識を固め始めた。
しかし、いかんせん自分の感覚だけだと、適切なタイミングかどうか分からないので頼りにしている女友達に相談することに決めた。
そしてとある休日に女友達を喫茶店に呼び出し、話を聞いてもらうことにした。
朝というには少し遅くなった頃に指定していた喫茶店に着き店のドアを開ける。
店員に話しかけられながら店内を見渡してみると、こちらに手を振っている女友達を見つけた。
店員に待ち合わせだと伝え店の中に入っていく。
席に近づくなり「遅いぞ!今日は奢り決定ね。」と悪戯な笑顔を浮かべながら彼女はそういった。
苦笑いを浮かべながらも席につき、わかったわかったと頷くと彼女は満足げな表情になった。
電話などで話す機会は少なくなかったが、顔を合わせるのが久しぶりなこともありお互いの近況について話し始めていた。
「最近はやっぱり仕事が忙しいのよね。たまにはしっかりとした休みを取りたいものだわ。」
ため息をつく彼女に対してお互い大変な時期だもんね、と声をかける。
そんな具合に他愛もないような話を30分ほどしていただろうか。
話の流れもあり、今付き合っている彼女との結婚を考えているという旨の相談を始めた。
すると向いの彼女の表情はだんだんと渋いものに変わっていき、話終わった頃には彼女は腕組みすらしていた。
その後しばらくの沈黙が二人の間に訪れ、冒頭のシーンに繋がるのだった。
やはりもう一度考え直しても、怒られることも、ましてや謝るようなことなんて無いように感じた。
「ばか!謝れ!」
他の客の喧騒に満たされている喫茶店に彼女の声が響いた。
周りの客も何事かとこちらに視線を送っている。
しばらくの間理解の追いつかない頭が再起動を試みていたが、それよりも前に口が開いていた。
「えっと、、何か謝るようなところあったかな?」
そう言いながらも、彼女の顔色を伺ってもその意図は読みきれなかった。
「はぁ、いいから謝って。」
ため息と共に彼女は再度謝罪を要求する。
「だから、何も謝るようなことなんてなかっただろ?」
そう言い返しても彼女は頑として言い分を聞こうとしなかった。
それから何度か同じような問答を繰り返したが、やがて彼女が困ったような表情になった。
「やっぱりまだ早いんじゃない?結婚するの。」
そう告げる彼女の真意がわからず、どういうこと?素直に尋ねる。
「結婚するってことは、何の理由がなくても謝る必要が出てくるってことよ。」
「何も悪くなくても謝れないなら結婚する準備がまだ整ってないってことだと思うわよ。」
一見ぶっ飛んでいるような意見だったが、謎の説得力を感じてしまった。
「というより、最近彼女とうまく行ってないんじゃなかったの?たまに話題に上がる時は愚痴も少なくなかったし。」
そういう彼女はどこか焦っているように見えた。
「嫌なところもあるけど、全部ひっくるめて彼女にしてるわけだからなぁ。」
そんな言い訳に納得してくれる様子はなく、彼女は続けて言った。
「最終的に決めるのは自分だけどさ、広い視野を持って周りを見てみるのも大切なことなんじゃないの?」
「なるほど、親のこととか、仕事、家色々考えることはあるもんな。そうだなぁ、もうちょっと考えてみるか」
そう反応した僕に、彼女は何かいいたそうな表情を浮かべていた。
しかし、結局気を取り直したように深いため息をつき話し始めた。
「今の私に言えるのはこれくらいしかないからね。」
そう告げると彼女は手首の時計を眺め、慌てた様子になった。
「ごめん。急用があったの忘れてた。会計よろしくね。」
彼女は慌ただしく、席を立ち店から出ていった。
「ばか…」
店を出る直前にそう呟く彼女の声は扉の音にかき消されて誰の耳にも届くことはなかった。