12)悪魔の魔法
人間たちが使っている数多くの魔法は一体どこから来たのだろうか。
エルフの使う魔法は精霊魔法が主であり、彼らは人間ではなく精霊の一種であるため人間の魔法を使うことはほとんどなかった。
人間よりも寿命が長い彼らの中から、ひとりでも変わった者が生まれれば悠久の時をかけて人間の魔法を研究し、魔法学の頂点に君臨することも可能なのにもかかわらず、そんなエルフは誰一人として現れなかった。なぜなら魔法の本質が真逆だったからである。
人間たち、特に魔法使いが学ぶ魔法史では、魔法は神々から与えられた奇跡であり非常に尊いものだと教えられる。しかし実のところそれは偽りの歴史であり、人間たちが都合の良いように作り変えたものだった。
なぜなら、人間の魔法は悪魔の扱う魔法が元になっているからである。つまり、人間が使っている魔法は”悪魔の魔法”なのだ。
そのため、人間の使う魔法は殺傷能力の高いものが圧倒的に多く、いとも簡単に殺してしまう力がある。そして、それを人間たちは好んで使用していた。争いがなくならないのも人間の持つ底なしの欲が悪魔と共感した部分があったのかも知れない。
闇に葬られた歴史書には、かつて悪魔は人間を虐げ支配していたと書かれている。そんな悪魔に対抗するために人間たちは団結し、悪魔の魔法を元に人の魔法が作られたという経緯がある。人間が魔法を使い始めると、悪魔は支配する側からされる側へと転落し滅ぼされた。長い月日が経ち、悪魔は架空の生物として認識されるようになる。
しかし、それらを語り継げば必ず反対するものが現れて魔法が廃れていく恐れがあると大昔の人間は考えていた。故に偽りの歴史を本に書き記し、本物の歴史書を消し去ったのである。
こうして、人間たちは自らが使っている魔法が”悪魔の魔法”と知らずに使い続けているのだ。
しかし、人間の中にはやはり疑問を抱く者も出てくる。魔法が神から与えられた奇跡であるなら、なぜ神は生き物を傷つけ殺すような危険な魔法を与えたのかと。これではまるで神が「これを使って争い合いなさい」と言っているようなものではないか。
この問いに、魔法史の学者は満足のいく答えが出せなかった。代わりに、神に仕える神職者がこう答えた。
「神は我々に多くの道具をお与えになった。そして、神は我々がそれらの道具をどのように使用し、または使わないかを見ておられるのだ。神は我々に試練を与えて下さっている。試されておられるのだ」
しかし、これに反論する者もまたいるだろう。
「私たち人間は未熟で簡単に過ちを犯してしまう。子どものようなものだ。親なら子どもに危険な刃物を持たせないだろう。なぜならコントロールの出来ない子どもは容易に自他を傷つけるからだ。子どもに刃物を渡してどう使うかを試すのは、神が我らを過信しているか、または見放しているかのどちらかでしかない」と。
疑問を抱いた人間にしか真実はたどり着けない。しかし、その真実に耐えられるかはまた別の問題だったりする。