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第七話 写真とカメラと二絡み (後中編)

すでに陽は完全に落ち、それを待ち侘びていたかのように、欠けた月が空高く煌煌としていた。





初春の夜風が、心地良く僕等の頬を優しく撫でる。


見渡す限り民家はなく、人の気配は皆無の街外れ。


山籠りでもするかのような、パンパンに膨れたリュックを背負わされた僕と、いつでも駆け出せるように……かどうかは知らんが、嫌味なほど軽装な隣の朔夜さくや





僕等の目の前、



高くそびえた錆びた網目状のフェンスのその向こう側には、



まさしく廃墟以外の何ものでもない建造物が、月明かりに照らされ昔を懐かしむかの如く鎮座している。




みそぎ―――――っ。早く来――いっ!」



目の前を軽やかに駆けていく懐古建造物趣味(廃墟オタク)な幼馴染。




彼女の背中を眺めながらふと、思う。





なんでこんなとこに僕はいるんだろうか……。






見事な回し蹴りによって泥水のように曖昧に濁された記憶を整理してみると、





放課後に“かつあげ”されかけた哀れな子羊よろしくな僕は、彼女のライダーキックによって窮地を脱し、その後、見せたい物があるからと朔夜の家へ招かれたのだった。



招かれた先の彼女の自室で可愛くない一悶着があったわけだが、詰まる所、見せたかった物というのは“廃墟の悪趣味なコレクション群(彼女には禁句)”であり、それを口実に僕を廃墟探索の付き人として誘いたかった、ということだ。



結果的には回し蹴りによりまさしく一蹴、然る後、廃墟探索の付き人(荷物持ち)という役目を仰せ付かった僕。




今思うと彼女、ライダーキックの時点ですでに僕を“荷物持ち”に任命する気満々だったんじゃなかろうかと、彼女の狡猾さを知っている身としてはそんな邪推をせずにはいられなかった。






そんな経緯で、僕と朔夜はこんな時間にこんな人里離れた廃墟に足を運んでいる。






念のため言うと乗り気なのは彼女一人である。






意識を視界に戻す。




目の前に見えるのは黙して語らない、どこに出しても恥ずかしくない廃墟。



廃業に追い込まれた病院のように見える、もともとは総合病院か何かだったのだろうか? だとしたら建物の規模や敷地面積からかなり大きな病院だっただろうことが伺えた。



全ての窓ガラスは等しく割れ、雑草、雑木がそこかしこに野放しになっている、広々とした駐車場らしき場所には放置されさびだらけになっている車が数台放置されていた。



これは紛う事なき廃墟、それ以外の何ものでもなかった。。



すでに興奮は最高潮に達しようとしている。



念のため言うと僕ではない。




「刮目せよ、みそぎ!! これこそが廃墟、先人と世界の偉大なる置き土産。この建物の風化具合、破損っぷり、そこに浮かび上がる朧月。ロケーションとして申し分ない、このフェンス越しに遠巻きに撮影しただけもかなりの画ではないかっ! ここは前々から訪れてみたかったのだ、私は今、最高に幸せだ―――っ!!」






首からカメラを二台ぶら下げ、大興奮で跳躍しながらすでに百枚以上、この廃墟を撮影している彼女、



霧島きりしま 朔夜さくや



僕の幼馴染であり、無類の工場・廃墟オタク。。




その凛と澄んだひいき目に見ても美人と言える顔立ちから、どうしたらそんなカオティックな趣味が出てくるのか不思議でならない。




念を押すが同好ではない。




「禊、早く来ないか! 廃墟は待ってはくれないぞっ」


「どんな廃墟だっ!!」



こういう時の彼女の幼さは昔のままだった。



呆れつつも、心のどこかで少し、ほっとしている自分がいる。




変わらないということ、



変われないということ。







何もかも変わってしまうのは、とても寂しくて、



とても冷たく、



そして痛いことだ。




そうは思っていても、




本当は変わりたくて変わりたくて、




しかし変わることのできない自分自身の存在を思い返し、そして嫌悪してきた僕の人生。





決して変われないのなら、




いっそ何も変わらず、その代わりに誰にも干渉されない生き方をしようと……。



誰からも求められない、期待されない人生を生きようと。



じっと自分の手を見つめた。




一人でいる時は気付かない、でも二人でいると気付いてしまう、自分に刻まれた異端の印。



指先の黒々とした刻印。



退魔師えくそしすとの刻印。



生まれながらの、消えない、消したい、僕の烙印。




誰かといると、その誰かと同じでない自分の存在に気付いてしまう。




世界から自分一人が爪弾きにあったような、どうしようもない孤独に襲われる。



僕はみんなと違う、と。



だから僕は、友人を持とうとしないのだと、




一人を望んでいるのだと、




そんなことを考える。




孤独で居続けること、変化しないということはつまり、それは安定しているということ。



変わらないということは、どこまでも平穏だということ。



目の前の廃墟を眺めると、長い時の中で、変わらない安定を保ってきた建物が、言いようも無く羨ましく思えて、そしてそんな自分自身をまた嫌悪する。





期待するとだから、ろくなことはないんだ。






「怖い顔をしてどうしたのだ? 禊」


「うわっ」


気付くと、僕のすぐ目の前に彼女の顔があった。


僕より小さい朔夜が下から僕を覗き込んでいたのだ。



「なんだよ、いきなり。びっくりするだろうが」


「なんだとはご挨拶だな。様子が変だから声をかけてやったというのに」


一瞬、彼女が寂しそうな表情を見せた、気がした。







「なぁ、朔夜?」








「んっ? なんだ?」



「その……。この廃墟って昔からずっとこのまま、この場所にあったんだよな? 建物が使われなくなってからずっと……。何も変わらず、誰も寄せ付けず、長い時間、ずっとこのままだったんだよな?」



遠い目で、目の前の建物を眺めた。



「それってなんか、うまく言えないけど……羨ましいな……」




何言ってんだか、僕。



再び僕の顔を覗き込む彼女。



そして怪訝そうな顔をして言った。



「何を言っているのだ、禊は? お前は私の話を何一つ聞いていなかったのかっ!? 良いか? 廃墟というものは単純に建物が現在使用されていなければそれで良い、と言うものではないっ! 考えても見ろ。この建物がただ無人なだけの塵一つない、破損もない、至る所整備の行き届いた建物だった場合、誰がそんなものに“ときめき”を、“ロマン”を感じるのだっ!? そもそもそれは“廃墟”ではないっ!! ただの建造物に過ぎないっ!! 言ったであろう、人の手が加わったものに“時間”というエッセンスが加わり、悠久の時の中で、洗練され初めて“廃墟”は“廃墟”足るのだ!! だいたい禊は、この廃墟が本当に放置された当時から何も変わっていないように見えるのか?」



彼女の言葉に気付かされる。


全てのモノは変わっていってしまうのだ。この建物でさえ、長い時間の中で風雨に晒され、風化し現在の姿でこの場所に存在している。




世界はどこであれ、生きている限り“安定”ではいられない……。






僕も“不変かわらず”にはいられないのか。





強く拳を握りしめた。





「すまない。変なこと言ったな。じゃあ行こうか」









「ただ一つ、変わらないものがあったとすれば……」







彼女は振り返り、廃墟を眺める。





「それはこの建物がずっとこの場所にあった、ということだ。散々弁論しておいて何だが、本音を言うと廃墟の外観や破損状況、建物の古さなどは私から言えばそれらは押し並べて“副産物”に過ぎないのだ。大切なことはその建物の持つ“本質”だ。風化、破損の具合からは、その建物が刻んできた私達では想像も付かないような目に見えぬ“時間”というものが、その場に残されていた道具やその配置からはそこで暮らしていた人々の“息づかい”が感じられる。そういった目に見えない“モノ”と正面から向き合い対話すること、それこそが廃墟探索の真の目的なのだ。外観などは小手先の技術でどうにでもなる、いくらでも着飾れることはでき、また逆にエイジングという古く見せる装飾技法も存在する。外観はいくらでも操作できるのだ。そしてそれは人間にも言えることではないか? つまり例え外見がどうであろうと、内面の“軸”さえ揺らがなければ、恐れることは何もないのだ。時の中においては万物は変化せざる得ない。その中でいかに自分という“軸”を疑わずに支えられるか、だ。外見の問題など些末さまつなことに過ぎない。”見てくれ”に一喜一憂しているということは、まだまだ平和な証拠だ」



そう言って彼女がニコっと笑う。



その眩しさに耐え切れず咄嗟にうつむいた。



朔夜の言葉が、僕の心の奥深くに沈み込むように下りていく。



彼女なりの気遣いだったのだろうか?



思わず目頭が熱くなりかけた。




彼女だけをそばに置き続けた理由が、少しわかったような気がした。




「そうか……。そうだよな」



溢れ出しそうな“何か”を堪えながらゆっくりと顔を持ち上げる。



「朔夜、……ありがとう」




彼女への心からの感謝の言葉、





しかしすでに彼女の姿は目の前にはなかった。




「あれっ?」




僕の背後から何やら物音が聞こえる。


僕の背負っているリュックを物色しているのは、間違いなく今、目の前にいた彼女だった。


「いや、礼には及ばんぞ、禊。それよりもあまり動かないでくれ。荷物が取り出せないではないか!」


「僕のありがとうを返せ!!」




まったく。




春の夜空は霞むような星々をまとい、どこまでも伸びていた。

















「それで? まずはどうしたらいいんだ?」



「とりあえず全裸で小躍りしてみたらどうだ? 禊」



「露出狂か!!」



こいつ、しかし変なタイミングでボケるよな……。



「まあ、とりあえずはだな、進入路の確保だ」


「進入路?」


「ここはいくら廃墟とはいえ、国や自治体の管理下にあるのだぞ。いたるところに進入禁止の立て看板があるではないか。周囲を網目状のフェンスで高く囲まれ、しかもフェンス上には有刺鉄線。まあ、これだけの規模の建物だからな、ある程度の管理は必要ということだろうな。しかし、先ほど望遠で内部を確認したが、ガラスやら書類やらが散乱していてかなりの荒れっぷりだ、これは期待していいぞ、禊!」


「待て待て待てっ!! ここが管理されてるってことは、つまり入ったらマズイってことだろ? だからフェンスに有刺鉄線でバリケード完備なわけだし。完全な不法侵入だろ」


「これだけの遺産を前におめおめと引き下がれというのか? それこそ会稽之恥かいけいのはじというものだ!」


「だけどお前、一応はうちの学校の生徒会長だろ、そんなことしていいのかよ?」


「禊は何を恐れているだ? いつの時代、どの分野においても、その道を切り拓いてきたのは先人の飽くなき探究心ではないか。今、この場所においても、私の探究心が今後の世界を切り拓いていく起爆剤になること必至だ」


「お前の廃墟愛がいつかの未来で人の役に立つなんて、それこそ世も末だと思うが。それに第一、これだけのフェンスに囲まれてたら、進入路なんかどこにもないだろ?」



「そんなことだから、禊は人間がつまらないと言われるのだ」


「誰にっ!? 陰口ですか!?」



「そもそも道というものは、初めはどこにも存在してはいないのだ。ある場所を何度も行き来することによってはじめて道筋が刻まれ、それがいつしか“道”という役割を、気付けば与えられているに過ぎない。まさしく“道理”というやつだな。例え荒れに荒れている獣道でさえ、獣がいなければ道にすらなり得ないのだ。“道”とはつまり、そういうものだ」


そう言うと先ほどリュックから取り出したニッパーを片手に、僕を見つめながらニコリと微笑む。


「っ!?」


背中を無数の小さな虫が這うような、ゾッとする悪寒を感じた。



こいつ、用意周到すぎるだろ!





「道は創るものだぞ、禊」






どうか、国家権力のお世話にだけはなりませんように。




高すぎる空と優しい月に、僕は静かに祈り祈った。










パチッ、パチッ、パチッ。









気が付けば、僕等はすでにフェンスの内側にいた。


後ろを振り返ると、人一人がくぐれるほどの綺麗に円形にくり貫かれたフェンスを確認することができた。


朔夜が、お前はどこぞの特殊部隊かっ!、と言わんばかりの手際の良さでくり貫いたものだった。


その円を見て、ちょうどドラえもんに出てくる『通り抜けフープ』なる道具を僕は連想していた。


そんな僕を無視して、朔夜はどんどん廃墟へと近寄っていく。



「お、おい。ちょっと待てって」



慌てて追いかける僕。


彼女は廃墟の外観をひとしきり撮り終えると、建物のエントランスを外から覗きこむように眺めていた。


両手を腰に当てて、おそらくは品定めをしているのであろう。


その顔には“ご満悦”とはっきり書かれていた。


今にも走り出してしまいそうな、そんな自分を必死で自制しているかのようだった。




「み、禊……。すごい……ここはすごいぞ。最高だ、最高の物件だ――――っ!」




両手の握りこぶしを空に突き刺すように高々と突き上げる。



「し、静かにしてくれ!」


近くてパトロールしている何者か(いるかどうかは不明)に聞かれなかっただろうか、それだけが僕は心配だった。


「見てみろ禊、このエントランスを! 入り口のガラス戸は完全に割られ破片がそこかしこに飛散してしまっている。この手付かずの残骸達の静かな横たわりが禊にも分かるだろ? これだけの建造物でありながら、入り口が手押しのガラス戸というのもここの古さを物語っているな。おまけに覗いた限りでは中の壁や柱の破損状況からもかなりの間、放置されていたことがわかる。見事なひびの入り具合だっ!! ここは私の廃墟探訪至上、断然トップの物件だ、つまり断トッ件だ」


「意味わかんねぇって!! だからでかい声出すなって。誰かに聞かれたら本当にまずいだろ。完全に不法侵入だし、おまけにフェンスもくり貫いて器物破損だぞ」


「なぁに、心配するな。見ろ、ここは廃墟、破損だらけだ。フェンスの一つくらい破損しているところで何のことはない。あれも建物同様に自然な破損だ。まったく、禊は心配しすぎだぞ」


「あんなコンパスで測ったような円形の破損が自然にできるか!! 誰が見たって人為的破損だ!!」



「はぁ。小さい男だな、禊は……」




朔夜は僕を無視し廃墟内へと入っていた。



もう、どうにでもなれ……。



飛び散っている足元のガラス片に気をつけながら、生まれて初めての“断トッ件”に足を踏み入れた。







ガラス戸を抜けて入った先は、大きな受付カウンターのある待合所とおぼしき場所だった。


中は湿っぽく、カビや鉄さびの匂いが充満していた。


月明かりも届かず、唯一の光は朔夜持参の懐中電灯だけだった。


周囲を闇に囲まれたこの場所、あちらこちらに何かの気配を感じさせるような雰囲気が重くのしかかる。


背筋の緊張が収まることなく、徐々に強さを増していった。心臓の鼓動も同調するように高まっていく。


「朔夜、やっぱりやめよう。暗いし危ないって。それにこの雰囲気、絶対何かいるって!」


「懐中電灯があるし、廃墟プロの私がいるから大丈夫だ。それに“何かいる”って、それはお前の専門ではないのか? 退魔師えくそしすとさん」




ははは。





そう言って小さく笑った。



遠い昔に、彼女に打ち明けた僕の嬉しくもありがたくもない秘密。




消え入りそうな声で、




「……別に信じてないんだろ?」




気が付けば、そう言い放っていた。




途端、朔夜が僕を睨み付ける。



「いいかっ! 私はお前の秘密を茶化したことはあっても、お前の秘密を疑ったことは一度としてない!! 見損なうな、禊!!」


そう言って彼女は持っていた懐中電灯で僕を力強く照らした。


彼女の言葉に胸を打ちぬかれたような、そんな圧を感じた。



何も言えず、呆然としていた。



「あ、あぁ、そう……なのか……。悪かったよ、…………ごめん……」


彼女の目には曇り一つなく、僕を真っ直ぐに見つめていた。



彼女の口元がゆるむ。



「禊は昔からお化け屋敷の類が苦手だったからな。お化けが怖い退魔師か。おかしな話だ」



ははは。



もう一度小さく笑った。



「わ……悪かったな。サッカーの嫌いなブラジル人だって、絶対いるって……」



力無く答えた。




「そうかもしれないな、禊の言う通りだ」



「えっ?」



そう言って優しく微笑む朔夜を、僕は見ていた。


てっきり反論されるかと思っていたのだが。




彼女なりの優しさなんだろう、僕はそう思うことにした。





「では参ろうか」


長い廊下を奥へと進んで行こうとする朔夜。


「ち、ちょっと待ってくれ。僕はまだ行くとは言っていないぞ」


慌てて彼女を引き止める。はっきり言ってまったく行きたくない。すでに両足が若干震え出していた。



こういうおどろおどろしい雰囲気は生理的に無理だっ!!



身体が言うことを利かない。呼吸も荒くなり、強い動悸を感じるようになる。脳内では勝手な妄想が一人歩きをし出していた。すでに妄想内で僕は、数多の魑魅魍魎ちみもうりょうに囲まれてしまっていて、そしてその全てが僕をじっと狙っている。


そこらの暗がりからは今にも何かが顔を出してきそうで、それを考えただけで眩暈にも似た感覚が僕を強烈に襲った。


「禊。お前のお化け嫌いは今更議論の余地は無いが、しかしここまで来てしまってはどうしようもないではないか。もう進むしかないのだぞ?」




僕は咄嗟に、キチンなりの妙案を思いついた。



プライドをかなぐり捨てて撒き散らす。



「い、いや、僕は行かない。今日は日が悪い、日が悪いんだよ! また後日出直そう。なっ? なっ? その時はちゃんと僕も付いて行くから。だから今日はやめよう。イエスと言ってくれ、朔夜。そうでなければ僕はここから動かないぞ! お前だって僕に背負わせた荷物がないと困るだろう。荷物を背負っているのは僕だ、どうするっ!?」


やれやれ、そんな哀れむような目で僕を見つめる彼女。


笑いたければ笑え。



これは死活問題。



今更恥じも外聞も僕には、ない。



「そうかぁ。確かに荷物がないといろいろと不便だな……」


そう言って首からぶら下がっているカメラを眺める朔夜。


「そ、そうだろ。だからまた後日に」


「じゃあ仕方が無いが今日はこのカメラだけで我慢するとしよう。大掛かりな撮影ができないのは残念だが、禊がそういうのではしょうがないからな」


「えっ? それって?」


「私は一人で建物内を撮影してくるからそこでしばらく待っていてくれ。もしくは先に一人で帰っていてもよいぞ。暗い道中十分に気をつけるのだぞ。背後、物陰にも気をつけてな」


先ほどとはまったく異質な、僕を陥れるための悪意満面な笑みをチラッと見せた。


「ちょっと待てって。こんなところに一人って!? そんなのいくらなんでも……」


「しかし禊が来てくれない以上そうなってしまうのだが……」


わざとらしく、困ったなぁ、といった表情を作る彼女。しかしその実、今にも吹き出しそうな笑いを堪えていると言った方が適切かもしれない。




完全に僕で遊んでいた。




この状況で僕に勝ち目はなかった。



自分にチキンさとアホらしさに腹が立つ。



僕は静かに降参の合図を送った。



「でも、本当にこういうのダメなんだよ。僕……」



「わかっている。しょうがないな、禊は」



朔夜はそう言うと僕の方へ歩み寄ってきた。







そして優しく僕の左手を握る。







「!?」


「手を繋いで歩けば大丈夫だろう? このまま一緒に行こう」


僕の手を引きながらずんずん進んでいく。


「えっ? えっ? ちょっと待って。手ぇ繋ぐって。おい、朔夜」


「仕方ないだろう。こうでもしないと禊が怖がって来てはくれないのだから。私としてもその荷物が使えないのはとても痛いからな。それに手を繋ぐくらい、昔はよくしていたではないか? 今更何を照れることがある?」


「今更だから照れるんだ―――っ!」


僕の言葉などお構いなし、廃墟の奥へと手を取り進んでいく彼女。


彼女の言動とは対照的な小さく柔らかい手のひらから、小さな温もりが伝わってくる。


それだけで僕は、さっきまでの魑魅魍魎の妄想を心の彼方へ消し飛ばすことができた。



口には出さないが、彼女の存在を頼もしく思っている自分がいた。



それに気付き赤面する。


そんな僕に気付くことなく病院内を右に左に歩き回る朔夜。


いいスポットがあれば足を止め写真を撮った。


僕が背負うカバンの中から三脚やらレフ板やらを取り出し手際良くセッティングしていく。


どうりでこんな大荷物になるわけだ。


彼女は色んな角度から被写体を撮影していった。


僕はそれを眺めているだけだった。



今考えてみれば僕は写真にも廃墟にもまったく興味はない。


なんでこんなとこにいるかと言えば、まあ……彼女がいるから、というのが一番簡潔だろう。


撮影が終われば荷物を片付けて次のスポット探し歩き出す。


彼女はその度に律儀に僕の手を取って歩いてくれた。




どのくらい歩いただろうか。




撮影の時間も入れるとすでに3時間以上歩いている気がする。


「なぁ? もうこのくらいにしておこう、朔夜。そろそろ時間も遅くなってきたし」


「もう少しだけ。あとワンフロアでおしまいにするから。それまで付き合ってくれ」


「……しょうがないな」


窓の外、空高くには月がまるで僕等を見張るかのように、強く鈍く輝いていた。














「これで全て撮り終えたかな。ふぅ……、私は最高に満足しているぞ。禊」


屈託の無い笑顔を見せる彼女。


僕はと言えば荷物持ちで肩も腰もガタガタだった。



「じゃあ帰ろう、朔夜」



「あっ、そうそう。まだ最後の一枚を撮っていなかったな」



「なんだよ、最後の一枚って?」


「記念撮影だ。私達がここに来た記念にな」


「そ、そうか」


そう言って自分の髪型を気にする僕。


「まあ一枚くらいそういうのがあってもいいよな」



今更何を気取ることもないがせっかくの幼馴染とのツーショット、少しは綺麗に写りたかったのだ。



「じゃあここをバックに撮ろう」


壁に掛けられた病院名の入ったプレートを背に撮影するようだ。病院名はかすれてしまって読むことはできなかった。



今更ながら、ここが確かに以前は病院であったということ気付いた。



「ではよろしく!」



そういって彼女のカメラの一台を首に掛けられた僕。



「えっ?」


「いつでもいいぞ、禊!」


腰に手を当て、シャッターが切られるのを待っている彼女。



そして全てを悟った僕。



この記念撮影とは“彼女”がこの廃墟に来た記念なのであり、完全なワンショットであること。


おそらく普段なら三脚を使って撮影するところを、ちょうどいいカメラマンが目の前にいるので使ってしまおう、と言ったところなのだろう。


自分の舎弟ぶりに悲しくなると同時に、病院内をお化けが怖いからと、幼馴染の女子に手を引かれ練り歩いた最高にチキンな自分の存在に、周囲の世界が崩れていく気がした。


まさか今後、この件を材料に僕を色々といい様にゆする気じゃ……。そんな邪推も容易に浮かんだ。



悲しさと切なさの重みでゆっくりとシャッターを切った。







はい、チーズ。








カシャッ。







撮影した直後の一眼レフの眩しい液晶画面には、






目の前の彼女の活き活きとした表情が、





きらきらと光っていた。











「では帰ろうか、禊」




そう言って歩きだす朔夜。


カメラは僕に預けたまま、つまりは家まで運べと……。



はぁ。



ゆっくりと病院を出て行く僕等。





エントランスをくぐろうとした、





その時、






「!?」





僕は小さな地鳴りのようなものを感じた。






周囲の割れた窓ガラス、柱が小さく揺れた、気がした。



地震っ?



その時の僕はどうしてだろうか?


その揺れが上階から来ている、直感的にそう思った。




「?」




なんなんだ?





しかし前を歩く朔夜はこの事態にまったく気付いていないようだった。


まあ震度にしても一か二程度のものだったので僕も気に留めなかった。



何より早く帰って寝たかった。



僕は山のような荷物を抱えて彼女の家へと、来た道を二人で戻った。










「今日はご苦労だったな、禊」


疲労の跡なし、と言わんばかりの朔夜が彼女の自宅の玄関前で僕を労ってくれた。



時計の針は午前一時を回っていた。



「僕はもうへとへとだ」


預かっていた大きなカバンを彼女へと渡す。


「本当に助かったぞ。今度また廃墟へ行くときはぜひ誘わせてもらうからな」



「勘弁してください」



心からの叫びだった。



「じゃあこれで帰るから」


「あぁ、気をつけてな。また学校でな」


小さく手を振って僕を見送る。




おっと。




「そうだ、これ」




振り返り彼女に最後の荷物を渡す。


彼女から預かったカメラだ。


「これもお前の荷物だろう」


「そうだった、そうだった。これが無くてはな」



彼女にカメラを手渡した。



「じゃあ本当にこれで帰るから」


「気をつけてな。おやすみ」



別れのあいさつを交わし、僕は家路に着いた。





彼女に手渡したカメラは、




氷のように冷たく、ズッシリと重かった。
























次の日の昼休み。


教室の窓際の席で、僕は一人寂しく昼飯を食べていた。


正確に言えばいつも一人なのでもう慣れっこ、別段寂しいとは思っていなかったが。


そんな中、昼休みには珍しく校内放送の合図が流れた。


「ふぅん、珍しいな……」


スピーカーから下ろし立てのスーツのようなパリッとした声が漏れる。


「あ―、あ―。テスト、テスト。本日は晴天だ。あ―、あ―」








………………………。









「この声って……」


嫌な予感が僕の中を駆け巡る。


こういう時の僕の第六感は、砂漠地帯の降水確率くらいにはずすことはなかった。


「生徒諸君。昼休みの惰眠の邪魔をして申し訳ない。私は生徒会長の霧島 朔夜だ」



やっぱりかっ!



「えぇとだな。二年生の御白 禊。繰り返す、御白 禊。放課後、生徒会室の私のところまで来なさい。お前に伝えたいことがある。必ず出頭するように。必ずだぞ! あとちなみに余計な詮索をされるのもめんどうなので言っておくが、これは告白やらの浮ついた類の話ではない。くだらない噂話は時間と労力の無駄だ。勘違いしないように。よいな、生徒諸君。以上」



そこで放送は終了した。



僕はと言えば、寝込みをいきなり誰かに襲撃されたような霹靂へきれきだった。


おまけにクラスのみんなの視線が僕に突き刺さっているのが、顔を上げずともわかった。


口々に僕が呼び出されたわけを推測しているようだ。



もちろん、友達はいないので話しかけてくる者はなかった。



教室の雰囲気に耐えられず、その日の昼休みは校内をうろついて過ごした。









放課後。








僕は言われた通りに生徒会室へと出頭した。


ノックをして、ドアを静かに開けた。


入り口のドアとは正反対に位置する窓際には、校長室から盗んできやがったのかっ!? と思えるほど豪華な装飾が施された机と椅子が生徒会長用に宛がわれていた。


そのフカフカの革張りの黒い椅子の上、朔夜が引き締まった足を交差させてゆったりと座り、僕を待っていた。



今まで無縁の初めて入る生徒会室。



今更ながらに僕と彼女は住んでいた世界が違うのだと実感した。


彼女が遥かな対岸にいるかのような錯覚。



というか、こんな生徒会長、どこの学校探してもいない気がする。



「やっと来たか。待ちわびたぞ、禊」


そんな僕の考えを他所よそに、彼女は椅子から飛び上がると僕の方へと近寄ってきた。



僕等以外には誰もいない。





「お前、昼休みのあの放送はなんなんだよ」


「いいアイデアだろう。一番確実にお前に用件を伝えられる。他の生徒達も用件の証人になってもらえるので一石二鳥だ」


「別に僕とお前の教室は隣同士なんだから、普通に伝えにくればいいだろうが!」


「私はこう見えても学内では忙しいのだよ。時間と手間を取らずに用件を伝えるにはあれが最良だ」


「おかげで恥をかいたじゃないかっ!」


「禊の学力で“恥”という字が書けるのか、なるほど」


「喧嘩売ってんのか!!」


「ではあいさつはこのくらいにして本題に入ろう」


「あぁ、そうしてくれ」



まったく調子が狂う。



長い付き合いだが彼女の会話にはまだまだ付いていけない点が多々ある。



唯一、僕が付き合いの中で学んだことと言えば、彼女と会話する場合、内容を深追いしなければそれ以上めんどくさい会話にはならない、ということだ。




まあ、



言うは易く行うは難し、だけど。





「話って、どうせ昨日の廃墟のことだろ?」


先手を打ってみた。


「話が早くて助かる。その通りだ」



そう言って踵を返し先ほどの革張りの椅子に再び腰掛ける。


小さな手をそっと差し出した。


「今日は生徒会の集会はないから誰も来ない。好きなところに掛けたまえ」


「……そうか」


僕は一番近くの一般的な学習椅子に腰掛けた。




「それで話って?」


頬杖をついてぶっきらぼうに訊ねる。



「昨日、廃墟で撮影した写真のことでな……」



朔夜はうつむいて少しの間、黙っていた。




「…………」




「どう……したんだ?」



僕は重く長い沈黙に耐え切れず、口を開いた。




「み、禊よ……。大変なものを……撮ってしまった」



彼女の腕が小刻みに震えているのがわかった。


うつむいたまま顔を持ち上げない。


息づかいも徐々に激しくなっているようだ。




こいつ、泣いてんのか?……




「お、おい。朔夜!?」



僕が思わず立ち上がりそうになった刹那、




彼女は言った。




「これは革命的写真だ――――――っ!!!! 私はやった、やったぞ、禊!!」





「はっ?」



椅子から飛び起きると、悦に入った表情で拳を突き上げる朔夜。


僕はそれをただただ唖然たる面持ちで眺めていた。



「えぇっと……、なんだって?」



思わず聞き返してしまった。



「だから革命だ。私のこの功績は間違いなく、人類の写真史に偉業として深々と刻まれることだろう。こんな写真を私は今だかつて見たことがない。間違いなく廃墟写真界に残る一枚として未来永劫語り継がれるだろう!」



「いやいや、待て待て! そんな界があるのかは知らんが、そもそも革命的写真って何なんだよ? さっきのはただの武者振いだったのか?」



「禊。私が撮った渾身の一枚だぞ。今後一生撮り続けてもこんな写真が撮れるかはわからんのだぞ? まさに写真の革命だ!!」



ご満悦、と言わんばかりに目をつぶり顔を天井に垂直に持ち上げている。



どうやら心底幸せのようだ。



「じゃあその……別に悪い話じゃないんだな?」


「こんないい話、共に廃墟を巡ったお前に伝えんわけにはいかんだろ?」



ニコッと彼女は笑った。




「そうかよ」




とりあえずはほっとする。




「じゃあその最高の写真とやらを僕にも見せてくれないか?」



当然の要求だと思ったのだが。




「断る!」



「なっ!?」



即答だと……。



「こんな大切な写真、おいそれと人に見せるわけにはいかんだろ。人類の宝になるかも知れない一枚なのだぞ? いくら禊と言えども見せるわけにはいかない。……だがな、安心しろ、禊。この写真は然るべきところから正式に発表し大体的に全世界にお披露目してやる。その後で、お前にだけこの写真を生でしかも間近でたっぷりと見せてやろう。これはお前だけの特権だぞ、感謝してくれよ?」




なんかもう、完全にいつものノリだな……。



彼女との会話の大鉄則その一、こいつの話の内容を深追いしてはいけない。




僕は誰よりも心得ている。




「そうか。じゃあその時になったらたっぷりと見せてもらうからな。忘れるなよ?」


「もちろんだ。楽しみにしててくれ」




蓋を開けてみればこんな話か……。




「じゃあ、もう僕は帰っていいよな?」


「そうだな」



じゃあな。



そう言って立ち上がった。







「あっと」





「んっ!?」



彼女の言葉に思わず振り返る。



朔夜は腰に巻いたウェストポーチの中を何やら物色している。


その様子を静かに見つめていた。


「そういえばもう一枚。禊に見てもらいたかった写真があるのだ」




正確に言えば最初の一枚は僕はまだ見てないんだけどなっ!!




心の中でそう呟いた。




「あった、あった。これこれ」


そう言って写真を一枚、ペラリと差し出した。







「昨日、最後に禊が撮った一枚だ」







その写真を僕に手渡す。





「なんだよ、今度は」








渡された写真を事務的に見つめた。













「っ!!!!」













背中を冷たい何かが撫でたような感覚に、思わず全身の神経が目を覚ます。






無数の針で皮膚を刺されているみたいだった。





写真を持つ手が震える。





これは確か……、





確かに昨日僕が撮った一枚、記念撮影の時の一枚。







その時の一枚のはず……。






「お、おい……。こっ、こっ、これって……」





写っている被写体の構図はまったく同じ。




暗闇に写る腰に手を当てポーズをとる彼女も、その背後の壁も、かすれて読めない病院名の入ったプレートも。





写真の中の彼女を下からゆっくりと見ていけば、




すらっとした足、腰、胸元を通過し、




さらに上、あごのラインから輪郭を伝って行けば、耳も彼女の髪もちゃんと写っている。









唯一の異状。








それは目、口、鼻があるべきところの、












薄く細く、そして赤い、
















引っ掻き傷。



















禍々しき傷跡は完全に彼女の笑みを覆っていた。






彼女の笑顔を掻きむしるかの如く、その線は縦横無尽に引かれている。







その光景はまるで、








彼女の幸福を、







生命を、







ズタズタに引き裂くように。









思わず写真を落としそうになる。










写真の中の彼女には、












一切の顔がなかった。



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