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第六話 写真とカメラと二絡み (前中編)

幼馴染の彼女の自宅へと向かう道中。


特にこれといった会話もなく、どこまでも平行線を刻んでいく僕等。




ふと、彼女の胸のあたり、首元からぶら下がっているまるで自分自身の存在価値を誇示するかのように黒光りしているカメラを、僕は横目で眺めていた。


カメラにうとい僕にはそれが「カメラである」ということ以上の知識はない。今でもカメラ、と聞いてコンビニのインスタントカメラを思い浮かべるくらいだ。


カメラから無駄に前方に突き出した大きなレンズは、僕にそれが高価なものであると絶えず主張し続けていた。






「なぁ、朔夜さくや。さっきから気になっていたんだけど……、その胸んとこにぶら下がっているそれ。なんなんだ?」






霧島 朔夜。陸上部のエースにして、生徒会長。


そんで僕の幼馴染。


ついさっき、不良にからまれた僕をライダーキックで救ってくれたときにはすでに、その大きなカメラを所持していた。


というかサイズ的に手持ちで使うようなものには思えないのだが。


しかし見たところ三脚のようなものは持っていない。

というか彼女はカバンすら持っていない。


写真が趣味だとも聞いたことはなかった。





「今の時分で知らないのか? みそぎ。そうか……。これはカメラというものだ。その中でもデジタル一眼レフカメラ、通称デジ一と呼ばれるカメラだな。撮影用とファインダー用の光学系が同じで一系統なので一眼と呼ばれている。ちなみに一眼レフのレフの語源はドイツ語でシュピーゲル・レフレックスといって……あ、いや、話が飛躍し過ぎたな。そもそもカメラというのは被写体の映像をだな」



「僕はタイムトラベルしてきた古代人なのかっ!? そういうことを聞いてる訳じゃなくて」



「あっ、そうかそうか。これは失礼した。この膨らみは私のバストだ。自分で言うのも面映おもはゆいが、なかなかどうして小振りながら形の良いバストだと思う。別段大きさを欲している、というわけではないが、女子のセックスシンボルとしてはもう少しあってもいいかなと思ってはいる。確かサイズは八十……」


「もっと聞いてねえよっ!! 僕は変態かっ!!」



夕暮れ時の閑静な住宅地に僕の声が響き渡る。



「いやいや、禊も一応男子だからな。こっちの話題の方を訊ねてきたのかと思って」


「タイミングがおかしいだろ。幼馴染とは言え、いきなりバストについて訊ねるかよ!!」


「では一体、禊は何について質問しているんだ?」


「だからその……。なんで、そんなでかいカメラを持ち運んでるのかってことだよ」


「もちろんこのカメラが私の私物だからだ」




なんというか、居場所のない虚無感のようなものが、僕の肩にのしかかってきたのがわかった。





「その、なんていうか、お前と僕の会話ってベクトルが見事に噛み合ってないよな? 確か幼稚園くらいからの付き合いだったと思うんだが。こうも伝わらないと質問した僕が馬鹿みたいじゃないか……」


「しかし禊。実際、相手との会話がスムーズに成立するか否か、ひいては馬が合うかどうかというのは互いの接した時間の長さとはほとんど相関がないように思える。私と白ミソの会話が噛み合わないのはそうだな……、例えるなら歯と歯の間隔がまるで違う歯車を無理矢理噛まそうとしているようなものだろう」


「お前、今普通に僕等の会話の噛み合わなさを諦めたよな? しかもどさくさに紛れて白ミソって呼ぶな!!」



こいつが付けた僕の最初で最後のあだ名。


そしてこの呼ばれ方をされて愉快だと思ったことはない。


不快だ。



「あの……、もういいです」



もう何も言うまい。


これ以上の進展はなさそうだった。





「しかしこの無駄話も無駄でもなかったな」



彼女がニコリと微笑む。



「何がだよ?」



ふてくされるように伏し目がちに僕は答えた。



「ちょうど我が家に到着だぞ、禊」



顔を持ち上げるとそこには昔馴染みの彼女の家があった。


外観をぐるっと一回り眺める。


以前僕が通っていた頃と全てが同じままだった。


「懐かしいな。ちっとも変わってない」


「では参ろう――」



そういって彼女は玄関の扉を開け、家の中へと入っていく。


僕はその背中を見つめていた。




「ていうかあいつ、さっきの僕の質問を無駄話として処理しやがったのか」


はぁ、と小さい溜息とともに僕も彼女の家へと歩を進めた。









「えっと……、お、お邪魔します」



彼女の家に訪れるのは数年ぶりだった。


中学の時に一回来たかな、程度の認識しかない。


小学生の頃は頻繁に通っていたのだが。



入った玄関には頬を朱色に染めて僕を見ていた彼女の姿があった。



「あ、あの。ちょっ……ちょっとここで待っててくれ」



そう言って彼女は踵を返し、駆け足で階段を上っていった。



玄関に直結している廊下は、まっすぐにこの家の奥まで続いていて、その廊下の途中から同じくまっすぐに上へと続いている階段があった。


彼女は階段を上り終えてすぐ左にある扉の中へと消えていった。



おそらく彼女の自室なのだろう。


以前、僕が通っていた頃とは違う部屋を、現在は使っているようだ。



玄関で僕はおとなしく、まるで自分の気配を消すかのように棒立ちしていた。


元々今日、僕はここに来る予定ではなかったのだから、色々と片付けるものがある。つまりはそういうことだろう。


散らかした本とか食べ残しのお菓子とか、脱ぎ散らかしたパジャマとか下着とかそんなところか。







……下着?







………………下着……だとっ!?



本能的に、これはまったくの無意識的になのだが、彼女が今まさに自室で自分の下着を片付けている様を妄想してしまった。


途端に顔面が紅潮する。

冷え切っていたはずの手に温かみが注がれてきた。



「そういえば、何か見せたいものがあるって言ってたよな……」



顔を赤らめ、恥じらいながらそう言った朔夜の表情を思い出す。


今までの付き合いの中で、一度も見たこともないような顔だった。


心臓の鼓動が強さを増す。


まるで何かに焚きつけられた町工場のベルトコンベアのように、急ピッチで全身に血液が運ばれていく。



別に彼女のことを異性として意識したことは今までない。


確かに、今日久しぶりに言葉を交わした彼女はお世辞でなくとも美人と言えた。


しかしそれだけのこと。今までの付き合いがあるから余計に、いきなり異性として見ることは難しい、実際さっきまでの会話からもそう実感できた、




……はずだった。




しかし僕には絶対的に経験地、元い免疫が足りない。


同年代の女子の自宅に思春期を迎えてから訪れたことはない。


しかも幼馴染とは言えいきなり自室に、しかも遊びという名目で来ているわけでもない。というかなんのために呼ばれたのかさえわからない。


そして今、この家には僕等二人を除いて誰もいない。


そんな中で、彼女の思わせぶりな数々の言動、行動、春機発動に僕は直立不動。









どのくらいの時間が経ったのだろうか。


正確に確認したわけではないがおそらく五分程度だったはず。


僕には半永久的に感じられたが。


靴を脱いで玄関に上がってから僕は一歩も動けずに、ただただ階段を上へ辿った先の虚空を見つめていた。


時折、彼女の部屋からガサゴソと異音が聞こえてきたが、これ以上の推量は心臓麻痺も必至だと判断。



僕は聞こえない振りをした。





その時部屋の戸が静かに開き、彼女がひょっこりと顔を出した。



「思ったより時間がかかってしまって申し訳なかった。上がってきてもいい……ぞ」


そう言うと朔夜は部屋から全身をあらわにし、あたかも階段を上ってくる僕をお出迎えするかのようなポジショニングになった。



「そ、そうか。わかった」



ぎこちなく頷くと、高揚した全身を引きずるように足を踏み出した。


階段の一段目に足を掛け、ゆっくりと一段一段踏みしめながら上っていく。


上りきったところには彼女がこちらを向いて立っていた。


先ほどまでぶら下げていたカメラは、今はもうない。




現在、彼女の部屋の扉は閉まっていて中は確認できなかった。




「なあ、禊……。これから部屋へ招待するわけだが、あの……あまり詮索するなよ。これでも一応女子の部屋だからな、よいな」


「わかってるよ」


視界がぐるぐるしてきた。

心臓の鼓動はいよいよ最高潮である。


いつから僕の身体はウーファーを搭載するようになったのだろうか。


自分の鼓動の振動が彼女にまで届いているかのように錯覚するほどのそれだった。


幼馴染とは言え、昔よく通っていた家だとは言え、思春期を迎えた男子が思春期を迎えた女子の部屋に踏み入るのに、意識しないわけがない。


僕にとっては秘境も同義だ。




「では行こうか」



静かにその扉は開いた。

彼女に続いて僕も部屋へと入っていく。







部屋の敷居を踏まないように気を付け、一歩、足を踏み入れた。


ゆっくりと視界を部屋の中へと向け、顔を持ち上げた。


これが女子の部屋というやつなのか。





洗練された机やベッド、クローゼットの配置。


磨き上げたような鏡面仕上がりのフローリング。


壁面を埋めるように飾られている美しい、幻想的な風景写真の数々。


棚の上に一様に整列している可愛らしいぬいぐるみ。


美しい花と純白のカーテンに彩られた窓際。






これがそう、女子の部屋。









女子の部屋……。








…………女子の部屋?




「どうしたんだ? 禊。あまりじろじろ見たものではないぞ」


恥じらいながらもニコッとこちらを振り返る朔夜。



「あ、いや……」




どうだ……って。





僕はこれが夢ではないことを確認するかのようにまぶたを強く擦ると、もう一度、部屋を眺め回した。




ゆっくりと。






もう一度……。







リトライ。







たしかにベッド、机、クローゼットはある。


ゴミも散乱しているわけではなく、衣服や下着も脱ぎ散らかされてはいない。



しかし物々しい雰囲気が僕の全身を包んでいた。





まるでいきなり樹海の中に放り出されたような虚無感を感じた。





最初に僕の目を引いたのは、




部屋一面に飾られた写真。







……これは何ですか???






どこか海岸沿いの工場が夜間のライトに照らされ、眩しく光る複雑に入り組んだパイプや鉄骨を望遠で撮影した写真。


工場から伸びる煙突、その先端から湧き上がる禍々しい色をした煙のアップ撮りの写真。


ボロボロの朽ちた木造の建物のその内部、今にも崩れ落ちそうな、これは学校なのか? 散乱した学習机や割れてしまっている黒板を撮影した写真。






こちらに目を移すと、






……これは病院の手術室だろうか?


人は一人も写っておらず、代わりにバリバリに割れたガラスが転がる床と、その床から生えている手術台、その手術台には植物が寄り添うように絡まっている。




んで、こっちはというと、




足を掛ければ崩れそうな錆びた階段を下から舐めるように撮影した写真。階段のステップ部分には剥がれ落ちてきた天井の一部が横たわっていて、階段の上った先の踊り場の壁は崩れその向こうには満月が輝いていた。








これは夢か……。



別の場所に視点を移す。




これは何ですか???




クローゼットの上、



まるで優勝トロフィーを高々と飾る如く、一様に垂直に立てられ並べられた望遠レンズ達。


どれもがアクリル製のケースに入れられ大切に保管されている。


しかしカメラ初心者の僕にも、これが適切な保管方法でないことは察しがついた。


遠くて確認できないが、それぞれのトロフィー、いや、レンズのケース下部には名前らしき文字の入ったプレートが付けられている。



まさかレンズ毎に自分でネーミングしてんのか、こいつ?



飾られたレンズ達から、えも言われぬ物悲しさが発せられていた。






そして極めつけ。



彼女の部屋唯一の縦長で長方形型のガラス窓。



真っ黒いビニールで何重にも封をされ、完全に外部の明かりをシャットアウトできる作りにされていた。



おそらく電気を消して今入ってきた戸を閉めれば、お手製漆黒の闇、といったところか。




用途がまったくわからん。






「なんというか、自分の部屋を他人に見せるというのは思った以上に気恥ずかしいものだな」


顔を赤らめながら自分のベッドの上に腰掛けている朔夜。




彼女に対して静かに右手を上げる僕。



「えぇと、その……。いくつか質問を許してもらってもよろしいですか?」


「改まってどうした、禊。気兼ねなく質問するがいい」




「では、お言葉に甘えて……」




そういって、めいっぱい肺に酸素を送り込むように息を吸った。







…………………。









「一体なんなんだ、この窓はっ!? こんなゴミ袋みたいのでバリバリに窓塞いで何がしたいんだ!!! 部屋真っ暗じゃねえか!!」



「ああ、これか。これは自室を暗室代わりにするための仕様だ。私は銀塩写真もやるのでな。感光してはいけないから暗室が必要なのだよ。アナログもいいものだぞ、うんうん」




「じゃあ次だ! この優勝トロフィーよろしくのレンズ群はなんだ!? よく見たら命名までしてあるじゃねえかっ!! まさか私の可愛いレンズ達とかなんとか言うんじゃないだろうな?」



「私の可愛いレンズ達だ。この子達と一緒に色んなところに駆り出して写真を撮るのが最高なのだ。いつまで見ていても飽きない、酒の肴のようなものだ」



「誇らしげにそのまま言うんじゃね―――――! それにお前未成年だろうが!! じゃあじゃあこの壁を覆い隠すほどの悪趣味でカオスでデカダンスなコレクションはなんなんだよっ!!!」



「んっ!?」





途端に朔夜の目付きが険しくなる。





「……禊。今のは聞き捨てならんな」



はっ、と僕は息を呑んだ。


気付かないうちに立ち上がった彼女の両の手は、僕の首元をきつく締め上げていた。




「それは…………禁句だぞ…………禊君……」




朔夜の凛とした瞳から、僕を貫くような鋭い視線が注がれていた。



彼女の後ろに阿修羅が見えた気がした。




「では聞こうか、禊。この写真達は何かな?」



「うぐっ!?」



いよいよその手は僕を落としにかかる。



殺される……。



これは何だ? 何の写真だ???



「えぇっと、これは……その……綺麗な風景画です……」



朔夜の瞳が一斉に見開かれる。



「否、否、否っ!! これは八面玲瓏はちめんれいろうで、それでいて面向不背めんこうふはいな工場・廃墟画だっ!! 究極の美学だ!! この美しさがお前にわかるか、禊? どうだ!! 何か申してみよっ!!!!」


「あっ、そのっ、ぐふっっ……ぅぅっ」





息ができません。





パッ、と手が不意に解かれた。



「うがっ」



苦しさのあまり、無意識のうちに床の上で四つん這いのポーズを決めていた。


縛り付けられていた気道を無理矢理押し広げ、酸素を送り込んでいく。




「それで、私の悪趣味な写真達がどうしたって?」




……今視線を合わせたら殺られる。




「最高でした……」



僕は四つん這いついでに土下座を繰り出した。





それはそれは綺麗な土下座だった。

















「まだ喉がヒリヒリする」


「ほんの茶目っ気というやつだ、許せ。禊」



ベッドに腰掛けにこやかな笑顔を浮かべる朔夜。


僕はというと、フローリングに直に座り彼女を見上げていた。


一応、先ほどの怒りは彼女の中で下火になったようだ、たぶん。



「それで、あの、話を戻してもいいか?」


「ああ、何の話だったかな?」


「いやいや、壁一面の最高に美しい写真達についてだ」



とりあえず持ち上げておこう。



「これか。これは今までの私のコレクション達だ」


誇らしげに壁の写真に向かって高々と手を揚げていた。



「あのさ、初歩的な質問なんだけど。その、工場・廃墟画って何?」


「そのまま。言葉通りの意味だ。工場や廃墟の写真という意味だ」


「あの……、なんでそんなものを?」


彼女の顔色を伺いながら質問してみる。


一歩間違えれば命取り、いや命取られだ。



「美しいからだ。それ以外にカメラに収める理由があるか?」


そういうと彼女はベッドの上に立ち上がり、それはまるで演説を行うかのような所作で話し出した。



「では私から質問しようか、禊。一般的にカメラの被写体となるもののおよそ大半が空や海、山などを写した風景画であるのだが。ではそれは一体どういった理由からであろうか?」


ビシッ、と僕に向かって人差し指を突き出した。


「えっ、お、俺っ!? あ……それはつまり……綺麗だから、ですか?」


「その通りだっ! 風景画、つまり自然には我々の感性を著しく刺激する美しさ、破壊力を備えているのである。つまりその自然美というものは悠久の時を経て世界が育んできた気の遠くなるような時間という儚くも抗えないものであり、その圧倒的な存在感が我々に刻み付ける畏敬と畏怖の感覚なのである。無力な人間が山紫水明をカメラに収めたいと思うのは至極当然な本能的欲求なのである」


「はぁ。じ、じゃあその廃墟……とかも自然美、とかいうやつで、お前はそれが好きで撮っていると……」


「ふふ、甘いな……。そうは問屋が卸さんのだよ」


したり顔で微笑む彼女。その笑顔には不気味さに近い何かを感じさせるものがあった。



「では、もう一つ質問しよう。自然美と対極を成している“美”とは何だろうか?」


「質問の意味がよく……」


「自然美のアントニムと言い換えてもよいだろう」




いちいちめんどくさいやつ。




アントニム、対義語か……。



「えっと、人工美。かな?」



「まさに然りだな。それには自然美にない人の手が作り出す洗練、計算された造形美というものがある。それもまた同じ人間だからこそ訴えかけ得る、同じ人間だからこそ共有し得る普遍的感性というものの象徴だ。そもそも人は道具を使う生き物である。動植物が進化の過程で己が身体を洗練させてきたように、人もまた生き長らえてきた中で己が手足の一部である道具を洗練させてきた、否っ! 洗練させてきたからこそ生き長らえてこれたのである。その過程で道具に対する実用性のみならず完璧な“美”というものまで追求するようになった、つまりは黄金比の発見と人工美の夜明けである!! 黄金比は自然界にも当前のように存在しているのは現在では周知の事実。人がそれを発見し人の手の届き得るところで美を探求したということ。自然と人工、相反する双璧は始原の違いこそあれ、その終着する先の“美”はほど遠くないところに在るっ!!!」


ベッドの上で仁王立ちしながら、胸元に揚げた握りこぶしでガッツポーズを決める彼女。


呼吸は荒く、どうやら完全に興奮しているようだ。


瞳を輝かせながら、それでいて蒸気機関を思わせる吐息の荒さ。普段の学校生活ではまずお目にかかれない彼女の一幕だろう。


僕も始めて見た。


少なくとも中学校までの彼女とは少し路線が違うようだ、勝ち気な口調だけは変わらないようだが。



「わかった、わかったよ! 人工美が偉大だってこともわかったから少し落ち着いてくれ!」


話の続きが始まらないうちに、滑り込ませるかのように割って入る。


我ながらナイス判断だっただろう。


このままでは少なくとも本日中には終わりそうもなかったからな。



「とりあえずだな、お前の言いたいことはなんとなくわかったから落ち着いてくれよ」


ベッド上で悦に入っている彼女をなだめる。


「ほう、わかったとな?」


「な、なんだよ……」



朔夜の僕を哀れむような目付き。


彼女の口角はゆっくりと持ち上がり、口元だけが不吉な笑みを湛えている。



「本題はこれからなのだぞ?」






ズモモモモモモモモモモモッ……。






「なん……だと……」



そんな擬音が聞こえてくるかのような迫力に僕は完全に圧倒されていた。



「最後の質問をしようか、禊」


「は、はい……」



荒波渦巻く大海のその真ん中、自分の最後を悟った船乗りのような淡い憂いを帯びた目、きっと僕はその時、そんな目をしていたに違いない。



「自然美と人工美の持つ“美”については前述した通りだ。では禊。廃墟が我々に放つ“美”とは、そのどちらに分類されて然るべきか、廃墟が持つ美しさとはどちら側のものかわかるかな?」


「えっと、ちょっと待ってくれ!?」



大真面目で何を聞いてくるんだ、この女は。


えっと、廃墟は建物が人工物であって、そこになんらかの手が加わって廃墟になって……。ていうか、そもそも廃墟は美しいのか!? 僕は人生で一度も廃墟のある風景に魅了されたことはない。廃墟とはつまり大きなゴミ、くらいの認識しかないが、もちろん、口が裂けてもこいつには言えない。



「じ、じゃあ、人工のほうで……」



「はははっ。浅はかだな、禊は。廃墟の持つ魅力というのはな、自然美と人工美のニュートラルに存在している美なのだよ」


「なっ!?」




はなから正解させる気がないだとっ!?






「言い換えるならば、そうだな……、そうっ! “中道美”とでも言おうか! 中道とは仏教用語で両極の世界観、価値観を超越した遥か先にある理想の価値観のことであるのは知っているな? つまり廃墟とはな、禊! 人間が用意した人工物という洗練された“素材”に対して、自然が光陰と言う名の“スパイス”を加えた、この上ない極上の“食材”なのだよ。そこを我々カメラマンが最高のテクニックと感性で空間から画を切り取り“調理”するのである。どれ一つ欠けても美に成り得ない、しかし、だからこそ追求したときのその美は他の追随を許さないほどの比類なき美をまとっているのではないだろうか? 廃墟こそ我々がたどり着くべき美の極地であり、世界が作り出した最高のリリシズムなのである!!」




何も言えず、ただただ彼女の言葉を耳に収めるのみだった。


彼女の迫力や威圧感に圧倒され、完全に自分を見失っていた。


これ以上ない価値観の押し売り、僕の中には“呆然”の二文字がDNAの螺旋構造のようにループしていた。




そして、




ただ流されるままに受け答えしている自分にも腹が立ってきた。



なんでこんなことに付き合ってんの? 僕……。



先ほどまで立ち上がっていたベッドから降り、僕の方へゆっくりと歩み寄る彼女。



柔らかい表情で近づいてきた朔夜から、小さな右手が差し出されていた。



「廃墟は、お好きですか?」



何かをいとおしむような目で僕を見つめる。



僕もそれに呼応するよう、はっきりと答える。















…………………………。

















「んなもん、好くか―――――――――――っ!!!!」


いたちの最後っ屁。


ニコリと微笑む彼女から、美しい左回し蹴りが差し出されていた。


それは僕の右頬を捉え、撫で、そして弾けた。


その後、彼女の部屋のどこをどう舞ったのか覚えてはいない。が、おそらく、それはとてもとても美しいものだったに違いない。



















「到着したぞ、禊。私は今、最高に興奮している!!」



気が付けば僕は、彼女の大量の撮影機材と右頬の痛みを背負わされながら、町外れの廃墟の前に二人佇んでいた。







それは、






陽も顔を隠した八時過ぎ。



春の長夜のことだった。


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