第五話 写真とカメラと二絡み (前編)
どうしてこうなった……。
繰り返す。
どうしてこうなった……。
夕刻、日も少しずつ傾き始めた放課後の校庭。
僕は確か、昇降口で靴を履き校庭を横切って校門をくぐる。そしていつも通りの帰宅路を辿って家路に着く。
……のはずだったんだけど。
どこでどう間違えた?
「てめぇ、なめんてんのかコラッ!!」
いかつい表情で睨みを利かせてくる不良人が二人、校庭の中心にいる僕を前後をまさしく板ばさみ、と言わんばかりにサンドイッチにしている。
アレ、ボク、カラマレテル?
蛇に睨まれた蛙。
しかも蛇は二匹。
今にも飲み込まれる僕
その刹那、腹部の劇的な痛み。
そして、メシア的乱入少女の華麗な飛び蹴り。
退魔師、御白 禊。
記念すべき人生初カツアゲ。
あれは確か……、二分三十五秒ほど前の霹靂。
帰宅しようと昇降口で靴を履き替えた。
特に用事もあるわけでもない僕。
いつも通り校庭を抜け校門を抜け家路に着く、予定だった。
自分以外にも帰宅しようとする生徒がチラホラ見える。
うちの高校、校庭が校舎の前後を挟むように二つ存在しており、僕ら帰宅部員が今まさに横切ろうとしている校庭と、もう一方の専ら運動部が使用する校庭とがあった。
この時間帯にこちらの校庭から帰宅、ということは皆僕と同じ帰宅部に所属しているのだろう。
「……僕らの部長は誰なんだろう?」
いつも通りのことだが、くだらないことには至極回転数の高い脳みそだ。
ふと、気付いたら自分の右手のひらを僕は眺めていた。
無意識のうちに。
そしてそう。いつだって、まず目に飛び込んでくるのは指先の刻印。
退魔師の刻印。
指先の常人なら指紋のある位置に、それはあった。
筆と墨で殴り書きしたような文字とも模様ともとれる黒い証、決して消えない運命の刻印。
「なんで僕なんだ……」
自分の中でドス黒い何かが渦を巻き、立ち昇っていくのがわかった。
(良い思い出なんか一つもないからな)
指先の刻印をまっすぐに見つめていた。。
「おぉ、おぉ。カッコいいな―、それ」
僕の右肩付近で声がした。驚いて振り返る。
そこには身長百八十センチくらいの、僕よりも長身で体育会系っぽい男子生徒が二人、ニタニタと笑いながら僕を眺めていた。
僕の頭から足の指先まで舐めるようにゆっくりと視線を動かし、値踏みしたかのようにニコリと微笑む。
「あ、あの……。僕に何か用ですか……?」
見た目にも素行がいいとは到底思えない、所謂不良が二人。
彼等も同じ帰宅部員だろうか?
「いや―、その手があまりにもカッコいいから声かけちゃった―。アハハハ」
チャラチャラした、人を小馬鹿にするような耳につくキーの高い声が校庭に響く。随分声が大きいように思える。なぜだろうか、往々にしてこういった類の人間は声が大きいものである。
またその人間の耳を飾るピアスの形状や穴の個数からもある程度の不良度がわかる、と以前何かで聞いたことがある。
彼らはそれぞれ右耳に二つずつある。
お揃いなのだろうか……。
「それ、自分で書いてるの? センスいいねぇ。もっとよく見してよ~」
もう一人が口を開く。
不良二人はお互いに顔を見合わせながら、何かを確認し合うかのように高笑いしている。
「いやぁ、あの……これは……なんでもないです」
咄嗟に右手をかばうように閉じる。
はやくこの場を去りたい一心だった。
「あっ、あの、僕もう帰ってもいい……ですか?」
顔色を伺いながら声をかけてみる。
小声で話し合いをしていた不良二人が同時に僕の方へ振り向く。
「おいおい、つれねぇ―な。もう少しお話しようぜぇ、ハハ」
そういって一方が僕に詰め寄る。
上から僕を覗き込むように首を傾ける。
不良の顔が僕の顔にぐっと接近する。
「あのさぁ、お金ちょ―だいっ」
耳元で囁く。
「……はぇっ?」
情けない声が喉元を通過してこぼれる。
額から発汗しているのがわかる、これは冷や汗だろうか。
僕に迫る不良はニヤニヤしながら、僕を逃すまいと注視している。
これはカツアゲですか?
禅問答のように心の中で、つぶやきが波紋を広げていくように浸透していく。
「いや……あの……。じゃあ僕はこれで」
踵を返し校門へ向けて再び歩き出す。
しかし振り返った先には、もう一人の不良が待っていましたとばかりに腕組みをして待機している。
不良にサンドイッチにされている僕。
色んな意味で最高に不味そうだ。
「てめぇ、なめてんのかコラッ!!」
以上、回想終わり。
腕組みをしているもう一人の不良が僕に詰め寄り、むなぐらに掴みかかる。
「てめぇ、話わかってねぇなぁ……。金よこせって言ってんだよっ!!」
大音量で響き渡る恐喝文句。
鼓膜にビリビリと響いてくる。
僕の視界が星々でチカチカする。
まるで教科書にでも出てきそうなお手本のような不良である。
お手本のような不良、というのも不可逆的な可笑しさのある話である。
「いや、でも……あの」
周囲を見回してみる。
他の帰宅部員も僕を眺めるなり、巻き添えはごめんだ、と足早に校門をくぐっていく。
気がつけば、校庭には不良コンビと僕のスリーショットになっていた。
虚しさという名の風が校庭を走りぬけた。
「でっ、どうなの? お金? どうするの?」
舌をちらつかせながら、歯並びの悪い口元が僕の至近距離でお披露目される。
蛇のような彼の口元がニヤリ、と形を変える。
その瞬間、腹部に鈍い痛みを感じた。
「ぐっ、うあっ……」
堪えきれず短いあえぎが僕から表出する。
近距離で見えなかったが、どうやら膝蹴りが僕の腹部に放たれたようだ。
依然としてむなぐらの手は掴まれたまま。
逃げ出すことも倒れることも許されなかった。
「どうする? もう一回ほしい? ハハハッ」
僕の前後で笑い声が同時に上がる。
今は腹部の痛みでまともに話すこともできない。
僕はどうしようもなく、ただひたすらに痛みを耐えていた。
「じゃあ、せっかくだからもう一回プレゼントして……」
次の瞬間。
不良の言葉をさえぎるように僕の右方向から飛び蹴りが、文字通り飛び込んできた。
仮○ライダーも真っ青な、それはそれは綺麗な飛び蹴りだった。
飛び蹴りは不良のわき腹へ突き刺さり、彼を大きく吹っ飛ばした。
むなぐらを掴まれていた僕も引っ張られるように体勢を崩し、そして地面にしりもちをついた。
状況も把握できずその場で顔を持ち上げる僕。
「弱いものいじめ、というのは感心しないなぁ。君たち」
見上げるとそこには左手を腰に当て、右手にカメラを掲げて勝ち誇ったように仁王立ちしている女子生徒の姿があった。
視界がまるでカメラのズーム機能のように彼女の表情に接近し、捉える。
肩までの女子にしては短い髪に整ったシャープな輪郭。目鼻のパーツも洗練されていて全体としても綺麗にまとまっている、一般的には十分に美人の部類に入るレベルだろう。
僕は彼女を知っていた。
「いてぇ……」
吹っ飛んだ不良はなんとかその場から起き上がると彼女を睨みつけた。
「てめぇ……。何しやがる!!」
「いやいや、この場合は自業自得と言うべきだろう。不良にからまれたか弱き生徒を守るのも私の役目だからな」
僕の視線の先でしたり顔の女子生徒。。
霧島 朔夜
陸上部のエースにして我が校の生徒会長である。
「生徒会長として我が校の生徒の素行不良については見過ごせないな。それが私の眼前で行われていればなおさらのこと。しかも金銭の授受がからんでいるとなればこれはいよいよ大事だな」
不良二人を前にして、その勝ち誇ったような表情、態度はまったく崩さない。
右手のカメラが彼女の威光を示すように陽の光を反射させ黒光りしていた。
「てめぇ、生徒会の女じゃねぇか。いい子振るんじゃねぇよ!!」
「ほう、こんな悪辣な連中にも顔が割れているとは。それでこそ生徒会長というものだな。どちらにしても弱者を踏みにじるような真似は感心できない。自分達の人間的矮小さを露見しているようなものだ、見ていて気持ちのいいものではない、何よりみっともないぞっ!!」
「お前、わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ」」
僕の後ろで呆気にとられていた不良も彼女に食って掛かる。
「おっと、やめておいた方がいいぞ君たち。このカメラの中だが、君たちの犯行の一部始終をバッチリと記録させてもらった。この画像を酷使し、次の全校集会の議題として君たち二人を取り上げてやってもいいのだぞ? そのあかつきにはこの犯行の全てを体育館の大型プロジェクターで引き伸ばして、全校生徒に鮮明でクリアな写真を見て貰おうではないか。いや……壇上に君たち二人を招いてトークショー形式に集会を展開するのも面白いな、ハハッ、これはきっと盛り上がるぞ。テンプレートな集会には退屈していたところだったしな。これは妙案だっ、うん!! もし仮に君たちがその事態を避けようとこのカメラを私から奪おうと目論んだ、としようか? そうなった場合、こう見えても私は非力だからな、もちろん走って逃げるだろうな。そうなると脚力の勝負になるかな? ちなみに私は僭越ながら陸上部のエースを務めさせてもらっている、百メートル十一秒フラットが今のところの公式記録だ。カメラや制服にスニーカーといったハンディはあるものの、悪いが君たち二人に追いつかれるとは到底思えない」
一気にまくし立てるように話す。
完全に僕らは聞き入っていた。
よくもこれだけの量を饒舌にしかも不良相手に論ぜられるものだ、素直に感心する。
演説、と言っても過言ではない。
二人の不良もばつの悪そうな顔で彼女の話に耳を傾けている。彼女の迫力に圧倒されているのか、不良たちはその場から一歩も動けずにいた。
彼女はお構いなしに続ける。
「最後の最後の選択肢として、君たちがこのか弱い男子生徒を人質に取ったとしよう。だが真に申し訳ないが私は彼の安否には興味がない。無論、カメラと彼を引き換えにしたりもしない。結果として後々の集会で君たちを議題としたトークショーをやはり繰り広げることになる。……さあどうしようか? 提案の一つ……としてだが、君たちがこの場から彼の金銭を一円一銭たりとも奪わずに早々に立ち去るなら彼への暴行、恐喝については言及せず、情状酌量としてやってもいいが……。君たちにしては破格の条件だと思うがどうだろう? 何か主張があるなら聞かせてもらうのにやぶさかではないが?」
そう言い放つと、彼女はカメラのストラップを首に掛け胸の前で腕組みをした。
自分の勝ちが見え切っている戦場の作戦参謀のような、今にも吹き出しそうな笑いをなんとか堪えるかのような表情で不良たちの解答を待っている。
最早ほぼ決着はついている。第三者の僕からでも彼女の勝利が揺ぎ無いものだと感じられた。
「おっ、おい……」
僕の背後の不良がもう一人に解答を促している。
吹っ飛んだ不良は歯を食いしばり、色々と考えを巡らせているようだ。
「まだか、君たち? 判断はいつだって即断即決、それが男児たる者の有り様ではないのか。この話はすでに黒白分明の極みだと思うが? 私としても君たちに分かりやすいように全ての選択肢を提示した上で最も判然で温和な条件を与えているのだから即決してもらわねば私の立つ瀬がないというものだ」
キリッ、とした射抜くような視線が不良たちを睨みつける。どうやらイライラしてきているらしい。このままだと僕自身でさえ巻き添えをくらいそうな、まったく本末転倒なそんな印象を受けた。
「くっ……」
不良たちも負けじと朔夜を睨み返す、がしかし先ほどまでの眼力はすでにない。
完全に朔夜のペースに飲まれていた。
「ちっ。もういい……おい、帰るぞ」
飛び蹴りの餌食になった不良がもう一人にそう促す。
顔を見合った二人は僕に背を向け退散するように校舎へ向け歩き出した。
「あっ、そうそう、ちなみにだが。もし今後、今件の憂さ晴らしとしてこのひ弱な男子生徒を呼び出し乱暴狼藉を働いた場合、今回撮影したクリアな画像を存分に活用させていただくのでそのつもりで。この男子生徒に口止めを行い自分たちの暴力の漏洩を防ごうと画策しようとしても無駄だと思え。我が生徒会の情報網をなめないことだ、トークショーで会いたくなければ忘れるなよ」
そういってニコッと微笑み、不良たちの背中に手を振る朔夜。
終始しりもちをついたまま、一連の演説の傍観者を仰せつかった僕。
まるで台風一過のような、めまぐるしい出来事を、僕の頭は整理できないでいた。
気が付くと彼女から、その性格とは対照的な、可愛らしい白く小さい手が差し出されていた。
「大丈夫か? 久しぶりだな、……白ミソ」
「その呼び名はやめろっ!!」
彼女の手を掴み起き上がり、服についた汚れを払う。
「昔からの仲ではないか。照れるでない、白ミソ」
「照れてんじゃない!!迷惑がってんだっ!! そのあだ名はやめてくれって何回言えばわかるんだよ!!」
もうかれこれ十年以上続くやりとり。
御白 禊。
みしろ みそぎ。
み白 ミソぎ。
白ミソ。
彼女が僕の名前の中に調味料を見出したときはよほど可笑しかったのだろう、一日中大笑いしていた。
その翌日から、彼女は思い出したかのように僕をミソ呼ばわりするようになった。
あれは確か小学校に上がってすぐくらいだっただろうか。
友達のいない僕の最初で最後のあだ名。
彼女と僕は幼馴染だった。
「とにかく……朔夜。その……なんだ…………ありがとう」
照れくさいがここは素直に感謝しておこう。
実際助かったわけだし。
「例には及ばないぞ、禊。不良にからまれる軟弱な生徒を助けるという行為は、いつの時代の生徒会でも見受けられるからな。私は大したことはしていない」
「生徒会がいつの時代から存在しているかは知らんが、とりあえず助かったよ。ありがとう。あとそのカメラにも助けられたな」
そういってカメラに目を落とす。
カメラについてはまったくの無知である僕だが、それでもこのカメラが高価そうな代物であることは察知できた。
ピカピカに磨き上げられたボディと天体望遠鏡のようなレンズがそれを物語っていた。
望遠だろうか……、というかこれで望遠じゃなかったらただの詐欺だ。
「単純な脳みそなのは昔から変わっていないようだな、まったく……。あの写真の話のくだりは全てハッタリ、デタラメだ、ハハハ」
「……はぁ? ハッ、ハッタリって、お前。本当は一枚も撮ってないってことかっ!?」
「言葉通りの意味だ。私のカメラは芸術作品を生み出すためのモノなのだぞ。あのような下衆な連中をわざわざ撮影し、よもや記録として残すわけがないだろう。シャッターを切る価値もない。それにもし私がシャッターを切っていようものなら、禊は二発目の膝蹴りをもらっていたところなのだぞ? 私の即断をもう少し崇めてもらいたいものだ、やれやれ……」
「そっ、それは……そうか。……あっ、ありがとう」
二年に進学してからというもの、朔夜との会話は一切なかった。
というよりも高校に進学してから彼女との会話はほとんどなかったに等しい。
彼女とは違うクラスだったし、僕なんかと違い友人も多く、校内ではいつも周囲には彼女を慕う友達の輪ができていた。
だから僕と話す用事もない彼女が、わざわざ僕に声をかけることもなかった。
その昔、頻繁に彼女と会話しお互いに笑い転げていた頃を、僕は思い出していた。
「そういえば、禊。この後は暇なのであろう?」
「勝手に決めるなっ!! そりゃまあ、暇と言えば暇だけど……。なんだよ? 何か僕に用なのか?」
「そっ、そうなのだっ!! 禊に用事……、というか、その……多少、気恥ずかしいのだが……。頼みごとがあって……な」
何かを恥らうように顔を赤らめる朔夜。
「ああ、えっと、まあ……。助けてもらったしな、僕にできることなら頼まれるけど……」
さっきとは打って変わって、モジモジとしている彼女の返答を僕は待った。
「これから私の家に来てくれないか?」
血液の鉄砲水が全身から脳目掛けて一気に昇ってくる。
体温は一気に沸点にまで達した。
頭が真っ白になる。
久しぶりにあった幼馴染にいきなり家に誘われるベタベタなシチュエーション。
彼女の家なんて小学生の時以来訪れていなかった。
「いやっ、あの……。うちって? 朔夜のうち?」
「そうだ。あっ、いや、正確に言えば私の部屋……に、という意味なのだが……」
ますますパニックになる自己解釈的妄想満載の僕の頭。
火事場の警鐘のように、甲高いサイレンが赤い回転灯を伴いながら脳内に響き渡っていた。
もう少し頑張れば耳から蒸気すら出せそうな、そんな緊急事態にも似た状況だった。
いや、実際僕には十分緊急事態だった。
「どうなのだ? 来てくれるのか?」
「アッ、アア。ジャア、オジャマサセテモラオウ……カナ」
これでもかというほど硬くなったあごをなんとか動かして、辛うじて言葉を捻り出す。
「そうか。それはよかった。では善は急げだな」
そういうと僕らは彼女の家を目指し歩き始めた。
ちょうど校門を二人並んで抜けようとした時。
朔夜が僕の制服の袖を優しく掴んだ。
「禊に……見せたいものがあってな……。これは他言無用だからなっ……」
そう言うと恥ずかしそうに顔を逸らした。
卒倒しそうなほど強烈な眩暈に似た何かが、僕の顔面に込み上げて来る。
心臓が限界張力まで膨張する。
「モチロン……ダレニモイワナイサ……」
脆弱な心臓が持ち堪えることを切に願って、彼女の家へと学校を後にした。