表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

第四話 お狐様とお友達 (後編)



 薄暗い路地を風を切り、ぐんぐんと駆け抜けていく。

繋いだ九重の手が徐々に熱を帯びていくのがわかった。

ふと、心配になり後ろを振り返る。

しっかりとした足取りで僕に続く彼女の姿があった。

ピンクのリボンで一つにまとめられている綺麗な黒髪が、彼女に合わせて揺れている。

リボンがほどけはしないかと、一瞬、心配になった。

視線を戻すと、頭上に明るい月を構えた裏山が、間近に迫っていた。


 すでに完全に日は落ち、周囲を見渡してみても僕たち以外に人影はなかった。

家々の団欒の明かりが、僕等が進む道の両脇に照っていた。

それはまるで、空港の滑走路を照らす誘導灯のように。

僕たちの進むべき道を案内しているかのように思えた。




 気が付くと目の前には木々によりアーチ状に囲まれた、裏山の入り口が口を開いていた。

入り口のその向こうは、街灯に照らされた僕等の周囲の明るさとは一線を画している。

足元さえまともに確認できないほど、ずっしりと重い暗闇がそこにはあった。

風で木々が右に左にゆっくりと揺れている。

隣に視線をやると、九重が荒い呼吸を整えようと深く息を吸い込み、目をつぶっていた。

さらに視線を下ろすと、彼女の右手を握りっぱなしだったことに僕は気が付く。


「あぁっ、ごめん!!」


咄嗟に手を離す。

九重は僕の目を見て、優しく微笑んだ。


「いいよ。大丈夫」


その笑顔にまたまた顔面が紅潮する。

(今はそんな場合じゃないだろっ)

頭を振り煩悩を払う。

再び入り口に目をやると、いやでも煩悩は僕の中から消えていった。

暗闇で前もまともに見えない森の中。草陰からは虫の羽音が聞こえてくる。頭上からはカラスの甲高い鳴き声が響いてきた。

途端に僕の中に言い様のない不安が生まれる。

額に冷たい汗が発汗しているのがわかった。


「ここまで来て後に退けるか……」


自分に言い聞かせるように小さく一度頷くと、僕は森の中へ足を進めた。




 森の中は暗く先ほどまでいた森の外よりもヒンヤリとしていた。

足元をなんとか確認しながら、頂上の神社を目指してゆっくりと登っていく。

森に入ってから数分経過したところで、後ろから声が聞こえた。


「ねぇ、御白君?」


「んっ、何?」


振り返らないで僕は訊ねた。

周囲が暗く傾斜も少なからずある山道で、振り返る余裕は僕にはなかった。


「狐のことなんだけど。あの……、何がわかったの? 神社に何があるの?」


「その……うまく言えない、というか根拠があるわけじゃないんだけど……」


言葉を濁す。

一抹の不安が脳裏をよぎる。

汗が額から口元へと流れ下りる。


「いや、だけどきっと、あそこへ行けば確信が持てる、……そんな気がするんだ」


そう言って口を閉ざした。

これ以上はうまく言葉がまとまらない気がした。

それを察したのか、九重もまた、それ以上の追求は見せなかった。




 目の前にはラスボス、と言わんばかりに長く傾斜のきつい階段がそびえていた。

遥か上には鳥居の頭が辛うじて見えている。


「あとっ、もう少しだ……」


立ち止まり呼吸を整えてから階段の一段目に足を掛けた。

階段を登りながら遠くに目を向けると、木々の合間を縫って遥か下から、街の明かりが届いていた。

今更ながらに、随分と高い場所にある神社だ。

こんな場所に神社を建立した人の気が知れない。

溜息とも緊張ともとれる深い呼吸が漏れていた。

鳥居が存在感を増してくる。

ほどなくしてゴールとなった。


 二人並んで鳥居の下に立つ。

月がか弱い光を神社の上に振り撒いていた。

鳥居の奥に正座するかのような神社、その古さが改めて目に入る。

左右の顔の隠れた狛犬に目をやる。


「やっぱり、間違いないみたいだな……」


狛犬像に近づき、苔で隠れた顔に触れてみる。


「ねぇ、なんのことなの?」


痺れをきらした九重が僕を見つめてきた。


「つまり、こういうことだよ」


そういって像の顔を覆っている苔を取り払う。


「えっ、うそ……。これって」


そこにあったのは狛犬の顔ではなく、狐のそれだった。

狐の像が二体、姿勢正しく台座の上に座っていた。

今更ながらよく像を眺めるとなるほど、尻尾が犬のものよりも遥かに長いことがわかる。

九重も像に近づき、まじまじと見つめていた。


「でも、じゃあつまり……ここって」


「そう、稲荷神を祭っている。稲荷信仰のあった神社ということになるね」


僕は鳥居の天辺をなぞるように眺めながら答えた。


「じゃあ稲荷神の使いとしての狐がここにはいて、その狐が私に憑依していたってこと?」


「まあ……大雑把に言えばそういうことになると思う」


「でも、なんで私に憑依したの? 狐の置物を直してあげたから?」


「まあそれもあると思うけど……」


咄嗟に脳内で言葉を整理する。

(説明し辛いな……)


「九重、さっきこの場所で寝ちゃったことがある、って言ってただろ?」


「うん、一回だけだけどあるよ」


それが何か? と言った口ぶりで答える彼女。


「僕の推察でしかないけど、つまりそれが原因なんだと思う。眠ってしまったことで狐が、 隙ありと見て、九重に憑依した。そもそも狐の語源は「来つ寝」、だと言われている。『今昔物語』の中にその記述を見ることができるよ。狐は古来よりダキニ天と同一視された稲荷神の使いっていう立場から、霊獣として崇められていたんだけど。神社によっては狐自体を祭っているところもあるんだ。もしかしたらこの神社もそのうちの一つかもしれないけど。つまり狐はそれだけポピュラーな信仰対象だったってこと。信仰とか崇拝とかの人間の思念とか情念って往々にして超自然的な力を持っているから……。それが集まるうちにこの場所に狐の霊的存在が顕現したんだと思う、たぶん……」


最終的に言葉を濁した。

うまく言いたいことがまとまらない。

国語力が僕には絶対的に不足していた。もちろん自覚はある。


「じゃあ、つまりこの場所は狐の信仰のためにある神社で、その対象となる狐を崇めているうちに、実際に狐の超自然的存在がこの空間に存在するようになった。そしてその狐は寝ていた私に――――狐の語源を狐の系統立った特長として考えると――――寄りついてそして憑依した。そしてあの時、その……御白君を傷つけちゃったってことだよね?……」


一を聞いて十を知る、を僕がはじめて体感した瞬間だった。

しどろもどろに説明している僕の話を汲み取り、自分なりの言葉で再構築、しかも完璧に状況を整理しそして理解している彼女の姿が、そこにはあった。

なんだかとても虚しくなった。

憂いを帯びた表情で暗くなった空を眺める。

星がとても綺麗だった。


「じゃあ直した置物って、もしかして御神体だったとか?」


答え合わせをするように訊ねる彼女。


「えっと、……うん。たぶん……そうだと……思います……」


ぐうの音も出ない。

すでに彼女は完全に僕の思考を把握している。

これ以上何を言っても虚しいだけだった。


「だからその……置物を元の場所に戻そうかと思って……ここに」


「そうだね。そうしたらお狐様も大人しくなってくれるかな」


希望的観測を述べる九重。

そうなってくれれば、それに勝る解決策はない。


「それじゃあ急ごうか」


狐の像を僕等は後にして、社へと進んだ。




 神社のすぐ前まで足を進める。

九重が後から続く。

ツタが絡まりボロボロに朽ち果てている賽銭箱。

その上には割られたのか、半球しか残っておらず最早鳴りそうもない鈴と、雨と埃で黒ずんでボサボサになった綱が仕方のないように垂れていた。

賽銭箱から奥、神社の正面入り口はグチャグチャに破かれた障子紙が残る障子戸が二枚、割られて横たわっており、目を凝らすと神社の内部に小さな祭壇があるのに気付いた。


(あれ、だな)


僕は祭壇をまっすぐに捉えていた。


「狐の置物は裏手だったよな?」


「えぇと、うん。そうだよ」


僕は賽銭箱の隣に鞄を下ろすと、急ぎ足で裏手へ回った。


「あぁ、ちょっと、御白君っ」


慌てて九重も追いかけてくる。


「神社裏手の軒下……」


社の脇を抜け、角のコーナーを曲がり裏手へ出る。

社後ろの壁面には特になにもなかった。

僕は軒下を覗き込むように体勢を低くした。

地面に両手を付き、鼻が生えている草花に付くぐらいに頭を落とす。

なんとも言えない土の、遠い昔を思い出させる懐かしい匂いがした。

遅れてきた九重も置物を探しているようだった。


「……あった」


軒下の隅の方、僕等の視線の先にはこちらをまっすぐに見つめ、ぽつんと正座している狐の置物があった。

それはまるで、僕等を待っていたかのようで小さい寒気が走る。

僕は立ち上がると置物に近づき、手を伸ばした。

狐に手を触れ、ヒョイッ、とそれを持ち上げる。

手に収まるほどのサイズの狐の置物。


置物を見回してみる。

陶器で出来ているらしいそれは、とても冷たくズッシリとしていた。

真っ白いそれは狐の座っている姿をかたどっていて、着色も何も施されていなかった。

つぎはぎだらけだが、確かに何か、今にも動き出しそうな存在感を放っていた。


「よかったよかった。この置物がそうだよな、九重」


確認するため九重に見えるように差し出す。


「えっ……」


九重が半歩後ずさりする。


「どうしたんだよ、九重」


「それ……」


九重が置物を指差す。

僕は置物に視線を戻す。

狐の置物は弱く揺らめきながら、それでも確かに青白く発行していた。

訴えかけるように明滅を繰り返していた。

その発光は徐々に強く激しくなっていく。


「えっ、えっ。なにっ? なんなのこれ?」


「おいおい、なんだこれ」


すでに発光体である狐の置物は、僕等と神社を完全に照らせるほどの輝きを見せていた。


「なんじゃこりゃ―――――――っ」


完全に光に包まれた。

まるで僕自身が発光しているようであった


 しかしつぎの瞬間。

突如、光は力を弱め収縮していった。

そして完全に消灯した。

いつの間にか冷や汗にまみれていた額を、僕は無意識に拭った。


「なんだったんだよ、まったく。大丈夫かっ? 九重」


「うっ、うん。大丈夫だよ。なんともない」


「そうか、よかった」


安堵の笑みを浮かべる。

握っている狐の置物に目をやる。

見つけた時と何も変わらない、冷たいただの置物だった。


「どうなってんだよ、お前……」


狐の置物の頭をコツン、と指で突いた。

まったく。


冷たい風が足元を抜ける。


「あっ……、あぁ……」


九重の消えるような言葉が僕の耳に入った。

彼女は僕の背後にある空を見上げるように、斜め上を向いて目を丸くしていた。

口元に当てた指が震えている。

背中に誰かの強烈な視線のような圧を感じる。

僕の背中に誰かがいきなり飛びついてきたみたいな、そんな感覚。

鼓動がどんどん速まる。

振り向きたいが、絶対に振り向きたくない。

怖いもの見たさ、とは比べ物にならないほどの矛盾した感情が僕の中でせめぎ合っている。


 眼球、首、肩、腰の順で徐々に旋回していく僕。

油の足りない歯車のように、ぎこちない動きでゆっくりと振り向いた。

そこにあるのは青い月。

元い、青白い球体が目の前の空に浮かんでいた。


「あれは……、なんだ」


僕は首を傾げる。

青い球体は途端に表面が波打ち、炎のように揺ら揺らと揺らめきだした。


「……御白君、あれ、なに!?」


怯えるように訊ねる九重。

僕にもまったくわからない。


青白いの炎のような何かは、形を整え輪郭が徐々にシャープになっていく。

それはひと目でわかった。

突き出したような鼻、つり上がったまぶたに耳まで開かれた口。

狐のそれだった。

端的に説明すると、青白く揺らいでいる狐の頭部が、僕等の目の前で浮遊していた。


「どうやら狐……みたいだな……」


重く大きい汗が一滴、どすんと音を立てるかのように地面へ落ちた。

狐の眼球が僕を捉える。

やばい……。

反射的に後ずさる。

青い狐の火はゆらゆらとその場で揺れていた。


「九重……。いいか、神社の中の祭壇まで走れ。全速力だぞ……」


打ち合わせるかのような小声だった。

彼女は狐を注視しながら小さくあごを引いた。

狐がニヤッ、と笑った気がした。


「今だ!! 走れっ!!」


 大声で叫ぶと人生至上この上ない速度で振り返り、祭壇目掛けて走りだした。

九重も同時に走りだす。

地面をこれでもかと、力いっぱい蹴り抜いた。


やばいやばいやばいやばいやばい。


狐に追いつかれるとどうなるんだっ!?

一気に全身から汗が溢れ出す。

呼吸も忘れて一心に祭壇を目指す。

まずは最初のカーブ。

神社の裏手壁面の角を駆け抜ける。

曲がりきる時に、何気なく視界が狐を捉えた。

出来損ないの鈴虫のような耳障りな声を撒き散らし、八の字に左右へ揺れながら僕等に迫って来る。

飛び出さんばかりに見開いた目が、僕の視線に写る。

殺される。

途端にそう思った。

カーブを抜け、神社側面の壁を平行に駆けていく。

五メートルほどの直線、それがまるで百メートル走のように果てしなく長く感じられる。

蜂の羽音のようにブンブンと音を立てて、背後に狐が迫っている。

手の中にある狐の置物を強く握り締める。

震える両足を叱咤するように、リズミカルに地面を蹴り上げ進んでいく。




 目の前の九重が神社側面の角を曲がり、神社正面入り口から中へと転がり込む。


あとは僕がこいつを祭壇へ。

一心不乱に最後のカーブを駆け抜ける。

刹那の差で狐が僕の頭をかすめる。

血の気が引く音が聞こえた。

耳に飛び込む不気味な声。

全身に悪寒が走った。


賽銭箱の脇を抜け、神社内へ上がりこむ。

(今日ばかりは土足を許してくださいっ!!)

祭壇が正面に見えた。

その脇にはうずくまり、震え怯えている九重がいた。

狐がまっすぐに僕の頭に向かって飛んでくる風切り音が聞こえる。


 僕は無意識のうちに両足で地面を蹴り、宙を舞っていた。

まるで野球の外野手がファインプレーを見せつける守備のように、地面と平行になり手を伸ばしていた。手の中には狐の置物。その手の先には祭壇が待っている。

全ての情景が映写機の中のフィルムの一コマのように、次々とスローで流れていく。

祭壇が徐々に大きくなり、僕に近づいてくる。

何かを叫んでいる九重が、すぐ斜め前にいた。

ボロボロになった畳が敷かれている空間を、スローモーションで飛んで行く僕。

両目を閉じ、ただひたすらに手を伸ばす

狐の口が僕の首筋に噛り付く。


その刹那。


青白い狐は跡形も音もなく消えた。

ドスンという鈍い音と大量の埃を巻上げて、僕の体は畳の上に着地した。

かび臭い匂いが鼻から入ってくる。

着地してから十秒ほどたっただろうか、僕はそのままの体勢で動かずにいた。

僕は死んだのか。

それとも生きてるのか。

生死のはっきりしない自分を客観的に考察するように、脳内にある意識だけが活動していた。


「だっ、大丈夫? 御白君……」


九重の声が聞こえた。

目を開けると今にも泣き出しそうな顔で、僕の隣に座り込んでいる彼女がいた。


「どう……なった?」


朦朧とする意識の中で彼女に確認をとる。


「狐は消えちゃったよ……。きっと私たち……助かったよ」


そういうと九重の目から大粒の涙が溢れた。


「そうか。よかった、……よかった」


はあ、と一息漏らした。

少しずつ意識がはっきりしてきた。

頭を動かし周囲を眺めると、祭壇の上に僕の手首から先が辛うじて引っかかっており、その先には白い狐の置物が何事もなかったように座っていた。

それを確認すると安心してガクリと頭を再び畳へ垂れた。


「本当によかった……」


ついには体も意識を取り戻したのか、体に痛みを感じた。

両足が痺れるような感覚だ。

おまけに痛打した体の正面と祭壇に打ち付けた手首の痛みとで、全身痛みのオンパレードだ。

痛がる体をなんとか起こすと九重と向き合った。


「大丈夫? どこか痛いとこない?」


泣きじゃくる彼女を気遣う。


涙が溢れる両目を擦りながら、


「うん。大丈夫。ありがと……」


そういって安堵の笑みを見せてくれた。




埃にまみれた衣服を払い体を起こすと僕等は神社の外に出た。

月光がまっすぐに注いでくるこの場所は本当に幻想的だった。


「これで終わったな」


月光に包まれた神社を眺めながら呟いた。

改めて見た神社は主を取り戻したことによるものなのか、初めてここへ来たときよりもずっとずっと荘厳に写った。

隣にいる九重は充血した目を擦りながら、何かを言いたげな表情でこっちを向いていた。


「どうした?」


「あのお狐様が私に憑依した狐ってことでいいんだよね?」


「それはたぶん、間違いないと思う……。それがどうしたの?」


「うーん……」


腑に落ちない、といった顔で何かを考えている。


「今日はあの狐の御神体を祭壇に戻したから、お狐様が静まってくれたっていうのはわかったんだけど……」


「だけど……?」


「前回、ここで御白君が憑依された私に襲われたときはその……、どう対処したのかなって……。ずっと気になってて」


「あぁ……。そのことか」


言っていいものだろうか。

正直に事実を伝えても、まともに聞いてくれた人は今まで誰一人としていなかった。

自分の能力のこと、刻印のこと、全てを否定され続けてきた。

信じてくれなんて期待しても、ろくなことはないんだ。

だから誰とも相容れず、一人孤独に周囲との壁を作って生きてきた。

今さら話しても何も変わらない。


「どうしたの? まずいこと聞いちゃった、かな……」


申し訳なさそうな九重。


「いや、大丈夫……」


別に今さら何も望んじゃいない。

ここで全てをさらけ出して、九重に痛いやつと思われたって別に構いやしない。

期待はするだけ無駄だから。

どうせ何も残らないから。


「大丈夫……だからっ」


 僕は両手を開いて、九重の方へまっすぐ向けた。


「えっ、あっ、あの……その指って」


「……これが僕からの解答だよ」


両手の十指の指先、ちょうど普通の人であれば指紋があるところにそれはある。

まるで筆で殴り書いたような荒々しい文字のような何かかが、指先に一つずつ。

計十個の文字とも記号とも取れる何かが、僕の指先には存在している。

まるでこれが僕の指紋です、といわんばかりにどうどうと指先に居座っている。

決して消えることのない刻印。


「これで狐を追い払ったんだ。退魔師えくそしすとの刻印、だそうだよ」


そう言って自嘲するように笑った。


「退魔師……? それって映画とか小説に出てくる……あの?」


「うん。まあ……多少違う点もあるんだけどね……」


「そう……なんだ……」


困り果てたような九重の姿に、僕の表情が憂いを帯びる。

やっぱりか。

当然の反応だよな。

いきなりわけのわからない刻印の入った指を見せられて、しかも自分は退魔師ですって、悪魔やお化けを追い払えますって。

指先にはかっこいい文字が刻んでありますよ、あなたにはないものですよってね。

 

 今までの経験からこの話を聞いた人の反応は二通り。

一つは聞いた途端に僕の話から耳を逸らして、その後から僕を無視し続けるもの。

もう一つは僕を茶化し、または罵倒し責め続けるもの。

小さい頃、僕が友達になりたいと思い接してきた人達は前者だった。

そして僕をのけ者にするクラスメイトに対して先生に訴えかけた時は後者の反応だった。いつまでそんなもの指先につけて喜んでるんだ、そんなものを付けているから誰も遊んでくれないんだ、くだらないことをするな、と。

消せるものなら消したかったっ!!

中学生の頃、この刻印があまりにも嫌で、指先の刻印のある場所の皮膚をカッターで削ぎ落としたこともあった。

刻印が大量の血の付いた皮膚とともに剥がれ落ちた。

しかし痛みが引いた頃にはずした包帯の下には、同じ刻印が同じ所にしっかりと刻まれていた。

世界が崩れる音が聞こえた。

僕は一生、この指で生きていかなければいけないのか。

指を切り落としても、体の別の場所に出てきてしまうのではと思うと、怖くてできなかった。

だから僕は自分の世界を閉じたんだ。

誰とも話さず、期待もしなかった。

いつだって一人だった。


 言葉に詰まる九重を見て、


「大丈夫だよ。この指は九重には何もしないから。怖くないから……」


それ以上は言葉が出なかった。

昔の嫌なことばかりを思い出して、もう涙腺が持ちそうになかったから。

泣き崩れて、さもなければこの場から一人駆け出して行きたい、そんな衝動に駆られそうだったから。

溢れそうになる涙を堪えようと必死で目を閉じた。

今も昔も何も変わっていない。

まだこんなにも惨めで自分のことが大嫌いな自分がいる。

それが一番辛かった。


 全てをあきらめ目を開けた。

すると自分のすぐ目の前まで彼女は迫っていた。

僕の指をまじまじと見ている。

恥ずかしいような、申し訳ないような気分になる。

僕が弁明しようと口を開いたとき、


「本当にありがとう、御白君」


「えっ」


呆気にとられた。

口を半開きのまま、九重を見つめる。


「この指のが狐を追い払ってくれたんだよね。そして私と出会って、今日ここで狐のことを御白君は解決してくれた。きっと……あの帰り道で御白君が追いかけて来てくれなかったら、今もこれからも私、何もできずにいたと思う。本当にありがとう。この指を持ってるのが優しい御白君でよかった……」


そういってニコっと微笑んだ。

彼女の大きな瞳が優しい表情で閉じられる。


えっ、なにこれ。俺今感謝されてんの?

なんで、この指のおかげで? なんで、どうして……。

頭が一気にパニックになる。

予想もつかない言葉が返ってくる。

往々にして人はパニックになると動けずにいる。

対人コミュニケーションスキルに乏しい僕はなおさらだった。


 木々を抜ける風が心地いい。

目を閉じて深く呼吸する。

どうやらだいぶ落ち着いた。

僕と九重は喧騒の去った神社の軒先の縁側に腰を下ろしている。

今日ここで起こったことを口々に語り合った。

二人の中で、ここであったことは事実だと確認し合った。

そして彼女は僕の指を、能力を受け止めてくれた。

本当に感謝している。


「でも御白君って狐に詳しいんだね、びっくりしたよ」


「いやぁ、請売りだけどね」


誰からの、というのはあえて言わなかった。


「そういえばその指とか能力のことって他にも知っている人いるの?」


「いっぱいいるよ。みんな自分で指先に書いて喜んでるんだろ、って馬鹿にしているけどね」


「いやっ、そうじゃなくて。本当に信じてる人のことだよっ!?」


もぅ、と言わんばかりに膨れて話す九重。

その仕草がなんともキュートだった。

頭の中で数を数える。

何人いたっけ?


「えぇっと、たぶん数人と……一匹」


最後だけ、ボソっと消え入るように話した。

これだけは信じてもらえないと思ったから。


「じゃあ私で一人また増えたね」


楽しそうに話す彼女。

まるでお気に入りのコレクションが一つ増えたような、そんな嬉しげな印象を受けた。

複雑な気分だったが、ここは素直に喜んでおこう。

完全な円になりきれていない月が、僕等の頭上で優しく微笑んでいた。




 あれから何日経っただろう。

教室の自分の席から空を眺め考えていた。

2週間は経ったが一ヶ月は経っていない、といったところだ。

どちらにしても日にちにはあまり意味がない。

まだ昼休みにもならない授業合間の休み時間。

退屈そうに一人でるのはいつものことだった。

教室内のざわめきが以前ほど気にならなくはなったが、それでもまだ慣れない。

いっそ机に突っ伏して寝てしまえたら楽なのに……。


「じゃあ寝ますか……」


そう言って机に両肘を付いた瞬間。


「次の授業の宿題はやったの? 御白君」


ドキっとして脊髄反射的に振り返る。

そこにいたのは、楽しげに微笑む委員長、九重の姿があった。

咄嗟の出来事に全身の血液がフル稼働の工場のように次々と各部へ送られる。

ボクニハナシカケテイル?

ショート寸前でなんとか堪える。


「いっ、いやっ、やってない……」


「ちゃんとやらなきゃダメだよ、先生に怒られちゃうからね」


ニコっとしてその場を去っていく。

なんというかまだ慣れないな。

誰かとの何気ない会話っていうのは。

高校二年の春のこと。

僕に、初めての友達ができました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ