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第一話 自己嫌悪と帰り道 (前編)

 深く刻まれた運命。


ただそれに翻弄されるだけの命。


そんな命ならば、僕は何も望まない。





僕には、それが全てだった。

 








 薄暗い部屋。

カーテンの閉まりきっている、周囲の空気さえもが眠りについているかのような僕の部屋。

一人暮らしのアパートの一室。


 新しい一日。

僕は我先に目覚めて、ベッドの上で上体を起こした。


まるで日課のように、視線を落とし自分の手を見つめる。

手首の辺りに青白く走る血管。

続いて生命線が目に入り、少しずつ視線は上がっていく。

掌を越え中指の付け根を通過、基節を通り越し第二関節。そして中節を上り、第一関節を過ぎる。


そこで僕の視線がピタッ、止まった。


ちょうど指紋のあるところ。


僕の進むべく道標、運命を刻み付けるかのような刻印。


「誰がこんなもの……」


そう言って手を握り締める。

 

 その時、優しい風がカーテンの向こうの窓から入り込んで、それを揺らしていた。


(窓、開けてたっけ?)


窓の向こうのベランダを、一匹の猫が通り過ぎたような気がした。


「……朝からなんの用だか」


僕はベッドから起き上がると通学の準備をし、家を後にする。


「行ってくるぞーっ……」


開けたドアから振り返り、家の中に向けて放った。


誰一人いない僕の部屋。





これはまだ今晩、僕に訪れる奇奇怪怪の片鱗さえ知らない、何気ない一日の始まり。

まだ僕の脳内が平和でいられた朝。







期待するとろくな事が無い。

昔から自分自身に言い聞かせてきた言葉。


金言だ。


だから何も願わずただ平々凡々と人間をやってきた。


どこにでもいる普通の高校生。


御白みしろ みそぎ、身長170cm、体重は知らん。


唯一の自慢は肥満体系ではないことと、成績が至極“普通”であるということ、食べ物の好き嫌いが特にないということ。




あとは……ないかな。




 授業が終われば当然すかさず帰宅。


帰宅部として当然の行為だ。


帰宅部と聞いて部活してないやつ、という扱いをされるのは非常に心外だ、とは個人的見解。


帰宅部らしく家までの最短距離や時間の測定、いかに人通りの少ない道を使うかという下校ルートのプランニング、その他諸々の個人的な活動目標が密かに、真に密かにあるからだ。


最短距離はニ、一ニkm、時間にして徒歩三十分ニ十八秒、最小のすれ違い人数二人!





「…………………………」





 ……この事実を虚しい、と感じられるようになったのは最近のことだ。


これが大人の階段を上がる、ということなのだろう。


慰めるような優しい風が僕の頬をかすめるように流れた。


無償に死にたくなってきた17歳の春。


青春、もとい凄春といった感じた。





 気が付くと空は淡いオレンジ色に染まり始めていた。


僕は授業中のお決まりで空を眺めていた。


ノートをとるのに真っ最中なクラスメイト達を横目に見ながら、今日もまた同じように。



授業中に眺める空はどうしてか、とても特別で儚いものに感じられた。

モラトリアムを迎えている僕らの言い様もない憂いから来る感情なのだろうか。



そんなことを考えていた。



 本日最後の授業の終焉を告げるチャイムの音が耳に飛び込んでくる。

ざわつき始める教室。

僕は教科書を机の中に押し込むと鞄に手を掛け、誰とも話すことなく教室を後にした。

校門を出ていつもの家路をまっすぐに帰る。



 途中、繁華街へ繋がる道と物静かな古民家の団地方面に分かれる小さな三叉路では、いつも通り、古民家方面へ向かう。

といっても懐古主義、なのではなく単に知り合いに会いたくない、という友達のいない僕には当然行使すべき権利のように思える理由からだった。


しかし考えてみれば友達がいないのだから知り合いも何もないだろう、と思う。


個人的に友達と知り合いは保険のために分けておきたかった。


犬猫の相手ならいくらでもするのに……。



……訂正、猫はしばらくパス。



 分かれ道を抜けてからしばらくして、長い塀が両脇に鎮座する通りへ出た。

この古民家ルートに入ってしまえば後は道成りに20分。


時代を感じさせる古びた瓦屋根の家屋達とオーソドックスな灰色の塀の間を抜けて行く。

この景観の後だと、コンクリート打ちっぱなしのモダンでお洒落な住居など、さながら核シェルターにしか見えないだろう。


静かなこの通りの雰囲気が、しかし僕は好きだった。





 ふと左を見ると、郷愁的住宅と住宅が隣接している間の人一人が通れるであろうか、くらいの細く暗い通路を通して、1本奥の僕のいる通りと平行に走っている道が垣間見えた。



そこをふわっと通りかかる女子。


長く蓄えた黒髪に眼鏡。

まるで広辞苑が歩いているかのような理知的さを振りまいて歩いている女子。

全体に水色で袖、襟のふちに紺のラインの入った所謂いわゆるセーラー服。

うちの学校の制服を纏った一人の女子。




九重ここのえ 瑠璃るりだった。




我がクラスの学級委員長である。

容姿端麗、清廉潔白、完璧超人。

学年トップの成績を誇り性格も温和で友人も多い。

まさに非の打ち所のない人類、といったところである。

当然会話したことはない。





いつもなら横目で流していただろう彼女にしかし、この日だけは何かを感じた。

どうしてそう感じたのかはわからないが確かに何か、違和感のようなものを感じていた。




とっさに細い住居間の通路なんとか抜け、奥の通りに出る。


目の前を歩く九重。


制服姿からも彼女が学校帰りであろうことはわかる。

しかしよく見ると足取りはおぼつかない。

ふらふらと身体を左右に揺らしながら歩いている。


まるで夢遊病者のそれのように、住宅地をのらりくらりと進んでいく。


彼女に少なからず好意を持っていたことは素直に認めよう。


いや、決してやましいことではないのだが。


僕は何も言わず後をつけることにした。


期待するとだから、ろくなことがない。




 彼女の後をつけ始めてから30分ほど歩いただろうか。

住宅地を抜け、通称「裏山」と呼ばれる樹木が鬱蒼としげった、高台になっている森に着いた。

昼間でも薄暗いこの森は夏には絶好の避暑地となる。

現在春真っ只中なので今日訪れるのにはいささか早計だろう。



この地域は世間一般でいうところの所謂「田舎」、と呼ばれる分類に属しており、自然も豊富で知名度は皆無。

とどめは僕の通う学校と裏山を中心に囲むように一回り、僕らの街は綺麗に自然の山々で囲まれている。

そしてさすが、というより他ないが若者向けレジャースポットは、先の三叉路で敗北を帰した繁華街のみなのだ。

必然的に知り合いに会いたくない僕は懐古通りを選択する。



今日はなぜだろう、裏山へ。

存在は知っていた、というか毎日認識してはいたものの裏山を訪れたのは初めてだった。




「どうしたものか…」




目の前を歩く彼女。

僕との距離は五メートルくらいだろうか。

尾行を始めてから変わることのない距離。

これは心の距離なのだろうか。

そんなくだらないことを考えていた。




 そんなことを思案しているうちに彼女、九重は裏山へ足を踏み入れていた。

彼女が森好きとは知らなかった。



が、少なくとも山道を歩くのに適した格好、ではないことは素人でもわかる。



(というか制服だ!!)


心の中で静かに、そして激しくつっこんだ。




山道に傾斜が掛かってきた。

どうやらいよいよ本当に登る、らしい。

山道はあるし地元では有名な散策スポットなので特に何も感じないが、それでも散策を始めるような時間ではないだろう。


聞いた話だがこの山道、なかなかの距離をほこっているらしい。

 

 僕は少し斜め上を歩いていく彼女を眺めていた。

周囲は予想通り薄暗く、時折不気味に鳴くカラスの羽音が聞こえた。

涼しい風が山道の抜ける先から降りてくる。


真に今更ながら、僕は思い切って声をかけてみることにした。




「おい、九重……」





「…………………」




僕の声だけが周囲の雑木林に溶け込んでいく。

なんとなくわかっていたがこの上ないほどに綺麗に無視された。

むしろ清清しいな。



 というよりこの長時間、後をつけてきている不振な男に対して一度も振り向かない、ということ自体が考えるに相当不気味な状態である。

背中に意味もなく悪寒が走る。

日はほとんど沈みかけている。

月の明るさが徐々に存在感を増していた。




 辛うじて道だと思われる獣道を登ること20分。

ここがクライマックスだ、と主張するように長く傾斜のきつい階段を上っていく。

そして山の頂上付近に辿り着いた。

振り返ると木々の間から街の街灯が小さなイルミネーションのように煌いているのが見下ろせた。




そこで彼女の足が止まる。




その彼女をまたぐように、赤い塗装がボロボロに剥げ、木目が剥き出しになっている古い鳥居があった。


更にその奥には小さな神社のような建物がぽつんと鎮座している。


人の手入れが入っているとはとても思えない外観だ。

割れ放題の瓦の屋根とつたの絡まった賽銭箱。

水汲みなど論外であろう古井戸。


苔で顔が分からない狛犬が鳥居の一歩奥で両側に座っている。


周囲を見回しながら九重の方に歩みを進めると、彼女は再び歩き出した。



そして彼女が賽銭箱の前までくると歩みが止まった。

僕も恐る恐る鳥居をくぐる。




……ここに何の用だよ。




まったく当たり前な疑問が頭をよぎる

木々に囲まれたこの場所はすでに夜ではないかと思える暗さである。

僕はこういう陰湿な雰囲気が大嫌いなのだ。

素直に帰りたいと思った。



……僕はなぜこんなところに。



大きな後悔が僕を冷たく包み込む。

全身に理由はわからないが冷や汗と小さな震えを感じている。



 ひゅっ、と風が一瞬、僕らの間を駆け抜けた。


それに続いて、彼女がゆっくりとからくり人形のようにぎこちなく振り返る。


うつむいている顔は長髪に隠れて見えない。

何かをぶつぶつ呟いている。

突然彼女が面を上げる。

九重の顔を見て僕は思わず後ずさりした。





ドクンッ。





強い鼓動が一つ、体中に鈍く響く。


一瞬にして全身に刺すような悪寒が走る。


全血液が逆流しているかのような体感覚。


呼吸さえも忘れさせられるほどの衝撃。


それはおよそ見たことのない造形の顔付きだった。


大きく見開かれ吊り上った白目。

限界まで横に大きく開かれ、笑みを浮かべているようにも見える口元。

その口からはよだれが止め処なく溢れている。

とても人間のそれには見えなかった。






「……狐」






真っ白になった頭で気が付けば僕は、そう口にしていた。


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