07.変な人です
お風呂から気持ちよく出てくると、私は執務室に向かった。私がお風呂に入っているときは、そこでお仕事をしていると言っていた。
「今日は色々とありましたが……ありすぎましたが……でもやはりお風呂は素晴らしいですね。ふんふん~♪」
「ちょっと! これはなんですかー!?」
廊下の角から音がする。すっと覗き込むと、そこには床に転がっている女性がいた。黒みがかった濃い赤髪と細い身体――恐ろしいほど整って可愛らしい顔。動きやすいドレスに白い魔力が巻きついて、彼女の動きを封じていた。
ウェルナーク様が屋敷では安全と言っていたのは、これのこと……?
「うぅっ……わたくし、ウェルナーク様に会いに来ただけなのに! それだけなのにー!」
うーん、会いに来たということは私と同じウェルナーク様の客人だろうか。女性はうるうると目に涙を溜めている。
ウェルナーク様を呼びに行く前に、彼女の手助けをしたほうがいいかもしれない。私は角から出て、彼女に声をかけた。
「あの……大丈夫ですか?」
「あっ、えっ……?」
そこで女性は固まった。信じられないものを見るような目で、私を見上げている。
「ど、どうして……」
「……はい?」
「どうしてウェルナーク様のお屋敷に女性が!? それもこんなに可愛らしい女性が!? なぜ、どうしてー!」
「えっ? ええっ??」
「わたくしには一向に会ってくださらないのに! 手紙をどれだけ出しても! 正面玄関に来ても、無視ばっかりなのに!」
「あの……」
私はそこでふと気付いた。もしかして、この女性はウェルナーク様の客人ではない……? そういえば女性のすぐ近くの窓が開いている。ここから侵入してきたのかもしれない。
にしても女性は、キンキン声でかなりうるさい。耳をふさぎたくなるくらいだ。
「もうちょっと静かに……」
「うわーん! ダメならダメで、一言ちゃんと欲しいだけなのに! わたくし、来月お見合いがあるんですよ! その前に、答えが欲しいだけでー!」
女性はなおも騒いでいる。私の身体が熱くなってきた。
こんな感覚は初めてだ。
「ウェルナーク様を呼んできますから、そこでおとなしく……」
「ああー! やっぱり、あなたはウェルナーク様のアレなんですね! わたくしなんかどうでもいいんだー!」
「…………」
せっかくお風呂でいい気分だったのに、台無しだ。
私の胸の中に、これまで沸き上がったことのない感情があふれてきた。
「あの、静かにしてください」
「うう、なんというピエロ! こんなことなら、家で泣いていれば良かった! そうすれば夢の中にいられたのにー!」
「静かにしてください!!」
「えっ、あっ……」
私の中の、何かがぷちんと切れた。同時に身体からぶわっと熱が出る。
「あなたがウェルナーク様の何なのかは知りませんが、もう夜ですよ!? 大声は迷惑です!」
「で、でも……」
私は転がっている女性のそばまで行き、しっかりと見据えながら言い放つ。
「ウェルナーク様を呼んできますから、ここで静かに待っていてください!」
「ええ……あ、あなた……」
「なんですか!?」
「す、すごい魔力ね……大丈夫なの、それ?」
言われて、私は両腕を見た。本当だ。腕全体から青い魔力が出ている。いや、それだけじゃない――身体全体から青い魔力が出ている!
しかも身体がおかしいほど熱い。くらくらしてきた。
なんだか目の前がぼやけてくる……!
「うっ、これって……!」
「私に触って!」
転がっている女性が叫ぶ。わけがわからないまま、私は女性の頭に手を乗せた。
すると一気に熱が引いてくる。身体から出ている青い魔力も弱まっていった。でも心臓はばくばくと激しく動いている。
「よかった。暴走というほどじゃないのね」
「あ、あの……」
女性の頭に手を乗せたまま、私は大きく息を吸って吐く。
「助けてくれたんですか?」
「放っておいても、落ち着いたと思うわ。わたくしは、それをちょっと早めただけ」
女性の瞳から涙が消えていた。話し方も落ち着いて、さっきまでとは大違いだ。
「それより、ごめんなさい。わたくし、完全にどうかしたわ……。ウェルナーク様のお屋敷に忍び込んだりなんかして」
「……やっぱりそうだったんですね」
「ウェルナーク様のことを考えると止まらなくなって……。でも、そうね……あなたの魔力に当たって、すっきり目が覚めたわ」
「それならよかったです……」
私は思ったことをそのまま叫んだだけだ。でも、多分それで魔力が出てしまった――ということなのだろうか。アルティラ様は怒ったときにしか魔法を使わないが、もしかすると私も今、怒っていたのかもしれない。
「……いえ、これは普通のことじゃないわ。他人の魔力を追い払うなんて、簡単じゃない。まして帝国最強のウェルナーク様の魔力よ? 今まで女性で抗えた人なんていないんだから」
「は、はぁ……」
女性は早口で言葉を続ける。
「あなたの魔力はすごいけれど、単純な魔力量でこんな現象が起こるはずが……。やっぱり魔力の質そのものが、ウェルナーク様の魔力を弾いていると考えるほうが自然かしら。反魔法の魔力なんて伝説上の存在でしかないけれど、でもこれは――」
「怖い……」
この人はもしかして、ずっとこんな感じなのだろうか。喋り出すと止まらない。こんな人がいるなんて、世間は私が思うよりもずっと広い……。
そこにウェルナーク様とラーベが廊下の角から現れた。ウェルナーク様はなんだか疲れており、ラーベはウェルナーク様に抱えられている。
「……そこまでにしておけ。フリージアが困っている」
「うにゃー。やっほー」
「ウェルナーク様、ラーベ!」
助かった……!
私はぴょんと転がっている女性から飛びのき、ウェルナーク様のそばに駆け寄る。
これで安全安心だ!
「ええと、この人は侵入者です!」
「ああ……わかっている。彼女は見知った顔だ」
「ううぅ……ごめんなさいぃ……」
転がった女性も、ウェルナーク様を見た途端に口を閉じていた。さすがにそこまで喋り続けることはできなかったようだ。
「彼女はミーナ・フェブレル――俺の従妹だ」