25.そこにある今日
それから不安な気持ちになりながら、私は窓の外を眺めていた。
太陽が高く上がり、そして落ちていく。穏やかだけれど、自分の心をどこに持っていくべきかわからない。
でも少し疲れてしまった。ウェルナーク様はいつ戻ってくるのだろうか。
枕のそばにいるラーベを撫でていると、眠気に逆らえなくなってきた。ラーベも眠そうだった。
「うにゃ、いっぱい休むといいよ」
「多分、そうなのでしょうけど……」
眠りたいような、眠りたくないような。
ずっとこのお屋敷にいられたら、きっと夢のようだろうに。でもとりあえずは体力を取り戻さないといけない……。
そのままうとうとして、意識が途切れる。どれくらいの時間が経ったか、気だるさを覚えつつ枕から頭を起こす。そこで私は飛び上がらんばかりに驚いた。
すでにベッドの横にある椅子でウェルナーク様がぴしっと背筋を伸ばして待っていたのだ。
「なっ、あっ……――ウェルナーク様!」
「目を覚ましたみたいだな」
ウェルナーク様が優しい目を向けてくれる。なんだか久し振りにウェルナーク様を見た気さえした。
「身体のどこかに違和感や痛みはないか?」
「えっと……それはありません。大丈夫そうです」
「なら、良かった」
ウェルナーク様はそこまで言うと、テーブルの上にあるコップを手に取った。甘ったるいハチミツの匂いが周囲を包んでくれる。いつものハチミツジュースだ。
「飲むといい。糖分を取ると頭もはっきりする」
「はい……。あれ? なんだか色が違いますね。ずいぶんと黒いような……」
「ココアという植物から取れた粉が入っている。健康に良いと噂でな」
「なるほど……ありがとうございます」
ほんのりと温かいココア入りハチミツジュースを飲む。
「こくっ、こくっ……」
わずかな苦み。でも嫌じゃない。むしろハチミツと果実に不思議なほど調和していた。
喉が潤って舌が刺激されると思考がはっきりとしてくる。枕の横にいるラーベはすやすやと眠っており、すでにミーナも帰ったのか部屋にはいなかった。
どこから何を話したらいいのだろうか。ふたりきりなのに言葉が出てこない。すでに夕陽は地平線に消えようとしていた。ウェルナーク様の表情はいつもとそれほど違わないように見える。それだけに、私は何を言うのかさえわからなかった。
「……あの……」
口を開く。でも怖い。何かを言えば、何かが進みそうだったから。
本音を言えばもっとウェルナーク様のそばにいたい。この幸せな1週間を終わりにしたくなかった。
でも、それがウェルナーク様の望むことなのかはわからなかった。私はウェルナーク様のことを全然知らない。料理が好きで、美味しいハチミツジュースを作ってくれて、ラーベと一緒にいて、強くて……今も私のそばにいてくれるけれども。
迷った末に、私はやっと言葉を絞り出せた。
「……私はどうなりそうですか?」
「それは君が何を望むかによる、としか言えない」
ウェルナーク様は静かに、しかしきっぱりと言った。
「私は――ウェルナーク様やラーベと一緒にいたいです」
「君が望むなら、俺は君のことを絶対に守る」
その答えを聞いて、私は首を振った。
「違うんです。守って欲しいわけじゃなくて……うまく言えないんですけれど、そうじゃないんです」
本当にうまくは言えない。でもずっと守られるなんて嫌だった。それはきっとアルティラと暮らしていた頃の、単なる裏返しなのだ。それじゃダメだとわかっていた。
「私は……私は支えたい、のかもしれません。ここにきて、私はいっぱい色々な物を受け取れたから、だから今度は……私がウェルナーク様やラーベにお返しする番なんです」
ウェルナーク様が私の顔を見た。ふと一瞬、ウェルナーク様の顔に驚きが通り過ぎたような気がした。ウェルナーク様が口を閉じる。
「ウェルナーク様……?」
「……俺が気負い過ぎていたのかもな」
ウェルナーク様の視線が窓の外を向いた。もうほとんど夜になりかけている。
「君は立派だ。君のおかげでラーベも傷つかず、ミーナも瞳の呪いから解放された。この1週間は、俺にとっても楽しい日々だった」
そしてウェルナーク様の紅い瞳が私を見つめる。いつまでもこの瞳に見つめられていたい――と私は思った。
「フリージア、君も俺との日々は楽しかったか?」
「もちろんです」
それだけは心の底から断言できた。この日々は私にとって、まるできらきら輝く太陽みたいだった。
「なら、続けよう。ずっと俺のそばにいてくれ」
「いいのですか……?」
「ああ、理屈なんていらない。お互いがそう思っていることが、全てじゃないか」
「ありがとうございます……」
そこで私は指輪が壊れていることを思い出した。腕を目の前に持ち上げ、壊れた指輪に指で触れる。
「なら、ひとつだけ」
「うん?」
「この指輪を直したいのですけれど、ウェルナーク様と一緒じゃないと無理みたいで。まずはこれを一緒に直しませんか?」
「なるほど、いいとも」
ウェルナーク様が微笑む。その微笑むを見て、なぜか私の胸の中が熱くなった。
これまでに感じたことのない温かさと戸惑い――でも悪くはなかった。ずっと浸っていたい、そう思わせる熱だ。
「んにゃ、話し合いは終わった?」
「ラーベ! 起きていたのですか。気を使わないでも良かったのに」
「いや~~。気を使ってはいないけど、ねぇ?」
ラーベが意味深に私を見上げ、それから前脚で顔をごしごしと洗う。
「ま、話し合いも終わったみたいだし……僕はお腹空いたよ」
「それは私もですね……。気が付いたらものすごくお腹が空いています」
「体調が戻り、空腹を感じられるようになったということだな。とりあえず、何か用意しよう」
「じゃあ、残ったアレ食べちゃおうよ。アレ。僕のひげセンサー的にはまだ余裕で食べられるし」
「残ったアレ……?」
なんだか私は嫌な予感がした。そこでしれっとウェルナーク様が言い放つ。
「冷凍庫の奥にしまってあった、フリージアのパフェのことか?」
「ああっ! ああー! 忘れていました!」
にしてもなんということでしょう。いつからウェルナーク様はあのパフェの存在に気付いていたのか。もしかして、私が丸一日寝ている間に冷凍庫を調べたのでしょうか? それともラーベが……油断できない猫ちゃんです。
「まぁまぁ、アレの悪くない食べ方を思い付いたんだよ」
「うぅ……どんな風にですか?」
「その手に持ったココア――温くなったのをかければ、いい感じになると思うんだよね。まだ余りはあるでしょ?」
「コップ数杯分はまだキッチンにあるな」
「これも新しい日常ってやつだよ」
ラーベがふにっと前脚を上げる。
「そういうものですかね……?」
「うんうん、試行錯誤しながらやるのが楽しいんだから」
確かにウェルナーク様と一緒に、色々と試すのはすごく楽しい。もうあのパフェもすでにバレてしまったことだし……。
「……パフェ、手伝ってくれますか?」
「もちろんだとも」
ウェルナーク様が立ち上がり、私に手を伸ばす。私はその手を掴み、ゆっくりとベッドから起き上がるのであった。
第一部完結になります! 最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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